mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「性」と権力と自己決定

2021-10-31 05:42:47 | 日記

 中国が「人民民主主義」を定着させるために、人生設計をことごとく政府が行うという荒唐無稽な「人生総量規制」をやり始めた、と昨日書いた。「子育て」や「家庭教育」に口出しし始めたと聞くと、「修身斉家治国平天下」という儒教の看板を思い出す。と同時に、明治の「教育勅語」が説いた「……父母ニ幸ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ……」をイメージする。
 どういうことか。江戸の頃の日本の習俗について、昨日取り上げた渡辺浩『明治革命・性・文明――政治思想史の冒険』(東京大学出版会、2021年)は、面白い記述をしている。《これ(教育勅語)は、往々、儒教的教訓と解されている。しかし、それは疑わしい。……一切の道徳的行為を「皇運」「扶翼」の手段と見做していることが、既に奇異である。さらにここの徳目にも、新義や偏差が忍び込んでいる。》
 と前振りをして、「夫婦相和シ」もその一つである、という。
《(『孟子』の「五輪」の教えの「夫婦」に関する全九条中に、夫婦和合を説いたものは無い。……何故であろうか》
 と問いを立て、江戸時代の、17世紀初めの慶長の頃から18世紀後半までの23の文書や本を引用し、
《江戸時代の日本には「夫婦」といえば仲良く睦まじくあるべきものと説く習慣が、広範にそして長期間あったと言えそうである》
 とまとめる。儒教の「夫婦有別」というのは、分け隔て有りでは無く、
《されば別とは区別の義にて、此男女は此夫婦、彼男女は彼夫婦と、二人ずつ区別正しく定まるという義なるべし》
 と、明治3年の福沢諭吉の言葉を引用して解釈としている。
 それまでの社会習俗の中に、「夜這い」や「雑魚寝」という性的に放縦な習わしがあり、また混浴など、性差による羞恥心を感じさせない姿が、訪れる外国人に衝撃を与えていた。1865年に来日したハインリッヒ・シュリーマンは、こう記している。
《「なんと清らかな素朴さだろう!」初めて公衆浴場の前を通り、三、四十人の全裸の男女を目にしたとき、私はこう叫んだものである。私の時計の鎖についている大きな、奇妙な形の紅珊瑚の飾りを間近に見ようと彼らが浴場を飛び出してきた。誰かにとやかく言われる心配もせず、しかもどんな礼儀作法にも触れることなく、彼らは衣服を身につけないことに何の恥じらいも感じていない。その清らかな素朴さよ!》
 渡辺は、こうした性的な放縦・開放性は庶民の間のことで有り、それは共同体的な枠組みのなかでそれなりの規範をつくっていたとみている。それに対し、武士身分においては画然とした規律として男女の別が有り、家を軸とした継承性が保たれて、それが武士という特権身分の証でもあったと解析している。
 こうも言えようか。「教育勅語」は天皇制国家を正当化すべく儒教を援用したつもりであったろう。だが、その背景には、江戸以来の社会習俗を西欧に恥ずかしいと思う明治政府為政者(つまり江戸の武家身分)の、羞恥心が働いた。しかし庶民の方は、家業即ち家内労働の実情からいって、「夫婦相和シ」こそが最も実態を反映していたと言えたのであろう。だから「教育勅語」の記述の内実は、(今の私たちからみると)江戸の伝統的な社会習俗を語るに落ちたというところであろう。
 はたして中国の子育てや家庭教育にまで及ぶ「人生総量規制」の事々は、中国人大衆の伝統的な習俗に足場を置いて「共産党の一党独裁」を正当化するのにつながっていくのであろうか。それとも、人民大衆の伝統的作法が働いて、面従腹背の道へきっぱりと進むのであろうか。中国人民の習俗が(私には)わかっていないから、どちらともいえないが、習近平の統治が習俗を変えるのか、統治をすげ替えるところへ追い詰められるのか、興味津々で見ているのである。
 中国のことは、さておく。上記の渡辺浩の記述が示すのは、善し悪しは別として、私たちの抱いている「一夫一婦制」や「恋愛婚」とか「純潔/処女」とか、「二夫にまみえず」という女性に対する道徳的な規制は、明治政府の創作による「道徳律」であり、キリスト教的な戒律に扶けられて定着したものとみせている。せいぜい150年の間に作り上げられた規範(幻想=イデオロギー)だという確認であった。
 どうして日本は、こうも簡単に西欧化に傾いたのか。むろん「攘夷」が単なる国家権力を奪うときの旗印であったことは、わかる。江戸も明治もいずれの権力も、口先では「攘夷」といいはしたものの、その実、(長州を除いて)一度もそれを実行することなく、西欧文化の衝撃に打ちのめされたのは、なぜか。日本に先んじて同じように西欧の襲来を受けながらも変容を嫌い、あっけなく国土を好きなようにされてしまった清朝と、何処が違ったのであろうか。善し悪しは別として、日本の文化そのものが辺境文化であるという自覚が、そうさせたのではないか。中国は逆に、世界の中心である(はず)という国家の自覚的感触ゆえに、なかなか西欧化に向かえず、他方日本には、まるで自分たちが世界の隅っこで、頼りない文化文明を営んでいるという肩身の狭さの自覚があったから、それが素地となって、さっさと西欧化を受け入れたのではないか。そんなことを考えさせられたのであった。


