mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

シルクロードの旅(6)古い地勢と古びた感性の奇岩怪石の地

2018-05-29 21:41:00 | 日記
 
 この旅の記録は、5/21の第五回いらいですから、8日間もご無沙汰しました。ま、その途中に、山が入り、山の疲労と新しい社会的お役目の神経戦が加わった身体トラブルで、ごちゃごちゃとしてしまいました。すっかりシルクロードのことは頭から抜けてしまっていました。でも、せっかっく行ってきたのですから、何とかメモ代わりになる程度のことは記しておかねばなりません。
 
 さて5/11(土)の朝、7:30にホテルのレストランで朝食。バイキング式ですが、日本や海外の奈のある観光地のそれのように品数は多くありません。そうめんのような細く白い麺もあり、どう食べるのかわからないまま、手近の汁に浸して、いわゆる「つけ麺」風に食べていたのですが、他の方々の食べ方をみると、豚肉のチャーシューや炒めた野菜や豆などをどんどん上に盛り付け、かき混ぜて食べているのです。五目冷麺とでも言いましょうか。ただどの味にも香辛料が利いていて、食べる姿はなかなかの醍醐味があります。驚いたのは、学校へ行く途中の子どもを連れたお母さんやお父さんが入ってきて、席を並べて食事をしていたことです。蘭州でも張棭でも、小学校の送り迎えは保護者が同伴するのが原則のようです。一人っ子ということも何か影響があるかもしれませんが、事故や誘拐を心配しているのだと、ガイドの丁さんは言います。登校時間や下校時間になると、校門の前に父母や祖父母の集まっている姿がみられました。「朝、家で食事をつくらないの?」と誰かが声を上げます。そう言えば、四川省の成都へ行ったときであったか、家では調理をしないのがあ普通だ、台所もないよとがおぢ画高中国通のガイドだか中国通の友人だかが話していたのを思い出す。そういう生活慣習は変わらないんだね、なかなか。
 
 この日は、張棭丹霞の文字通りの本命を歩く日であった。氷河丹霞と七彩丹霞。いつかも記したが、丹霞というのはどちらの文字も赤いという意味だとガイドは言う。私は丹は赤い、霞は黄砂による霞む世界くらいに思っていた。いやその通りに、バスで走る外の世界は、見事に霞んでいる。覆面をしている人たちもかなりいる。私たちはそれでも、街中から外へ向かう。中心街を抜けると、それなりにスムーズである。だが逆方向の車は、びっしりと渋滞。ガイドの話では、それなりに渋滞解消の施策を講じているらしい。末尾のナンバーの偶数奇数などによって運転できる日できない日を設けたりするが、ならば税金を半分にしろと訴えがあったり、上手くいかないらしい。面白いと思った。中国って、アメリカと同じような社会関係なんだ。日本なら、すぐには訴訟に訴えない。子どもを登下校に誘拐の心配をするのも、赤の他人が入り混じって暮らしてきたから、何が起こるかわからないのが日常と肌身が反応するのであろう。だから訴訟という手段があれば、まずは訴えて、言いたいだけは言わせてもらうわという気性も、案外社会に共通する心性なのかもしれない。
 
 だんだんと山迫るが、やはりどこもここも「工事中」の風景だ。山肌に「蒙古大営」と一文字ずつ置かれた大きな表示があり、その山頂に「望楼」のような建物がある。蒙古のゴビ砂漠と境を接する地であるから蒙古族もいようが、興味を魅かれる。郊外をも遠く53km離れた氷溝丹霞に着く。昨日の平山湖大峡谷の入口と同じような、作り物の大岩山のセットが出迎えてくれる。「張棭国家地質公園・泳溝丹霞」と大きな看板が掲げられている(じつは泳という文字が、「泳」という文字ではなく「サンズイ+水」。ヒョウと読んでいた)。入口をくぐると、バスに乗り4kmほど先まで運んでくれる。そこから奥へ行く人は12人ほどの乗れるシャトルカートに乗り換える。内側の乗り降りは、無料で自由だ。私たちはまず、二つあるコースの右側へ向かう。奇岩というか、100mほどの高さの大きな岩が屹立する。コースに、ことばからすると中国人の観光客がたむろして写真を撮っている。その間にある山体に階段がしつらえられいて、私たちは登っていく。眺望ががらりと変わる。ここまで来る人はそう多くはないが、とっても大した高さではない。その尾根筋のルートをすすむと二本のすらりとした岩の柱が並び立つ。地質公園というのに、それらの巌に名前を付けて陰陽の柱とか、金蝦蟇拝佛だとか七女峰とか名付けている。よくやる「名所」ってわけだ。そんなことよりどのようにしてこのような「地貌」ができたのか説明しているところに行きたいのだが、ガイドはあまり関心を示さない。仏教や秦漢時代の歴史にはあれほどの日本語を駆使していたのに、こちらの方はとんと平凡なオジサンに堕している。
 
