mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

急に暖かく、直立二足歩行

2024-03-31 09:00:42 | 日記
 3日前(3/28)は最高気温が10℃と肌寒い曇り空。市立病院から「書類ができている」と連絡があったので、とりにいかねばならない。軽い羽毛服を羽織って出かける。でも帰りには羽毛服は脱いでリュックに入れて歩いた。往復10kmほど。気持ちの良い散歩になった。
 受けとった書類というのは「身体障害者診断書」。ペースメーカーを入れるとこれを区役所に提出して手続きをするとレクチャーがあった。区役所は「診断書」と共に証明写真を持参せよと予め知らせてくれた。病院の帰りに区役所へ寄る。福祉課の身体障害者係に逝くと、書類をチェックし証明写真を受けとって、しばらく待てという。新しい書類に、すでに私の名を打ち込みタイプした書類をもってきて、名や住所、誕生日などを確認して、「ひと月ほどのちに知らせが行くから、少し時間に余裕を持ってきて下さい、一級の障害になります」と告げる。えっ、と思うが、その説明のために時間がいるのだろう。そうか、死んでも心臓が動いているというと、脳死状態か。そう考えると一級の障碍者というのも、頷けるが、でもなあ、こんなに元気だよと思う。
 一昨日(3/29)は午前中、本降りの雨。風も強く出かける気分にはならなかった。コーヒーがぼちぼち底をつく。と、午後になって雨が上がった。出かけるとするか。傘を持ち雨具を着て家を出たが、傘は差すこともなかった。雨具もすぐに脱いでリュックにしまった。往復約10km余。歩いていると、ベストが要らなくなる。これも脱いでリュックにしまう。浦和駅周辺は人が多く、賑わっている。そうか、金曜日か。
 珈琲屋に着いて豆を焙煎している間に手持ちの本を読む。室内が暖かく、さらに上着を脱ぐ。これはコーヒー豆を入れるとリュックが一杯になるので、腹に巻いて縛る。ちょっと若ぶった着こなしになる。豆を背負って浦和の街中をぶらぶらと歩く。厚かった雲が薄くなり、西からの陽ざしが背に当たる。風も収まり、気持ちがいい。
 街を抜け裏道を辿る。往き来する人も上着を取り、半袖の人もいる。子どもが多い。そうか、春休みか。
 家に着く頃には少し汗ばむほどであった。約2時間、11kmを超えている。
 昨日(3/30)は晴れ。気温が上がっている。午前9時半。図書館へ本を返し、さらに脚を伸ばし生協まで買い物に行く。往復7kmほどか。暑くなりそうという予報なので、長袖のシャツだけにする。往きは陽ざしを辿って歩いたが、帰りは日陰を伝うようになった。2冊本を返し、予約本を入れて4冊借り出してきた。読もうという気持ちは、いつも溢れるほどあるが、読むペースが落ちている。時々読めずに返却期限が来てしまう。
 子どもたちの小さな集団が其処此処に見受けられる。学校が変わったり、学年が変わるから、名残を惜しんでいるのだろうか。生協も結構人が多い。必要なのは牛乳だけなのだが、「ワケありタマネギ」の大袋、新タマネギの大きいのが5つ入って278円。それが二つで500円とある。一つ50円なら安いか。それにたっぷりタマネギを食べてもいいなあ。買い求める。おっ、シメジがいつもより20円も安い。そうだ、うどんを打ってほうとうでもしようか。本も入っていたからリュックが一杯になった。背負って家へ帰る。やはり帰宅する頃には汗ばむ背中を感じていた。
