mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

団地住民のミーティング

2018-10-29 09:20:50 | 日記
 
 ここ一週間ほどの間、小さな住民ミーティングを行っている。目下、団地の修繕積立金の値上げを策定している。管理組合規約には、ひと月以上前に「説明会」を開いて後、「総会」にかけて決議するという手順も定めてあるのだが、型通りに運べばいいわけではないという副理事長の提案ではじめたもの。お勝手の言い分に耳を傾けてみることが大切という、女性らしい発案。それに付き合って、平均して十人ほどが集まる小規模の集会を8回ももつことになった。現状の説明は副理事長が行うのだが、理事長の私が冒頭のご挨拶をすることになって、全回顔を出してきた。住戸の3/4が出席の返事をしてくれた。入居以来28年も経過した団地であるのに、初めて顔を合わす人も少なくない。また、私にとっては9年毎、4回目の理事であるから、いつであったか一緒に理事をやったという顔にも、久々にお目通り願うことになった。
 
 テーマは、4年後に施工する給水管給湯管の更新工事と積立金の値上げ。大方の住民は、理事会や修繕に関する専門委員会のボランティア活動に感謝と敬意を表しつつ、高齢化してきた住いの手入れのためには値上げもやむなしと、好意的だ。ところが、私が意外であったのは、こうした住民ミーティングに、より好感を持っているということであった。「説明会」は1月に予定されているというのに、まだ値上げ額も公表していない段階で、事態の説明をすることに高い評価をしてくれる。顔を合わせて言葉を交わす、そのことが心地よいという反応である。
 
 60才以上の世帯主が住戸の6割を占める高齢化が進んだ団地である。夫婦二人だけの住戸が3割になる。おおよそ30代、40代の世代がバブルの終わりころに分譲されたこの団地に入居した。小さな子どももたくさんいて、「子ども会」の活動も盛んであった。それがそのまま年をとったとみえる。中には世代交代が進み、ここで子ども時代を過ごした人がばあちゃんが亡くなって、あらためてここへ移り住み子どもを育てている40歳もいる。若い人が、見栄えもそう悪くなく、いくぶん広いということもあって、中古住宅として購入して入居してきた人もいるから、緩やかにではあるが、世代交代がすすんではいる。
 
 値上げよりも、給水管給湯管更新工事がどう行われるのかに関心が集まる。大規模修繕などは、専有面積比で費用負担をする仕組みになっている。ひと棟だけなら積立金の管理も簡単なのだが、5棟もある。23年前の神戸の大震災以来、団地の建て替えなどが問題になって、国土交通省が積立金を棟ごと管理にするように指導した。そのため、不具合が生じて修繕や修理をする頻度によって、棟ごとの積立額に違いが生じている。そこへもってきて、給水管給湯管が専有面積に比例しているわけではない。最上階は屋上のテラスがついていて専有面積は広いが給水管などはわりと交換しやすい。ところが、それより狭い部屋であっても1階は、専用庭で使用する散水栓がリビングの下を抜いて長く通り、もしそれを交換するとなると、床をはがす大工事になって、ぐ~んと高い工事費を要する。つまり、各戸ごとに工事費用が異なるから、各戸負担が生じる。では、工事業者と各戸の契約でいいのかとなると、そうはいかないのが業界の通例らしい。つまり管理組合が業者と一括契約を結び、当然支払い責任を負う。各戸の負担部分は管理組合が回収しなければならない。無い袖は振れない人の分は、どうするのか。そういうことが無いようにするには、どう準備をすすめればいいのか。手順を踏んですすめなければわからないことが多く、皆さんの心配や不安に(一般的にしか)応えることができない。
 
