mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

転ぶだけで骨が折れる年寄り

2020-11-30 19:31:46 | 日記
 
ひとめぐりして、なお、ややこしい。

 12年目に突入する外部記憶装置  11月30日は、11年前にこのブログがはじまった最初の日。2007年。65歳になった翌月に起ち上げた。今日から12年目に突入する......
 

 暦が12年、一巡りしました。今日から13年目突入です。私と同い年になったばかりのバイデンさんが、犬と遊んでいて捻挫したとニュースが言っています。そうなんです。転ぶとそれだけでカンタンに骨折するのが、年寄りってもんです。大統領なんて激務を、これから4年間やろうってんだから、フィジカルトレーナーをつけて、気を付けながら過ごさなきゃあと、ユナイテッド・ステイツに戻るアメリカのことを気遣っています。いやいや、当方は、のほほんと遊び暮らしています。山を歩くとき、ことに単独行のときは、骨を折ったりすると文字通り命取りになりますから、よほど用心して、自分の体とやり取りしながら、歩いていますよ。トレーナーをつけるような経済的ゆとりはないけど、アメリカの大統領のような仕事もありませんから、気分に任せてあちらへこちらへと遊び、歩き暮らしています。

 あすから、遠方へ2泊3日で出かけます。骨休めの旅ですが、さて、どんなことが起こるか。コロナだけは呼び寄せまいと気を付けて、ね。


天罰をどう呼び戻すか

2020-11-30 09:06:13 | 日記

 2020/11/17の本欄で、浅田次郎『マンチュリアン・リポートA MANCHURIAN REPORT』(講談社、2010年)を取り上げた。そのなかで、物語の分岐点としても取り上げられている万里の長城を舞台とした物語、浅田次郎『高く長い壁』(角川書店、2018年)を読んだ。前著で不完全燃焼しているこの作家自身の、日本軍の中国侵略への批判を少し燃焼させたのが後著、と私は読みとった。
『マンチュリアン・リポート』は天皇の密命を受けた将校が身をやつして張作霖暗殺の経緯を調べ午前に報告するという筋立てであった。当然視界は大局を見つめるようになり、調査報告も統治者の目線に絞られ、関東軍の動きも上層部の怪しげな蠢きを浮き彫りにするように話はすすんだ。だが、その大局を辿る著者の(現地調査の)視線は、軍内部のヒエラルヒーからもこぼれ落ちる「倫理性」に目が止まり、軍の大局視線からは大きく外れる現地住民の暮らしと憤懣に気持ちを寄せないではいられない。その思いを、南は南京後略、北は満州の鎮圧に傾ける軍事戦略のはざまで取り残される万里の長城付近の駐屯軍に起こる「事件」、小状況にことよせてミステリ仕立てにしたのが、『高く長い壁』である。
 大局と小状況を対比して考えてみると、目下のコロナウィルスに対する政府と東京都の齟齬と確執にも、思いが及ぶ。経済の衰微を大局と呼んでいいかどうかは議論もあろうが、政府が経済状況を勘案しているのに対して、東京都はコロナウィルスの広がりをみている。それを小状況とよぶのもまた、異論がないわけではなかろうが、小状況は東京都がよくつかんでいる。しかし、大局をみている(と考えている)政府は、小状況の権限を認めないで、末端まで支配が行き届くことと思っているから、go-toトラベル開始のときに、東京都を除外するという決定をしてしまった。ところが今になって、小状況をつかんでいる東京都が要請すれば受けると「責任を都に押し付けるような姿勢に転じた。それを都知事は遺恨をもって素知らぬ顔を続ける。政府は、go-toトラベル開始時のスタンスを変えたと表明すれば片づくことなのだが、メンツにこだわる現政権は、下駄を都に預けたまま、ワシャ知らんよという。こんなことをしていたのでは、都民は堪らないねといいたいが、もともと自助・自己責任で自己防衛しなさいというのが政府の基本姿勢なのだから、国民の方は、政府の無策には慣れている。こんな時にもしあなたがミステリ作家であれば、小状況のどのような事件を媒介にして、大局の無茶苦茶な無頓着で無策な様子を炙り出すか。そんな心もちで読むと、なかなかこれも、「高く長い壁」であることが読み取れよう。
 つまり、八百万の神をなんとなく信奉している庶民目線でいうと、政府がワシャ知らんよという顔をするのに対して、わしらも知らんもんねと、応じている。それが現実態。もし政府が、シモジモは金銭に触れることとなると素直に動くと金をちらつかせて庶民の琴線を揺さぶると、美味しい所だけ頂こうかなと元は己の納めた税金であることを忘れて得をした気になる。でも、それ以外のやりとりは、バカだなあ奴らはと白けてみている。私は、これはこれで、「高く長い壁」を掘り崩していく手立てになっていると思う。むろん長年かかるであろう。あるいは、「危機」を醸成して、わしらも知らんもんねという心持を保てないほど(為政者が)揺さぶってくることも経験上知らないわけではないから、用心はしている。だが、利用できることは利用する。でも利用されるのはまっぴらごめんと、距離を置いて眺めている。
 せいぜい、浅田次郎のようにミステリを仕組んで、「高く長い壁」に乗じて無策を続ける為政者たちに天罰が下ってくれないかと、祈っているのである。


