mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「愛国者でなければ被選挙権はない」

2021-05-31 05:50:40 | 日記

 香港の立法院の選挙への立候補資格に「愛国者」と明記し資格審査をすると中国政府が法規制を定めた。「愛国者」以外は国民ではないというか、統治の対象にすぎないと定めるといおうか。この規定を、日本会議の方々はどう評するだろうかと、ちょっと皮肉な感懐が湧いた。
 このとき、日本国憲法が定める「基本的人権」が「愛国者の権利」を意味していると考える人はいないであろう。「基本的人権」とは「愛国者」とは次元が違う、より広い領域の人々の「在り様」を示している。愛国的でない人も、在留外国人も保障さるべき権利というふうに。だが同時に、日本国憲法の定める「権利義務」は「国民」を指していて、peopleではないと作家・赤坂真理が指摘していた。
 《すべての枠組みやイデオロギーに先立つpeopleという概念を、日本人は持ったことがあるだろうか?》
 と疑念を呈し、
 《生まれてこのかた持ったことのない感覚を、「生得の権利」として行使できるという信念も、そのやり方も、私にはわかっていない。それを認めざるを得ない》
 と述懐している(赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』講談社現代新書、2014年)。1964年生まれ、思春期にアメリカの高校に留学して過ごしたというこの作家は、そのときの(自らの祖国に対して感じた)カルチャーショックを率直に述べて、日本の戦後史を振り返っている。
  彼女のこの述懐は、自らへの内省を踏まえて繰り出されている点で、信頼できる。
 実際日本の憲法解釈でも、「基本的人権」は「国民」にしか認められていない。先ごろの入管法改正案で論題になった「不法滞在者」の扱いも、ほとんど犯罪者同然である。あるいは、外国人労働者への待遇も、同様に、「基本的人権」をもつ人としての処遇と異なり、単なる労働力商品としてのあしらいと言わなければならないような遇し方になっている。
 これは、法的な処遇が遅れているからなのか、日本社会の「国民感覚」と「人権感覚」の間に開きがあるからなのか。そう考えると、その両者に通底する「日本人感覚」が壁になっていると思われる。
 つまり「日本人感覚」のなかに、「日本語を話し、日本文化に馴染み、日本人として振る舞える人」を無意識に想定している(社会に通底する)センスの選り分けがたく根付いていることが、処遇の不備を長年にわたって生きながらえさせてきたと思えるからだ。
 つい先日のTV番組で、町山智弘がアメリカの奴隷制度の現在を取材していた中で、奴隷解放宣言がなされてからも1970年代に入るころまで百年以上も、アメリカ社会は黒人を奴隷同然に扱ってきたと黒人女性ガイドが話していたのが印象的であった。個人の所有物としての(高価な)黒人奴隷が、最下層の低賃金労働者としての黒人労働力に変わっただけ。その所有者が、南部の富裕な農家から北部を含む企業経営者へ(その感覚は当時社会の主流を占めていた白人市民層に)と大衆化され、人としての処遇は社会的には相変らず過酷低劣であった、と。去年の出来事に端を発したBLM運動は、未だに残る社会的な残渣の根深さと苛烈さを表している。
 與那覇潤が斉藤環との対談でしゃべっていることが、目を惹いた。要約、以下のようなこと。

 映画『ラリー・フリント』(1996年)の台詞……。ポルノ雑誌を出版したりしていた「下種な商売をしていた人物」だが、出版の自由を巡って訴訟になった時の決め台詞。「憲法が俺のようなクズを守るなら、社会のあらゆる人が守られるから」。これこそが法の支配の本質であり、人間教にはないもの……。そこまで立ち戻って考えなおさないと、なにをやってもループをくり返すだけでしょうね(『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』新潮選書、2020年)。

 輿那覇潤のいう「人間教」とは、「健康で文化的な暮らしをしている日本人」のイメージなのだが、うつ病を病んだ輿那覇にすると、そこにこそ「愛国者」の姿を組みこんで恥じない人たちの「国民」像が重ねられている。「何をやってもループが繰り返される」という慨嘆に中に、私たちの胸中に巣くう、赤坂真理と同じ感懐があること、それと向き合わねばならないことが示されている。「同じループをくり返す」と指弾されているのは、私なのだ。