 ところが良くしたもので、住民のなかには、建築関係や給排水管などの事業に経験のある方、司法書士や弁護士もいる。特許やその使用権に関して造詣の深い方もいる。彼らは、それぞれの蓄積からアドバイスしてくれる。ことに女性で50代副理事長が仕切っていることに、「お助け心」が刺激されるのであろうか、いろんな話が出来する。全くの素人である私や副理事長は、むしろ、聞き役。耳学問をしているような気分だ。それがますます、ミーティングがコミュニティの交歓の場としての効果を高めている。もちろんこれを機に、2年前の決議事項がオカシイと訴えたり、これまで理事会に注意喚起してきたのに、耳を貸さなかったと十年前のケースを持ち出してプリントをくださる方もいて、ああ、いろいろと鬱屈を抱えている方もいるのだと、私の心裡の人間模様は多様性を帯びる。まだ現役の方々もいるから、それぞれの生きている世界の多様性を反映しているのであろうが、私の知らない世界が断片的に垣間見えて、面白い。
 
 まとめるのがたいへんではあるが、なんだか「値上げ案」自体が通る見通しは、ずいぶんと明るくなった。いろいろなご意見を組み込んで「説明会資料」をつくるのがたいへんといったところに来た。

神なき里の心の負担

2018-10-26 16:21:02 | 日記
 
 昨日(10/25)の朝日新聞「折々のことば」。

《本来は自分がやるはずの自炊を、誰かが代わりに朝から働いてやってくれているから「たすかる」店だと。 按田優子》

 引用者の鷲田清一は、こうつづける。

《……「たすけて」は惨めで言いづらいが、「たすかる」なら素直に言える。「してあげる/してもらう」という心の負担なしに互いを思いやれる関係だから。》
 
 関係における「能動/受動」の醸し出す「心の負担」が、中動態によって軽減される。そう仕向ける思いやりが中動態に隠されていると、解釈している。意志が働くと、その意志の向かう先の人に心の負担をかける。見返りも何も求めず、ただ然るべくそうするという「たすく」行為が、それを受ける人にも天の恵みのように受け止められ、「たすかる」。この関係を自然(じねん)といい、私たちを取り巻くことごとに「神」が宿るように感じて過ごしてきた。それが「くに」に生まれ暮らしてきた私たちの宗教観であった。それを鷲田は「心の負担なし」という。神(への感謝)が消え、人が人びとと関わると考えられるようになって、「迷惑をかける/かけない」というようになった。須らく人もまた神仏になるという信仰が無くなった、神なき里の心の負担というわけである。
 
 今日の新聞では、シリアで拉致され解放された安田純平さんのことが大きく報道されている。朝日新聞「国際面」の記事で、

《安田さんは04年にイラクで拘束され、帰国直後に「自己責任だ」との批判を浴びたが、紛争地域取材の意義を主張し続けた。今回シリア入りする前の15年4月には自身に批判を寄せる人々に対し、ツイッターで「(戦場に)行かせないようにする日本政府を『自己責任』なのだから口や手を出すなと徹底批判しないといかん」と投稿していた》

 と、「自己批判」と国家の国民保護の責務とを対比してとりだしている。
 
 読み取る側からすると、論点の次元がずれている、と思う。安田さんは「紛争地域の取材の意義」を主張している。それに対して「自己責任」の批判をする人たちは「国家の国民保護の責務」から、国家の(紛争地域に近寄るなという)言うことを聞け、(聞けないなら)国家は「たすける」必要はないと展開している。この次元の違いをほとんど意に介することなく、朝日新聞という(紛争地域に記者を派遣せず、フリージャーナリストの危険地域取材に頼っている)大手メディアが、第三者面して審判に乗り出しているように見える。
 
 この限りでは、安田さんの論旨の一貫性が明確になっている。「自己責任」なんだろう? だったら(国家は)口を出すな。「たすけてくれ」と国家に頼んだつもりはない、というのかもしれない。日本国家(政府)の方も、どう「たすけた」かには言及しない。あたかも裏で解放に努力したかのように「関係国に感謝」するポーズをとった。私は、「たすける」のは国家の責務であるから、安田さんの意思がどうであれ、解放努力をするのが当然だと考える。国家と国民は「契約」によって結ばれている。「国民の権利」というのは、誰彼の思想信条の違いを扱いの根拠にしないことを保障している。「自己責任」で行動しているもののために、私たちが支払っている税金を使うなと声高に言うのは、「国民の権利」である。だが、政府がそれを言っちゃあ、お仕舞えよ、なのだ。
 
