mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

第10回 36会 aAg Seminar ご報告

2014-09-30 10:24:22 | 日記

 9月27日、第10回のSeminarが開催されました。参加者は13名。常連の2人がすでに予定が入っていて欠席でしたから、もし来ていれば、これまでで最大の参加をみたことになります。

 

 今回は、fwさんの「住宅の商品開発最前線」。彼自身が、17年前に退職をして、フリーの「ハウジングライター」になって以来取材してきた分野の、「東日本大震災後のトレンド」を中心に話してくれました。10ページに及ぶプリントは、最初の2ページに「トレンド」の概要を紹介しています。まずは、彼のフリーになってからの仕事の仕方から話し始めました。テーマの華々しさと違って、彼の静かな語り口が、諄々と沁み込んできます。

 

★ 震災後の住宅のトレンド、「スマートハウス」

 

 東日本大震災後に「価値観が大きく変わった」とみています。

 

① 万が一の時の備え、
② 節電・省エネの推進、
③ 家族の絆とか社会とのつながりの大切さを重視した商品がトレンド、

 と。その、省エネを象徴するのが「スマートハウス」と呼ばれているものです。スマートシティとかスマートマンションもあります。

 

 「セキスイハイムのスマートハウスの進化」に例をとり、2011年から2014年までの毎年、どう変わったかを一覧表にしています。

 

 2011年にPV(photovoltaics、太陽光発電システム)4.8kwを備えた住宅によって「光熱費20%削減」がウリでした。それが翌年には蓄電池を備え、しかも太陽光発電の固定買取制度が法制化されたことを受けて、「5.1万円」の収入になっています。この「収入」というのは、発電した電力の自家消費を除いて販売した分の収入額です。さらに2013年にはPV容量が2倍以上となり、「24万円」の収入に増大。さらに2014年には電気自動車の蓄電池を併用することによって蓄電容量も倍増し、「33万円」へと収入が増加している住宅、というわけ。もちろん電気自動車をもっていなければなりませんが、蓄電のネットワークを最大限活用しようとしています。「健作さんがいればそのあたりを説明してくれるでしょうが……」とfwくん。年々の「進化」には目を見張るものがあります。

 

 スマートハウスというのは、エネルギーの消費を最適に制御するシステムをもつ住宅のこと。エネルギーを、創る・蓄える・節約するばかりでなく、それを総合的に統御する「HEMS」という考え方に進んでいます。HEMS(Home Energy Management System)、家庭で作る電気エネルギーの活用状況を、家庭内に設えたパネルなどで「見える化」するシステムです。

 

★ 健康志向へ対応する住宅

 

 「将来はHEMSで蒐集したデータをさまざまな分野で使うようになる。センサーを体につけ、心拍数、呼吸数、カロリー消費量、ストレス度、などのデータをリアルタイムでサーバーに溜め、ヘルスケアサービスができるようになる」とfwくんは、解説する。そう言えば、トイレメーカーが、尿や便のチェックをして(検査サービス機関に)送信、健康状態を管理してくれるウォッシャブルトイレを売り出していましたね。高齢化が進む中、健康チェックができる住宅というのウリです。

 

 つまり、健康管理などにつなげていけるような住宅、「スマートウェルネス住宅」へと向かっていると。「医療と建築の関連性を研究する動きが活発化」し「健康・省エネ住宅を推進する国民会議」もスタートしています。「温度変化と健康の関係、血圧、睡眠の関係などの研究が活発化」しているそうだ。人々の関心と不安に応えていくことが、今後の住宅販売需要を確保していく道だと、(住宅関連会社は)戦略を立てているようです。

 

 その中間段階として「光熱費ゼロ住宅」、ZEH(Zero Energy Home)と呼ぶ、住宅の建築が検討されています。「ソーラーで創電し、料金の安い深夜電力を蓄電池に溜めて、昼間に使う」かっこうで、住宅のエネルギー消費量をプラス・マイナス・ゼロにしようというのです。実際には、家電消費エネルギーを含めたZEHと家電消費電力を除いたZEHと二通りあるそうですが、2012年統計では、前者で13%、後者では59%に上る。「ZEH」でインターネット検索をしてみると、75000件以上の項目が引っかかりました。ZEB(ゼロ・エネルギー・ビル)とも呼ばれているそうですが、2009年から何回もの研究会を開いて検討がすすめられてきています。「国は低炭素社会の実現へ向けて、2020年までに新築住宅にZEHを実現する目標を打ち出している」とfwくんは、付け加えています。