コロナウィルス禍の思わぬ贈り物

2020-11-29 09:36:39 | 日記

    コロナウィルスのせいで、「ささらほうさら」の会合が今年2月以来、6月に1回開かれただけで、ずうっとお休みです。来月も予定しいたのに、コロナラッシュでまた休業。結局来年の3月までお休みすることになっています。
 言うまでもありませんが、休業補償はありません。ま、金銭に換算できる損失が有るわけじゃありません。でも、琴線に関わる「損失」を法的言語にして換算するのなら、どうなるか。言葉になりませんが、今の政府に、そういうことに関する補償能力があるとは考えられませんからね。当然申請しません。
 さてこの、ブログスペースの提供者から「1年前の記事を読んで感想を書いてください」というメールが送られてきます。去年の今頃何を考えていたかと感慨深く目を通しています。ちょうど去年(2019年)の11月の「ささらほうさら」の講師はmsokさん。この方のエクリチュールに触れたブログ記事(2019/11/28)「茫茫たる藝藝(4)あそびをせんとやうまれけむ」は、お前さんなんでこんなブログを日々更新して書いているの? と自問自答するのに似た、思いを綴っています。
 じつは、「ささらほうさら」がお休みになってからも毎月、私は「ささらほうさら・無冠」を作製して関係の方々に送っています。それに対する返信ハガキが、律義に毎回、msokさんから送られてくるのです。ま、お互い、近況報告のようなものですが、それは読み捨てるには惜しいほど「エクリチュールの遊び」に溢れています。コロナウィルス禍がもたらした思わぬ贈り物です。
 1年前のブログ記事に紹介したmsokさんの作文術、自称「枡埋め」はこう記しています。
 
《貧乏性ゆえか、いや実際幼少のころから貧乏でしたが、その所為もあって原稿用紙に余白があると何かひどく勿体なく思え、できることなら折角の四百もの桝目の凡てを埋めてやりたいと思うほどにその性向が勝っているのであります。》