 戻ってシャトルカートに乗り、一番奥まで送ってもらう。そこから尾根に上がり、くねくねと稜線を歩いてバス乗り場辺りに下るルートがある。ガイドはここからまたカートでそこへ引き返し、私たちを待つといって戻っていった。尾根に上がる。今度は北と東の方の地勢が一望できる。同じように山腹が削られて崖となりわりと尾根上は丸くなっている稜線が四通八達するように伸び、重なっている。ガリガリと切れ落ちた山肌全体にルーブル城と名づけたものもある。幅150m、高さ50mとあり、本物のルーブル余折は20m高いと説明板にある。だけど、これって、ヨーロッパかぶれの権威主義じゃないのと、笑ってしまう。ま、いや、こちとらは古い大陸の地貌がこんな面をしてるんだと直に見ただけでも結構じゃないのと思いながら、歩いてすすむ。ガイドは2時間かかるとか言っていたけど、この調子じゃ1時間だねと気分よく歩く。暑いのだけが堪える。
 
 尾根ばかりを伝るルートは途中で閉鎖されていて、カートの道に降りるように進んでしまう。舗装された道を歩くのも、景観が変わって見えて、悪くない。こういう地球の変顔後に踏み込むと、どこにいても面白いと思うようになる。途中で尾根筋の方へ登る道があったから、そちらへ踏み込む。また世の中を睥睨するようになり、突き当りから振り返ると、バスの出発点が見える。待っているガイドも見えるように思ったが、逆に向こうからも見えていたのであろう。登り口にもどってみると、シャトルカートが一台止まっている。「丁さんが、我々をみて、頼んでくれたんじゃないの」とOさん。彼はこういうことにとてもやわらかく応対する。じゃあ乗ろうよと、暑さに閉口していたから、乗ってさかさかと帰り着いた。ふたたびバスに乗って入口まで戻ったのだが、もう12時半近くなっていた。私たちが到着したのは9時40分頃だから、3時間近く過ごしていたことになる。(つづく)
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私の神経戦ご報告(1)詰めが甘い

2018-05-28 16:05:46 | 日記
 
 昨日午後、1時から5時まで「通常総会」が開かれ、理事が交代し、いよいよ私の「神経戦」がはじまりました。実の脚の動きは、日にち薬のようによくなって、どうにかストックをつかずに歩けます。
 
 議事を取り仕切っていて感じたこと。
(1)問題提起者の分野を分けもっているのはよくわかるが、副理事長担当の防犯カメラ設置の件で、昨年の臨時総会で決めたことと異なる「契約」と指摘され、カメラとレコーダーの値段とか、5年契約のあとどうなるのかということについて、「わかりません」と応えるという詰めの甘さ。こういう子細は、案外関心外のことに関して私も覚えがあるから、肝に銘じなければならないと思いつつ、(で、どうするの)と議長席から、見守る。
(2)応答の始末に戸惑って立ち往生する副理事長の状況に対して、(最高責任者の立場にいる)理事長が、判断を挟もうとしない。当事者性の希薄さなのか、他人のことに干渉しない優しさなのか。
 
 議事がとまっては困るので、私が質疑応答の要点を三つにまとめ、それを踏まえて(臨時総会の決議に相応するならば)「契約」する、そうでないときは「再検討する」としてよろしいですか、と理事長をみて問うと、副理事長の方をみて、そちらに聞いてくれという顔をする。人の好い副理事長は、うんうんとうなずく。もう一度三点を「ことばにして」議事録に記載してくださいとつけくわえ、賛否を問い、賛成多数でひとまず終わらせた。
 
 あるいはこういうこともあった。じっさいに行った「雨漏り補修」を「主な事業報告」に書き入れていない。たぶん見落としたのであろう。私などもよくやることだ。素人集団の管理組合理事会が取り仕切っているのだから、この手のミスは、アハハそうでしたねと訂正補足すればいい。じっさい、議案書を配布して、総会前に指摘された「大規模修繕業務設計業務費」については、追加の補足をしている。「雨漏り補修」は何十万かの金額を支出している事業なのになぜ載せなかったのかと問われ、どう応えていいか困っている。おいどうしたの、と訊きたいが、そうですねと言ったまま、思案投げ首。議事がとまることを気遣う私が我慢できず、とうとう、「主な事業報告」の末尾に加えるというのでいいですかと提案者に質し、ハイと応えてもらって次へと移った。つまり何を決議するのか、議事の末尾を意識していないのではないか。
 