 

★ 再生可能エネルギーの買い取り制度の将来

 

 話しの途中でfwくんが「この中で自宅にソーラーを装備している方はいますか」と問いました。面白いことに、一人もいません。これは、いわゆる「環境派」がいないことを示しています。私たちが家を建てるころに、ソーラーシステムを装備することは「環境派」の関心事ではあっても、一般の興味を引くことではなかったからです。つまり、すべては、3・11以降のことであり、政府の再生可能エネルギーを振興する制度が整い始めてから、関心を引くことになった、というわけです。

 

 その関心がしかし、実際に改築や新築に活かされるかどうかは、わかりません。というよりも、古稀を過ぎて住宅を新築しようと考えている人は、(私たちの中に)そう大勢いるわけではありません。それほど期待できる話にはならないと言えます。それでもfwくんの説明に、「全量買い取り制度を選択すると収入が20年間で680万円になる」とあったときは、初期の設備費がいくらかかるか、それへの補助金がいくらあるかに、話しが集中しました。さすが高度経済成長を潜り抜けてきた世代です。パッと目端が利いて、さとい。ソーラーシステムの設備費も、かつて1kw100万円もしていたのが、今は1kwあたり30万円くらいになっています、とfwくん。


 
 しかし、思わぬ話も出ました。九州電力が「再生可能エネルギーの固定価格買取制度に伴う新規契約を9月25日から中断する」と24日に発表したこと。26日には、「東北電力も追随」と新聞も報じています。これは、その場にいたTs君の話では、「出力が不安定になるから」だそうだが、「20年間買取を義務付け」という制度自体が信頼を失うことにもなりかねない。一般家庭向けのことなのか、大口買い取り事業者への「警告」なのか、はたまた、この制度自体を見直すようにと求める電力会社から(政府へ)のメッセージなのか。調べてみなければ「住宅の新しいトレンド」も崩れてしまいかねません。

 

★ 暮らし方まで設計してくれる住宅会社

 

 このさとい世代をターゲットにしたと思われる「住宅トレンド」の話が、もう一つfwくんからありました。旭化成の「都市の実家」。「親世帯訴求商品」とfwくんは表現しています。「1940年代生まれ」というから、まさにどんぴしゃり。実際のターゲットは、1940年代後半の団塊の世代でしょう。「2・5世帯住宅」として売り出されたそうです。都市生活をする親のもとに生まれ、独立して世帯をもっている子どもたちが「都市の実家」に、盆・暮に帰ってこられるように設計するという発想。なるほど、あの手この手で(住宅販売会社は)智慧を凝らしているんですね。ついでに、介護が必要になった時にも切り替えて使えると、使い勝手のよさを強調しています。さらについでに、「畳の部屋がいいそうだ」と言ったものですから、そうだ、イグサの香りがアロマセラピーに効くと、話しは転がっていきました。

 

 fwくんが「この世代は集まるのが好きらしい」と付け加えたので、余計に、話しはにぎやかになりました。旭化成のコンセプトの中に、「集うことの愉しさを感じ、将来にわたってアクティヴに過ごすことができる、暮らし継がれる家の提案」とあります。3・11以降、家族を見直す世の中の風潮もあって、新たに住宅を求める欲求の中に、こうした項目も加えては如何、というコンセプトでしょう。すごいなあ。住宅会社というのは、人々の暮らし方まで設計してくれるようになったのですね。でも、本当にこの世代は、「集まるのが好き」なのでしょうか。何だか、身の裡をのぞき込まれているようで、感じ悪いって思いましたね。

 

★  こんなに調子に乗っていいのか、人間は。

 

 「三井不動産が描いた2020年普通の暮らし」という、fwくんの紹介してくれた話は、ちょっと調子に乗りすぎていると、私は思いました。情報通信技術(ICT)の発展は目覚ましいが、それを活用した住宅の近未来を描いてみようというのが、三井不動産のコンセプト。

 