資本市場の国家によるコントロール

2021-10-30 08:07:21 | 日記

 中国の企業・恒大集団の行き詰まりを、中国政府がどうコントロールできるか。世界の経済関係者の、目下の最大関心事となっている。33兆円という負債額がデフォルトになった場合に世界経済に及ぼす不況の波の大きさに、アメリカ政府も、しっかりコントロールする責任は中国政府にあると呼びかけている。リーマン・ショックのことなどを棚に上げてよく言うよと思うが、上り詰めた先で弾けるのは、暴走を止めるためには致し方のないこと。そういう調整の方法を備えているのが、自由な市場経済である。ということは、中国がもし、この苦境を、それとは違う方法で乗り越えることができたら、まさしく「国家独占資本主義」の真骨頂ということになる。中国にとっては、専制主義の正念場。はたしてコントロールは上手くいくだろうか。
 1990年頃の日本の不動産バブルを思い出す。ジャパン・アズ・ナンバーワンの活況でじゃばじゃばと金が市場に溢れていた。マンハッタンを買い占められるんじゃないかとアメリカではジャパン・バッシングが横行し、日本は有頂天になっていた。賢い経済学者は、こういうときこそ人を育成するために投資するのがいいと力説していたが、ごく一部の企業がそれを聞き入れて、研究施設に投資をしただけではなかったか。大半の金を持っていた企業や投資家は耳を貸さなかった。そのあげくが、「失われた**十年」であった。
 中国政府は、日本のバブル崩壊を教訓に(恒大集団の負債暴発を緩やかにさせようかと)懸命に今、手を打っている。果たしてこれをうまく乗り切れるかどうか。そこに、一党独裁体制を敷く中国政府の専制統治体制が、人類史的な普遍性を持つことになるのかどうかの、正念場がある。
 そんなことを考えながら、渡辺浩『明治革命・性・文明――政治思想史の冒険』(東京大学出版会、2021年)を読んでいたら、渡辺はトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を引用して、出自に関係なく統治機構に参与できるアメリカの体制に感心し、これこそ「デモクラシー」と褒めそやしているとあった。とすると、世襲議員が跋扈する(今の日本の)政治体制は民主主義が崩壊していっている姿と言えるのかもしれないと、私の観念を一時、棚上げしたくもなっている。
 そう考えてみると、中国は「科挙」に始まり、たしかに出自に関係なく統治機構に参与できる体制を、昔から取ってきたとも言える。中華人民共和国になってからの中国は、出自をかき混ぜるやり方を(文化大革命も頂点として)とってきた。今、出自は「金銭」に取って代わる時代となっていて、それがバブルの暴走と恒大集団の破綻とに結びついているから、専制統治機構の「人民民主主義」の真価が問われる場面に直面しているとも言える。これに失敗したら、「自由民主主義」が腐りきっていても、ほらっ、やっぱり「人民民主主義はだめだったじゃないか」とトクヴィルにいわせることになるか。
 習近平政権は、コロナ禍もあって国内需要を喚起しようと舵を切っている。中流を育てるという看板を口にする。驚くほどの収益を手にしている俳優や芸術家などを、脱税や非行を理由に、彼らの主舞台から永久追放するような措置を次々と打ち出して、これはこれで、大衆の怨嗟の的になることがいかに「ひどいこと」かと倫理的な振る舞いにかこつけて演出していると見える。要するに、人民大衆の暮らしに溜める鬱屈が暴発しないように懸命である。
 子育てや家庭教育、学習の有り様まで、ことごとく政府に指図される暮らし方もまた、別様の鬱屈を溜めることになろうから、たぶん習近平政府の思うようには事は運ばないであろうし、総中流目標路線がもたらす、上位層への実際的負荷が加重になればなるほど、そちらの方の暴発も心配しなければならなくなろう。じっさい、「ダイヤモンドオンライン」の記事では、「不動産税」の創設や恒大集団への対処それ自体が、「権力闘争の様相」として解析されていて、(軍を含めた)コントロールが問われる事態に近づいているとあった。
 人民民主主義も、今進行しているまるごとの統治となると、人生設計をことごとく政府が行うという荒唐無稽な「人生総量規制」をやるしかなくなる。その一部規制だけでも、ソビエトがどのような道をたどったか、すでにお手本がある。チベット族やウイグル族の、文化総掛かり革命を試みている中国政府だが、今度は13億人民の総量規制とあっては、目が行き届かなくなって、武力的規制という臨界点に行き着くのではないか。そればかりか、その内政的臨界点の沸点を避けるために、台湾や日本(に駐留する軍事基地)に対する対外的武力行使へと踏み切るのではないか。
 そんなことを、過剰な懸念といっていられるのかどうか。お隣の私たちにとっても中国の内政が、対岸の火事といっていられない地点に来ているように感じる。決して好ましいとは思っていないが、「人民民主主義」がそれなりに緩やかに「状況」の緊張をほぐして、解消できる方向へと向かってほしいと、願わないではいられない。