 こうして3日とも、歩いている。ヒトの出発点が直立二足歩行だったのだから、歩いてこその人間というのは間違いないが、そうか、いつかは歩けなくなるときが来る。その時は四足歩行の獣に還れるか。寝たきりのイグアナのようになってしまうか。原点回帰となると、それもまた致し方ないこと。どんどん回帰して水棲動物になるとオモシロイが、そうはいかないか。それとも輪廻転生して、ふたたび何かの胎児になって水棲を体験するのだろうか。ふん、ふん、ま、それもオモシロいか。

狭い私の鏡

2024-03-30 07:57:31 | 日記
 今日(3/30)の朝日新聞be「悩みのるつぼ」は「推し活」をやめた50代女性の相談。「ある決定的な言葉でファンをやめようと決めました」のだが、このつらい気持ちを誰にも言えないという訴えである。この相談文を読んだとき私は、あっ、この人は次の次元に踏み出す地点に立っている。このつらさの源である「推し」の根拠へ思いを致し、それが冷めたワケを言葉にしていけば、「つらさ」から離脱できると思った。
 それに対する回答者は清田隆之。相談者の思いが「ある意味、不可抗力であった」と解析して「これは多くの人が陥る構造的な問題だ」と共感を示し、離脱への道を二段階で示す。
    一つは、「推し」に触れた4冊の本を「参考文献」として示し、「相談者さんの現在地をよりクリアに見せてくれる一冊」と推薦する。だが同時に、「心身ともに参っているため本を読むエネルギーが残っていない可能性」に思いを致し、あるラジオの番組を紹介して「PodcastゆえスマホやPCでいつでも視聴可能」と、取り付き方にも触れて回答している。
 見事だ、と感心した。
 それと同時に、ワタシの思い浮かべた(つらい次元からの)離脱法(自分への内省を言葉にせよ)は如何にも狭い範囲の「回答」だとも思った。もちろんワタシのセカイが狭いから仕方がないことなのだが、それだけでなく、清田のそれは、相談者の心裡へ身を寄せ、相談に見合った離脱法を具体的に提案して見せている。なるほど、これくらいの包容力を持っていないと「回答者の資格」はないのだね、とワタシのセカイの狭さを思った。
 同じ新聞の、もう一つ面白く気づいたこと。読書欄「売れてる本」の「お笑い芸人・九月」さんの書評《本のふりした筋トレで遊べ》。紹介している本は川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』。お笑い界隈ではもう流行(はや)っていない「言葉遊び」という既定概念を吹き飛ばすような本書を紹介する。「あいまいさを含む表現が大量に取り上げられ…テンポが速い…新書というより問題集のよう」と驚きを記す。そうして
 《…言葉遊びや、ことばによる誤解の元ネタに飢えた小説家・脚本家・映画監督・作詞家・お笑い芸人・各種企画屋などにこそおすすめしたい》
 と推奨方面をあげたのちに
 《一読したのち「誤解の辞書」として手元に置いておくと、豊富な具体例は宝の山となるだろう》
 とおすすめするワケまで呈示している。こういう紹介は、手に取って読んでみようと思わせる核心を衝いている。
 私は彼が推奨する方面とはまったく縁がないが、「本のふりした筋トレ」という表現は、ワタシの身体感、ことば観、世界観とぴったしである。
 もうこうなったら読まざるべからず。早速図書館に予約した。あった! ただ順番は117番目。さいたま市中の図書館にもし1冊しか置いていないとすると、順調に借り出されたとして5年後になる。ははは。これもオモシロイ。そこまで生きているかどうか。九月さんの書評を覚えている保証は、もっとない。
 もし生きていて「予約本が到着しました」と図書館からお知らせがあったとき、はて? なんでこんな本を予約したろうと、ワタシの頭の中にいくつもの「? ? ?」が浮かんでいるかも知れない。これもワタシのセカイの狭さを表してオモシロイと思っている。八十爺の狭さかな?