 キッチンとリビングを別々のものと考えるのではなく、1カ所にまとめて、そこに家族の新しいコミュニケーション空間をイメージする「ツクル空間」。もちろんレシピを表示するなどは、手軽にできます。あるいは、記念日などの食卓をキオクしておいて、映像で再現もできるという「キオクスル食卓」。あるいは離れて暮らす家族や祖父母、海外の友人たちとオンライで結ぶ「ツナガル窓」とか「オトノナル扉」といった、ほとんどドラえもんのポケットのような発想の住宅もあります。技術はすでに完成しており、あとはコストだけという地点に来ているらしい。ここでも、私たちの自身の暮らし方が、徹底的に「技術依存的に」なっていると感じるのは、近代の前段階を生きてきた私たち世代の尾骶骨の記憶(ひがみ)なのでしょうか。

 

 トヨタホームの「赤ちゃん医学から生まれた家」も、滑稽に感じました。おんぶ日傘で過ごした(親の)お嬢様お坊ちゃん時代の感性をくすぐるのでしょうか、住宅の残響音にまで気を配り、五感をはぐくむ色環境を施し、赤ちゃんの睡眠リズムや生活リズムに対応して開いたり閉じたりするブランインドと、至れり尽くせり。これでは親の(気遣いの)出番がないのではと思われるほどです。それにしても、0歳から3歳までの子育てに良いと考えて住宅を求めるというのも、ゼイタクな暮らしができるようになった高度消費社会の賜物ですね。でも、それで何を喪っているかと考える方が、重要ではないのかと、ふと思い浮かべてしまいました。

 

 もちろん新築だけではなく、リフォーム用の「提案」もあります。「湯を、愉しむ。時を、味わう」というコンセプトで開発。快適、楽ちんをモットーに創意工夫をするというのは、日本企業の得意技です。だから商品開発に力を入れて、人々の欲望を掘り起こしていこうとするのは、先端開発者の使命なのでしょう。だが消費者が、それに「適応」することによって、私たち自身の暮らしばかりか、感性や思考や身体性が変わってきているのではないかという「不安」を私は感じます。私たちが「調子に乗って」新商品の便利さに気持ちをとらえられている間に、すっかり「人間」の本来持っていた動物的な勘や本能的能力を喪ってきました。それは「進化」であると同時に、「退化」でもありました。それを、高度消費社会の若者たちを生み出しているのではないかと、私は心配しています。簡単、便利、気持ち良い、……。その反面、着実に人間能力のある部分が失われて言っている、と。どこかで、ブレーキを掛ける必要があるのではないか。そんな気がしました。

 

★ 今話題の「サ高住」体験

 

 講師・fwくんの今日一番のポイントがここにありました。「適合高齢者専用賃貸住宅」への入居レポート。いわゆる「サ高住もどき」。場所は、浅草・浅草寺。屈指の観光スポットであり繁華街。年寄りが暮らすには、都会のマンションがいいという定番であり、かつ、賃貸。でも、場所が場所だけにお値段もなかなかのものです。

 

 彼の体験ルポは、何かの雑誌に掲載されたものらしく、3ページにきっちりと写真付きでまとめられています。「外食・自炊も自由」。外出も自由、帰宅するもしないも自由。身体状況に差があり、暮らし方の好みに違いが大きく、固執癖の強い(わがままで頑固な)高齢者にとって、こうした自由度の違いは、ありがたい。もちろん「介護サービス」はそなわっています。浅草の雑踏を散策する。自室の風呂で入浴し、快適に過ごす。「現在は適合高専賃として運営中だが、今後はサ高住に登録予定」と紹介しています。その違いがなんであるかはわかりませんが、私たち高齢者の「終活」場所としての「サ高住」には関心が集まりました。

 

 記事は《なかなかいいじゃないか、『サ高住宅』!》と締めくくられています。だがfwくんは「う~ん、ちょっと馴染めなかった」と正直な気持ちを話してくれました。「体操教室」や「頭の体操」でのやりとりが、いかにも「年寄り扱い」。あたかも幼児をあしらうように介助するスタッフの姿勢に、「尊厳」を損なう機微を感じとっているからだと、他の方々もfwくんに同調気分。商品としての「住宅」に、「尊厳」や「プライド」の尊重というような要素を持ち込むことができるのかどうか、わからないが、「商品開発」を突き詰めると、そこに来てしまう。その最先端に、日本の(というか、資本主義社会の)市場は到達しているのではないか。そんなことを考えさせられました。

 

★  「意思的なネットワーク」か「家族」か

 