 この違いにあるのは、国家と社会が互いに関係しながらかたちづくる場を異にしている自覚である。安田さんと税金を納めている国民とは対称的な関係にある。だが、国家と安田さんは非対称だ。国家は安田さんに(暗黙の裡に)強制力を行使している。その強制力に限定をつけているのが憲法に保障する「権利」だ。憲法前文を引き出す必要もなく「永遠不変の権利」と規定されている。つまり、国家が強制力を行使する限界を示しているのだ。この非対称性があるから、私たちはパスポートをもって海外へ向かい、事故あるときは、海外にある大使館や公使館が邦人保護を行う。そういう「契約」だと考えたら、非対称性が理解できる。
 
 逆の側から言うと、安田さんの救出に税金を使うなと批判する市民は、国家と社会を区別していない。同時に、国内関係と国際関係をあまり区別していない。海外に出るということは、基本的に自国の管轄外に身を置くことを意味する。法的にも社会的にも安定な身分関係に立ち入るというのは、相手国との「契約」関係だけが、唯一の保障装置である。相手国の社会の人々は、日本という国の「関係」がもたらした「印象」で相対しているわけであるから、基本的に不確定である。それを外務省は四段階に区分けして安全性を表現しているにすぎない。パスポートを発行するというのは、海外で行動することを最大限保障するという証である。むろん(旅する人は)海外の国家が加える制約は守らなくてはならない。だが、海外にも非法な集団は数多(あまた)いるし、イラクやシリアのように、どこの発する法的な規制がどこまで通用しているかグレーな地域は数えきれない。そしてそここそが、ジャーナリズムの関心事だというのが、拉致事件の背景にある。とすると、こうした事件に直面しての(諸国家や市民の)振る舞いこそが、「権利」の実質的なありようを示す事例になる。アメリカがアメリカ人の振舞いの(逮捕された神父の)裁定に関して、当事国の法制度などにお構いなく「釈放」を無理強いすることは、トルコとのやりとりを見ていれば、よくわかる。日本国政府も、その程度の強引さを自国民保護として持ってもいいはずなのだが、いつも遠慮がちな姿勢しかみてとることができない。国際関係における自国政府と関係国とのやりとりもまた、ケースバイケースで、一つひとつ具体的な事例に即して積み上げられていくもの。その一つ一つに、自国民に対して「自制を促す」だけでは、危うきに近よらずという消極的な保護意識しかみえないとも言える。
 
 2014年になるか、ISにとらえられた二人の邦人の一人、ジャーナリスト・後藤賢二さんのことを思い出す。先に囚われた湯川遥葉さんを「探しに入った」という後藤賢二さんがとらわれたとき、ずいぶんと日本国内から非難を浴びせられた。彼の家族が「救ってください」と声明を出そうとしたとき、そんな声明を出すのはおかしいと非難が出たように記憶している。そのとき誰であったか、日本社会自体がオカシイのであって、イスラム社会でも、肉親の「たすけて」という声は世界どこにでも通じる助命嘆願の声、日本人がそれを発しないのは、それほど助命を願っていないのかと受け取られると批評していたのが印象に残る。またそれ以上に、佐藤優がどこかで「藤賢二さんは神の声を聴いたではないかと思う」と行っていたの記憶に残る。つまり、プロテスタントの日本基督教会に属していた後藤賢二さんが、「湯川遥葉さんを探しに行け」という神の召命をうけてシリアに入ったというわけだ。とすると、近代的な法制度や権利関係で交わす言葉とは違った次元で、やり取りをしなければならない。日本社会が、絶対神を奉ずるキリスト教やイスラム教と違う世界をつくっていることを、改めて感じる。神なき里の心の負担が、じつは、3億円という税金の使い方次元の話になるのであれば、どれほどの無駄遣いを政府がやっているか、ちょっと考えてみるだけで、少しも惜しい話ではない。よくぞ生きて帰ってきたと、言祝いでいる。