 書評が面白くて読もうと思う衝動の刺激されることが多くなったのかも知れない。書名をみて読むのとはちょっと違う。この違いも、分け入るとオモシロそうだが、ま、今日のところは、放っておきましょう。

日本型経営感覚と株主総会

2024-03-29 09:56:13 | 日記
 小林製薬の株主総会で、「なにやっとんのや」と経営者を追求する株主の声が響く。紅麹の被害が報道され、何百人という方が病院にかかり、死者も4人になった。でもこれを耳にしながら私は(株主が何を言ってのや)と、近頃の株価の史上最高値に湧いている株式市場を思い浮かべて冷笑していた。
 株主は配当と株価の高騰しか眼中にないじゃないかと私は思い込んでいるわけである。だが、ひょっとするとこの株主たちは、製薬会社が社会的な役割の一番肝腎なこと(人を傷つけるのはもっての外)を疎かにしていることに憤っていたのかも知れないと、思い直した。
 つまり私の当初の思い込みは「株主主権」という会社概念にどっぷり浸かっている。というか、1980年代のバブルに湧いた頃以降、アメリカ型の株主が登場して経営に口を挟み、会社そのものの売買を含めて日本の産業を引っ掻き回して、「失われた*十年」をつくってきた。それが株主とみていたわけである。
 だが、思い直した方の(株主への)見方は、江戸期以来の企業創業者の心持ちと従業員の会社への思い入れを組み込んでいるものであった。こうした二つの見方がワタシの身の裡に入り組んで併存しているのは、「日本的企業経営」という産業資本勃興期の時代と高度消費社会からグローバル化へ舵を切った時代の二つを生きてきた経験的な感懐がもたらすものである。
 バブル時代の「一億総中流」という社会をもたらした「日本的経営」とヨーロッパのそれとを対照させて細かい調査をした結果をまとめた本を、1990年頃に読んだ記憶がある。タイトルは忘れたが、終身雇用とか年功序列とか、人の一生と会社勤めとが相関していて、そこに生まれる企業への忠誠心とか仕事への熱意の入れ方など、日本企業の優位性を誇らしげに記してあった。企業の形態が社会情勢の変化に伴って変更を余儀なくされたとき、仕事場を代えてでも従業員を解雇しないやり方ができると、好ましく取り上げられていた。
 その中で特に記憶に残っているのが、賃金と労働時間と労使交渉のドイツとの比較であった。たしかその頃の日本の労働時間は年2100時間ほどではなかったろうか(アメリカも日本と似たようなところにあった)。年2000時間以下を目標にしていたかと思う。ところがその時すでに1600時間を交渉テーマにしていたドイツでは、賃上げよりも労働時間の短縮を労働側が要求し、1500時間へ近づいていっていたか。へえ、そうか、ドイツはオモシロイと感じた覚えがある。何だか日本型かどうかという経営形態/分配よりも、人の暮らしの方に主題がおかれている「先進性」を感じていたと言えようか(今でもヨーロッパの先進性には文化的アドバンテージを感じている)。
 ところが日本型経営はバブル崩壊後には桎梏となり、解雇を容易にするとか非正規雇用を自在に運用できるような「働き方改革」(と今頃用いられるようになった)が採用され、日本型経営を壊していった。政策の提起者には欧米型の経営形態へ移行するという思いがあったのかも知れないが、現実の企業経営においては使用者の自在性が歓迎されただけで終わり、結果、「失われた*十年」時代の驚くべきロングテール格差への変貌を招いたのであった。でも元々、零細小企業では「終身雇用」は(家族経営としてしか)成立しておらず、中大企業と公務員の雇用慣行であったから、中大企業の経営慣行を自在にしていく「改革」であった。
 先日来「シン・ニホン」を参照して日本企業の再構築を取り上げて来た。日本型経営を離脱して「ジョブ型経営」へ移していこうというAI研究者の志向もみてきた。だが岩井克人がヨーロッパはむしろ今、ジョブ型の働き方からメンバーシップ型の、謂わば日本型労働慣行の方へ力を入れていると紹介している(「変質する資本主義、変貌する会社」)。
 IT/AI化への転換に後れをとった日本企業が、欧米に追いつこうとジョブ型へ移行しようとするとき、すでに先進性の先端を行っているヨーロッパでは、従業員のリスキル(と呼ぶ職能訓練)を促進することが一般化し、いわばメンバーシップ型に近い経営へ近づいている。たぶん日本企業がジョブ型へ追いついたとき、すでにヨーロッパはもっと違った(人と社会にとって)安定的な企業基盤を確保しているのではなかろうか。後を追うだけの者が招き寄せてしまう不遇である。