 その勢いで、上野千鶴子の提唱していた「コレクティヴハウス」とか、若い人たちに人気の「シェアハウス」というのは、住宅業界ではどうなっているの? と質問が出されました。fwくんの説明では、需要が少ない領域のことは商品開発が進まない、と簡にして要を得たものでしたが、上野千鶴子の主唱するような「他人同士」の結びつきは不安定で長続きしない、それよりは「家族」という意見が出され、しばらくそちらのやり取りがありました。

 

 また、「2・5世帯住宅」にからんで、「大きくなっても結婚しない子ども」が話題になり、人と人との関係のモンダイと、老後の過ごし方のかたちに、みなさんの関心があるのだと感じました。いずれまた、「家族」や「終活」などに絡めて、このSeminarで取り上げたいと思います。(終わり)


「かんけい」の始末(2)

2014-09-29 10:05:30 | 日記

 兄弟というのは、妙なものだ。両親や祖父母と同じように、生まれ落ちた瞬間から、自然に与えられた与件、つまり「先天的な(アプリオリな)かんけい」である。その感性、かかわり方、言葉、仕種、立ち居振る舞いなどなど、ありとあらゆることを、それと意識せずに身に着けてゆく「かんけい」の総体と言える。言葉を換えていえば、「生きる」ことそのものの与件である。兄弟がいないという場合も、「いない」ことを与件として生きているという意味では、社会的な「規範」の作用を受けながら育っている。

 

 それが「血のつながり」と、のちに言葉に置き換えられることによって、血縁として意識されるのであろうから、むろん、実際に血がつながっているかどうかは、それほど重要でない。むしろ、「与件的なかかわり」の密度が身体の記憶に刻まれて、のちに意識されるようになる。それをたとえば、慕わしくも懐かしいと思い出すか、呪わしくも忌まわしいと感じるかは、「のちの意識」が、現在の認識に跳ね返って受け止められていることである。つまり「与件的かかわり」それ自体がもたらしたことと認識されるから、「再帰的」と哲学する人たちは、言い習わすのである。

 

 親や兄弟との関係がどのように営まれてきたかが、成育途上の、あるいは成人してから、高齢者になってからの(家族)兄弟関係を左右するのは確かである。だが何か悶着があったからと言って、もはやそれぞれの(かんけいの)人生というほかない。ことに古稀を越える年になってみれば、いついつ、だれとだれが何にまつわってどういう関わり合いをもったかと、(過去のなりゆきを)論議詮索することでは、たぶん一歩も「かんけい」を改善するのには役立たない、。悶着そのものが、悶着の当事者(複数)の「かかわり」の、それぞれの具体的なケースに応じてみて、その複数の当事者の相互の、距離と心情がどのような「再帰性」の上にかたちづくられてきているかという、いわば認識を共有する以外に手の施しようがないのだと思う。

 

 思えば、私たち男ばかり5人兄弟の「かかわり合い」は、上手に母親にコントロールされていたと、今になって感じる。年上を敬い、年下に思いやりをかけるという構図は「儒教ですね」と言われれば、たしかにそうだが、そういう刷り込まれたイデオロギーという感触ではない。兄弟の「自然のあらまほしきかんけい」と受け止めてきた。そういう思いを、実際的な「かんけい」が裏切らなかったことが、ますます、その感触を確かなものにしていったのだと、あらためて思う。兄たちは弟たちを思いやり、弟たちは兄たちにつねに敬意をもって接することを忘れなかった。母がそのようにしつけたからであるが、単に「刷り込んだ」というのではなく、再帰的に当人たちも「そうあらまほしい」と思ってかかわり合ってきたからであった。

 

 そのような母親の養育がうまく運んだ結果、長兄も、次兄も、三男の私も、次々と実家を離れ、仕事に就き、結婚して家庭をもつという道を歩くことになった。これは、(長兄を大切に思う)母親からすると皮肉な結果であったかもしれないが、日本社会の近代化が着実に進展した社会の変容に即応していたという意味では、致し方のないことでもあった。

 

 その(兄たちが地元を離れるという)成り行きが、四男、五男の弟たちの去就に影響したことは間違いない。また、家庭を顧みない父親の振舞いもかかわりがあったとは思うが、5人兄弟の4人が地元を離れ、一人四男が長く地元の大学に進学し、地元で就職し、結婚し、実家に住むことになったのも、「成り行き」であった。それは同時に、母親との悶着をつねに我がこととして抱え込む「かんけい」のはじまりでもあった。

 

