11月の36会の例会に参加できませんとメールをしたら、会員の一人、keiさんから以下のようなメールが来た(文面はプライバシー保護のため仮名など一部変更しています)。
F様/長い間、36会の事務局を有難うございました。/36会は、11月8日で散会になる気が致します。お勉強はしんどくなり、お茶のみ友達としては希薄な関係。新橋まで出かける意味が見いだせないとすれば自然散会でしょうね。/何かの機会にまたお目にかかることがあると思いますが 今までのご尽力心からにお礼を申し上げます。取り急ぎ kei
keiさま/ご丁寧なメール、ありがとうございます。ミドリさんが世話を焼いて下さるお陰で、36会も延命するようですね。あなたには、「失われた30年」に関する質問を投げかけられ宿題にしてしまって、いまだ棚上げしたままです。いつか機会をみて、あなたとミドリさんにはお会いしたいと思っています。/Oさんも持病が悪くなり、信州のどこかに療養中らしく、逢うことも適いません。マンちゃんと2人、「36会」の命名者が消えてしまったようで、寂しく思います。/「わたし死なないんじゃないかしら」と百歳に際して感懐を述べた宇野千代さん、間際まで磊落なお喋りを筆にした寂聴さんのように、あなたも元気で百歳を目指してお過ごし下さい。 F-k-t
F様/長い間、36会の事務局を有難うございました。/36会は、11月8日で散会になる気が致します。お勉強はしんどくなり、お茶のみ友達としては希薄な関係。新橋まで出かける意味が見いだせないとすれば自然散会でしょうね。/何かの機会にまたお目にかかることがあると思いますが 今までのご尽力心からにお礼を申し上げます。取り急ぎ kei
keiさま/ご丁寧なメール、ありがとうございます。ミドリさんが世話を焼いて下さるお陰で、36会も延命するようですね。あなたには、「失われた30年」に関する質問を投げかけられ宿題にしてしまって、いまだ棚上げしたままです。いつか機会をみて、あなたとミドリさんにはお会いしたいと思っています。/Oさんも持病が悪くなり、信州のどこかに療養中らしく、逢うことも適いません。マンちゃんと2人、「36会」の命名者が消えてしまったようで、寂しく思います。/「わたし死なないんじゃないかしら」と百歳に際して感懐を述べた宇野千代さん、間際まで磊落なお喋りを筆にした寂聴さんのように、あなたも元気で百歳を目指してお過ごし下さい。 F-k-t
F様/百歳まで生きることは、周辺がかなり犠牲になり、疲弊致します。85歳くらいまでがいい線ではないでしょうか? 「失われた30年」って、経済成長がなかったというだけではないのでしょうか? なにが失われたのか?お話を伺いたいです。/ミドリちゃんとも相談して、「さいたま」に出かけるのもいいかなと思ってます。ミヤケさんも呼び出しますか? 話は違いますが、出身中学の文化の違いがあるように感じるのは私だけでしょうか。私は差別化や分類をする性質ではないのですが、狭い地方都市で、距離も近い地域にもかかわらず、36会に参加している人たちとの間に文化の違いを感じるのです。/私は1年間しかT高校に在籍してなく、皆様と交流がなく、よく知らないからだと思いますが。/私は9月で引退致しましたので、自由な時間が多くなりましたが、多忙を極めているのはミドリちゃんだと思いますので、相談してみます。取り急ぎ kei
keiさま/メール、ありがとうございます。9月で「真・引退」なさったのですね。おめでとうございます。マンちゃんの名付けた「ゴッド・マザー」から解放され、これからいよいよ「シンkei」の登場となるってわけ、面白いかもと思います。
「百歳まで生きることは、周辺がかなり犠牲になり、疲弊致します」
おっしゃる通りです。ワタシ自身が周囲の産物ですから、「ワタシの存在」そのものが周囲にどう迷惑であるかは「周囲のモンダイ」でもあります。「己の欲するところに遵いて矩を踰えず」と高齢者のことを表現したのは、「世間の規範」が身に染み付いしまった高齢者は矩を越えるほどの振る舞いはできませんねという感懐。自儘に生きていいよという俚諺ほどに受け止めています。85歳くらいで、まだ元気に振る舞えるくらいで身罷るのがいいなあという「ご希望」はよくわかりますが、はてさて、そのようにいきますかどうか。
先週、奥日光に行ってきました。湯の湖のほとりの休暇村湯元に泊まって、湯の湖の周囲や戦場ヶ原、小田代ヶ原、光徳などの紅葉を堪能しました。あなたが62年前に水没した湯の湖に、かつて白樺の古木が湖に佇立していた当時の面影はありませんが、今年は例年より遅い紅葉が彩りを添えていました。
奥日光の混まない時期、雪の湯の湖や戦場ヶ原にでも行きませんか。ご案内します。
ミドリさん・ミヤケさんと私へのグループ・メールは、うれしく思いました。ミヤケさんとも音信が消え、マンちゃんとも遣り取りができなくなり、Oくんもまた遠くへ行ってしまったように感じて、歳をとるってことはこういうことだなと感じていました。あれこれ刺激的な「疑問」を投げかけられることは、日頃わが身が棚上げしているコトを、わが胸中で自問自答する起点にもなります。是非、あなたとミドリさんに音頭をとって貰って、いろいろとお話しできればありがたく思います。
たぶん来週には、この間私がちょっと忙しくしていたことをわかって頂ける「便り」がお届けできると思いますが、それが片付いてから、「四国お遍路・最終章」を仕上げるべく準備を進めています。予定では11月の勤労感謝の日ころには帰ってこられるだろうと思います。
12月にでも、そのご報告を兼ねてお会いできるといいですね。/お元気にお過ごし下さい。 2023-10-31 F-k-t