mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

流言蜚語を庶民大衆の武器とせよ

2023-09-30 09:41:49 | 日記
 昨日のブログで、「1968」に表題のような問題提起をしていた竹中労や太田龍に触れた。ふと、では「流言蜚語を庶民大衆の武器とせよ」ってどういうことよと自問したら、そうか、表題だけでは誤解を招くかも知れないと思った。
 どういう誤解か。「流言」という言葉の意味は「根拠のない噂を言いふらすこと。またはその噂」と国語辞典は読み解いてくれる。だがこの「根拠」って何かと自問すると、行き着く先は「権威」である。「誰それが言っていた」という誰それが、「権威筋の人」ならば、単なる噂ではなくなる。政府筋、警察官、学者あるいは専門家、新聞用語でいえば「権威筋の語るところに拠れば」ってこと。何に権威を認め、何を取るに足らないと考えているかは人によって変わるから、まずそこで世の中共通の「権威」って何? という疑問が生じる。
 その「権威」とかかわるが、誰がそれを伝えているか。だれからその「うわさ」を受けとったのか。そう詮議することが肝要と情報通・専門家は言うであろう。それは専門家のすること。庶民大衆は、そんなことをいちいち区別して聞いているわけではない。耳学問というのもそうだし、新聞や本を読んで、あるいはTVや映画を観て知ったことを、ひとつひとつコレは何チャンネルの何という番組で誰がどういう遣り取りの中で話したと、住所登録するようにコトバを繰り出していたら、きっとその人は埒外の人になってしまうであろう。
 噂だってそうだ。直に目にしたワケでもないのに伝え聞いたデキゴトを噂と呼ぶ。とすると、今の世の中に広まってワタシに届くデキゴトの大部分は「うわさ」である。百聞は一見にしかずという俚諺ですら、視覚を優先して聴覚を差別する言説と聞くと、そうだよなあ、どうしてワタシはそうだと思ってきたんだろうと自問に変わる。それの自答は、しかし、確かにそうだという経験的体感以外に応えようがない。それくらい私たちは言葉の洪水の中で言葉の文法構造を身に付け、用法に慣れ親しんで、しかもそれが文法構造をもっているとは意識もしないで、わが言葉として用いているのだ。それが庶民大衆。私のワタシである。
 だがちょっと考えてみると、私たちが日頃口にしている言葉も、根拠のない噂同然なのではないか。いつ身に付けたかも憶えていない。誰がそう言っていたかも分からず、ただ皆さんがそう遣っているからそうなんだと思い込んで身に付けてきた言葉を、ほぼ無意識のうちに繰り出して私たちは言葉を交わしている。これも「根拠のない言葉」といわれれば、絶句してしまうくらい心当たりのあることである。
 なにしろ9月は、防災の月というだけでなく今年は関東大震災百年であった。まさしく流言蜚語の暴走した朝鮮人虐殺の報道も、小池都知事や松野官房長官が何と言おうと否定しようもなく、沢山の映像や音声の証言がドキュメンタリーとして情報網にアップされた。
 その流言蜚語と「武器とせよ」という流言蜚語とはどう違うのか、違わないのか。そこに踏み込んでおかなくては、トランプ風の暴走へと向かいかねない。