 「かんけい」は不思議なことに、身近にいてもっとも世話をしている人との「かかわり」に向けられる。母親と息子とが異なった世界に人生を築いていると認知することが「独立/自立」であるとするならば、たとえ息子と言えども「他者」であるという認識をもつことが「大人となった息子」に対する正当な態度である。だが、「子どもはいつまで立っても母親にとっては我が子じゃ」という言い習わしが通念であった時代に育った老母にとっては、たとえ嫁と言えども、我が子同然とみなすのが、当たり前だった。それどころか、嫁をも我が子同然とみなすことこそが、分け隔てなく向き合っている誠実な態度とさえ思っていたのである。

 

 そうした母親の振る舞いは、嫁にも弟にも「文化の衝突」と思われたであろう。母親もまた逆の側から、そう感じていたかもしれない。そしてしかも地元でそうであったがゆえに、地元を離れている息子たちは、それをそのように感じないで済む、「他者としてのかかわり」を母親と持つことができたのである。

 

 弟Kは30年ほど前に、ところを得て大阪へ仕事を移し、そちらで子どもを育てあげてきた。代わるように、近くに居を構えていた次兄夫婦が、母の世話をするかたちになった。だが、弟Kの一家が実家を継ぎ、私たち兄弟の「ふるさと」を維持してくれているという「かんけい」は残った。その「かんけい」が、老母の死によって浮き彫りになった。「母の49日」という「彼岸に行く日」を機に、「背負わされていた家の重さが軽くなる」と「喪主」である長男は挨拶をした。だが、実質上実家を継いだ形の弟Kにとっては、「なにも軽くなっていない」と「かんけい」の堆積に思いを致すことを期待する「憤懣」が、心裡に湧き起ってきた(にちがいない)。それは、彼と彼の一家の紡いできた「母とのかんけい」の集積を、「兄」として認知せよという、兄弟の根源的な「かんけい」から発する声のように響いた。

 

 私はいま、私たち兄弟の関係はうまくいっていると思っている。それが、つながりのかなめである「母」をうしなったとき、どうあらためて「かんけい」を紡ぎなおすのか、それを弟Kは問うていたのだと、受け止めている。


御嶽山噴火に肝を冷やす

2014-09-28 11:39:32 | 日記

 御嶽山が噴火しました。昨日はふた月に一回のSeminarの日でしたから、夜お酒を飲んで帰宅し、ニュースも見ずに寝てしまいましたので、今朝の新聞を開いて驚きました。

 

 昨年の10月上旬、山小屋が閉まる最後の日に御嶽山に登って1泊、みごとな紅葉の山を堪能して下山してきましたから、掌を指すように、山の様子が思い浮かびます。最初の噴煙が上がるNHKのスタッフが撮影した映像は、文字通り、恐ろしいほどにみごとでした。美しい紅葉の山の斜面の向こうから、ぬうっ、もくもくと白煙が立ち上り、みるみる覆いかぶさるように山肌を包む様は、山が生き物であり、自然が抗いがたいほどの力をもっていることを、見せつけています。

 

 噴火した場所が、私の宿泊した剣ヶ峰山荘の南側を大きく抉るように食い込んでいる渓間ということも分かります。小屋から、夕陽に暮れなずんで少しずつ色あいを変える渓と谷の向こう側の稜線を眺めて、登ったという実感を噛みしめてみたことをあらためて想い起していました。よくぞ上っていたものだ、と。

 

 御嶽山は山頂部が南北に大きく広がっている単独峰です。南の方の剣ヶ峰3067mから北の継子岳2859mまで3kmほど延びています。その稜線上にかつての噴火口が池になって、二の池、三の池、四の池と水を湛えています。五の池のように夏場には水が干上がってしまうところもあります。その稜線上を南から北へ歩き、三の池から山腹を巻いてロープウェイへ昨年たどった紅葉真っ盛りの道筋も、今日のTVをみると、すべて白い火山灰に覆われてしまっています。五の池の小屋に何十人かの登山者が取り残されていると報じています。幸い今日は北寄りの風で噴煙は南へ流れていますから、ヘリでの救助も、歩いて木曽側へ下山するのもうまくできるでしょう。でも、生きた心地がしなかったのではないかと、思います。

 

 じつは昨年の紅葉が見事だったので、私の山の会の、10月山行に御嶽山を入れようと考えたこともありました。ですが、7月の大雨で、名古屋長野間の特急列車が不通になっていると耳にして、来年に回していたのです。もし今年の山行に組み込んでいたらと思うと、肝を冷やす思いがします。

