mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

天売島への旅(2)いろんなファインディング

2024-06-30 08:05:27 | 日記
 第二日。朝飯前の4時出発。宿から12kmほどの苫前町、古丹別川の河口、苫前橋へ向かう。などという川や橋の名前がわかったのは後のこと。
 事前にショウドウツバメの営巣地という情報を得ていたコバさんが、マップコードを摑んでいたから。マップコードが何であるかも知らなかった私が車のnaviを開くと「マップコード」を記入する欄が、ある。何桁かの数字を入れると車はそこへ案内してくれた。
 ところが着いたのは、葦原の中。車を回転できる草地がある。一軒、民家だろうか、「警察官立寄所」のシールを貼った家がある。誰もいる気配はない。「崖地がある」とコバさんは言う。葦原を掻き分けて入り込むわけにはいかない。スマホをみて周辺地図を検索していたシンさんが「すぐ傍に川がある。橋もある」というので、一度道路に出て、回り込むことにして見つかったのが、苫前橋と古丹別川の河口。
 草地に車を止め、海の方に見える「崖地」へ近づく。萱場を掻き分けるようにして川原に降り、引き潮のせいで歩ける河口の砂地を辿って崖地に向かう。いやそれも、じつは、足元は砂地に倒木と枯れ萱と石がゴロゴロと転がり、歩きにくいことこの上ない。私たちは、おずおずと向かった。だが、先に立ったコバさんは、勝手知ったるが如くに、ずんずんと海の方へ行って、崖を見上げている。私は、このルートファインディングが面白いとおもっていた。
 崖地の上の方には小さな穴がたくさん空いていて、餌を加えたショウドウツバメが出入りしている。コバさんは、あちらにもあると、双眼鏡を他の方に向けて、やはりたくさんの穴を出入りするツバメの姿を追っている。
 コバさんにタイショウと呼ばれているオモリさんは、来るのを逡巡している二人を呼びに萱場の方へ戻っていった。空は雲に蔽われ、今にも雨が落ちてきそう。海の上を、海面すれすれに鳥の群れが、どこか目指す地点があるかのように勢いよく、飛んでいく。あるいは飛んでくる。
 こうしてアッという間に3時間余が過ぎた。8時に宿に帰って朝食を摂る。いよいよ天売島へ渡るフェリーに乗るべく、港へ向かった。ところが、港に着いてみると、人の乗る予約はできていたが、車が乗る予約をしていない。フェリーの車乗船は満杯。港に置いていかねばならないとしても、せめて人だけでも渡って島での「足」は着いてから考えるしかないと私はおもっていた。だが手配したコバさんの仲介者の「権威」が(あったのだろうと推測しているが)作用してか、二台の車は乗せてもらえた。いや、よかった。天売島のレンタカーは軽が1台だけとも聞いた。マイクロバスは何台かあったが、レンタカーではない。こうした「トラブル」も旅のオモシロサ。ま、結果良ければすべて良しで、楽しんだ次第。
 天売島の手前に焼尻島がある。この島をヤギシリ・トウと呼ぶことを、私は初めて知った。出発前にそれを知ったことを書いたときに、ついついヤキジリ・トウと表記してしまったことに、いま気づいた。粗忽と言えば粗忽、何ともお粗末な注意力だ、我がことながら、それもこれも皆、歳の所為にして嘆かないようにしている。ははは。
 焼尻島を出た船は大きく西の方へ回り込むように進む。雲間にみえてきた天売島とは90度方角が違う。このとき私は、そうか、この二つの島は海の底から大きく起ち上がった山の頂なのだとおもった。水面の下になっているが、山嶺が海底から起ち上がり、突出した二つの頂だけが「島」として海面に顔を出している。その稜線に当たる凸凹を避けるために船は大きく回り込んでいるのだとおもった。海を渡るのも、こうした見えないことを想定してルートファインディングしているのだね。
 焼尻島の港には「焼尻フェリーターミナル」と記した建物があり、大きく「天の贈り物 オンコの島」と大書した看板を掲げている。その傍らのプレハブに自販機が置いてあり、その脇にパトカーが止まっていた。交番かと思ったが、そうではなかった。船から人が降りるとパトカーはどこかへ立ち去った。おまわりさんも島にやってくる人をいちいち見ているんだ。
 羽幌港から1時間半ほどで船は天売島に着き、皆さん車に乗って、まず港の高台に立つ宿へ向かう。ここへ荷を置いてすぐ、車で島内の探鳥に出かけた。
 あとでみた「国指定天売島鳥獣保護区案内図」では、島の主要周回路は、一本。海沿いに北西から南東へ3分の2ほどを周り、そこから島の背中を越えて北西へ戻る道。稜線を抜ける道はすれ違うには細いため、観光客で賑わう梅雨の期間はある区域を一方通行にしている。実はこの、環境省制作の地図、なぜか南北を逆に書いている。北が下、南が上。サミさんが口にするまで私はそれに気づかず、港が南端にあるものとばかりおもっていた。
 人って簡単に騙されてしまうものだね。その大元が、日頃、北を上として地図を見ている無意識がもたらしたもの。件の案内図もきちんと図中に北を示す矢印を付けているのに、無意識はそれをみていない。文字通りきちんとみることを習慣づけていないワタシのちゃらんぽらんが、騙される大元ってこと。おい、しっかりしろよ、ジブン。

