竹田恒泰『アメリカの戦争責任――戦後最大のタブーに挑む』(PHP新書、2015年)を読む。先の太平洋戦争中の、東京ほかの都市への無差別爆撃や広島・長崎への原爆の投下が、非戦闘員の殺害を禁じたハーグ陸戦規定に反する「戦争犯罪」であることを検証している。アメリカでは今でも、原爆投下を「(日本の本土決戦によって失われる)百万の命を救うため」と説明して「正当化して」きている。それを「原爆神話」と断じて、戦争終結への運びとアメリカ大統領の決断の周辺を探っている。つまり、都市への絨毯爆撃や大量殺りく兵器である原子爆弾を、そのようなこととして認識していたか。にもかかわらずそれらを(戦術として)使用したのは、「戦争終結のための止むをえざる」条件があったか。アメリカの世論は「原爆神話」を信じているから、スミソニアン博物館で原爆投下50周年記念展を催した時、広島の被害があまりに凄惨であることに抗議の声が上がって、展示が中止になったこともあった。アメリカ国民にとって原爆は、真珠湾の仇をうった、太平洋戦争終結の「輝かしい」兵器としては記憶されてはいるが、それが「大量殺りく兵器」であったことには蓋をしておきたいトラウマのようになっていると言えそうだ。
著者の竹田は、トルーマン大統領が(原爆投下を)逡巡した形跡がないことを突き止める。
原爆開発に成功するまではアメリカ自身がソ連に参戦を促してきたが、実験に成功したとポツダムに向かう船中で知らされると、今度はソ連の対日参戦の前に、原爆の投下によって戦争終結に持ち込むことを企図していたと政治戦略的な側面を解析する。つまりすでに冷戦がはじまっていたというのである。だが実は、原爆の投下はポツダムへ出発する前に指示を下していたことも明らかにしている。つまり、政治戦略的な「狙い」は後からつけられたもので、トルーマン自身が「戦争復仇」(真珠湾の仇うち)という側面にとりつかれ、「獣に対するには相手を獣として扱う」という人種差別的な執念に囚われていたことが解き明かされる。
「本土決戦になって百万の命が失われる」のを避けるためという軍事戦略的な攻撃理由にも探りを入れる。「九州上陸後に4万人ほどの戦死者」を軍部は想定して大統領に報告している。竹田は、沖縄戦で失われた1万5千人の死者ですでにアメリカは意気阻喪していたこともあって、もし「百万人の死傷者」という報告が入っていたら、本土決戦そのものをためらったであろうと、竹田は読み取る。
いずれにせよ、じつはアメリカは暗号解読などの諜報活動を通じて日本が和平の道を探っており、もし天皇制の存続を保障すればすぐにでも和平が実現すると読んでいた形跡がある。日本と中立条約を結んでいたソ連に仲介を頼んでいたこともつかんでいて、なお、仇敵をうつということにこだわったと、竹田の解析を読んで、私はトルーマンの執念を感じた。
読みすすめながら私は、広島や長崎は原爆の人体実験だったのではなかったかと、感じた。竹田もそう感じたようだ。だが彼は強く自制して、《人体実験が主たる目的ではなかったであろう……》と結論付けている。そこには、《この本は日米友好の書です。将来の日本人とアメリカ人が本物の関係を築くために必要なことを書きました》と、竹田自身に(アメリカに対する)敵意がないことを書き記している。
竹田の叙述は、しかし、少し違った印象を私に残した。それはアメリカの意図というよりも、日本の政府と軍部首脳の眼中には、国民の命はほとんど顧慮されていないという事実であった。
政府当局は戦争終結の期待をもちながら、しかし、広島の原爆投下でも長崎のそれがあっても、敗戦を認めようとしなかったと、竹田の解析はあきらかにする。とどのつまり、ソ連の参戦によって敗戦を決意した、と。つまり、日本政府は、「臣民」の犠牲にほとんど配慮していなかったと言えるのである。ソ連の参戦という、軍部の戦略的なというか、軍略的な配慮から敗戦へ踏み切った、と分かる。これは私にとっては、悲しい発見であった。むろん満州国にいた人たちからすると、民間人を捨ておいて軍人たちはさっさと引き上げてしまったと、何かの本でも読んだ。つまり軍人たちは、国民の暮らしを護るということなど眼中になかった、と分かる。天皇の軍隊であったのだ。
そういう政府を持つ国民が、アメリカの「民間人を無為に殺傷しない」というハーグ協定など、眼中になかったことは容易に想定できる。私たちは、つまり、日本人の生活規範で暮らしているのであって、国際的なそれなど、全部政府にお任せであった。だから彼ら為政者が、黙して語らないところは、自分たちの生活センスで、良くも悪くも、判断せざるを得なかった。言葉を換えて言えば、昔ながらの侍たちの戦闘を見ているセンスであった。ところが日露戦役以降に、国民全員にに降りかかるシステムになった。むろんそれは、女子どもたちの暮らしにも降りかかってくる。だが、それに自分たちが何がしかの責任を背負っているとは、思ってもいない。それが庶民の暮らしのセンスではなかったか。だから、あとで、一億総懺悔などと言われると、えっ、どうして? と思わざるを得ない。
そういうわけで、アメリカの戦争責任なんて考えても見なかったのが、一般的庶民のセンスである。そもそも戦争をはじめてみれば、それ以降にどのような悲惨に境遇を味わおうとも、それは運命と言うもの。だいたい日本の軍部は、兵士に対する兵站をはじめから考えていなかった。食糧は現地調達というのでは、全部の戦いに圧勝して、戦線を拡大していくしか、兵士に生きのびる当てはない。そんなこととも知らされず、ただただ上官の命に服して戦病死した私の義父の胸中が思いやられる。悔しいではないか。そういう庶民の戦死者に対して、竹田も、何も言っていない。むろん本書の主題ではないから、というのはよくわかるが。
後で気づいたのだが、この著者竹田は明治天皇の玄孫だと、著者経歴にある。その傾きを汲み込んで読みすすめてみて、末尾に記される昭仁天皇を持ち上げる気分が了解できる。日米関係の将来にまで気をつかってご苦労さんなことだ。アメリカの戦争責任というよりも、それを責めることのできない日本の体質というか風土に、焦点を当ててみるのが、次のテーマになろうか。面白かった。