 竹中労や太田龍が、どういう論理を用いて問題提起していたかはすっかり忘れた。だが今、ワタシがどう受け止めているかは言葉にできる。「どうしてワタシはそう思ってきたんだろうと自問。その自答は、しかし、確かにそうだという経験的体感以外に応えようがない」。でもそう応える振る舞いを保持してきたから。それについては、昨日のブログにも触れているからおおよそ誤解を招くことはあるまい。だが実は私の無意識も働いているから、そこへ踏み込んでみないとワタシ自身がどう暴走するかしないかは、ワカラナイ。もっとも暴走する力は、もはや体力的にない。だから不安にはならない。
 じつは「情報」そのものが流言蜚語となるわけではない。「情報」そのものは価値的には優劣なく所在している。ただ、送り手は(無意識にということが多くあるが)価値付けて送りだす。受け止める方も、自分好みの「情報」を聞き取る。つまり「情報」は厳密には「ものそれ自体」。それ自体は見えない。受け止めた瞬間すでにそれは、何らかの価値付けをされることになる。
 といいながら、この言い方も変だと思っている。「情報が所在している」という時点ですでに、情報は「ここにある」と目に止まっている。目に止まる瞬間からすでに価値づけられていると言うのであれば、「所在している」と表現するときすでに「価値づけられている」と言える。つまり「情報」はつねに価値づけられて私たちの前に登場する。「事実そのもの」は存在しない(も同然な)のだ。出来したデキゴトが、遭遇した人の心身を通して(無意識に)価値づけられ流言蜚語として流布する。
 誰が価値づけているのか? 言い出しっぺであり、伝言ゲームのような言い伝えっぺであり、受けとるヒトであり、受けとる人の集団で相乗されることにもなる。誰が誰と特定できないけれども、その「情報」に関わる人々のすべてが、あれこれと価値づけ、増幅し、ときには沈静化する。
 ということは多様な価値付けがあるってことではないか。むろんそうだ。
 俚諺にもあるように《流言は知者にとどまる》。「流言は愚者の間では次々とひろまるが、知者は聞いても人に言わないのでそこで止まってしまう」と国語辞典は解説している。
 いまも知者が、学者とか専門家とか、その筋の権威ある方として、詮議穿鑿してくれている。だから私たち愚者は、それをさらに伝言ゲームのように耳にして、真偽を確かめつつ「情報と認識」を身に付けるのだ。近頃、詐欺メールが隆盛である。同じようにサギ情報も横溢している。疑わざるべからず。だが一番に疑うべきは、無意識に振る舞っているワタシであるということ。これこそいの一番に疑問を振る向けなければならない。
 なるほど愚者と知者か。ははは。昔はそういう区分で「流言蜚語」を差別化していたわけだ。だが、今のご時世、愚者と知者と公言するだけでモンダイになる。「流言蜚語を武器とせよ」という提案自体、学者・専門家の「知」に疑念を呈し、庶民大衆の「情報」と「認識」を組織していこうという気概の発端となった。つまり愚者の武器として「流言蜚語」を再構成せよと訴えている。たぶんその気概にワタシのナニカが共感したのである。
 今日はここまでにするが、こうして考えていると、人の認識というのはなかなか奥深い文法構成をもっているように感じる。その途次に、心があり、関係感知の世界がヒトそれぞれに構成され、それが無意識の心身一如の動きになって、ヒトの交わりに繰り出されている。アタマって、そのどこに位置してるんだ? 集団的無意識って、どこでどう作動して流言蜚語を加速しあるいは減速するのだろうか。自問はつぎつぎと転がっていく。