 

 こうした、我が身の幸運に感謝しつつ、被災された方々の無事の救出を祈らずにはいられません。


「かんけい」の「始末」(1)

2014-09-27 12:58:25 | 日記

 21日から昨日まで、田舎に帰ってきた。お彼岸と亡き母の49日の法事のため。先月中旬に母が亡くなってからの供養は次兄夫婦がやってくれていた。49日の法要というのは、亡くなった人の魂が三途の川を渡って彼岸に行き、閻魔大王の前で「審判」を下されて天国と地獄へ振り分けられる日だと、弟が亡くなった時に弟の友人である日蓮宗のお坊さんから聞いた。つまり、この世にさまよう魂があの世に渡る区切り。そういうことも私は、知らないままで過ごしてきた。

 

 浄土真宗が(日蓮宗のお坊さんと)同じように考えているかどうかはわからないが、次兄は、毎日母の住んでいた家に設えられた祭壇の水を取り替え「ごはんさん」を備え、「仏説阿弥陀経」を誦経する。少し耳の遠くなった兄の読経の声がご近所にも聴こえ、だんだんその読み上げ方が上手になっていったと評判になっていたらしい。「仏説阿弥陀経」は極楽がどのようなところかを説いたお経である。菩薩はじめどのような方々がいらっしゃって、金や瑪瑙や瑠璃を敷き詰めた天と地があり、青や黄色、赤や白の色と光に満ちて、種々の鳥が美しい声で鳴き歌っているということを、ひとつひとつ名をあげて、繰り返し説いている。さまよえる魂に、かほどに麗しい極楽へ行き給えと説き聞かせている。それを、行ったこともない生者が唱えるのもヘンだなとは思うが、阿弥陀さんの言葉だとお坊さんが誦える分にはおかしくない。舎利弗という最高位の覚者に阿弥陀様が説きなさっている格好をとっているからだ。

 

 葬儀や法事という儀式、墓に埋葬するという儀式を、「葬式仏教」の形式ととらえていた私には、弟が亡くなってからの「階梯」のひとつひとつが、「別れの儀式」であり、それはまた、魂が出逢うときの依代となっていることを確証することでもあった。もしその「形式」がなくなれば、どこで「おおやけ」に出会うだろう。私一人の身の裡において別れた人と出逢うことは、私一個のコトである。だが、かかわった人々が「一緒に出遭う」ことによって、その人との「かかわり」の深さ浅さ、思い入れの重さ軽さが浮かび上がり、そうした陰影がその人の「かんけい」の全体として感じられてくる。残されたモノやコトが、そうしたことに気づかず、知らないで通してきた自分の輪郭を描き出していくことにもなっている。

 

 母というのは、ことに男ばかり兄弟5人の息子たちにとっては、それぞれに格別の存在であった。

 

 いちばん母が目をかけていた末弟が母より先に亡くなった時、すでに彼岸と此岸を行ったり来たりして寝たきりになっていた母に知らせようと私は提案したが、そうするとショックが大きすぎると配慮した次兄に止められた。だが、知らせなかったにもかかわらず、弟の葬儀の最中に母の入院する病院の婦長から次兄のもとに「すぐに来てほしい」との緊急電話が入った。「葬儀の途中なので……」と事情を話したが、「危篤状態に近い」という趣旨の話があって、次兄夫婦は急遽、800kmほど先の田舎に帰ることとなった。その弟の初盆でもあるこの夏の、お盆の最後の日に母は亡くなった。「弟Jが迎えにきた」と私は思ったし、その様に話す人たちもいた。そこには「母の情けも勝りしに」と晶子が詠ったのと同じ「末に生まれし弟」の、母との「かんけい」(を見つめる私)が浮かび上がっていた。

 

 玄関先で骨折した母が入院しリハビリ病院に移り、本人の容態と独り暮らしの状態を考慮して、ほぼ10年間受け容れてくれたリハビリ病院には、感謝のしようもない。死後その病院から葬祭場に運び入れるという手順に待ったをかけ、母が長く暮らしていた住まいにいったん戻そうと決めたのは、母が一人住まいになるまでの間、一緒に暮らしていた弟K(の家族)であった。弟Kは、部屋に設えた祭壇の前で蝋燭と線香を絶やさず、寝もやらず一晩を過ごした。彼には、幼少時から大学へ進み、結婚し子どもを産み育てるながら、仕事の関係で大阪へ移り住むまで一緒に過ごした37、8年ほどが、母との「かんけい」と一緒になって、身の裡に堆積していたのであろう。わずか18年で実家を離れ、さっさと東京へ出てきた私とは違った親子関係を紡いできたと思っていた。