 はたまたこういうこともあった。わが団地は高齢化が進んでいる。世代交代して子どものものになっているのは、若返りと言ってよい。ところが子どもの通勤には不便だというので、賃貸住宅としている世帯もある。ご本人が転勤のため、しばらく海外へ行くため、賃貸にするということもある。元から住んでいて高齢化すると、身体が自在にならなくて、(10世帯か9世帯の)階段毎の持ち回りの理事を務められなくなる。あるいは不動産屋が所有して、売り物件の「空家」になっているのもある。こうして十年ほど前から、理事の順番持ち回りを再検討してはと「論題」になっていた。それが今年も先送りされている。何をしてんだとお叱りを受ける。と、総務を担当する理事が「理事会議題」を指して、ここで議論していると応える。問われた理事長は「それは自治会長さんにお願いしたから、そちらに問うてくれ」と応じる。質問者は、(自治会と理事会の役員が重複しているとは言え)いま理事会の通常総会で議論しているのだから、理事長が応えろよと舌鋒鋭い。これはじつは、「通常総会」直前の「理事会ニュース」で、「高齢化問題を論議したが成案を得られなかった」と掲載されていたので、次を引き受ける私は「その論議の敬意を示す文書があればメールに添付してほしい」と理事長に依頼し、送ってもらっていた。総会の一週間前のことだ。そこには、さらに前の年度から引き継ぐようにして、おおよそA4版1枚半くらいの「検討案」が列記されていた。この「理事会ニュース」の掲載自体が、事前の指摘に応えたものであるらしい。つまり、理事会は何もしていなかったわけではないと弁明しているが、理事会での論議を「広報」に載せていないから、こんな質問が出てくるのに見当違いの弁明をしているとわかる。この「論題」も、今年度の新しい「重点施策」として取り上げるとまとめて、議事をすすめた。
 
 いやはや、つぎつぎと仕事がかぶさって来るね。でも今日になって脚の調子はだいぶ良くなり、一応「神経戦」も本腰になるからと昨日の「課題」をまとめていたら、建築担当理事から「給水第三ポンプの水漏れについて、現地を見てきました」とメールが入る。写真もついている。おや、「見積書」までついている。鏡書きをみると5/22。なんだこれは。事務室に出かけ、事情を聴く。定期点検で水漏れが分かり、理事長や建築担当理事に報告した、と。その引継ぎを昨日受けた建築理事といま観てきたところという。で、前理事は修理依頼をしていないのかと質すと、何も手を打っていないという。建築理事にあって、事態の深刻さを質す。いますぐに破損などにいたるわけではないパッキンの弛みによるものだそうだが、修理しないわけにはいかない、と。よろしくとお願いしてきたが、素人理事会の弱点は、詰めの甘さ。事態を判断して、事態を処理する責任回避の身体の習慣。人柄は良い。だが環境や事態の厳しさとそれなりに向き合おうとする気迫に欠けると言おうか。いやなものから目を背けたい心性というか。
 
 でもこんなことを言っているから、「神経戦」になるんだよと思わないでもない。
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「神経」戦のはじまり

2018-05-27 08:34:38 | 日記
 
 昨日は一昨日より少し良くなった感じがした。何しろ事態を書き綴ることができたのだから。冷蔵庫も空っぽになりかけたので、買い物にも出かけた。杖をついて、車に乗り、カートをつかんでゆっくり左脚を引きずる。「こりゃ(買い物は)無理だ」という店の駐車場での一昨日の感触は、感じなかったから、やはり少し良くなっていたのであろう。それでも、何かをしようという気が起こらず、ソファに横になって過ごした。体の持っていた熱も引いたらしく、半袖で寒くはなかった。でも夕方までは、今日も布団で寝るのは無理かなと思っていた。左脚の上部の炎症が残っていたように感じたからだ。
 