 それを象徴するような彼からの葉書は、小さな文字でびっしりと埋められています。葉書裏面だけでなく、表面も住所宛名書きを上の方へググっと押しやって2/3を細かい文字で埋め尽くしています。一番多かったときは、400字詰め原稿用紙に換算すると4枚が収まっていたほどです。
 かつて、表面の半分までは埋めてもいいが、それ以上はダメと「通信法」か何かにあるとかないとか耳にしたことがあります。それでも日本郵便が配達してくれるのは、msokさんの娘さんがお仕事でJPに関係していることへの忖度でしょうか。まさかね。
 その便りが月一回届きます。それが楽しみで、私もまた、「ささらほうさら・無冠」を毎月書き記し、msokさんに送り届ける生活習慣病にどっぷりと浸っているわけです。もちろん、「ご返事無用」とときどき記すことを忘れていません。親しい中にも遠慮ありって言うではありませんか。msokさんの肺の持病が、このコロナウィルス禍で傷めつけられているのではないかと思いますから、無理はしないようにと気遣っているのです。その程度の分別は、お互いが後期高齢者ですから、身に付いています。暑い夏の最中、彼が熱中症にかかって点滴を受けたことも、この「枡埋め便り」によって知ることとなりました。でも、葉書が来るのを心待ちにしていないわけではありません。「元気だよ」という印です。
 ブログ記事も、考えてみれば、ひとつの「便り」です。目を通してくれる方が、あの方とあの方と・・と思い浮かべるのは、ちょっとした気力の持続につながります。よく人間関係論者が「褒めるといい」と関係術を言い立てますが、実は褒めなくてもいいのです。良いとか悪いとかはどちらでもよく、ただ、目を通してくれているという感触があれば、違いなんてどうでもいいのです。
 ブログ記事を書くような自問自答というのは、人の思索思考の本質であって、それ自体、褒めてくれなくても、その文章の存在がありましたよ、目を通しましたよと確信できる反応さえあれば、書き手の思いは半ば達成されています。ほかの方がそれに賛意を表明するか、批判をするかは、ほかの方のモンダイ。つまり、言説とか表現というのは、表明されたときに記述者の手を離れ、一人歩きする。その独り歩きがはじまった言説を、記述者も読者として読み取ればいいのです。
 自問自答というのは、言葉自体がある種の同義反復であるように、論理も表現もレトリックも、トートロジーです。繰り返しなのですね。ですから、誰かが書いたものを誰かが読むというのは、どう読んだかを問われない絶対性を持っています。言語の絶対性といってもいいほどの孤立性を有しているのです。その「意味の混沌の大海」に身を投げる行為が表現です。
 ただ大海へ投げた言葉の瓶詰が拾われて読まれているよということを知るのは、ある種の喜びにつながります。それが、msokさんの葉書なのです。


