2日間、雪深い温泉に遊んできた。大学の専攻を同じくした友人12人のうちの7人が集った。ほかの5人は、一人は北海道にいて難しかったが、他の4人は遠方に宿泊を伴って出歩くことができなくなっている。ことに一人は、パーキンソン病で介護ホームに入っていると聞いた。つまり集まった7人は、元気な人たちというわけである。
福島駅に降りたときは晴れ、目的地の天気予報は午前中雨となっていた。迎えの車に乗って福島県の北西端、新野地の「秘湯の宿」に向かう。山の方は、黒っぽく雲がかかっている。標高が上がるにつれ、道の脇に残る雪が多くなる。何本かつづく長い土湯トンネルの最初の一本を抜けると、一挙に雪の中に飛び込む。脇に逸れて走ると、路面にも積もる雪が厚くなり、道路わきの積雪は優に2メートルは超えようか。風が強くなり、地吹雪と降雪が合わさって、視界が真っ白になる。自分の車を駐車場に止めた友人は、真顔で「車が雪に埋まっちゃうんじゃないか」と心配している。
それでも裏山のブナ林をスノーシューで散策しようかという私の提案に3人が応じる。スノーシューを履くのも初めて、スキー場以外の雪山は初めてという人ばかり。ピューピューと風が泣くなかを歩きだす。道路から裏山へ入る入口が、雪でふさがっている。踏みだすと、手前の雪は1メートルほどもあるのに、力なくつぶれて崩れ落ちる。その先の2メートルほどの雪を崩しながら踏み出すと、下の雪はがりがりに凍っている。そこへ靴先の鍵爪をひっかけてストックで体を持ち上げる。こうして雪上の人となり、ブナ林へ歩を進める。
木の枝が邪魔をするから、右によけ左に回り込んで、ゆっくりと進む。昨日から降った雪が50センチほど積もって、ケモノの足跡もすっかり雪の下になっている。ブナの巨木があちらこちらにでんと構えているのが目に入る。幹回りは3メートルを超えている。1メートルが100年と聞くから、300年以上の古株。中には3,4本が下の方で一体になって5メートルを超えようかという巨木になっているのもある。雪をかき分けて先頭を歩くのが愉しいと誘って、先頭を交代する。がりがりに凍った雪が下にあるから、ラッセルというほどにならない。徐々に傾斜が斜度を増してくると、風下の吹き溜まりの雪は膝まで沈むほど深い。
稜線に出ると風が強くなる。皆さんの気力もまだまだ大丈夫だよという感じ。稜線を南に辿って反射板のところを目指すことにする。私はごくゆっくり歩いているつもりだが、ふだん山歩きをしていない人にはきついのか、振り返ると間が空いている。呼吸はさほどきつくなさそうだ。ひょっとすると、足の筋肉が慣れない力技に悲鳴を上げかかっているのかもしれない。「あとどのくらい?」と声が上がったのを機に、別ルートをたどって帰りましょうか、と応じる。すでに50分歩いている。
下山路に急斜面を選ぶ。風下だから、積雪量が多い。「登りの方が楽だったなあ」と声が上がる。それを聞くとちょっとうれしい。やはり下りの技術が、体力の楽さを上回るという味わいが、このルートを選んだ理由でもあるからだ。登りのルートと合流する手前で、深い沢に降り立ち急な傾斜を登り返す。面白いから皆さんそれぞれにルートを選んで登ってみてと、声をかける。Wさんは少し上流部へ道をとる。Tさんは、直登のルートを、四つん這いになって這い上がっている。Mさんは私の横で登ろうとしているが、雪が崩れ落ちて足がかりがつかめない。私は斜めにトラバースするようにして斜度を緩めて体を持ち上げる。3人は登ったが、Mさんがとうとう登るのをやめて沢の下流へ深い雪をかき分けて進み、沢が平坦になったところで、合流した。
登りに歩いたルートは、林の中ではまだ目に留まったが、林を抜けると、強い風に吹き飛ばされて分からなくなっている。こうして、1時間半弱の雪上散歩が終わった。