 せっかく買い物をしたのに、夕飯も豆腐でたんぱく質を補っただけ。お腹が空かない。現理事会の作成した「通常総会議事の進行」をメモしたプリントに目を通す。「……管理組合規約および関係法令を遵守して議事をすすめる」とあるが、関係法令って何なのかわからない。「議案以外の事項を、審議並びに決議することはできません」(区分所有法37条)と記している。何だこれは。修正提案も取り上げないということか。「区分所有法37条」というのを「検索」する。なるほど第一項に上記のような文面がある。だが、35条によると「管理組合規約が定めたものはその限りでない」ともある。集合住宅の共有部分に関する「法令」というのは、規範法令であるから、現場の規約の方が優先するという考えなのであろう。この辺りの「法律」の受け止め方が齟齬と論議を呼ぶのかもしれない。
 
 風呂に入ると炎症を刺激して「神経に障る」というから、シャワーにして床に就く。リクライニングチェアーじゃなくて大丈夫だと思った。2時間ほど眠って目が覚めトイレに行ったが、そのあとは順調に眠った。目が覚めたのは5時半ころ。起きだしてコーヒーを淹れ、新聞を読む。6時半を過ぎて洗濯機を回し、トーストビザを焼いてヨーグルトと食べる。部屋を歩くのも、杖を突かなくてもよくなった。
 
 さて今日は、午前中は「引継ぎ」、午後は「通常総会」である。いよいよ、これまで他人に任せてお気楽に過ごしてきた「団地管理組合」のお役目がはじまる。山の疲れに、この「お役目」のもたらす「神経」がびりびりと加わって、歩けなくなる事態になったのだとすると、まさに私にとっては「神経」戦である。短く見てもこれから一年の「神経」戦を戦い抜かなくてはならない。体の力を抜いて向き合うために、「楽しくやる」と近ごろのアスリートは口にするが、私にとっては(たぶん)人間観察や社会観察をするためにやるのだと、ちょっと目のおきどころを変えることだろう。そういうわけで、明日以降ときどき、「神経」戦の観察状況を記すことになる。乞うご期待となるのか、神経が参ってしまうのか、どお転んでも、とどのつまり、私の自画像を描き出すことになりそうです。
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こうして山を歩けなくなる

2018-05-26 10:06:57 | 日記
 
 山に行ったのは22日~23日。快適な山歩きだったことは、24日に記した通りだ。ところが、ブログにアップし、そのあと写真を添付して山の会の方々に送信しようと、ほぼ全体を仕上げた。送信は夕食後にでもしようかと、食事にとりかかる。じつはカミサンが海外へ出かけたため、一週間は独り暮らし。気分良く、焼酎のお湯割りを二週間ぶりに口にする。やはり中国甘粛省の稗の蒸留酒よりはうまいなあと、ご機嫌であった。
 
 風呂に入って温まる。そして早めに床に就いた。ところが夜中に、左脚が痛くて目が覚める。おおっ、これはどうしたことだ。太ももの筋肉が張っている。こんなことは珍しい。「三日遅れの疲れを乗せて~」というのもしばらく経験したことがないほどなのに。トイレに行こうとして起き上がろうとする。だが、左脚がてんで支えにならない。そう言えば、身体が少し熱っぽい。今日は寒いのか、風邪でも引いたのか。
 
 這うようにして用を足しはするが、歩くのがままならない。ストックを使うようにする。寒さをしのぐために、掛けてあった簡易羽毛服を着こむ。床に就いて平たくなると、左脚の置き場がないほど痛みが走る。起き上がるのにも苦労するから、書斎のリクライニングチェアに身を預けて、横になる。こうすると少しは楽だ。うつらうつらしながら朝を迎える。コーヒーを淹れる元気も朝食を食べる元気もない。ヨーグルトを口にしただけ。
 
 医者の開業時刻を見計らって出かける。それがまた一苦労だ。何しろ自転車に乗るのもむつかしい。200mほど離れた駐車場まで行ってどうにか、車中の人となり、行きつけのスポーツドクターへ向かう。この方は「接骨院」と銘打っているが、ヤクルトや浦和レッズの選手の面倒を見ている。整形外科よりはよほど信頼が置ける。様子を離すと、そちこち押さえ、どこが痛むか、どういう痛みかを丁寧に探る。彼は「風呂に入ったか」と聞く。よくあっためたというと、たぶんそれが血流を良くし、その血流が神経を刺激して痛みになっているという。単なる筋肉痛ではなく、それに付随して(普段の)左脚に重心がかかっている姿勢の弱点が噴き出しているというのだ。電気と針治療を行い、テーピングをしてもらって、帰宅した。途中で買い物をしてと思っていたが、駐車場まで行ってとても買い物をする力がないと判断せざるをえなかった。
 