神様はお客様です。

2021-05-30 06:38:58 | 日記

 だれのおきゃくさまだったんだろう?
 子どもの私をお客としてもてなすご亭主は、間違いなく親であり、兄弟であり、祖父母やご近所の大きな人たちでした。大事にされたかどうかということではありません。この子は一人前でないのだから世話をしてやらなければならないと見なされ、本人もそれに甘んじていたのです。
 生長するにつれ、自分でできるようになってきます。お客様度は下がります。元服とか、成人というのがお客様卒業の儀式でした。
 神様は生長しません。永遠のお客様です。
 伊勢神宮では、朝晩毎日、神様に御饌(みけ)を手向けます。食べ物も種から植え、育て、収穫して料理して、神様に捧げます。火を熾(おこ)すのも、毎回木を擦り合わせて火口をつくっていると聞きました。ヒトの暮らしの基本中の基本を忘れないように千数百年続けてきているのです。
 基本中の基本って、何? 
 暮らしに必要なものを作り、交換し合い、使う。役割を分けもって行うと、つくった人が提供者になり、使う人がお客になる。そこから、基本が忘れられるようになってきたのですね。
 昔と違い、社会は豊かにもなり、複雑です。ヒトの活動分野も広がり、さまざまになり、楽しく贅沢であることに身が馴染んできています。他人(ひと)の提供してくれるものを(お客様として)頂戴するというのが日常になってしまいました。日常がお客様になってしまいました。まるでヒトが伊勢の神様になったみたいですね。
 身が基本を忘れたからといっても、それがいまの社会の自然です。ヒトは環境に適応しようとします。ヒトも変わっていくのですね。
  ところが、入院してみると、根っこのところに基本が据えられていることに気づきました。自分の身が動かないという障碍を背負ってはじめて、基本が感じられたのです。世の中を見るときに、もっとも底辺に位置している人を基点にしてみていくと、社会の基本が見てとれるってことですね。
 いま、社会はしっかりしている。それを実感しています。


あなただれのおきゃくさま?

2021-05-29 05:17:27 | 日記

 身体不自由の長期入院という事態は、日頃のわが身の在り様を考えさせるに衝撃的でした。
 入院当初2回の食事は、食欲もなく汁物だけを飲んで下げてもらいました。お粥にしてもらい、煮びたし、根菜の煮物、煮魚、デザートなど、全部で4品。1日1400kcal、塩分6g未満。病院食です。
 両手がうまく動きませんでした。いまでも右腕は力が入らず、胸の高さに上がりません。もちろん病院は、食事の時に介助をしようとしてくれます。でも、左手でスプーンをもって口元に運び、自力で食べることができるようになりました。
 一つひとつの動作はゆっくりです。間合いも十分すぎるほど必要でした。
 そのときわが胸中に、バチバチウィルスがいくつも入ってきました。

 なんて、これまで、忙(せわ)しなく食べていたのだろう。
 なんて、たくさんの量を、ふだん食べているのだろう。
 なんて、味わいもせず、胃袋に放り込んできたのだろう。
 たくさんの「なんて」が湧き起り、それがつぎの「なんて」を生み出します。
 そこで、はたと思い当たりました。
 ああ、食べること、食べ物のことに、ちゃんと向き合ってこなかったんだなあ、と。
 
 山歩きをするとき、食糧計画をたて、調理プランも考えてきました。でも、お腹を満たすこと、カロリーばかりに関心が傾き、あとは重さやかさばり具合を考えて準備をしてきたのです。ま、山は非日常ですから、それはそれで一向にかまわないと、今でも思います。
 日頃の食事がそれではダメなんだよ、とバチバチウィルスの浸入した細胞が訴えています。
 何がダメ?
 基本がダメ。食材がなんであるか、どう調理しているか、取り合わせはどうなのか、どうやっていまこの食膳に並んでいるのか。そんなことにに関心を持たないで、ヒトは生きては来られなかったはずです。
 他人(ひと)様にやってもらって、御馳走になるのは、お客様。
 あなた、だれのおきゃくさま? 
 自分のことを自分でやるというのが、生きていく基本。それを忘れていますね、とわが身がつつかれたのでした。