天売島への旅(1)未知の土地を彷徨う面白さ

2024-06-29 14:43:41 | 日記
 おおよそ地理的知識のない土地を訪ねるというのは、心許ない。しかし、事前に情報を得てポイントを知っている方がいると大船に乗ったつもりになることができる。門前の小僧の私は、いつもこうして師匠とその鳥友のお誘いに便乗して、「つもり」どころか大船に乗って旅をする。あなたまかせのお気楽旅なのだ。
 新千歳空港に降りる直前、雲の下に機体が降りてきたとき、地面に広がる田畑が見事な大きい方形に区切られているのが目に入った。いかにも人の手によって切り開かれた大地。開拓時代から百五十年以上も経つのに、いまだ北海道という土地にこのような感触をおもうのは、弥生時代から手を入れて開墾してきたのとは違い、ほぼ手つかずの森林原野を切り開いた人為の暴力性に因るのかもしれない。
 2台のレンタカーを借りてスタートする。サミさんがハンドルを握り、私は助手席でナビに徹する。とはいえ、道筋を知るわけでもないから、車に付いたnaviを声に出して、サミさんに伝えるという安直なお役目。札幌市に入る辺りで高速は直進すると小樽方面へ向かう。最初の探鳥地、滝川へ行くには南から北上する高速へ移らなければならない。とおもっていたのに、先導車は直進する。
 ん? と、こちらの車内では類推がはじまる。
 海沿いの道を行くんじゃない? そちらの方がけしきもいいなじゃないか。
 ははは。いかにも埼玉県人の反応。海を観ると、それだけで心躍る。
 ところが高速を札幌で降りて道を探している。ん? 北へ行く高速へのインターチェンジを見失ったという。あとで地図を見ると、滝川市はだいぶ内陸にある。海沿いを走るのは留萌市を過ぎてからだとわかる。でも、こうして北海道の賑やかな街を抜け、ひっそりとした住宅地をみながら走るのも悪くない。高速で走るのは途中の眺めを抽象化してしまう。バサバサと切り捨てて、そうか捨象するって哲学用語で言っていたなあ、そこに住む人の佇まいも捨象されてしまう。見知らぬ土地へ来て、それをやってしまっては、何をしに来たのかわからなくなる。
 鳥観の人たちは、耳がいい。加えて目が敏い。車を走らせていて、鳥の鳴き声を聞き分ける。声を頼りに目を凝らし、鳥影を見つける。車もしたがって、速く走るというよりは、耳目のセンサーが働いて周囲を見回し、鳥を見極めるときには見極めるように速くも遅くもなる。まさしく鳥観に関心の深い達者たちが同行しているからこその、車旅にもなる。
 滝川公園は、おやこんなところが、と思うような質朴な佇まい。駐車場が、そもそも公園の正面ではなさそうだ。いやそれらしい入口がなかったのかもしれない。裏口から入り、もうすっかり塗料の剥がれ落ちた園内ガイド看板をみて先へ進む。南側に大きな沼をおいて、ミズナラやアカエゾマツの樹林が出迎える。その間に芝地が広がり、落葉広葉樹の灌木が生い育ち、すでに赤い葉を付けたナナカマドがひときわ異彩を放つ。設計され造園されはしたもののその後はほぼ放置されているような気配。空知川を歌った啄木の歌碑があった。こんな土地にまで彼は来ていたのか。アカゲラやニュウナイスズメ、ヒガラをみる。
 4時頃に切り上げて留萌を通り抜けて羽幌に向かう。5時48分、夕陽が雲間からサンピラーが海に落ちて、キラキラと輝きを見せる。一日の曇り空が見せるご褒美。夏至を過ぎたばかりとは言え、埼玉よりも30分は日没は早いのであろう。6時15分頃宿に着いた。
 夕食は7時半というので、それまでに風呂を済ませる。露天風呂の他にも、ジャグジーとか水風呂など7種もあって、風呂好きのサミさんは全部愉しんだと話していた。サウナもあったよと誰かに聞いて、それに入らなかったと残念がっていたのが、オモシロイ。
 夕食はお酒も入り、鳥を巡る言葉が飛び交う。ほんとうに鳥の取り付かれている様子が、聞いていて、みていて面白い。こういうことに全力投入することのできる人たち。それを媒介に、この人たちの友好も深まっていくようであった。
 翌朝は4時行動開始。3時に起きて用意するということで、9時過ぎに切り上げて、お開きにしたのであった。