 翌々日の「通常総会」のことも気になるし、じっさい、何通かのメールも来ているのだが、対応する気力がない。ほぼ一日ぼんやりと過ごし、夕方になってやっと、仕上げた山の会のメールを送信して、やはり七時過ぎにはリクライニングチェアの人となった。昼も夕食も食べるのを忘れていたくらいだ。
 
 今朝四時半ころ目が覚め、新聞を読んでまたひと眠りし、七時前に起きた。昨日よりすこし良くなっている感触がある。ストックも一本でいいようになった。コーヒーを淹れる。トーストを焼いて食べる。洗濯機を回す。洗濯物を干す。そしてやっと、メールへの返信をする気になった。
 
 考えてみれば、富士山よりも標高差の大きい上り下りであった。昨年歩いたときは、前日麓の宿に宿泊し、翌日日帰りで一挙に歩いた。それでも、車を運転して帰宅して、ふだんのくらしに戻ることができた。ところが今回は、「神経」が痛む。去年と違うのは、団地管理組合の理事長を引き受けるという、明日からのあたらしい「お役目」である。これが緊張を強いているのか。それほどに「神経」を使っているのか。何がどうなのかはわからないが、こういう突然の痛苦に見舞われて山が歩けなくなるのだとは、思いもよらなかった。こんな調子では、日帰りの山行は良いが、二日目三日目とある山行は、無理ということになる。ぼちぼちそういうことも覚悟しなさいよという「最初の警告」かもしれない。くわばら、くわばら。
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幸運の七面山

2018-05-24 11:25:03 | 日記
 
 一昨日(5/22)から七面山へ出かけて来た。五日前の事前の天気予報は「両日とも曇り、降水確率40%、降水量0mm」。「行きましょう」と山の会の方々にはメールをした。ところが前日の予報をみると「22日…晴」「23日…雨、午前6時小雨、午前9時降水量1mm、12時降水量2mm」と後になるほど雨がひどくなる。「今年は梅雨の入りが早いかも」と追っかけるような報道も。まあ、22日に登って山頂付近のお寺に泊まり、23日は降るだけだから、早発ちをして温泉に入って汗を流して来ようと考えた。
 
 8時半ころ甲府で身延線に乗り換えてから、予約のタクシー会社に電話。万事承知の応対。9時半頃下部温泉に降り立ちタクシーに乗り込む。意図したとおり、10時前に登山口に着いた。まず手近の白糸の滝を見てから出発しようと春木側の橋を渡る。高さ30mほど。まっすぐに落ち、水しぶきが飛び散る。下で滝行ができるのか、着替えの小屋もあり、「届け出てください」と書いてある。日蓮宗の行場なのだ。
 
 10時15分、登山道を上りはじめる。「一丁目」の丁石がある。今日泊りの敬慎院まで50丁。信者の方々はこれを励みに歩一歩とすすむようだ。ところどころに坊が設けられ、ベンチや木の長机をおいて休憩できるようにしてある。陽ざしは強いが樹林の中を上るから、暑くはない。というよりは、標高が高くなるにつれて(風もないのに)体が冷えるように感じる。それが心地よい。見晴らしはほとんどない。ところどころに親鸞のことばや登る信者を励ます信仰にまつわる言葉が書き記されている。山頂の敬慎院のお坊さんが「法話」で「登っているときに誰かご一緒していると感じませんでしたか」と問いかけていた。親鸞さんというのではなく、亡くなった近親者のことが思い浮かんだのではないかという意味であったと思うが、そうしたことを彷彿とさせる表参道である。道幅は急だが広い。山歩きになれぬ人たちはジグザグ道の角ごとに止まって息をつく。
 
 先頭を行くkwrさんは10丁ごとに一休みする。はじめは10丁25分、後には30分ほど。上りは登り口の標高487mから七面山山頂1982mまで約1500m、下りは山頂から北参道の登り口神通坊320mまで1650m。富士山五合目から山頂までの1400mほどよりもきつい。三組の人たちを追い越した。皆さん信者らしく、一組は23丁の中適坊で太鼓をたたきながらお題目を唱えていた。上から降りてきたのは何人かの若いお坊さんと数組の登山客と信者さんたち。お坊さんたちはほとんど空身で、「お休み」をもらったよう。軽々と降っていった。登山客は若い人たちだが「日帰り」で、表参道を山頂まで上り下っている。登山口の木立の間に車を止めていたのは、この人たちなのであろう。
 