身を包むもの

2018-10-25 08:43:12 | 日記
 
 衣替え。十月一日になると、そう思って来た。でもそれは「昔の話」。彼岸までと言われた寒暖の区切りが、どんどん後に延びている。やっと十月の後半になって、秋らしい気配が街に漂う。気温が二十度を切るようになると、頃替えの気分になる。
 
 じつは衣類だけでなく、子どものころからのわが身を振り返ると、身を包んでいたものがたくさんあったと思い当たる。親も兄弟姉妹も、それが保護的かそうでないかは分からないが、さまざまに身を包んできた。それが厚着にすぎたり薄着であったりと気づくのは、外気温が変わったのかわが身が変わったのか分からないが、「(何かの)関係が変わった」とわが身が反応したときであった。親の干渉がうるさい、兄弟姉妹の世話が煩わしい、あるいはトモダチにいじめられた、と。気づいたとき、じぶんで一枚脱いだり着こんだりする術を覚える。こうして、わが身を包んできたものを、薄皮をはがすように少しずつ、自ら着るものへと変える。自律である。
 
 しかし自律の着替えは、わが思う儘になるわけではない。親や兄弟姉妹ばかりでなく、トモダチや社会的な仕組みや規範、法的な制約が着替えを抑えつける。それを子どもは、ゆっくりと、おおよそ十五年程をかけて身につけていくと、考えられていた。元服である。のちに義務教育という年限に制度化されていたが、こうした時代の子どもたちは、親の仕事と地域が一体になった暮らしのただなかにいて、見様見真似で手伝ったり弟妹の面倒をみたりして育ったから、いわば社会関係が幼いころから身に伝えることが多かったとも言えよう。
 
 しかしそれも1970年代の半ばころ、高度消費社会へ移行する時期になってみると、親との場も社会関係もすっかり様子を変え、子どもたちの暮らしは一般社会の労働現場から切り離されて保育園や学校、あるいは家庭だけに限られるようになった。「高校を卒業するのは当たり前」と社会的な規範も変わってきた。豊かな社会の少子化のせいで、外部からの着替え圧力が強まったのであろうか。高度消費社会ゆえに、身につけるべき事柄が多くなったからであろうか。「学校化社会」と批判されるようになり、身につけることごとが親と学校教師とトモダチとの関係だけに限定されるようになった。薄皮をはがすように身に備える規範が、善し悪しのはっきりした価値になり、いつしか身にしむように身につける、関係的な善悪の判断もマニュアル化した教条になった。規範(の判断基準)はいつも外部にあり、わが身はそれを覚え、利用するだけ。自分の内心に問うて判断する、自律の着替えがむつかしくなった。つまり、自画像が描けなくなってきたのだ。
 
 学校化社会以前の自画像とは、こうであった。自分が身の裡に抱く善し悪しの感覚も、好き嫌いの感性も、自らの生育歴に問うことができた。はて、誰の真似をして、どう身につけてきたか、と。つまり、自分の感性や感覚、価値意識も、多数の人との関係を辿り返すことで、ある程度わがコトとしてとりだすことができた。もちろんはっきりとコレがソレというふうに明確になるのではない。そう言えば、兄弟のやりとりの中で思い当たるコトに行き着くとか、小学校の同級生とのやりとりに思いが及ぶような感じだ。学校で何を教わったとか、教師からどういう言葉を教えられたということは、ほとんど記憶に残っていない。ただ、学校におけるトモダチの振る舞い、教師の言動をみて感じたことが思い起こされる。つまり、自分が主体であることへのほのかな自律の芽生えとともに身に備わって来たことが、自画像を描き出そうとするときに想起されて輪郭をとり始めるのだと思う。
 
