mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

Discourseの気合いこそが民主主義への贈り物だ

2021-08-31 05:30:29 | 日記

 マキャベッリの『ディスコルシ』(永井三明訳、ちくま学芸文庫、2011年)は、文字通り、談論風発の意気込みを内包している。「ローマ史」と書名の副題で銘打っているが、むしろ当時マキャベッリが身を置いていたフィレンツェの政治状況を、長い目で見て立て直すには何が必要かを、ティトウス・リウィウスの著した『ローマ史』(BC.56)を起点に論じてみようという意気込みに満ちている。この「意気込み」こそが、マキャベッリが現代の私たちに遺した贈り物ではないかと思いつつ、目下、読み進めている。
 専制か民主制かは、中国ばかりか、ミャンマーも、アフガンなどを巡ってもっぱらの政治論議の中心課題になる。情報を巡るフェイクかトゥルースか、告発と中傷を巡る争いもまた、500年後のいまと同じように、当時のフィレンツェでも論題になっていたようだ。それの善し悪しを直に据えるのではなく、ローマ史に学ぶというスタンスでマキャベッリは俎上にあげ、いろいろな記述事例を引用して、展開する。王制がいいか共和制がいいかをやりとりする視野が、始祖のロムルスからはじまるから、いわば、マキャベッリが本書を書いているまでの2000年間のローマやフィレンツェ(イタリア)を一視に納めて、回遊する。リウィウスのローマ史が読むものの共通起点として作動しているのであろう。それとして記述されているわけではないが、そう窺われる。私などは、高校時代の世界史で学んだ記憶が、せいぜいの共通認識。
 つまり、フィレンツェの状況をめぐるマキャベッリ自身の胸中がどのように形づくられ、どうすることをよしと考えているかが、ローマ史を引き合いに出すかたちで記述されているのだ。そこには、彼の民衆観や社会観、国家観、とどのつまり人間観が脈々と流れていて、ではおまえさんはどう考えるのかねと、読者である私は問われているように感じながら、読み進める。それこそが、実は、共和制的な(いまで謂う)民主主義のプロセスだと感じさせるのである。その感触は、政治学を動態的に論じている気配ともいえようか。
 マキャベッリという人は『君主論』の著者くらいしか印象を持っていなかった。というか、近代政治学を築いた人と考えてはいたが、権謀術数や政治構想の泥沼を結果責任に結びつけて、政治論議を機能的に見えるようにした人物と考えていた。
 だがそうではない。彼自身が、本書を記しながら、政治体制の有り様を探っている。そのプロセスが実は共和制的なプロセスに欠かせない「近代化」だと、もし後の時代を見ることができていれば、マキャベッリは謂ったにちがいない。そう思わせる興味深い記述である。それだけの共通の文化遺産を伝えてきたイタリアって、ワインの里ってだけじゃなくて、面白そうだ。