 2月の奥日光以来久々に山に同行するSさんの近況を耳にしながらゆっくりとすすむ。68歳だが、まだ現役。外国人向けツアーガイドへの「日本案内ネタ」を教えている。彼女にとっては「七面山」も教材のひとつなのではなかろうか。とても好奇心旺盛で、「神仏習合」や日本人の習俗、能や歌舞伎といった芸能、その歴史的な変遷などを身体ごと味わいたいというように、前のめりになってみつめている。元気だなあと感心する。
 
 ニリンソウや(おやこんなところに、とkwmさんのいう)クリンソウが咲いている。46丁目の和光門の先にアカヤシオが満開。門が切りとった枠のなかに、敬慎院へとつづく広い上り斜面の両側に見事な彩を添えている。上から降りてくる若いペアに出逢った。山頂を日帰り。朝8時半頃に出発したというから、見事にコースタイムで歩いている。若いっていいねと年寄りが談義する。
 
 標高1620mの敬慎院に13時半着、上りはじめてから3時間15分。コースタイムより15分早い。途中でお昼を食べているから、実はもっと早いのだが、kwrさんは強くなった。宿坊の入口で6,7人のお坊さんがいて出迎えてくれるのが、なんども気恥ずかしい。受付をして、荷物を置いて水と防寒着一枚をもって山頂へ行ってくることにする。
 
 随身門を出ると正面に富士山が、頭に雲をかぶって座を占めている。その前に九月に登る予定の毛無山が黒々と立ちはだかり、さらにその前にこんもりと低く山頂をみせるのが身延山だ。早川の明るい河川敷が南の方へと広がっている。「随身門前展望図」という標石の右隅に駿河湾とある。木立を避けて体を左へ寄せてみると、確かに遠方に海が見えるとkwrさんがいう。どれどれと、身を寄せる。明日は早朝から雨だから、しっかり見ておこうという。冥途の土産だね一つひとつが、と誰かが言う。
 
 「七面山 山頂まで片道40分→」とアニメを備えた表示がある。昨年ここに来たときにはなかった。山頂への道へ踏み込むと一面のカラマツの林。昨年のカラマツの落ち葉がふかふかと気持ちいい。「こりゃあすごい」と先頭のkwrさんが声を出す。先ほどの展望台よりももっと南の方が開けて、ずうと先の富士川とその先の富士市の方まで見通せるようだ。登路の東側が大きく崩れ落ち、岩盤が素肌を見せている。Sさんが気の根について生えた苔の名を言う。彼女は苔に詳しい。私は耳に入っても素通りしてしまう。先ちょが刈り取られた笹の間を上り、少し広く切り拓かれた樹林の間の平地が山頂。見晴らしはまったくない。陽ざしはあるが暑くはない。14時45分。敬慎院から1時間。宿に入ってもすることはないから、山頂でしばらくおしゃべり。古い方位盤には富士山から南アルプスまで彫り込まれているが、(たぶん)冬でも眺望はあるまいというほどコメツガかトドマツのような針葉樹が森をなしている。「じゃあ、宿に戻ってひと風呂浴びてビールにしよう」と15時すぎに下山を開始する。
 
 15時半に展望台に戻ってみると、富士山の雲がだいぶ取れ、山頂が顔を出す。随身門をくぐって見下ろす階段と正面下の明るい陽ざしを受けた本堂を飾り立てるような両側のアカヤシオと若い緑が照り輝く。いい光景だ。なんとなく厳粛な気分になる。「延暦寺の設え境内がこうであった」とkwrさんが思い出して話す。正面の高いところの門から下って境内と本堂へと入るつくりが、そっくりだそうだ。宿坊に入り、お坊さんの案内で12畳ほどの広い部屋に通される。すでに暖房ストーブのスウィッチが入っていて、お茶が置かれている。「お風呂も入れます」というので、すぐに着替えをもっていく。四人くらいが同時に入れそうな湯船。湯温はほどよく、体を温めるだけのカラスの行水をする。「ビールは置いてない、お酒も売ってないんだって」とkwrさんが残念そうな声をあげる。何だ般若湯もないのかと思うが、お茶がおいしい。ところが夕食になって運び込まれたお膳に「御神酒七面山」の二合徳利が一本ついている。いやいいねえこれは、と食べ始める。とすぐに隣の部屋の方が来て、そちらの徳利を「私たち呑めませんので」と提供してくれ、ありがたく頂戴して大満足。夕食も、精進料理と言おうか、高野豆腐とごぼうやニンジン、昆布の煮つけ、とヒジキに一汁一菜。これを一週間続けると脂肪肝もよくなるわと誰かが言う。
 