 ところが、知識として教わったことは、いわばデータに過ぎない。自画像を描く扶けにならない。それに行きつかない限り、わが物語はいつまでも外部との角逐にとどまって、外からの悪辣な攻撃にさらされてきた可哀想な自分、あるいはそれを潜り抜けた優秀な自分のままになる。その、可哀想な自分や優秀な自分の「身」がまとってきたものは何かと、さらに踏み込まないと自画像にはならない。いつまでも、学校がお仕着せた「成績優秀」という衣装であったり、出身大学のブランド名であったり、メジャーなメディアに載った社会的な名声であったり、あるいはお金持ちという幻想の価値に酔っていたりするだけだ。
 
 そういう外から着せられた衣装が、身を保護することは間違いなくある。それは親兄弟や社会や国家やシステムや国際関係という外部が着せてくれたものかそうでないかは、それほどはっきりと区別がつかないからだ。それを自律的に着替えた衣装と錯覚することがあっても不思議ではない。とすると、自画像を描くとはどういうことか、もう少し子細に話さなければならない。それを考えると私は、わが身は器だと、どなたかが言っていた言葉を思い出す。親や社会から受け継いだ文化がわが身に注がれ、人との関係の中で変容し、いつしかわがものとして意識され、それを「わたし」と呼んでいる、と。自律的かどうかも、その時にはモンダイではない。
 
 そういう次元を異にする「わたし」たちが、それぞれの持ってきている概念を言葉にしてやりとりをすることから、「せかい」が広がる。自画像を描くというのは、「わたし」を通じて「せかい」の輪郭へ手を伸ばすこと。その先は、ほかの「わたし」と取り結ぶ「かんけい」になる。その「かんけい」の集合が重なり合う部分と重ならない部分とをもちながら、「世界」をなしていると私は考えている。
 
 いうまでもないが、で、それをつかんだからといって、何になる?
 う~ん、何にもならない、というか、わからない

社会システムの潤滑油の無常観

2018-10-24 08:59:28 | 日記
 
 今日の(10/23)朝日新聞は、外国人「実習生」の労働状況が大変厳しい報じている。いつかも世界第4位の「移民大国、日本」と報道されて驚いたことを記したが、ことに地方の労働現場では高齢者しか集まらず「技能実習生」という名の(低賃金)労働者に頼らざるを得ず、彼らが都会へ流出する様子が浮き彫りになっている。雇い主の方までが、これでは逃げ出すのは仕方がないと、彼らに同情的な言葉を口にしている。
 
 そう言えば先月、石川県の山中温泉であった高校の同窓会での話しが思い浮かぶ。彼は現役のときには全国の酪農関係の仕事をやっていたのだが、港湾の仕事などに欠かせない労働者を手配してくれたのがヤーさんだったと話して、聞いていた喜寿にもなろうという連中を驚かせていた。この世代は、街中にテキ屋やヤクザが目立っていた時代に少年少女時代を過ごしているから、驚く方が可笑しいと言えばおかしい。だが、暴力団対策法が施行され、最強の暴力団「国家」がアガリを独占すべく暴力団封じ込めから壊滅へと舵を切っていて久しいから、市民としては「エッまだヤーさんがそんなに活躍する世間てあるの?」という驚きであった。つまり、すっかり潜ってしまったと思っていたヤーさんたちが、そんなおおっぴらに生きているんだと感心したのだ。ということは、暴力的要素がどう張り付いているかは別として、社会的にそのような手配師を必要とする「関係」は歴然とあるということだ。システムが整備され「コンプライアンス」とカタカナで呼ばれる合法性が整っているとは言え、要不要が日ごとに凸凹している労働需要に即応的かつ弾力的に応える細かいところを埋め合わせるのは、悠長なお役所(的)仕事では賄えないということだろう。昔風に言うと、3K現場の労働需給の潤滑剤と言える。
 