余程のダメージ

2024-06-28 06:57:54 | 日記
 余程のダメージを受けていたのだろう。昨日一日、パソコンの前に座ることができなかった。ソファに横になっているといつしか眠ってしまう。こりゃあいかん。カミサンが3キロほど先へ買い物に行くというのに付き合って私も歩く。
 歩いているとそれなりに身が起きてくる。日差しは暑い。風があるから苦しくはない。汗を搔く。ペットボトルのお茶を立ち止まって飲む。カミサンがあれこれ話しかけてくれるのが、心地よく耳に響く。荷を背負って帰るときには、だんだんわが身のことだけに集中するのか、カミサンが後ろに離れて仕舞っているのに気づかない。ま、いいか。いつもこうやって勝手にしている。9600歩、7.1km。
 帰宅してからも、パソコンの前に座ろうとする気にならない。お昼を済ませてカミサンはTVを観ている。私も横になって映画を観ているつもりだったが、やはり眠っていて、気づくとすでに4時を過ぎている。これでやっと起きだしてPCの前に座って、やっと昨日の記事を書いた。背中のあばら骨の後辺りがず~んと思い感触をかもしている。
 夕食に取りかかったのは6時。旅の間に溜まった新聞を開くが、読み進める気がしない。見出しだけをパラパラと眺めて、ああ、阪神は2位、トップの広島に離されているなあと前半リーグ戦首位、交流戦ビリ、総じて2位という為体が、何となく阪神らしいと思う。
 カミサンは旅の間の録画をどんどん観て始末している。その一つのTVドラマを観て、シャワーを浴びて床に就いたのが、9時。寝られるかなあと思っていたのに、すぐに寝入ったのか、目が覚めたのは朝の5時半頃。トイレにも起きていない。これは、水分不足だね。
 北海道への旅が、これほどのタメージをわが身に与えているとはおもわなかった。この身の自然と我が思いの落差が、ワタシの心身一如が「まだまだだね」という段階にあることを意味している。
 でもこれじゃあ、夏の北アルプス一週間の縦走はムツカシイかなあ。とすると、それを小分けにして、二分割できるだろうか。3泊4日なら、間に2週
間ほどおいていけるかもしれない。でも槍への裏銀座の縦走は、そうはいかない。う~ん、ま、そうやって行程を考えるのも、山歩きの楽しみ。そうおもって、ゆっくりと計画しようか。