 夕食は5時、6時から御開扉といって、ご本尊の七面大明神の扉を開き、参列者の名前を読み上げる。南無妙法蓮華経とお題目を唱えている方々多数には家内安全・家業繁栄、私のような不信心者には「無事の下山」を祈ってくれた。部屋に布団を敷いてくれている。一枚の長い敷布団、一枚の長い掛け布団、枕にはカバーが掛けられている。そこに全員が枕を並べて横になる。方角は北枕。寒いときは、部屋の隅に置いてある掻巻を身につけて寝るのだと思った。お坊さんは素足だ。冬は40センチの雪が積もるというから、まさか素足ではあるまいが、でもそうかもしれないと、「修行」を思う。会計を済ませ、翌朝のスケジュールを聞く。4時起き、4時半から勤行、でも4時40分にはご来光があるから見る方はそちらを優先してよいと。朝食はその後に急ぎであればすぐにも出す、と。良かった。「予報」では朝遅くなるほど雨がひどくなる。できれば早いうちに下山したいと思っていたから、5時ころ朝食、6時出発とした。
 
 6時半から勤行がはじまる。kwrさんたちは「疲れたので」と失礼したが、私はかつてここの勤行を体験したokdさんが「声明が良かった」と話していたので参列した。10人ほどの袈裟を来たお坊さんと6人ほどの作務衣の修行僧とが勤行をし、もちろん信者の方々はお題目だけでなく、法華経の読経にも唱和している。中には30歳くらいの(東京の)若い人も、九州からやってきたご夫婦も、岐阜県の会社の経営者もいて、熱心に参籠している。不信心な私はお焼香の順番が回って来たことにも気づかず、横にいたSさんにつつかれて、そうか私も焼香するのかと思ったほどだ。本堂両脇においてある大太鼓を、ふたりの作務衣姿のお坊さんが自然木を削った撥で、(お題目に合わせて)どん、どん、どん、どん、どんと打ち鳴らす。Sさんは何を思ったか、本堂の傍らに備えてあった法華の太鼓を手にもって、南無妙法蓮華経に合わせてどん、どん、どんと叩いている。後で聞くと、リズムが良い、声が良い、体で感じるとどうなのかと思ってという。彼女の尽きない興味の根源に、体感を通して身に刻むセンスが沁みとおっているようだ。
 
 翌朝4時15分前くらいに目が覚めた。トイレに行ってこようと部屋を出ると、すでにほかの部屋の布団を作務衣のお坊さんが片付けている。戻ってくると、私たちの部屋の脇に3人のお坊さんが待ち構えている。部屋に入り「おい、まだ少し早いが片づけのお坊さんが待ってるから起きようよ」とkwrさんに声をかける。部屋の電気をつけるとすぐに、外から声がかかり、ハイどうぞと返事をすると、お坊さんたちが入ってきて、さかさかと布団を片付け、お茶のお盆を持ってきてくれる。なるほどこれも、修行としての作務なのだと思った。
 
 「山の天気は予報通りとはいきませんから」とお坊さんの言っていた通り、雨が落ちていない。4時半ころ、随身門を出てみると、空の一部はすでに赤くなり始めている。その右の富士山には雲一つ掛かっていない。黒っぽい姿を屹立させている。緩やかに空の赤味が増してくる。遠方には雲が厚くかかっているから、下から上がってくる太陽の陽が照り映えていると思ったのだが、いつのまにか雲のなかに太陽の丸い形が赤く輝き、ここにいるよと言っているようであった。まだご来光時刻の5分前というのに。緩やかに世界が明るくなり、富士山の山肌の雪も見える。昨夜の勤行でお題目を唱和していた人たちもご来光を見に来ている。朝の勤行は、背中の方で始まっている。
 
 展望台からもどってくると、作務衣のお坊さんが「朝食になさいますか」と聞く。まだ5時前。ありがたいと応えると、すぐに部屋に朝食が運ばれてくる。食事をしている間も、本堂の方からは誦経と太鼓の音が響いてくる。食事を済ませ6時に出ようとのんびりしている間も、朝の勤行はやまない。部屋の裏側にある一の池の水面も明るくなる。緑の藻が蔓延って、水はきれいとは言えない。「昨日夕方の勤行の間に、この池にシカが何頭かやってきて、雄ジカが嬉しそうに飛び跳ねていた」とkwmさんが話す。静かなお寺の山に囲まれた池に初夏を迎えたシカの悦びが現れているように思った。
 