温暖化で北海道の米はうまくなった

2021-10-29 08:17:28 | 日記

 表題のような発言を、選挙応援演説で麻生太郎が行って、北海道農民の苦労がわかっていないと非難を浴びている(と朝日新聞は報道している)。品種改良とか土壌整備とか、ずいぶんと苦労をして北海道で米が獲れるように力を尽くしてきた。それを、温暖化のおかげでできたようにいわれては、立つ瀬がないというトーンだ。
 だが、問題点はそこか? 違うだろう。
 日本列島のように南北に長い島国では、気候温暖化がすすんでも、どこかが亜熱帯になり、どこかが温帯に変わり、どこかの亜寒帯が消えていくってことを、緯度でスライドさせて考えると、麻生のいうことも一理ある。いや、三分の理くらいはあるといっても良い。だが、今問題になっている「温暖化」は、そういうモンダイではないだろう。
(1)まず、日本列島の、北海道の気温の「温暖化」という視点が、地球の温暖化と同一次元にされていて、適切ではない。これはそのまま、麻生トランプのフェイクニュースである。北海道という場の、気温の変化というのを「温暖化」という言葉に引っかけただけ。「米がうまくなった」というオチで、笑いを取るはずだったというだけの、馬鹿話。だが自民党副総裁という要職の政治家が、目下SDGsで「喫緊の課題」とされている「温暖化」をその程度の笑い話にするところが、ケシカラン。でもね、彼にとっては、笑い話じゃないかもしれない。えっ、どういうこと? 彼は心底、その程度にしか「温暖化」モンダイを考えていない。それがぽろりと口をついて出ただけ。馬鹿話ではなく、或るバカの話。
(2)いやじつは、かく言う私も、麻生のようなことをしゃべっていたことがあった。北海道の米ばかりではない。蜜柑の北限が、埼玉県寄居町の風布だったのが、栃木県でも地元産の蜜柑が並ぶようになり、それって温暖化のおかげだねとおしゃべりしていた。ま、私は麻生のような要職にあるわけではないし、公にしゃべったわけじゃないから、バカはバカだけにとどめたというわけ。米も蜜柑も、天からの貰い物というナイーブな自然観がベースにある。その「本質」だけを取り出していえば間違いじゃないが、採集経済を営んでいるわけではないから、何も言ったことにはならない。自然と農耕民との戦いという、人の営みの本質的な点を落っことしている。
 そんなことを指摘しても、たぶん副総裁は、「あっ、そう」と昭和天皇の系列に身を置くものとして恬淡として居るであろう。
 だが私は、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房、2005年)を読んでいて、土壌改良ということについて切実な事態に直面したドイツ農民の話に、胸を打たれている。ルドルフ・シュタイナーのBD(バイオ・ダイナミック)農法のことには以前触れたが、宇宙と大地と生命体の循環を視野に入れて、大地をつくることが作物を育てることという、「占星学的な超自然的精神世界」を背景にしていると紹介する藤原辰史は要約する。それが、土壌の頑固さと格闘するドイツ農民の心情をつかむのだが、それは化学肥料の投入によって土壌が硬くなり乾燥化し、それと格闘する農民の体感、つまり土と共に生き、土をつくることが生きている証という生命観にマッチする。それは逆にシュタイナーのBD農法の生態系の中に微生物を組み込むことにすすみ、農民の手作業を評価するかたちで(動物としての)人の存在と結びつく哲学を感じさせて、行く。他方でそれは、農民層の支持を手に入れたいナチスの広報戦略に符節を合わせ、また後に、戦時体制の食糧増産を図る政策とあいまって、(シュタイナーの生命哲学は排除されたが)ナチスの農業政策に取り込まれていった。藤原辰史は、ナチスが日本の自然観に共感する部分を発見していくことをふくめて丁寧に追跡しているが、要するに、農民の生き方そのものを、金銭換算ではなく、また食糧増産という目的的でもなく、表象する哲学的な視線を持つかどうかが、決め手になっていたと、ドイツ農民の受け入れ方を読み取っていった。
 そうしてみると、日本の政治家たちが繰り出すジョークでさえ、生き方の哲学を欠片も宿していないことに気づく。でも地球規模の「温暖化」に関する知見を持っているかというと、それもまた、欠片もなく、目先の株価と権力の趨勢とそれに利用できるかどうかが、人に対する評価という貧しい言葉しか繰り出せない。そう思う。SDGsの温暖化は棚上げしてしまったが・・・。
 あ、そう。