     *
 話は逸れるが、岩井のエッセイは面白いことを指摘している。それを何点かメモしておこう。これは以降、私があれこれモノを思うときの刺激になる。
(1)ヤジロベエ……ジャン・ジャック・ルソーの自由論(自ら定めた法に従うことこそ自由である)は、法への参加と法への従属という矛盾的自己同一を有している。このバランスを(ヤジロベエのように)とりながら社会は営まれている。これがパンデミックで露わになった。
(2)資本主義は本質的に不安定である……貨幣の不安定性に本質する。不平等化の進展と地球温暖化という内在する危機に直面している。資本制社会の自業自得である。
(3)カネの価値が弱まっている……人による創造性がこれからの企業を引き立てる要素。人(という労働力商品)への見方を変えなければやっていけない(とヨーロッパの経営者は考えている)。人を主題とした理念的な再構築を、日本は果たせるだろうか。
(4)「新しい日本型」の会社のかたちを模索せよ……ジョブ型ではなく技能資格制度の再構築、「働き方改革」。こんなことで、パンデミック後の社会がどうにかなるだろうか。
    *
 岩井の指摘(2)も、矛盾的自己同一性を示している。利潤と配分の不平等化への傾斜。生産と地球温暖化の矛盾。(3)のカネの価値と想像力の源への「あそび」という、ヒトの社会性に本質する矛盾的自己同一。資本家社会的システムが人を労働力商品として位置づける絶対矛盾に、ヒトの社会が正対するところにきている。
 さあ、これら日本社会がむきあう「壁」を(4)の働き方改革で乗り越えられるかというと、これだけではとうてい及ばない。それだけは、よくわかる。
 岩井のエッセイはパンデミックに触発されて、その後の社会が、何にどう立ち向かうかを問うた企画(『転形期の世界――パンデミック後のビジョン』PHP新書、2021年)に寄せた論稿であるから、過不足をここでどうこう言っているわけではない。読み取る側が、そこから、何をどう、何故、そう読み取るかを一つひとつ吟味しながら、意味を持たせるように読み取るしかない。もちろん八十爺にとってはそれで十分である。

ことごとくがメディア

2024-03-28 08:12:45 | 日記
 1年前の昨日(2023-03-27)のブログ記事「みえないものは存在しない」を読みかえす。定点観測とあったから、二つのことを書き記しておきたい。
(1)COVID-19のこと。
 埼玉県から「個人支援は今月末で終わります」とコロナLINEがきた。ワクチンや入院医療の経費支援が保険適用の自己負担になることを伝えている。そうか、これからは2割負担になるのか。費用のことよりも「ワクチン接種の案内」の方が有難かったなあ。そんな感じだ。
 インフルエンザと同じ扱いと思えば、ワクチンなど打たなかった年が多かったから、罹ったら罹ったときで仕方がないという程度。インフルの死者が一万人以上と知っても、ま、八十爺のこと、これも致し方ない。
 それよりもちょうど昨日読んだ「新興ウイルスは何度も現れる」がオモシロかった。病理学とウイルス学専門家の2021年後半の対談。COVID-19のウイルス感染が広まっていた頃、インフルエンザの感染が激減したことを不思議だと話している。インフルエンザの方が感染力が強いのにと言っていることに私は驚いた。へえ、それは初耳。てっきりコロナウイルスの方が感染力が強いと思っていた。
 そう思うから私たち庶民は、電車やバスばかりか、スーパーや街中でもマスクをし、三密防止の警戒対応を採った。でもウイルスの専門家は、そういう社会実験的なことでは満足できないらしい。インフルエンザウイルスの感染力の強さがなぜCOVID-19ウイルスに押されてしまったのかを病理学的に検証できないことをこぼしていたようだ。
 でも、言われてみればそれもそうだね。なんでだろう。ただひとつ門外漢というか門前の小僧である私たち庶民が(今だから)経験的に言えることは、マスクと三密警戒がCOVID-19であろうとインフルであろうと、ウイルス感染には効き目があるということ。それだけで十分である。