撤退戦を戦うトランプ

2020-11-28 09:20:04 | 日記

 大統領選で敗れたトランプが、籠城戦をするのかと懸念されていましたが、どうも、撤退戦に入ったようですね。12月の各州からの選挙人選出が「投票結果」の通りだったら、城を明け渡すと関係部署が明け渡しの準備に入ったとバイデン側に通告しました。トランプ本人は、あくまでも「不正選挙」を訴えてぎりぎりまで頑張ると気勢を張っていますが、ま、それは敗軍の将のつね、殿を務めるのが誰かはわかりませんが、このまま突き進むと籠城戦しか残らなくなり、それは討ち死にしか道が残されないと、彼の頭も理解したのでしょうね。
 あるいは、前代未聞の票を獲得したトランプを担ぐの人たちが、4年後を目指せと視野を広げたのかもしれません。つまりまだまだトランプ人気は、侮れないということです。
 トランプ人気が何を意味しているのか、相変わらず考えておかねばならないと思っています。ひとつリンクするのは、トランプの登場は、かつてのドイツにおけるナチスの登場と同じ質のものではないかということです。ナチスも、ワイマール共和国の「最も民主的な体制」のもとに誕生しました。第一次大戦後にドイツが背負うことになった過酷な負債に苦しむドイツ国民にとって、憤懣のはけ口は債権の行使を急ぐフランスなどの近隣諸国でした。そう言えばヒトラーは、優秀なゲルマン民族を旗印に掲げました。ちょうと都合のよい標的としてユダヤ人を見つけて槍玉にあげたのも、トランプの見つけた標的と同じですね。対立候補クリントンであったり、イスラエルに敵対するイランやテロリストであったり、果ては中国やコロナウィルスにまで、次から次へと標的をでっちあげてきました。それは自らを指示してくれる選挙民の歓心を買うための宣伝戦であったし、ウソでもなんでも百遍繰り返せばホントウになるという「マインカンプフ」の操作戦術と似たようなものです。ただ一つ違って幸いだったのは、トランプはナチスの親衛隊のような私兵をもっていなかったことです。プラウドボーイズや全米ライフル協会を私兵に育てようと思っていたのかもしれませんが、やはり彼らもアメリカ民主主義社会の育ち、そこまで利用されるほど馬鹿ではなかったといえるかもしれません。もっとも、そうは言っても、武器を持った彼らがいつまたトランプ親衛隊に豹変するかわかりません。大統領が正式に後退するまで、目が離せない所です。
 ナチスは敗戦によって解体され、ドイツ国民もそれを支えてきたことを肝に銘じて、戦後大胆な法的規制を自らに課しています。はたしてトランプの4年間をアメリカ国民がどう総括して、今後に活かすか。分裂を、ふたたびユナイテッドするのがバイデンのお仕事になるのでしょうが、ただのオバマ時代への復帰だとすると、また再びトランプ勢力は生きながらえるってことになるんじゃないか。そんなことを東洋の島国の片隅で私が心配するのは、国際政治がこれほど私たちの身近な暮らしにビンビン響いてくるようになったのは、やはりエゴ剥き出しのトランプ流が目に見えるように展開してみせてくれたおかげです。それは同時に、日本の政治もまた、トランプとほぼ同じ土俵で繰り広げられていることを如実に曝してくれています。国家の為政者が、こんな素人の私と同じセンスで、右往左往しているのかと思うと、安穏としているわけにはいかないと不安になるのです。
 民主主義というのは、素人が国家の運行を操船するようなものです。潮流を読み、星を見ていく先を見定め、いやそもそも、何処へ、なぜ向かうのかも、その都度見極めながらすすむのですから、船の能力や将来的なコトを見越した修復を重ねながら、重い荷や軽い荷の優先順位の評価をつけながら、降ろしたり積んだりしなくてはなりません。専制国家のように「優れた誰か」にすべて任せてのほほんとしていると、いつか経験したような沈没の憂き目をみないとも限りません。それらすべてが、「あなたの手にかかっています」と責任を押し付けられる。それが民主主義です。
 優秀な民族という甘言、偉大な国よ再びという願望、#ミー・ファーストというホンネ剥き出しの心地よさは、足元を危うくすることを肝に銘じなくてはなりません。いつも勝つことしか頭にないと、すべてがフェイクと謗りたくなっても来ます。トランプのデタラメなフェイク・ニューズは、まさしく民主主義時代の産み落としたものにほかなりません。
 多種多様な人々とかかわりあって世の荒波を航るには、いろいろな事態に遭遇することになります。挫けず、倦まず弛まず、雨にも負けず風にも負けない丈夫な体をもって、生きていってねと、次の世代に託す祈りを込めている次第です。