期日前投票

2021-10-28 15:01:58 | 日記

 衆院選の期日前投票をしてきた。当日、外へ出るためだ。昔、といっても半世紀以上前だが、期日前投票をするために市役所へ足を運んだことを思い出した。
「どこへいくのか? その日でなければならないのか」
 などと係員に聞かれ、
「そんなことを話さなければならないのか」
 とやりとりをして、
「だったら、投票しない」
 と帰ってきたことがあった。
 つまり昔は、「どうしても期日前投票をしなければならない理由」というのがあったのだったか。いまならきっと、係員の名前を聞いて、投票妨害だと騒ぎ立てるような大事になったに違いない。
 投票所入場券の裏面に、期日前投票をする理由を、チェックする欄が設けられていて、該当箇所に☑を入れればそれで済む。
 区役所の投票所は、混むほどではないが、人が絶えることなく適当な間隔を置いて列を作り、記入台がいっぱいになる程度に、投票する人が押し寄せてきている。ほどほどの気温の昼間だから、出歩くにも気持ちがいい。
 そういえば今回は、3人立候補しているうちの2人が1回ずつ、すぐ近所で演説をしただけ。あとは、いついつ浦和駅前に政党の名を知られたのがやってきて演説会があるというお知らせが、やはり2候補1回ずつ。名前を連呼して通る候補もなく、しずかなもの。
 TVも、どこかのチャンネルは選挙のことをやっているが、やっていないチャンネルの方が多い。そちらの方に切り替える。SNSや週刊誌にあることないことを書かれて憤激している女優のこととか、皇女の結婚のこととか、中国の軍事的な装備のこととか、台湾が緊迫感を増しているとかいないとかと、特報風に話題を組んで、2008年の政権交代のあった時とは大違いだ。メディアも冷めてきているのだろうか。太鼓持ちのニュースを流すよりは、放っておくほうが、いい。政治家連中も、調子の乗らない分、賢く見える。
 ま、こちらもパートタイム主権者らしく、3年とか4年に一回の投票権を行使するだけはして、あとは何をするか見ているだけ。本当にご苦労様、と声をかけたいような政治家がいなくなっちゃったなあ。
 むかしはそれでも、エリート官僚たちが脇をかっちり固めて(善し悪しは別として)やることはやっているようであったから、パートタイム主権者は(任せるしかないよな)と身の程をわきまえていたのだが、いまは、おいおい大丈夫かよと思うような人たちがそちこちに出来して、週刊誌に話題を提供し続けている。聞き苦しいし、見苦しい。その話題提供者たちが、恥ずかしげもなく、またぞろり立候補している。懲りないのか、パートタイム主権者の忘れやすさを見くびっているのか。そんな連中が、蓋を開けて当選してたりすると、いっそうこちらの(パートタイム的)断片性が際だって、いやになってしまうじゃないか。
 行き来の6500歩ほどを歩いたのが、せめてもの効用と思って、主権者は、ふだんの暮らしの中に姿を消すのでした。