地図をもっている

2023-09-29 07:14:17 | 日記
 ささらほうさら合宿に於ける私の「報告」は、ささらほうさらの源流に於いて私はどのような位置を占めていたかでした。しかしこれは、自分で自分の位置を俯瞰するような所業で、到底自分にはできないこと。でも、ひょっとしたらこういうことかなという話をしました。それに対して印象に残ったのはカワカミさんの指摘であった。ワカサさんの手になる記録「クロニケ」を引用する。

《カワカミ:地図を持っているんですよ、多分、全体の地図みたいなものを。それで位置づけられる、それが正しいかどうかは別として。そういう発想をする。だから門前の小僧というのは当たり前なわけで、その中に入って行くのではなくて、いろんなものを掴み取って自分の中の全体の中の地図に位置づけるということが得意というか、好きというか》

 地図をもっているという評価は、山歩きをする者としてはうれしい。でも何の地図だろう? 「全体の地図みたいなもの」って何だろう。
 138億年前のビッグバンから現在に至る大宇宙の大きな変遷、25億年程前の生命の誕生などという生命体の歩みの中の、長くみてもほんの20万年のホモ・サピエンスの、大きな流れを指しているのか?
 でも、こんなことはほんとうに「門前の小僧」の聞きかじりに過ぎない。
 そうか、私が高校社会科の教師をしていたために目を通すことになったあれこれの知識のことを指しているのか?
 もしそうだとしたら、一知半解、牽強付会、我田引水の集積のようなものだ。トランプならずとも、フェイクだと決めつけられたら即撤退の憂き目に遭うこと必定。誰もが知っていることを、まさかカワカミさんが「地図」と呼ぶわけがない。
 それに私は、そうした知識的理解を学問的にきっちり踏まえることをしていない。半世紀以上前、「1968」と後に称される大きな価値転換の騒動があったとき、学者知識人に対して庶民大衆を代表するように言説を紡いでいた竹中労や太田龍が「流言蜚語」を庶民大衆の武器とせよと言っていたことを思い出す。
 学問的な業績を踏まえもしない私は、それに類することをしていると思っている。ただ、自分がつかっている言葉の一つひとつを(自分流に)再定義することは、できる。昔からそうだったわけではない。いつしかそういう癖がついた。根拠を確かめながら(門前の小僧が耳にすることとなった)流言蜚語をわが言説とする「情報受容」の癖が身についてきた。
 なぜそうできているのか。わが身の裡でこうと思っていることの根拠は何かと自問自答するからだ。そのとき、学者・専門家の誰かがこう言ったという借用をしない。引用するほど自分の記憶力がいいわけではないし、そもそも厳密な読み取り方をしていない。メディアを信用もしていない。でも信じていないと言うほどの確信もない。
 どういう意味合いでワタシはその言葉をつかっているのだろうと自問する。わが身の通過してきた体験的な実感を通して、無意識につかっている言葉の定義を自答する。そのときに、世間の定義とワタシの定義の異なりを意識する。学校で教えているときにも、しばしば、世の中に流通する言葉とワタシの実感を通した言葉のズレや齟齬を感じることが多かった。それが余計に、ではお前さんはどう定義するのかと自問する。どうしてそのズレがあるのかと思いが走ることも多かったってワケだ。
 でも「全体の地図みたいなもの」は、それとは少し違うように思う。私の心当たりを探ってみる。すると、現代日本の文化状況への関心が浮かび上がる。政治・経済・社会・科学・文化などのジャーナリスティックな関心に近いか。私はそれを実践人生批判を名付けている。そうか、カワカミさんも「門前の小僧というのは当たり前なわけで」と、実践人生のプロと言っているわけだ。ふふふ。
 批判というのは、身に染みこんでいる無意識を一つひとつ取り出して意識化するというほどの意味合い。何しろカワカミさんが指摘するようにこれが専門というほどのものがない。ただ八十年の人生の実践者というだけの庶民大衆の生き方をしている。そのわが身を対象にして自問自答から人類史を取り出そうと口先では言い、こうやってブログにも書いているから、そういう「発想をする」所業がなんとなく「フジタという庶民大衆の生成マップ」に見えるのかも知れない。
 それがもしカワカミさんの謂うように、ほかの方々の立ち位置を措定するのに役立っているとしたら、これはワタシにとっては望外にうれしいことだ。多分そうであるのは、半世紀以上も共に過ごしてきた(同世代の文化の感触を共有してきた)身の響きがベースに通底しているからだろう。
 通底する響きというのは「権威」に対する用心深さなのかも知れない。人類史が誕生して以来、大自然の脅威に脅えそれと確執を醸し、ヒトとして集団的に様々な衣装を纏って対処してきた。それが自ずと身に染みこませる「権威」が、人の身を護ると共に、人の集団の狂気を胚胎させてきた。その、ほぼ無意識に沈み込んでいるワタシを意識化することによってしか、眼前の状況を突破する視界は開けない。大袈裟に言えばそういう気概が、八十路になってようやくちらついてきた。これが「全体の地図」か。
 「権威」に対する用心深さは、しかし、その他の人たちにはなかなか通用しない鏡かもしれない。高校同期生のseminarではそっぽを向かれ、大学の同級生にもメンドクサイヤツと敬遠されるようになった。
 カワカミさんもマサオキさんも口をそろえて私のことを「ふつうと違う」という。悪口を言う人たちではないし、すでに私は毀誉褒貶からは離脱して中動態へ進路をとると宣言した。ワタシの有り様を肯定的に見ていると勝手にうけとめて、活性剤にしている。
 世間並みの八十路爺と同じかどうかを気にして生きてきたわけではないから、そこはどっちでもいい。僻まず、怯まず、九十路爺への旅を歩き続けようか、と。

お喋りの航跡

2023-09-28 14:04:15 | 日記
 9月6、7日に行われたささらほうさらの合宿の記録「クロニケ」が届けられてきた。会のワカサさんが、彼自身の関心を引いた所をピックアップして文字に起こしている。それを読んでいると、思い思いにお喋りしている言の葉が、それぞれの人の無意識を映し出して、「お喋りの航跡」を浮かび上がらせている。ほとんど気を置かずに瞬発的に口をついて出る言葉が、「かんけい」を浮き彫りにするとでも言うか。
 実は合宿の翌日(2023-09-08)、「世界と仕事とワタシ」と題して記した、報告者・Oさんの「何も報告することがありません」ということに触れた私の感懐も、別様に見た方がよいと思われるところもあった。