地図を喪失する

2021-08-30 07:05:54 | 日記

 数学者の森田真生が面白いことを言っている(雑誌「新潮」2020年7月号「危機」の時代の新しい地図。藤原辰史との対談)。
《現代は誰もがスマートフォンを携帯するようになったことで、「自分の現在地を見失う(ロストになる)」感覚を忘れてしまったのではないか》
 はっとさせられたのは、4月の私の滑落事故につながった山歩きは、「現在地を見失う感覚」だったのかもしれないと、指摘されたように感じたこと。森田は、こう続ける。
 《生き物の知性は基本的に、「自分の居場所がわからない」状況でこそ働いてきた……「迷子の状態」であることは知性が駆動する条件ですらあるのではないか》
 面白い。私は、4月の事故にいたる我が身の状況は、「獣になった感覚」と感じていた。自然と溶け込むように一体となった忘我の境地。「至福の滑落」と考えた。それを森田は、「知性が駆動する条件」と置き換えている。私がはっとしたのは、「獣になる」ことと「知性が駆動する」こととが切り離されず、ひとつとして扱われていること。
 つまり、般若心経の言葉をつかうと、「心」と「意」とがひとつに「身」としてとらえられていることであった。「新しい地図」というのが、ヒトが動物として新たな一歩を踏み出すときの、興味津々に、警戒心をたたえて「状況」を見つめる目と心を取り戻すことと受け取った。
 逆に言うと、今の地図は、天空から見下ろして現在地を指定し、見通しの悪い先行きの方向を定める役を果たしているのだが、そのために天空からの視線しか身の内に沸き起こらず、現場の現在を右往左往することの具体性を見失っていると言っていると受けとったわけだ。その具体性にこそ、面白さとそれを味わう「かんけい」の精妙さが揺蕩い、それを味わい尽くしてこその人生だと理解した。
 もう少し踏み込んで解釈すると、現在は天空からの視線でみる「状況」と現場で味わっている「世界」とが切り離されて、総合されていない。言葉では「神は些細に現れる」というけれども、それさえも「普遍」を語る言葉として用いられるか、些末に心を砕いて味わいなさいと現実的な視線で見つめることとが、切り離されている。断裂している。だが、それに気づかず、もっぱら「普遍」の言葉を用いて語ることが「知性」の働きと勘違いしている。
 この森田真生のことばは、藤原辰史が森田の数学に関する見方を「新しい地図」を提出と見なしたことをきっかけにしている。2020-1-2のこのブログで「メデタクもありめでたくもなし」で、藤原辰史『分解の哲学――腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社、2019年)の一節にふれて、「〈共〉が腐敗する」ことを取り上げている。いま読み返してみると、藤原の視線に共感を覚えていることがわかる。こういう発見は、うれしい。我が身の「核心部分」に強調点を打つような気分だ。いいところに来ていると、褒めてやりたいといおうか。忘れては、こういうことをきっかけにして思い出す。我が身にしみこんで「発酵した」思念が、森田の開けた穴を通してぽっと噴き出したと言おうか。でもこれって、我が身の思念が、先端的な思索の地図に居場所を見つけたようなことではないのか。それにホッとうれしさを感じているのは、天空から見下ろす地図感覚と同じじゃないか。そういうパラドクスも感じて、そう感じている私がうれしい。


大学入試の多様性は人柄を育てるか

2021-08-29 06:00:25 | 日記

 関西の知り合いがやってくる。コロナ禍で2年ほどのご無沙汰。久々に会うことになった。話を聞くと、子どもの進学先を見ておきたいという。聞いて驚いた。私が知っていた頃の埼玉の高等学校と、まるで違う。進学志向が違うのか、高等学校経営が違うのか。それに対応する大学側の体勢も、20年ほど前とすっかり違っていて、様変わりに驚いたという次第。
 知人の子どもは、商業系の学校。ただ、関西とか西日本の商業系の学校は、進学熱が(関東に較べて)非常に高い。普通高校とどちらがいいかわからない様相があることは、香川県の例などを耳にしてはいた。それが具体的に目の前に表れたような驚きであった。
 その高校の昨年の国公立大学進学者は80名に近い。関西に国公立志向が強く、関東には私立志向が強いとは知っていたが、これほどの差があるとは思わなかった。関東の商業系の高校の国公立進学者は、一桁ではないか。
 むろん高校は関西にあるから西日本の国公立が圧倒的に多い。だが、北は小樽、北大から関東甲信越は、筑波、群馬、埼玉、横浜国立、新潟、長岡科学技術、信州、静岡と人数は(年によって)1人、2人いるかいないかと広く散らばっているが、進学している。資料を見ると、指定校推薦をはじめとする推薦入試を主としているが。それにしても80名近い国公立進学者を出すというのは容易ではない。関西の私立高校は、予備校に行かなくても進学態勢がとれるをウリにしているそうだという。
 商業系の高校は、簿記検定に始まる「資格取得」に力を入れている。それらの取得と成績平均という数値を基本にして、面接と入試もある。まずは、高校内部での人数制限を突破する「内部選考」の競争が厳しい。あるいは大学によるが、共通テストも必要だったり、本番入試もあるから、希望すれば皆が合格とはいかない。何人が受験して何人が合格、あるいは不合格という数字は、明らかになっていないが、こうなると高校生は、入学してから卒業するまで気を抜くことができない、と思ってしまう。
 成績平均だって(推薦の場合)「3・5」以上は必須。国公立ともなると「4・3」とかを求められる。ひとつの学年の2割もがそういう高い成績平均をとるわけにはいかないであろう。あるいは「3・5」以上と受験資格を下げているところは、案外、共通テストや本格入試で厳しい競争を求められているのかもしれない。様々な条件をつけて全国から幅広く、いろいろな手法を駆使して受験生を集め、期待できる学生を集めるという大学側の思惑も多様になってきているのであろう。
 受験生としては、推薦入試と本格入試の二度のチャンスを持つことができると言えば、聞こえはいいが、それは「実力」に力のある伸び盛りの生徒が謂う台詞。たいていは、実力に自信がないのが普通だ。まして成績平均で相当程度をとることができる生徒は、コツコツと真面目に日頃のなすべき事をなして高校生活を送ることを得意としてきたであろう。人柄もよく、穏やか。周りを押しのけてでも競り出していく気迫に自信があるとは思わない。
 案外推薦入試って謂うのは、いわゆる「学力」とは異なって、日頃の安定した生活習慣が培う心の習慣がゆったりと落ち着いていて、周りとの関係づくりとか人柄にも不足がない人を求めるのには、いいかもしれない。大学が(国公立も)そういうところに目をつけて、推薦入試をするのであれば、高校生活ももう少し変わるであろうが、皮肉なことに、そうは順接していないようである。大学側にも、高校側にも、今のところ、そういう趣旨が込められているとは思えないのが、残念である。
 子の親たちの思いが、(今の学校教育に欠ける)人を育むことに向けられているだけに、システムの国家百年の計が相変わらず、経済競争に打ち勝つ「人材」育成というようでは、先行きの希望がない。そんなことを思った。