 

 49日というのは、死者の魂が彼岸に旅立つ日であると同時に、此岸での名残の「始末」を始める日でもある。形見分けというほどのものもなく、遺産もみごとに、余裕をみた葬祭料程度しか残さなかった母であるから、簡単に片付くと私は、思っていた。確かに、「相続」は、「放棄」しさえすれば何の問題もなく始末がつくかに見えたが、「かんけい」の「始末」は簡単には終わらなかった。(つづく)

 


婚外子割合の変化が見せる「家族のかたち」

2014-09-19 08:18:33 | 日記

 9/8に、重松清の小説にこと寄せて、「家族になぜこだわるのか」とブログに書いた。そのとき思い出したことが一つあった。もう20年以上も前の話になる。

 

 日本にALTとしてやってきたイギリス人の青年が、自分の教える生徒たち向けの冊子に自己紹介を英文で書いた。「私はロンドンで母と母のパートナーと暮らしてきた。父はリバプールで父のパートナーと暮らしている」と、何のわだかまりもなく紹介していたからだ。1990年ころのこと。

 

 私の感覚ではまだ、自分の場合もそうだが、たとえ父母の「離婚」でも「負い目」と思われることであった。生徒がそういう事実を話すときは、「可哀想に」と思いながら聞いたものだ。芸能人のそれは、記事になりイエローペーパーの紙面を飾っている。だが、ふつうの庶民にとっては打撃の大きい出来事と感じていた。まして自分が、母や母のパートナーと暮らしていたということは、オープンにすべきこととは思わない、「恥ずかしいこと」であった。イギリスでは普通のことになっているのだと、大きな違いを思った。

 

 そうして重松清の小説『ファミレス』である。「離婚」ということを人生のひとつの選択とみて軽々と超えていく様が映し出されている。日本の社会もそこまで来たか、と思ったのだ。

 

 そう思って調べてみて、驚いた統計があった。「各国の婚外子割合」である。『社会実情データ図録』(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1520.html)による「世界各国の婚外子割合」は、顕著な違いを示している。

 

 2008年の婚外子割合で、スウェーデン54.7%、フランス52.6%と5割を超え、デンマーク46.2%、イギリス43.7%、オランダ41.2%、米国40.6%と、4割を超えている。ところが、1980年のそれは、たとえば、フランス11.4%、英国11.5%、米国18.4%、オランダ4.1%と、格段に低い。この28年間に上記各国の「婚外子割合」は半数近くになった。つまり、その各国社会にとって「婚外子」は常識となったのである。フランスの大統領がパートナーと別れようと別のパートナーをもとうとニュースにすらならないというのが、よくわかる。だからな~に? ってわけだ。

 

 それに対して日本はどうか。

 

 1980年は0.8%、2008年には2.1%。日本もたしかに倍増してはいる。だが、欧米の比ではない。あきらかに「家族制度」が確固として旧来のままだと言ってもいいような数値である。これは、法制度が変わらないからなのか、社会規範が変わらないからなのか。あるいはこうも言えようか。「家族というかたち」を「建前」とし、「実かんけい」を「本音」として、その両者の乖離を当然(というか自然)のこととして受け容れてきたからなのか。両者の操作を上手にすることによって生き抜く知恵を、日本社会は十分身に着けているからなのか。

 

 この欧米の変わりようは、何故であろうか。同『図録』のコメントは、次のように解説する。

 

 「欧米で婚外子割合が高い要因としては、結婚に伴う法的保護や社会的信用が結婚していなくとも与えられているという側面と若者が未婚でも後先考えずに子どもを生めば後は何とかなる(国、社会が何とかする)という側面の両面があると考えられる。出生率回復に寄与しているのは主として後者の側面であろう。」

 

 だがこの解説通りに「主として後者」だとすると、日本の若者との違いがなぜ生じるのか、分からなくなる。「後先考えずに」というのは、日本の若者だってひけは取らない。「結婚に伴う法的保護や社会的信用が結婚していなくとも与えられているという側面」が整っていてこそ、後者が臆面もなく横行するのではなかろうか。

 