《彼は「あれは(エクリチュールの)場があったからそうしただけ。場がなくなってみればそれで一つ切れるわけですから、おわったんですよ」と、自分の現在を悔やむでもなく持て余すようでもなく、「(世界への)関心がなくなった」とつぶやくように述懐する》


(1)「場があったからそうしただけ」というのは、よくわかる。私たちは場を得て仕事をやってきた。(場によって与えられた)役割を果たしてきたと言ってもいい。その主体の方からみると、仕事であってもわが身の内発的なモチーフと重なり合う部分があって、それを引き受けようとする。おカネを稼ぐために仕事をしていたとすると、その仕事が終われば、お役目は終わる。それがふつうの庶民と仕事のかかわりだ。私が9/8の「世界と仕事とワタシ」で記した仕事は、社会関係に於いて期待される役割とワタシとの齟齬がリタイア後の「ワタシへの旅」のモチーフとなったと記している。これは、ワタシとセカイとが不可分に意識されているからに外ならない。でも大抵のヒトは、そのように自ら(とセカイ)を意識していない。不可分どころか、世界は厳然と外部に立ちはだかっているのに、私と世界はひとつである。つまり幼子が親と分けられて意識していないように、一体となっている。だから世界から場が取り払われてお役目が終われば「やること」がなくなる。やりたいこともなくなる。
(2)「場があったからそうしただけ」というのは、ワタシが置かれた立場で期待されていることを果たすということだ。それがワタシと全く齟齬しなかったときは、場がなくなれば「期待される役割」から解放され、「おわったんですよ」と口にするのも無理はない。でも、もし齟齬があったとしても、それがなんだというのか。ワタシと世界との齟齬は数え切れないくらいあった。その一つひとつに向き合って、その齟齬はどういう意味を持っていたのかと考えることが、どれほどの意味を持つのか。そう考えるあなたの方が変わってる。そう「クロニケ」のお喋りは私に問いかけている。
(3)そうか、(1)の「やること」というのは、存在の社会的な意味を問うている。(2)の「(身を置いた)場とワタシの齟齬」とは、社会的意味の差異を問うている。だが、どちらも離れて、人の存在そのものをまるごと承認するっていうのは、意味などどっちでもいい。何もすることがなくてボーッと生きているってこと、存在そのものが、それでいいじゃないかとは言えないのか。Oさんの「報告することがない」というのは、そういうことを訴えているんじゃないか。


 とは言え、Oさんが言った「場がなくなれば切れる」とは、何が何と切れるのか。しかも「一つ切れる」というニュアンスである。単純に終わるということだけでない「含み」をもっている。それは、なにか。社会的舞台からは切れるけど、そこからOさんの、「与えられたのではない」別の場のナニカがあるかも知れないという余白が感じ取れる。
 私は単純に、セカイと世界と区分して、ワタシとワタシの無意識になっているセカイを、それとは違う人たちが感じ取っている世界と区分して考えている。その単純な腑分けに同意しないOさんのセカイに思いを寄せれば、「余白」というのが年寄りの老後に感じ取る曖昧模糊とした世界なのかも知れない。
 それが、ささらほうさらになることは、ワタシもそれとなく感じていることだ。ささらほうさらの人たちと言葉の交わせる場になるのかどうかはワカラナイが、Oさん自身がこれまでの身に堆積してきたコトゴトが作用して、あるときぷかりと胸中に湧いてくるかも知れない。お喋りの航跡が、ふとそんなことを思わせた。