 吉田修一『太陽は動かない』(幻冬舎、2012年)を読む。話しの展開現場は、諸国家と大企業と情報と競争関係が錯綜する世界の、いわばヤーさんの活躍物語。いうまでもなく国家も暴力的要素を含むモメントの一角を担う。活躍という明るさはなく、優勝劣敗の力が支配する世界を潜り抜けて情報の獲得と売買をしなければならない立場に置かれたヤーさんの悲哀が、儲けの損得と扶助の貸し借り関係を通して描かれる。まあ、現代の活劇だが、正義が勝つというストーリーでないことが、リアリティをもたらしていると言える。むろん作家の浮き彫りにしたい人間像が底流におかれているが、これも現代的システムの潤滑油として、使い捨てにされる人びとの姿に見える。
 
 私ら庶民が、ま、そこそこ平凡な人生を送っている限り目にすることのない「世界」である。しかし社会が動くという狭間には、無数のこのヤーさんのような人間の悲哀を象徴する人生が累々と積み重なっている。そしてそれらの悲哀など、まるでないかのように社会システムは確固としている。それは私ら庶民の目に映る「世界」同様に、まるで太陽は動かないようである。
 
 吉田修一は全編を通じて、個々の人生というものの無常を謳っているように思った。話しは活劇物に過ぎないから読み飛ばせばいい。だが底流する作家の人生観に私は共感をもって読みすすめていると感じていた。決してシニカルとかニヒルという否定的な感触ではない。むしろ東洋的なというか日本的な、懐かしさをともなう無常観を感じとって身体ごと頷いているように思ったのだ。

改造人体と人体の構造

2018-10-23 11:17:51 | 日記
 
 「トミー・ジョン手術」と聞くと、大谷翔平を想い起す。だが、トミー・ジョン手術というのがどういう手術かを私は知らない。剛速球を投げると傷めてしまう肘か肩の人体補強手術と思っていた。少し詳しくというか精確にきくと、剛速球を投げるために断裂する肘の靱帯を取り換える手術のようだ。別の組織からもってきた筋を移植し、新しい靱帯として使えるように養生して育てる。この養生に一年半ほどかかるという。これって、でも、ドーピングとどこが違うの? と思ったね。傷めてから取り換えるか、限界を超えるために薬剤を服用するか。いずれにしても、人体の弱点を目的に合わせて(人工的に)改造するってことではないか。ドーピング違反のモンダイもパラリンピックの記録が健常者のそれを越えることもおころうから、そのとき人間ってなんだとか、人体ってどこまでを「パラ扱い」するのかってことも、これから大きな問題になってこよう。
 
 今月の「ささらほうさら」の講師はwksさん。お題は「医療世界に接して」。彼の伴侶が骨粗鬆症と股関節に人工関節を入れることになった、この一年半ほどの「医療過程に接して」考えたことを「報告する」というもの。でも実は、奥方のそばにいて、居ても立っても居られないもどかしさを晴らすために、治療として医者は何をやっているのだろうと、興味津々で調べ廻ったことを「報告」する格好になった。だから、奥方がそれをどう受け止めたかという感懐は顔を出さず、患者向けの「説明書」や医師と(たぶん彼と)のやりとりから派生した関心事を、さらにネットで調べ本を読み解いて、自分が納得できる回答を見つけようとした経過であった。
 
 冒頭に仲正昌樹『自己再想像の<法>――生権力と自己決定の狭間で』(お茶の水書房、2005年)を引用して、(医師は)患者にとって最善の治療をすることのみを念頭に置いているわけではなく、医学全体の進歩に貢献することを使命としていることを、論題とする。薬剤の治験や医療技術の習熟のために行われる「治療」を患者はどう受け止めることができるか。そう問題意識をもって切り込んでいったかに見えた。仲正の著書は2003年頃問題になった金沢大学医学部付属病院の無断臨床試験訴訟を契機に、書名の副題になった哲学的問題を論じたものである。
 