コロナウィルスが突き刺す針になるか

2021-08-28 05:21:31 | 日記
 
独裁制を望む「核心的感情」

  2020/8/23に「なぜホンネをさらけ出すのはみっともないのか」を取り上げた。「みっともない」と感じるのは古い道徳規範から来る感覚、今の時代はホンネをさらすのがニンゲンらしい......
 

 暮らしが立ちゆくかどうかに伏在している「核心的感情」は、我が身がおかれている「現在の直感」に導かれている。ということは、日々の一つ一つの出来事に抱く感情が積み重なり、それが「私の暮らし」に結びついて感得されたときに生まれる感情とも言える。

 アフガンの混乱や中東の混沌は、対岸の火事。せいぜい日本はそうはなっていないと思うだけで、中央や地方政府に対する信頼感は、まだ崩壊しない。だがコロナの広がり方と行政の対応を見ていると、おいおいこれで大丈夫なのかよと、慨嘆したくなる。中央政府の対応が、後手と呼ばれているが、泥縄式。モンダイが目前に迫ってから、どうしたらいいかを考えている。これって、ワタシらとおなじセンスだよね。優秀と思っていた官僚組織がまるで機能しない。そう感じたとき、専制的権力とか、独裁的手法で果敢に前途を切り開いてくれる政治家が渇望される。

 先日BSフジの討論番組を見ていたら、アフガンに出張っていったアメリカは、第二次大戦後のドイツや日本を民主化できたという錯覚があったとやりとりが始まった。出席者の桜井よしこは、聖徳太子の17条憲法を取り上げ、アフガンや中東と違って日本には民主主義の芽が合ったと力説する。ま、象徴的なこととして指摘するなら、それはそれでかまわない。ところが勢い余ってか、それ以来日本は、民衆を大切にする統治が行われてきた、イスラム世界にはそれがないという風に言ってしまった。馬鹿だなあ、そんなに言うと、象徴的な一事例ではなく、全面肯定になっちゃうじゃないか。イスラムだってコーランを読めば、それがどれほど困っている人たちを救う道を現実的に考えていることが書き込まれているとわかる、そういう一端が見えると、エリートというのが、ご自分の思念の世界で独り歩きしてふんぞり返っているだけなのかなと思って、その印象が心に刻まれる。

 むしろ、橋下徹のように、自分のわかっていることだけをきっちりと分別して言葉にしていく方に、はるかに信頼を寄せる。現実に何もやっていない人はエラーをしながらやっている人に較べて、それだけで「核心的感情」において優位に立つ。自民党が沈めばそれだけで(相対的に世論調査などで)立憲民主党が浮上するってわけだが、ま、いずれも政治家であるだけに一桁台の上下しか望めない。そこへ、敵を明確に指摘して事態を打開しようと先制者が登場してくれば、そこへ我が身の暮らしを預けてみようと願わないではいられなくなる。ヒトラーの演説を直に聴いた兵士のように。