 6時に出発。二の池のあたりでkwrさんがリスを見かけた。池の水は少ない。鳥居の向こうに「影(よう)ごう石」と呼ばれる大岩が注連縄を張って陽ざしを受けている。切れ落ちた右側をみると富士山がくっきりと姿を見せている。奥の院は岩の北脇にある。ここも宿所になっているようだ。そしてここにも、七面大明神のご神体とご開扉があるという。後でここに泊まった二人連れの女性客信者を追い越した。彼女たちは昨年、敬慎院に泊まったが、あちらより1000円安いという。勤行も向こうと一緒、何より部屋から日の出と富士山が拝めるのが良かったとご満悦であった。同業他社なのか、別院というだけなのか。
 
 下山は緩やかな、と言っても標高差1650mを降るのだから、表参道に比べ二倍以上の長い下りになる。シロヤシオが咲いている。「自然記念物ゴヨウツツジ」と山梨県の説明板。見回すと付近の森の緑のなかに白い花をつけた木々が見える。アカヤシオの花は地面に落ちている。踏み固められた北参道は、しかし、あまり歩かれていないようで、丁石も古いまゝだ。坊はところどころにあるが、全部閉じている。その途次に大きなトチノキが花をつけている。「七面山の大トチノキ」と説明板が供えられ、こちらは早川町教育委員会と署名がある。ここにもクリンソウが身を隠すように花をつけていた。ここから主尾根を過ぎてジグザグの下りになる。傾斜はけっこうある。Sさんがひざを痛めたようだ。痛みを堪えようと体を後ろへそらせて左脚をピンと伸ばしたままで下り、その負担を右脚が全部引き受けてぎくしゃくしている。おしゃべりがすっかり止まっている。ずいぶん我慢して頑張っていたが、とうとう音を上げた。ベンチのあるところで休憩し、膝に炎症止めのスプレーをかける。効き目があるならとテーピングして、膝の周りにある筋を補助するようにテープを巻く。少しは楽になったようで、Sさんは先頭をゆっくり下る。おしゃべりが復活している。
 
 下の方が明るく見えるようになっても、Sさんは気を緩めない。一丁目の石が出てきてやっと、「学校が見える」と声が上がり、ほどなく前方に赤い鳥居が緑の合間に姿を現す。神通坊だ。お墓がたくさん並んでいる。みなお坊さんのお墓のようだと、Sさんはいう。そういわれてみると、確かにそうだ。振り返ってみると、鳥居の扁額には「七面山」と書かれている。つまり、表参道の鳥居をくぐったところから、この北参道の鳥居のところまで、すべてが「七面山」。山頂もさることながら、それよりも、参道の丁石や敬慎院や勤行や日の出と富士山の景観とそれを展望台からみているときの身延山までふくめて、そのすべてが「七面山」だと思った。昨年日帰りしたときには「みなまではみず」で七面山に登ったと思っていたんだなあと、あらためて感じ入った次第である。
 
 予約のタクシーはすぐに下部温泉ホテルに向かう。ホテルでは3人もの従業員が出迎えてくれる。車内から「日帰り温泉をお借りできますか」と聞くと、あと20分ほどで清掃に入るから、11時まで待っていただくようになると丁重なお断り。「膝を悪くしたSさんがもっとゆっくり休んで、下山すればよかったんだ」とkwrさんが茶化す。タクシーの運転手は、町営の温泉があるからとそちらへ車を回す。ところがそちらは、今日は清掃日に当たって入れない、と。やむなく駅に引き返すと「あと3分で甲府行きが来る」と運転手が調べてくれて、すぐに電車に乗る。Sさんがスマホで温泉を探してくれる。甲府駅から一つ先の石和温泉なら駅近にあるというので、そちらへ行くことにする。ところが接続がよくない。特急を使って510円払えばすぐに接続しているが、立川まで640円の特急券とは別に買うとなると、なんとも無駄遣い。ならば風呂はいいから、甲府でほうとうを食べて打ち上げにしようと気分が変わる。「何ですよぉ、それじゃあ石和温泉調べた甲斐がないじゃない」と愚痴を言いながら、Sさんは甲府駅徒歩三分の評判のお店「ほうとう小作」を検索する。こうして、具だくさんの「かぼちゃのほうとう」を生ビールのつまみにして、海サラダというすごく豪勢なサラダを頂戴して下山を祝った。交通の便と言い、天気予報の外れと言い、いろんな幸運に恵まれた七面山であった。
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