 でもねえ、ちょっと定点観測からは外れるが、新聞やTVの「今日の感染状況」が目に止まらないだけで、我が頭からもほぼCOVID-19のことは抜けてしまっている。「見えないものは存在しない」は、まさしく我がことなのだ。ただマスクを持参して、乗り物や建物内に入るときに付けることは、身の習いになっている。4年間の三密警戒は無駄ではなかった。
(2)「池田暮らしの7ヶ条」のこと。
 福井県池田町が出した「都会風吹かすな」というフレーズが見事に当たって、都会もんの心にカチンときたってことに触れている。傘寿のエゴセントリックな反応とみて記しているが、これは「見えないものは存在しない」というよりも、「見たくないものは目にしたくない」といった方が適切かも知れない。
 この問題提起は、地方と都会の文化的なズレが衝突する現場の遣り取りであった。だが、移住先に溶け込もうとしない人は(我が団地には)いない、どうしてそんな(田舎に移住する一部の人たちの)ことを一般化して「都会風を吹かす」と報道なんかするのよと、凄い剣幕であった。
 1月以来このブログでも「ある町の自治会の加入率が5割くらい」について取り上げてきた。私が団地に住んでいることもあって、管理組合理事と自治会役員が裏表で担当するところでは建物の管理という実務が挟まっていることで、居住者の受け止め方は違うと述べてきた。「目に見える/見えない」というのは、この「実務的な何か」が身に感じられる程度にあるか/ないかにかかっている。
 田舎においては、そこに実在することが「実務的な何か」である。そうか、都会と較べてみると、団地はコンクリートが象徴的に「個人の暮らしの結界」である。いや家屋だって居宅一戸が一家族とか一個人の「暮らしの結界」なのだ。ところが田舎は、密でないだけに地域が謂わばヒトの実在する空間。個人も家族のような向き合い方をして然るべき「関係」におかれると言えるのかも知れない。
 もう少し厳密に言うと、ヒトの所在が疎であるだけに関係性のコミュニティは密になることを望む。ヒトのクセかも知れない。
 かつての疎密の結界は昔日のムラのように、隣ムラとの村境にあった。もちろんそれがこの半世紀余で大きく崩れ変わってきていることは、まちがいない。推進したのは経済社会の一億総中流という変貌であり、新聞やラジオやTV、後にはIT、スマホという情報のかたちと伝播が影響し、その進行速度は加速度的であった。そのバラツキが結界の変化を生み出し、コロナ禍もあって噴き出していると言えようか。
    *
 上記二つの共通項は、メディアである。情報メディアだけではない。人が人とかかわるときに介在するモノやコト、それらすべてがメディアである。建物も、商品を売り買いするかかわりも、それらが単なるモノではなく、ヒトのかかわりを介在する実務的なコトとしてとらえられたとき、それらはメディアになる。
 メディアになったとき、ヒトとヒトとのかかわりとしてはコミュニケーションとして、相互の実在を承認する営みとなる。つまり私たちが、そのモノやコトをどういう視線でとらえているかによって、モノやコトを単なる外部世界のただそこに在るだけの、無関係のモノ、コトとするのか、わがセカイの一角に存在するモノやコトとみるかの違いが生じる。それは、ワタシを、そのものやコトの当事者とする。当事者でないことは関係がないこと。埒外におかれる。
 私たちは今ここにいればそれだけで存在が認められているワケではない。この世界において自らがどのような当事者であるかを自身で位置づけなければ、ワタシって一体何かを疑ってしまうほど、リアルもヴァーチャルもワカラナイ世界を生きている。
 そういう意味で、日々の買い物であれ、情報を見聞きすることであれ、メディアを右から左へ流してしまうのではなく、ひとつひとつでも意識して、ワタシはこのモノやコトとどういう関係を取り結んでいるんだろうと思いを致すことだ。そう八十爺はこれまでの人生経験を掛けて思っている。

サクラはまだかいな

2024-03-27 08:38:39 | 日記
 24日が開花と予報があったのに、まだ肌寒い。ご近所の友人から花見のメールがあったので、見沼田圃の西縁を歩いてサクラのご機嫌を伺いに行った。いやはや、まだ蕾も硬そう。早とちりしたツグミが何羽か木に群れていて、もう旅立ちかいなと思っていたのも、みている私の早とちり。まだ畑をぴょんぴょんと虫を探して歩いている。