 日本はいま、その端境に立っている。とはいえ、そこそこ暮らしが成り立っている年寄り層が、岩盤のように旧来の伝統的統治を支持しているから、なかなか若い人たちの思いが届かない。さあ、どこでそれが弾けるか。コロナウィルスが、膨れ上がる「核心的感情」の鬱積を突き刺す針になるか。


昔と変わらぬ風景

2021-08-27 06:47:56 | 日記

 今日の朝日新聞に《「平凡な校長」の直訴》というインタビュー記事があった。大阪市立木川南小学校長・久保敬さんが、現場で感じてきた学校教育の実情を訴えた手紙を市長に宛てて書いた。それに対して「訓告処分」が下された。その小学校長の真意を語らせたインタビュー記事である。
 私がすぐに思い起こしたのは田中正造の足尾鉱毒事件。田中が天皇に直訴して大騒ぎになったことであった。なんだ、その時代と何も変わっていない。お上は聞く耳を持たない。直訴するなんて不埒なことと「処分」を下す。学校の教師なんて、一人前の顔をしてお上の施策に文句を言うんじゃないよと謂わんばかりだ。これで民主主義って謂うんだから、笑っちゃう。
 このお上の人たちは、選挙とそれによって組み立てられた仕組みだけが民主主義って思ってるんじゃないか。民衆の意見を聞くのは選挙のときだけ。それも、自分たちの思考の範囲で組み立てた論理と倫理とご都合に満たされ、それに対する結果も、数字で計量できる範囲の、さらにご都合主義的な解釈によって「民意」を推し量り決めつける。
「処分理由」が「教育委員会の対応に懸念を生じさせた」というから、分を超えた振る舞いとみたのであろう。なんとも大時代的。そういえば大阪市長は「維新」を名乗っていたっけ。ふるいわけだ。まさしく田中正造よりひと時代前のセンスを看板にしている。
「平凡な校長」は、私より19歳若い。来年春に定年を迎える。「学校が週休二日になる頃から変わってきた」と述べている。小中高校に週休二日が導入されたのは、1992年の9月。もうじき満29年になる。その週休二日は、しかし、学校教育上の理由ではなかった。バブルで湧かした時代の名残というか、日本人は働き過ぎ、労働時間を年間300時間ほど短縮せよ、国内需要をもっと増やせとアメリカから強く要求されていた余波を受けて組み立てられたものだ。
 だから教育カリキュラムを削るという発想はもとよりなく、政府も文科省も、7時間目をもうけて6日間でやっていた教育課程を5日間にはめ込むという無理を、学校現場に押しつけた。GDPを押し上げることが即ち世界2位の経済的地位を守る絶対条件といきり立っていた。すでに聞こえていたバブル崩壊の音もあったから、余計に詰め込みを現場に求めたとも言える。
 と同時にその当時、「ゆとり教育」という大きなテーマも動きだしていたのだが、その本意を現場に反映するときに「学力向上」しか眼中にない施策の提示となった。簡略に謂えば、能力のあるものはどんどん伸ばす、ないものはそれなりに学べばよいと謂うものであった。多様な学びというのも、人それぞれに自分の人生を見切って、組み立てなさいというもの。結果的には何もかも、個々の家庭と子どもたちがかぶるように競わされることになった。
 論じればそれはそれで、深さもある「論題」であったから、学校現場に身を置いていた私たちもその論議に加わった。だが、若手の現象学の哲学者ですら、「教育施策を論じたいならどうして文科省の役人にならなかったのか」と私たちにいうほど、上意下達の社会的仕組みのセンスは、左右を問わず、進歩派か保守派かを問わず、確固と浸透していたのであった。私たちは基本的に現場教師に語りかけるように言葉を発していた。
「平凡な校長」は勇気がなかった自分を反省して市長に手紙を書いたと述べている。私はそのような「勇気」を校長に仮託することさえも無理と思っていたから、そうだ、それぞれの持ち場で言葉にすることができるようにならなければ、現場のことは「お上」に伝わらないし、お上も聞く耳を持つようにならないと、あらためて思う。
 一通の手紙を書いた勇気が、マス・メディアの目にとまり、それが私たちのところへ届けられた。ここからが出発点だと感じる。まさしく「処分」されることによって、対立構図が明快になり、焦点を絞った論議が開始される。身を捨ててこそ生きる瀬もあれ。明治維新の薩長藩士たちも、そうした思いの下級武士の思いをくみ取っていたからこそ、成し遂げられたのではなかったか。そんなことを思った。