(1)骨粗鬆症医薬品テリポン(テリパラチド)の一年半に及ぶ投与を経て、奥方に現れる(低い)効果との違いに疑念を感じながら、その効果と副作用とを調べる。さらに医薬法による新薬の特許期間と治験期間、じっさいに新薬として用いられる期間をみて、製薬会社がその一部に手を入れて「新新薬」として申請していることを突き止め、その審査機関である「独立行政法人医薬品医療機器統合機構」との関係に思いを巡らす。私などはこれまで考えたこともなく、知らないことがつぎつぎと明かされて、仲正昌樹の論題にまで考えが及ばない。
 ただ、新薬の治験を患者に断っているにしても、(この方が、治療に効き目があるはず)という信念を医師がベースにしていることは(患者としては)信じるしかない。新薬開発と金儲けとの蓋然性だけを取り出して「治験」に臨んでいると考えると、患者としてはやり切れない。この辺りのことを「インフォームドコンセント」と一括されて論題にされても、そこは「信じる/信じない」という二者択一では、まったく次元を異にして判断しているというほかない。
 あなたは信じているのかと問われると、半ば信じ、半ばあきらめていると応える。「生権力」という時代のモメントも社会システムに任せる外ないという庶民の無力をベースにしている。この医師が信頼できるかどうか、この薬が効くか効かないかという次元では、私の感触は漠然とした肌合いでしかない。今私のかかりつけ医は、内科の看板を掲げた60歳前後の循環器専門医だが、「山は歩いていますか。ははあ、ご自分でそう気遣っているのでしたら、心配いりませんよ」と診たてる。実に大雑把、そこがなんとなくいい感じだ。素人は黙って専門家に任せる。運不運はつきまとうが、だからといって自己決定できるほど、自分に対する信頼ももてないからだ。
 
(2)人工関節の仕組みと手術の仕方も、知らない世界に案内されるような心持で話を聞いた。人工関節手術の「名医」といわれる病院が日本で三カ所しかないというのも驚きであった。この程度の数でこなせるのか。骨盤と脚骨の繋ぎ目に人工関節を入れる。その人工関節が「ボール」と呼ばれるベアリングをおき、軟骨の役割を果たす超高分子ポリエチレン製のライナーで覆って稼動する関節部とし、ステムとソケット名づけられた関節を骨に固定する部分に挟む。しかも、骨盤と脚骨とをつなぐ筋は残す。手術の時の出血に対応できるように自前の血液を事前に保存しておく。じっさいの手術はほとんど出血をみることなく3時間半ほどで運んだというから、動脈や静脈を上手に回避して骨盤に達する手法は、十分手慣れたやり方になっているのであろう。そう聞くだけで私は、感服して全面的に任せる気持ちになってしまう。
 大谷翔平の「トミー・ジョン手術」というのも、これくらいの軽い手術なのだろうと思った。何しろ、大リーグ投手の1/3がしているという。何をどうするかを知っていても、患者は全面的に医師に任せるしかない。そのとき患者は、たぶん最良の結果がもたらされることを期待している。だが外科的医療とは言え、患者の体質や体調、自己回復能力、運動選手であれば予後のリハビリの仕方や使う程度によって決定的に異なる結果になることも考えられる。私はそうしたことをすべて含めて、運否天賦のもたらすものと、いくぶん神だより的に受け止めている。講師のwksさんは、もう少し機能的に、システマティックに事が運ぶように考えているような気がした。たぶんその人の持つ人間観が左右しているのであろうが、そのあたりの気質の違いに踏み込むと面白いかなと思った。
 
 仲正昌樹の論題はインフォームドコンセントにおける患者の意思決定と自由のモンダイに踏み込んでいるのであろうが、wksさんのように、自ら深く調べ、何がどうなっているのかを取材するようにして解明していく姿勢をもたないでは、単に医師の提示するあれかこれかをエイヤッと選び取るだけの「意志決定」にすぎない。「生権力」というのが、システムとして治療を施し、健常に長生きをさせることを志向するものだとしたら、治療を受けないと決断する「自由」なのだろうと思う。ま、いつだって与えられた枠組みの中に実存する「自由」しかなかったわけであるから、「全き自由」などと夢を描いても詮無いこと。せめて、所与の与件というのがどういうものであるか、それを知っておきたい。そしてやはり、運を天に任せるようにして生きているのだと実感できれば、まあ、上出来の部類だと思っている。