 日曜日とあって、人の群れも多い。近くの小学校が使っている畑一面の菜の花が、その向こうに広がる遠景の霞むような青空を引き立ててか、春が来たという思いを浮き立たせる。柳の青々とした葉が際だってその所在を訴えている。
 風もなく、肌寒さがむしろ歩く身体に心地よい。ノカンゾウの葉が水路沿いに背を伸ばしている。早いねえ。見沼田圃の栽培農家が日曜日の出店を開いている。泥付ネギ、泥つき大根、里芋、人参、青菜などを並べる。お客の女性が「ここの鍋は何?」と聞いている。店の方が蓋を取り、クワイを取り出して両手でつるっと皮を剝き、味噌を付けて「食べてみなさい。おいしいよ。この季節にしか食べられないのよ」と差し出す。私にも同じように出してくれたので、頂いた。うん、おいしい。味噌味がいい。いかにも、この晴れた日曜日に合ってる。小さい方の袋のクワイを買ってリュックに入れた。
 見沼田圃のかかし公園は子ども連れの人で一杯であった。サッカーボールを蹴る親子、キャッチボールをする兄妹、やっと歩き始めたような幼子がとっとっとっと草地の上を進み、その身体のすぐ脇へのびた父親の両手が摑むか摑まないかで後を追いかける。荷物を持った母親が笑いながらそれについて行く。ベンチでは年寄りの母と付き添った娘が、若い親子をみながら話し込んでいる。
 ハクモクレンが沢山の花を付けて緑の草地と常緑樹を背景にすっくと立っているのが見事だ。少し離れてサクラが沢山の花を付けている。葉も出ているから、このサクラはもう終わりのようだ。「河津桜」と、何とかライオンズクラブの何かの記念樹として植えたと標識にある。まだ咲いているんだ、このサクラは。花期が長いなあと感心する。
 と、ぴーぴーぴーひゃらどんどんと、鳴り物が響く。池の向こう、ブルーシートを敷いた上で、笛を鳴らし太鼓を叩く大人と子どもの一団がいる。**社中と記した格子縞の法被を着て、祭り太鼓の練習でも始めたのであろう。いいねえ。いい季節だねえ。
 氷川女体神社へ上がり、拝殿に一礼して、その裏側へ回る。ここまで1時間。同じ道を帰っては能がない。図書館へ本を返し、到着している予約本を受けとって戻る道へ入る。ところが、この辺りの道は屈曲していて、向かっている方向がいつの間にか90度違ってしまう。しばらく歩いてそれに気づき、スマホのgoogle-mapを出して図書館の入っている施設の名前を思い出せず、すぐ近くにある綠区役所を入力する。すぐに所在は地図表示されたが、スマホは「今日は開いていません」と休日であることを告げる。ふむ、何ともご丁寧なことと思う。
 すぐに見当のつく大通りへ出る。まっすぐ行ったことはあるから、今日はその先の道を取っていよう。と、行き止まり。民家の庭に突き当たる。へえ、こんな立派なアプローチの長い民家があるんだと感心する。引き返して、さらに先の道を辿る。ほんの50mさきには片側二車線の大通りが走っているのに、こちらは住宅に囲まれた静かな佇まい。大きく右へ曲がるところで、左へ行って大通りに合流する。やったあ、大通りを横切るいつもの信号が少し先に見える。
 図書館は混むほどではないがいつもより人が多い。本を返し、雑誌の棚を覗く。今月号の山の雑誌が置いてある。手に取ってテーブルに座り、パラパラとみる。花の低山特集をしている。関東近県のも五つくらい載せてある。そのうちの三つは行ったことがある。後の二つはみたことのある山。添えた写真は山桜が咲き誇っていたり、ツツジが一面に広がっている。去年の撮影のようだ。そう言えば雑誌の編集部は、1年先の特集を意識して企画取材撮影をしなくてはならないのだね。それもたいへんだなあ。みているうちにわが身の裡に山へまた行ってみようかという思いが湧いてくる。春だねえ、獅子身中の虫ならぬ我が肚のムシの啓蟄だね。
 家へ帰りお昼のTVをみていると、この寒さでサクラの開花が遅れるという。思わぬ冷え込みに、気象庁の予報官も見通しを誤ったらしい。ま、こちとらは1日2日を争ってるわけじゃないから、大楊に構えている。なんと、東京の開花は29日頃とか。じゃあ花見は、4月に入ってからだ。今日になってご近所の友人に返信メールを打つ。
 サクラはまだかいなと心待ちしているワタシが、可笑しい。