静かな生活に分け入る行動的な振る舞い

2024-06-27 10:05:43 | 日記
 天売島への旅から帰ってきました。羽田空港の集合が朝8時というのもゆっくりなら、帰るのも夕方6時半前。家へ帰り着くのも夜の8時頃というのも、いかにも年寄り向けのスケジュール。
 帰宅し風呂に入り夕食を軽く摂り、床についたのは10時頃。朝5時頃まで熟睡し、気持ちよく目覚めたのだが、もう一寝入りしてもいいような気分。起きてコーヒーを飲み、パソコンを開いてメールをチェック。旅の写真を取り込み、記録を書き始めようとした。だが、なんとなく取りかかるところにまで気持ちが乗らない。
 写真を見ているうちに、身の裡に降り積もった疲れが首筋を通って目のまぶたにやってきて、目を瞑ってしまいたくなる。疲れたときは休め、と歳をとってからわが身に言い聞かせている。ソファに移って横になる。す~っと寝入っていくような感じに、あっ、こういうのを寝落ちするっていうのかもと、関係ないことが思い浮かぶ。
 歩くことや体力には、リハビリ期間も終わって、それなりに自信をもっていないわけではなかった。しかし今回の鳥観の旅は、いつものそれに比してまったくきつかったわけでもないのに、全日程を終えて翌日の今日、身体が休みたがっている。
 ざっと、4日間の行動時間を振り返る。
 1日目、4時半に起きて朝食を摂り、6時過ぎに家を出た。羽田から新千歳に飛び、レンタカーに乗り換えて、一路羽幌港の方向へ進路をとる。途中の探鳥地を訪ね、宿に着いたのが6時半頃。風呂に入り夕食を終えたのは9時頃。10時前には床に就いたか。
 2日目、3時起き、4時に集合して宿から10数キロのショウドウツバメの営巣地をのぞきに行く。戻ってきて8時に朝食。10時過ぎの船に乗って天売島へ移動。車で移動しながら探鳥をする。午後1時過ぎに食堂へ入ってお昼を摂り、また島内を経巡って鳥見を続ける。この日は早く宿に戻り、風呂に入り、5時半から夕食。夜7時からウトウのねぐら入りを観に行く。送迎のマイクロバスが出て観察時間は1時間ほどだけれども、なかなかの醍醐味を感じた。
 帰ってきたのは8時半頃だったか。やはり9時には床に就いた。
 3日目、やはり3時起き。4時集合で島内探鳥に出発。8時の朝食に間に合うように宿に戻り、朝食後また少し、車で出かけ森の中を歩いて探鳥を行う。9時半頃に港へ行き、10時25分発の船で、焼尻島を経由して羽幌港へ戻る。ここから海岸線に沿って北上し、富士見町という名の付いた、晴れていれば利尻富士が見える土地まで出向いて探鳥。そこからとって返し、朱鞠内湖へと向かう。6時過ぎに朱鞠内湖傍の宿に入る。7時夕食。9時2はとこに就いたか。
 4日目、4時起床、5時に集合して朱鞠内湖のほとりを取り巻く森を散策して探鳥。宿に戻って8時に朝食。9時に出発。旭川に入って探鳥地の低い山へ登って探鳥。2時頃に切り上げて旭川空港へ行き、車を返し、チェックインして羽田へと戻ってきた。
 この行程を見る限り、私の日常生活と大きく食い違う点はない。ただひとつ、睡眠時間が少ない。いつもなら8時間から9時間ほど眠るのに、ほぼ6時間であった。加えて昼寝をしていない。
 もしこの疲れの要因を探ると、その睡眠時間。あとは、日頃慣れない鳥の達者たちと行を共にし、お喋りを耳にしていることに、ワタシが緊張していたことぐらいしか思い当たらない。そろそろ静かな生活をすることで、身を落ち着けなさいという天のお告げかもしれない。