柔らかく微細を感知する

2021-05-28 06:42:03 | 日記

 リハビリに通っている。5月の第二週から週に4回、足を運んで右肩を温めるとともに、右首筋から右肩と右腕にかけての神経の流れをとらえて、ほぐしてもらっている。
 症状は、右手が胸の高さ以上に上がらない。正面から上げても側面から上げても、肘を伸ばしまままでは腕の重さを持ち上げる筋肉が足りない。左手を添えてやれば上がるのだが、ある程度以上になると、右肩とその神経の流れにピリピリと軽い痛みが響く。
 ほぐすリハビリ士は5人ほどいる。大体30歳前後の男性。どこに不自由を感じているかを聞いて、手を添えてゆっくりと動かす。動かしては、神経のしこりそうなところに掌を当てて温め、軽く揺り動かしてほぐす。すると、動きにつれて生じる軽いしこりが消えていく。
 いや精確にいうと、腕の動きに合わせてしこりが来そうなところの手前のところで、動きを止め、元に戻し、またそこまで腕を動かしてゆく。そのときのリハビリ士が感じているであろう(私の神経の)微細な反応が負荷を感じるギリギリの手前のところで止めて、元に戻し、それを軽く繰り返す。それが心地よいのだ。
 心地よいというのは、これまでの私の(筋トレ)常識からすると、効き目がない領域である。だがリハビリ士は、痛みを感じる手前で止めるのがいいと口にする。そうして、彼が私の神経の反応を聴き取りながら行う15分ほどのリハビリが、動かない右肩の動きをほぐして、何日か経ってみると、動きが少しは良くなっている。夜中に肩が張って寝付けなかったところが、いつしか熟睡しているというふうに、時間をかけて効き目を発揮しているようなのだ。
 近頃は湿布薬も、一枚にし、半日だけ貼るようにしている。
 このリハビリ士の、柔らかい、微細なところを感知する「手当て」は、近年の流行なのであろうか。何となく、時代の気配と同期しているように感じる。たしかに彼らが、筋肉の貼り方と神経の流れに気を配りながら「手当て」をしているのは、わかる。心地よさということで言えば、確かに(神経叢が)ほぐれている感触は、ある。だが夕方になれば、元の木阿弥というか、ほぐれたところが再び、しこるように感じられる。
 リハビリってそういうものよと思えば、一進一退で治癒がすすんでいると思えるのだが、リハビリ士の繊細な感触に感心するとともに、私の従来持ってきたトレーニング感覚とのあまりの違いに、当惑している。どこかで見切りをつけるには、まだわが腕はもちあがらない。経験者は、4カ月だとか半年だとか、療養期間を教えてくれる。そこまで私の心持ちが我慢できるかどうか。
 そろそろ毎日通うのを半減しようかと思案している。


「人」に託して「わたし」が立つ

2021-05-27 06:10:19 | 日記

 今の社会は自立した個人を前提にして成り立っている。生活的には自立であるが、同時にそれは個々人が自分のことを自ら決めるという自律を意味している。だが、自分のことを自ら決めるとはどういうことか。そう考えると、個々人の考え方だけでなく、世の中の風潮が指し示す方向を違えてくる。人の欲望は社会的に発生するものだからでもある。加えて、性的な関係がもたらす身の裡からの叫びが社会的な佇まいと切り離せない。
 なにしろ日本は、男社会である。家族制度の影も色濃い。そうした社会で、女が自律をするというのは、「個人」の意味するところを「男」との関係で位置づけないではいられない。じつは社会的背景を取っ払ってしまえば、「男」も「女」との関係で位置づけないではいられないのだが、世の中の潮流はそれを無用とするくらい、男中心にかたちづくられている。つまり「女」が男を軸として自らを位置づける以外に、自律の道筋は得られないのである。「男」は社会的な空気に育まれて、いつしらず自らの自律の根拠を手に入れているのである。
 その自律の苦悩を、「男」や「女」を問わず、戦前と戦後の一億総中流の時代とを行き交いながら探る物語が、桐野夏生『玉蘭』(朝日新聞社、2001年)である。時代を半ば戦前と対照させながら、しかし今の時代の自律の問題に焦点を合わせて、身の裡に語らせる手法は、さすが桐野夏生だと思わせて、圧巻であった。もちろん「自律」という言葉は一言も出て来ない。生きている安定点というかたちで内面に起ち現れている。
 桐野が描き出す自律のかたちは、「わたし」の自律は「人」に託したところに立ち現れるというもの。関係的に人の在り様をとらえようとする桐野の視線が好ましい。「わたし」のレゾンデートルが「他者(ひと)」にあらわれるというのは、共に生きるということそのものであり、そのかたちは人の身そのものの在り様を指し示している。個の自律が「わが身」を「人」に託すことに現れるのは、何とも皮肉であるが、人というのがそのような存在の仕方をクセとして持ってきたことに由来すると考えると、得心が行く。文字通り「人閒」なのであった。
 その屈曲点が、身を棄てる地点に現出するというのも、年を取ってからではあろうが、腑に落ちる。世の中の授けたさまざまな観念を自ら棄て去った地平に、「人」に託したかたちではじめて自律は自らのものとして姿を見せる。「関係」のあわいに「人」が見事に浮かび上がる作品に仕上がっている。