他の3人は風呂にも浸からず、先日インドから帰ってきたKさんの撮った写真を見せてもらっていた。彼は昨年100日以上も海外にいたというスポーツタイプ。ところが、その旅の疲れから風邪をこじらせていると、しきりに咳込む。気管支を痛めているのではないだろうか。齢をとってからの風邪はあなどれない。そうそう私も直前まで医者に行ってたよと、他の2人も話に加わり、手持ちの薬の批評をしている。いつしかその話が、医者の評定に変わる。
夕食までの間に風呂に入り、ビールを手始めに飲みはじめる。珍しく、全員が飲める。私はビールだけと好みを限定していたSさんも、山梨在住のTさんが持参した赤ワインと白ワインを口にすると、「うん、これはなかなかいける」とまんざらでもなさそうだ。他の人たちも泡盛だとか焼酎だとか、グラッパというブドウの搾りかすからつくる蒸留酒もあった。イタリア産のブランデーのようなものだそうだ。無色透明、度数も41度と高い。「こんなに飲めるかよ」といいながら、氷をもらってきて、オンザロックやお湯割りにする。「時間はたっぷりあるから、ゆっくり飲んでくださいね」と幹事役が声をかける。夕食にも「地元のおいしい日本酒」を注文してのんだが、こんなにチャンポンにしても、悪酔いはしなかった。悪酔いするほど飲めなくなったということでもあるが、むかしに比べたら、いい酒を飲ようになったからだろうと思う。
翌日、相変わらず風が強い。雪はさほどでもない。朝食を済ませて、再び4人で雪上の人になる。昨日と同じコースでは芸がないから、少し北よりの稜線上に登ってから、すすむか引き返すか決めようと案内する。昨夜に降った雪がさらに50センチほど積もり、スノーシューを履いていても、膝近くまで埋まる。気温が高いせいもあって、雪室は重い。ラッセルに負荷がかかるが、今日は私が引き受けなければなるまいと、先導する。稜線近くになって、ウサギの足跡を見つける。古いものだが、踏んだ跡が盛り上がっている。ウサギが踏んだ足のついた先の雪は若干湿り気を帯びて凍りつき、その周りの雪が風に飛ばされてしまうから、盛り上がるのだ。
眼下に、鷲倉温泉の建物が湯煙りをあげている。除雪車もみえる。新野地温泉の前の道につながる道路が行き止まりの先へとつづいているのも見える。目で追って、道路の土湯峠へ降りるコースを行こうと思うが、その気力があるかどうかを皆さんに尋ねる。「ここまでとくらべて、あとどのくらいになる?」と聞かれ、「ここまでが峠までの半分」と説明する。「じゃあ、行こう」と元気な声が出る。目を転ずると霧氷ができて、木の枝が全部真っ白に凍りついている。鷲倉温泉の噴気が上がってきて枝が凍っているのだ。
稜線をたどり、雪庇を避けて樹林の間を抜ける。右に左に身体の通るところを選んで進み、急な斜面に案った樹林の中を下る。深みに踏み込んで転倒する人も出る。転ぶ方が捻挫するよりいいからと、平然としている。そうそう、そうやって雪が面白くなる。上から目標とする道路峠の道路標識が見える。さらにそこから浄土平の方へ抜ける、今は封鎖されている道が見え、「日本道路100選」と記した横断看板が道路に掛けられて、雪の中に色鮮やかに見える。無事に峠に降り立ちまだ雪の残る道路をたどって帰途に就く。雪に埋まったまんまの幕川温泉や赤湯温泉への道路がある。冬場閉鎖なのだろう。新緑や紅葉の時期に賑わうようだ。
こうした、1時間40分ほどの雪山ハイキングを終えるころには、空も晴れあがり、鬼面山も箕輪山も青空に映えてた。風呂に入白い山腹をみせている。朝は雪が積もって行けないよと言っていた露天風呂の雪も、宿の人が掻いていてくれた。7回も風呂に使ったという人もいた。お昼をとり、宿の車で福島駅まで送ってもらう。土産を買っても時間がまだあるので、早い電車に切り替えてもらう。驚いたことに、平日の3時ころというのに、東京行きの新幹線は8割以上の込み具合。むろん座席の切り替えはできたが、人の往来の激しさには驚かされた。16時20分には大宮に降り立つ。甲府方面まで帰る人もいるから、その人にはまだ大変ではあるが、面白い旅であった。飲めるほど元気のある旧交を温めた、というわけ。