国家百年の大計

2020-11-27 11:10:31 | 日記

 学術会議の任命をめぐって、相変わらず説明しない/できない状態が続いている。「総合的俯瞰的に考えて」というのが、じつは政府の意向を忖度することを要請していることだと、安倍時代からのやり口をみていると推し測れる。つまり、気に食わない学者を排除するのだが、そうは口にできないから「総合的俯瞰的に考えて」「個々の人事案件には言及しない」と逃げようとしている。
 いや逃げているんじゃない。任命されなかったのは日本共産党の系列に属する人たちだから(排除したいの)だという、内調によるレッド・パージ復活のようなきな臭い流言も出回っている。陰謀論のような政治世界が好きな方々は(賛否どちらにせよ)、そういう言葉を弄んでいれば(自説を堅持しつづけることができて)結構なのだろう。だがふつうの庶民からすると、自分の頭の上のハエを追うことに夢中になっているとしか思えない。
 他方で、軍事研究に協力しないことへの批判じゃないかと、学問と政策との連携を図ろうとするモンダイとして、を正面から論じようとすることまで、蓋をしてしまうのかと思う。その善し悪しはとりあえず脇において、政府がそう考えているのなら、それを正面から論題として掲げて学術会議と論戦を交えることを避けて通らないでもらいたい、と思う。
 学術会議が、軍事研究への協力はしないと決議するのは、単にイデオロギー的な差異があるからではなく、歴史的な経緯がある。根底にある経験は、「政治への不信」だ。猪瀬直樹「昭和16年の敗戦」で明らかにされたように、太平洋戦争が不可避かどうかが論じられていた昭和16年に、当時の政府の、産業、軍事、学術など関連諸機関の俊才を集めて「日米もし戦わば」という机上の模擬戦を政府首脳も立ち会って行ったという。その結論は「敗戦」であった。にもかかわらず、無謀な戦争に突入したという「経験」は、学術と政治とを切り離して考えるという「教訓」を産んだ。その「教訓」は、原子力科学者が核開発に携わることとなり原爆や水爆を生み出して実戦に使用する結果を産んだ。そこにおける科学者の「敗北」を経験化したことも「教訓」に組み込まれている。
 もう一つある。戦後日本が、(アメリカの押し付けられたものであっても)新憲法の下で、平和主義を採用してきたのであるから、「政治への不信」は、戦前と戦後で別物と切り離して考えてもいいはずであった。だが戦後政治の過程は、GHQの変節も含めて、「政治への不信」を払拭することにならなかった。せめて、科学と政治の独立性を担保することを通じて、戦前と戦後の「政治への不信」を「教訓」として堅持してきたのが、学術会議の姿勢であった。
 それを転換しようというのであるなら、文字通り政治的な裏工作やタテマエ的な手続き論で片づけず、正面から切り込んで、「科学と国策の連携」を論題として、やり取りするべきである。そうした問題を脇において、「総合的俯瞰的に考えて」といっても、真意を隠して政治の意思を通そうとしているとしか映らない。「総合的俯瞰的に考え」ることの子細に立ち入って、政府が説明することを避けてきたために、現在の齟齬が生じ、相変わらず「政治への不信」が拭い去れないでいる。
 それと関連指摘になるのは、学問や芸術に対する国策の姿勢である。
 教育と並んで学問や芸術に対する政府の姿勢は「国家百年の大計」と呼ばれてきた。目先の効果や効率に左右されず、長い目で見て民生を豊かにしていくのは、国民に「希望をもたらす」意味でも、重要である。そこに育まれる「希望」には、誇らしさと自律する気高さが育まれるからだ。それは、目下の貧窮にも耐える力にもなるし、何より次の世代の「希望」につながって、国家社会存続の原動力になる。大雑把な見方でいうならば、いろいろなモンダイはあったが、明治維新から日露戦争までの日本の歩みは、その誇らしさに支えられていたと、司馬遼太郎が描いていたではないか。
「総合的俯瞰的な考え」というのは、須らく「国家百年の大計」でなくてはならない。
 ところが(バブル崩壊以降)21世紀に作用されている国策は、学問研究に対して「大学の独立行政法人化」を押し付け、競争原理を持ち出してコストパフォーマンスを問うようになり、なんの役に立つか、いくら儲かるかを学問研究に強いるという愚行を横行させてきている。これでは、「国家百年の大計」どころか、誇らしき研究の屋台骨もやせ細り、先の成果しか見えなくなってしまう。バブル時代に育って学問研究に打ち込んできた何千人という博士たちが、ポスドクと呼ばれる失業状態におかれ、ついには研究活動を断念するしかない状況に置かれている。
「総合的俯瞰的な考え」というのは、鷹揚であることを意味している。天空を舞う鷹のように、些事些末にこだわらず、ゆったりと百年の大計を与える如くに総合的俯瞰的に世の中を見つめる。民生を鳥瞰する。それが「希望」となっているか、誇らしさや気高さを体現しているかを確かめながら、寄り添って立ち尽くすことこそ、政治の信頼を取り戻し、ならばこそ、多少とも軍事に貢献する研究も必要であろうと国民が思うようになる。それを、長期的にみ通すのが、まさに「総合的俯瞰的な考え」なのだ。
 防衛論議の貧しさは、目先の損得と相手との力比べしか目に入らないやりとりにある。日本国憲法の前文が誇らしく掲げている「平和主義」の精神(「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」)を、今一度想い起して、その上に立って考えてもらいたいと思う。

《日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。》

 その誇らしさを、果たして戦後日本は築くことが出来たろうか。そのためには、アメリカとの関係もまた国民に隠さず、己に厳しく政府は取り仕切って行ってもらいたいものである。