道北西部の旅に、いざ

2024-06-23 05:12:06 | 日記
 師匠の鳥友のお誘いに便乗し、北海道の天売島へ行くことになった。その北にある利尻島や礼文島には山登りで行ったことがある。だが、少し南の焼尻島や天売島は初見の地。鳥友は皆さん練達の士。私だけ門前の小僧である。師匠のお付きとして、いつもお誘いを受けるとホイホイと飛び出していく。焼尻島をヤキジリ・トウと読むことも、初めて知った。
 これまで何度も北海道には脚を運んだ。しかし今回は、新千歳空港と帰りの旭川空港意外は、すべて初見の土地ばかり。新千歳から砂川市に立ち寄って森林性の鳥を探る。その後、留萌から羽幌港へ向かうが、果たしてどんな風情の町であるか。ルモイ、ハボロと聞いただけで、心躍る。
 北海道の地名は、音の響きに異国情調がある。いや、そう言うとアイヌを差別しているといわれるかも知れない。が、事実、アイヌの地名はヤマトの音と異なる響きをもつ。すぐに善し悪しでモノゴトを判断する人にとっては、差異を意識させることは、「サベツ的」と言うかもしれない。だが、そうじゃない。差異を意識して、なおかつ、その違いに分け入ることは、伝承されてきた文化の微細な違いに着眼し、その由来を辿る意味では、大切な振る舞いである。差異を知らないことこそ、差別の温床と直観的には思っている。
 翌日羽幌港から天売島に渡ってウトウやオロロン鳥などの海鳥を観察する。翌日とって返し、金浦原生花園を巡って、朱鞠内湖を探鳥する。これらは、平原や湿原の野鳥をとらえる絶好の場となる。その後にキトウシ森林公園とかを経巡って、旭川空港から帰ってこようという。全部企画者にお任せの旅。
 たぶん私が一番の年寄りかな。足腰がしっかりしていないと、先ず皆さんに迷惑を掛ける。私は鳥観の専門家たちの振る舞いを逐一拝見させていただく、門前の小僧。卑下しているのではない。一歩、ステップアウトして、鳥観の人たちを眺める立ち位置の違いを意識している。とはいえ、探鳥ということに関しては、とうてい力の及ばない方々。卑下ではなく、ワタシは卑小だと意識している。
 教わるという立場でもない。教わるということになると、教える側としては、導かねばならない責任関係を取り結ぶようになる。それが、門前の小僧には無用なのだ。放っておく/おかれる。勝手に、身辺を飛び回って五月蠅いと感じるかもしれない。そうなるのは、門前の小僧の不徳の致すところ。それさえもないように、静かに気配を消して、にもかかわらず、しっかりと居並ぶ達者たちの振る舞いを視界にとらえている。真似る、学ぶと、絵を描けば、なかなか格好の良い門前の小僧に見えるかもしれない。決してそんなことは、ない。学んだことも右から左へ抜けて言ってしまう。姿、気配を消すようにして、皆さんにぴったりくっ付いていることができれば、達者たちの探鳥会を観る門前の小僧という立ち位置が生じる。最上のできである。
 北海道の北部とはいえ、旭川と稚内との間の地、原野から南へ寄った名寄市の西辺りをうろうろと鳥を探して立ち回る。行程を地図で確認しながらワクワクしている。
 ま、そんなこんなで、またしばらく、このブログもお休みします。面白い土産話を書けるように、オモシロイ光景に出喰わしますように、祈りつつ。
 では、行って参ります。