保守自民とリビアの洪水

2023-09-27 08:09:42 | 日記
 目下の物価値上げに対処するために岸田首相が行う「経済対策」を聴いて、国家の神髄がここにあるのかと感じた。「主婦の年収の壁」を越えた場合の税負担増をカバーした企業に「補助金」を出すという提案。
 なんて時代遅れのことを言ってんだこの人は、と先ず思った。いや、いかにも自民党総裁だな。自民党が固守する「家族制度」同様、相変わらず家庭は主婦が守るという「旧時代の制度(アンシャン・レジーム)」を護ろうとしている。今八十路の私にとってすら、若いころから税収の家族制度は障害物であった。当時流行の言葉で言えば「共稼ぎ」。いや「とも働き」だよとメディアでは遣り取りしていたが、要するに働いているカミサンは(ということは亭主である私にとっても)「税制上の主婦」の恩恵を全くといっていいほど受けなかった。共働きは独立自営業者ってワケだ。もし「家族」を単位とするのであれば、「共稼ぎ」の主婦だって税制上の優遇を受けたっていいのに、そういう税制を考えるってことをしてこなかった。そればかりか、新しい時代に即した「家族」を守るセンスをどこかに置いてきぼりにして、「旧制度の保守」を自認してきていると、常々感じた来た。
 長く税制上の優遇を感じてきたのは、所謂大企業の勤め人。50歳程の、1990年ころに大学の同級生と会って話していて、金融機関に勤める彼らの年収が私の4倍もあるということを知った。いやその後も2000年に近いころ、私の姪っ子が大手金融業に勤める夫と共にスペイン語の研修に半年くらい派遣されたとき、家庭を守る主婦もその企業の一員として遇されていると聞いた。なるほど海外勤務をする社員は家族まるごとだし、子どもを育てるのも海外ってことになると、謂わば生涯の生活設計を全部企業に委ねるようなことも必要になると思った。と同時に、生涯を国内で過ごす市井の民には縁のない話と思っていた。
 自民党とそれに連なるご一統さんがアンシャン・レジームにしがみついているのはわからぬでもないが、もうそういう時代は終わっている。「主婦の年収の壁」などという税金の制度は、ほんの一握りの人たちの「特権」といってもいいくらい。しかも首相は、その税制に手を入れるのではなく、その税負担をカバーする手当てをした企業に補助金を出すという。つまり古いインフラには手を加えず、まさに応急の対処療法を講じるとしている。
 ああ、国の古いインフラに手を加えず放置して目前のトラブルに目をとられる、こういう手法がリビアの洪水に象徴されていると思った。リビアは「内戦」で二つの政府が争っているという。だが、日本も考えてみれば、大企業とその他の企業、富裕者とその他大勢、GDPと国民の日々の懐、旧制度と現実の家族の姿、こういう二元論は(私の)好みではないが、でもそのように二分されたかのように世の中のことが推し進められ、庶民は懸命にそれに適応しようと生きてきた。
 そしてあるとき、百年に一度という大変動に巻き込まれ、砂漠地帯を襲った洪水で、政府が調うべきインフラがすっかり老朽化していることに気づきもせず、ダムが決壊し、万単位の人が被災して行方知れずになっている。
 それと同じことが、場を変え、この世界の東端の列島でも起きているではないか。しかもこの保守を自認する政府は、相変わらず、政府が徴税し、補助金を企業にくれてやる方法で、国民の懐と国家の統治とを直結する「お役目」だけは手放さない。地方政府の徴税権と自治権をセットにして明け渡すという統治分割の手法を採用する絶好の機会を78年前に手に入れていたにもかかわらず、中央統治という仕組みを古いままに温存して、結局保守してきたのは明治維新以来の中央統治体制でしかなかった。
 そういうことが、岸田政府の手法で明らかになった。そう、列島国家の「核心」を感知したのでした。この列島の、古びたインフラが崩壊していくのせいで行方不明になっている人は、はたして幾人いるであろうか。その数さえもつかめない。つかもうともしていない国家と政治なんて、市井の民の社会にとって如何程の価値があるかも考えなければならない時節になった。これって、百年に一度って言えることかい?