 ではどうして、ヨーロッパでは「結婚に伴う法的保護や社会的信用が結婚していなくとも与えられ」るようになったのであろうか。この解説に次のようなことばが続いている。

 

 カトリックの影響で離婚が難しかったフランスでは、1999年に《事実婚や同性愛のカップルに対し、税控除や社会保障などについて、結婚に準じる権利を付与するパクス(連帯市民協約)法が制定され、結婚や家族の考えが大きく変わった。「パクス婚」と呼ばれ、「合意でなくとも片方の意思だけで解消できる」点で結婚より緩やかな形》が承認されたという。つまり「家族」の保護的な社会的役割を増強するために、事実婚や同性婚を承認してきたというのである。カトリックという宗教的呪縛をともなう[結婚]を、「パクス婚」という新しい「社会的黙契」によって乗り越えたわけである。

 

 これは結婚のかたちを超えただけではなかった。「法的保護や社会的信用」として承認されることによって、人々が生きていくうえでの「安心」の保障になっているということだ。日本の「建前」と「本音」という二本立てでは、法的保護も社会的信用も公然とは与えられない。つねに「うしろめたさ」が付きまとい、1990年ころに私が感じていたように、「はずかしい」という「負い目」を感じずにはいられない。この感覚はたぶん、(婚外子の割合が2倍になった)いまの時代でもつづいていると思う。

 

 曾野綾子や長谷川三千子たちは、「家族のかたち」を護ることに夢中で、それがもつ「法的保護や社会的信用」という実用的側面をみていない。その人たちの論調がただ単に「正論」として通用するだけでなく、「妥当な論調」として通用するためには、「家族のかたち」をとることが、ほぼ誰にでも可能であり、しかもそれが「法的保護や社会的信用」を十分に保障する装置として機能しているという「現実」がなくてはならない。

 

 ところが、日本が高度経済成長を遂げ、経済のグローバル化の下で産業構造が変わり、会社の設立趣旨も大きく変容して、社員よりも株主を重んじる傾向が強まって以来、社会全体に占める「中間層」が大きく減少してきた。下層に属する人たちにとっては、「家族のかたち」が法的保護や社会的信用につながらない事態が常態化している。「家族のかたち」は、カトリックの「離婚禁止」と同じに、ある層の人々にとっては「枷」として作用しているとも言える。

 

 そういう意味で、9/8にブログで記した「家族になぜこだわるのか」を、もう一度検討しなければならないのではないかと、思ったのであった。

 

 ひとつ細くなるが、「婚外子割合」が40%ほどを占める米国の事情に触れて、付け加えておかねばならない。

 

 「結婚の衰退」というタイトルで、英エコノミスト誌は、「パパ、ママ、子どもたちからなる米国型聖家族」が少数派になってしまった状況を報告している。ちょっと長いが、次のように述べる。

 

 《人口の58%を占める高卒以下の米国人は、結婚したくてもその余裕はないという。代わりに、婚姻外で子どもを育てているのだ。全国結婚プロジェクト(バージニア大学)によれば、大卒の母の婚外子は6%に過ぎないのに、高卒以下の母の婚外子は44%にのぼる。ブルッキングズ研究所のイザベル・ソーヒル(シニア・フェロー)は「結婚が少ないということは所得が少なく、貧困が多いということである」と見ている。彼女とその同僚研究者は、米国の所得格差の半分は家族構成の変化、すなわち、一人親家族(多くが高卒以下)は貧しくなる一方で、結婚した夫婦(教育があり共稼ぎ)はますます豊かになりつつあるという変化によっているとしている。「これは衝撃的なギャップなのだが、世間の人にはよく理解されていない」と彼女はいう。結婚ギャップを来年の選挙の争点にすることを民主党に期待することは出来ない。未婚の母は圧倒的にバラク・オバマに投票した。「結婚しないで子どもをもっている誰かに結婚すべきだとはいえないでしょう。それは、その人をおとしめることになるからです。」とミズ・ソーヒルは言う。(The Economist June 25th 2011)》

 

 米国では、結婚しないのではなく、結婚できないのが、婚外子増加の理由だという。日本も、これに近づく動きを見せているのであろうか。それとも、日米の、一神教と多神教という身体にすり込まれた根底的な「信仰」の違いが、日本の「家族」の崩壊を食い止めるのであろうか。曾野綾子にとっては皮肉な事態と言わねばならないのだろうか。