見事な紅葉の奥日光

2021-10-27 11:11:47 | 日記

 奥日光二日目の早朝は雨だったと昨日記した。宿を出る時にはしかし、日差しが差し込み、青空が見えるほどの晴れ。少しばかり泉源辺りを散歩して振り返ると、前白根山と外山にかかるスキー場の上部が、昨夜来の雪で真っ白に化粧している。それを背景にカラマツの黄葉とミズナラの、少し焦げ茶がかかった黄葉が奥行きを湛えて、見事に映えて輝く。
 曇り空に色落ちして悄げたような、昨日の黄色と違い、やはり黄葉は日差しによるねとカミサンは喜んでいる。光徳牧場にも立ち寄った。昨年小鳥が屯していたズミの辺りにカラ類が居るとカメラを構えている人が二人居たが、やはり今年は鳥影が少ない。
 光徳から中禅寺湖脇を抜けて車を走らせる。湖とカラマツやミズナラの黄葉とモミジの紅葉とがマッチすると美しいのだが、今年は後者が遅れている。中禅寺湖を挟んで男体山の対岸にある半月峠駐車場にまで車で上がれば、湖に突き出ている八丁出島が色づいて見えたろうにと後で思ったのだが、そういう紅葉を楽しむというセンスが、私に欠けていたものかもしれない。
 下りのいろは坂から見える山の色合いの見事さに、助手席のカミサンは声を上げて喜んでいたが、ま、こうして楽しんでもらえれば結構と、日光を案内する私は運転に集中する。
 日光植物園に入る。一週間前に撮影した20種の秋の花の写真を掲載した「見頃植物」のチラシを手渡し、「これも、もう一週間で縮こまってしまって」と受付の方は済まなそうに言う。まるで、花々の監督不行届をわびているようで可笑しかった。ここでも秋の進行は平年に較べて遅かったようだ。でも、枯れる草木は枯れ、切り払ったところはずいぶんとすっきりとほかの植物を見せていて、池に生える菖蒲の仲間がたくさんあるのだなあと、名前書きを見ながら感心した。忘れな草が青色の花をつけて一群れをつくり、静かな水面を飾っている。
「いつもはカワガラスが居るんだが・・・」と見降ろした浅い石畳を流れる小沢に、いたっ、カワガラス。お出ましって感じ、と見ていたら横合いからもう一羽が視界に飛び込んできて、沢の先の方へ飛び去っていった。いやいや、二匹目のドジョウっているんだと、喜ぶ。
 2時間近く植物園を散策し、古河鉱業の近くにある中華料理店「幸楽」に行く。夏にも立ち寄った。コロナで密を避けるためだろうが、電話で注文し、受け取りに来る客が多かったせいか、お昼時、いつもなら外の駐車場で待たされるはずなのに、客席が空いている。レバニラ炒め定食を注文する。小切りにしたレバーを油で揚げてニラを少しばかり絡めて大量に盛り付けている。食べ残すと、包んでくれる。また正月に通るから寄ろうかとみたら「定休:水曜日」。暦を見ると通りかかる正月5日がちょうど水曜日。尋ねると「12月下旬にならないとわからない」という。古川鉱業の操業予定と絡んでいるからだろうと私は思うが、どんなものか。
 高速は空いていた。急ぐでもなくのんびりと走って帰宅。埼玉の午後は風雨が強く荒れると予報にあったが、意外にも晴れ渡り、風もない。コロナ明けのような、感染者数も、埼玉県は一桁。落ち着いた旅日和であった。