モチベーションの素を湛えた湖

2023-09-26 07:14:52 | 日記
 涼しい気温に誘われて、昨日も8時半ころに散歩に出た。一昨日同様、午前中一杯歩くかと考え、お茶とクッキーを持って出た。見沼田圃のおおよそどの辺までいって、どのルートを通って戻ってきたら何時間という見当はついている。同じ道はできるだけ通らない。ま、謂わば散歩の一筆書きという塩梅だ。
 一昨日は日曜日、大崎公園へ立ち寄り、芝生に張り巡らされているテントと子どもたちの歓声を聞きながら一休みして、お茶を飲み、クッキーを口にする。若いママ・パパたちの振る舞いを目にして、時代の変わり様に思いを致す。手持ちの本を開いて少し読む。今日はこの辺でいいかと感じて、最短路を通って帰ってきた。2時間10分ほどの歩行時間。10.7km、14500歩。
 それよりは遠くへ行こう。ルートも同じ道を通らないと心して、細道へ入ったりする。初めて歩くルートもあったりする。おおおそこちらへ行けば、どの辺へ出ると地図を思い描きながら歩を進める。大崎公園へは寄らず、古い住宅地と畑や樹林の間を抜ける。落ち栗を拾っている老婆たちをみて見上げるとたわわな緑の毬栗がいくつもぶら下がっている。飯能市の栗山町の山を歩いたとき、山栗が一杯落ちていたことを思い出す。そのとき通りかかった地元の人が「猿はプライドが高いから落ち繰りは食べない」といったことを思い出した。
 曇り空に陽ざしが遮られて気持ちよく歩ける。
 歩きながら朝に思いついて書き記した「九十路爺への旅」のことが、胸中に甦る。そうか、今制作中の「山の本」が終わったら、「ささらほうさら 九十路爺への旅」と題して一冊にまとめようか。メイ・サートンじゃないが、「79歳の旅」を超えてわが身の変容と胸中に去来するわが人生のあれやこれやを往き来して、記しおくのも、悪くない。いや、後世に何かを伝えるのにイイとかワルイとか、意味があるとかないとかいっているのではない。こういう「歩く目標」を取り敢えず設定して、これから先を生きていく自分のモチベーションにしようという魂胆だ。
 高齢者になってから――私は前期高齢者と呼んだが――書き始めたブログがある。これは日誌のようなもの。旅の記録も山歩きの記録も何もかも放り込んでいる。もう15年分もあるから、何かをテーマにしてそれをピックアップし整理して、終盤戦と言ってもいい、末期高齢者の「人生テツガク」にまとめてみようか。うん、それはオモシロそうだ。
「ささらほうさら 九十路爺への旅」というタイトルも似つかわしい。「ささらほうさら」というのがどういう言葉なのかが、「はじめに」の要旨になるか。なぜ「九十路爺へ」なのかも、先月の「ささらほうさらの会」のデキゴトを含めるとわかりやすい。そうか、「解題」というのは、なぜそのタイトルを冠しているのかを解きほぐすってことか。これも「はじめに」に入るなあ。
 しかも「旅」だ。どこへ向かうか、どこで終わるか、それがわからないまま成り行きに任せて「ともかく歩いている」というのが「旅」だ。うんうん、そうだね。「九十路爺への旅」というのはなかなか含みの多いタイトルだね。
 そんなことを思うともなく考えながら歩いていたら、見沼田圃の東縁に出てしまった。当初ぼんやりと思っていたルートは、ここからさらに高台の樹木の養生地を経巡ってマルコを通り見沼自然公園へ行って、ベンチでお茶を飲み、クッキーを食べるコース。だが、喉も渇き、先程お茶も飲んだ。それにこの先1時間近くも遠くへ行くのは、ちょっとしんどい。そこまでに腰をかけたくなる。今日はもう、この辺で止めておこう。そう思って、見沼用水東縁を辿って帰ることにした。
 幼子二人を乗せたママチャリが傍らを通り過ぎたとき、「ほらっ、彼岸花だよ、きれいだね」とママが子どもに語りかける声が聞こえ、まわりに目をやる。確かに、赤い穂先を花火のように天に向けて咲き散らしている群落がそちこちにあった。胸中には「〽あ~か~いはなな~ら~まんじゅ~しゃ~げ~」と、4歳くらいのころ、目の前の田圃をみながら叔母が歌ってくれたのを思い出す。その叔母が、そのすぐあとに亡くなり酒樽のような座棺に納められ村のどこかに運ばれて木々を組んだ上に置かれて火で焼かれる様子が甦ってきた。そうか、そんなこともあったなあ。
 帰りの途次、調整池の土手を通っているときに、少し空腹を憶えた。一昨日日曜日にはソフトボールの練習や対抗試合で賑わっていた尾間木のグラウンドは、芝刈り機や芝刈り車が駆け回って整備をしている。ドッグランには車が何台も止まって、その向こうの芝地に犬が走り回っている。ちょうどベンチがあった。腰掛けてお茶を飲み、手持ちのクッキーの封を切る。
 こうして昨日は、2時間半余、13km、17600歩。
 ところが、帰ってみると「九十路爺への旅」のイメージはどこかへ。お昼を食べてのちはソファに横になり、ボーッとTVをみて、本も読まないで過ごすことになった。おいおい、こんなことでは山はおろか、お遍路にも行けないかも。
 そんなところへ1年間(2022-9-25)のブログ記事「言葉の向こうへ」が届けられた。私の山歩きをseminarで報告をして、最後の方にこんなことを記している。
《つまり、交わす言葉の向こう側に、それに関わる人達の生きているモチベーションの素を湛えた湖があるような気がしたのである》
 あっ、つい先日も同じような感懐を記した。そうだね、これが「ワタシの人生テツガク」かも。ぷかりとまた、モチベーションの泡が浮かんできたのでありました。