mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

いやな予感

2018-01-31 09:25:26 | 日記
 
 明日と明後日は曇りと雪の予報。となると今週、山へ入るのは今日(1/31)しかないと思い定めて、行き先と地図を用意し弁当も作ってもらうことにして、昨夜は約床に就いた。山へ入る前日は特別のことがない限りお酒も口にしない。少し咳が出始めたのが気になったが、上々の調子と思っていた。ところが夜中に、咳き込んで目が覚める。それほどひどくはない。目覚ましが鳴る前に目を覚まし、「今日の山はやめるわ」とカミサンに声をかける。「今年のインフルエンザは熱が出なくて咳が出るそうよ」と返ってくる。
 
 それからもう一眠りして6時半ばに起きだし、いつものペースで家にいる。昔なら、少し風邪気味でも、山へ入れば歩いているうちに治ると言って、出かけたものだ。(昔なら)っていつごろ? とふと疑問に思って、もう10年以上になるこのブログの「過去帳」を「風邪気味」で検索してみた。私が「風邪気味」でなった記事は「2014年4月12日」、弟Jの通夜式の時。風邪気味の私に(夜をJの息子たちと一緒に過ごすのは)代わると息子が言って帰宅したと記してある。そのほかに2件の検索結果があったが、いずれも「風邪気味の人がいて嫌だった」とか「兄のHが風邪気味で」というもので、私自身のことではない。ということは、この10年余、風邪気味だったのは1回だけということか。
 
 私は気管支が弱い。疲れが出ると気管支炎を発症し、酷く咳き込む。まだ仕事の現役だったころ、ひと月近くインド・ヒマラヤの無名峰に登ったとき、帰りのニューデリーで医者に掛かった。退職後ネパール側からエベレストの登山ベースの少し上まで行ったときにも、下山後のネパールと乗り換え地のバンコクで医者に診てもらって応急の手当てを受けた。気管支炎の咳を止めるためであった。その後も何回か、長い山旅をすると発症したものだが、いつしかそれも遠ざかり、今は記憶にないほど咳き込んだこともなかった。
 
 それがどうして? と思う。疲れるほどの山歩きはしていない。インフルエンザか? 一昨日、映画を観に神田まで足を運んだ。電車などで咳き込む声を耳にはしたが、感染するような距離ではなかったと思う。また、帰宅してからすぐに手を洗い口を漱ぎ、感染を防ぐ用心はしたつもりでいる。にもかかわらずの、この咳き込み。

(1)歳をとって全般的に体が弱くなっている(だから感染しやすい)。寒さが身に堪えているのかもしれない。
(2)気力も相応に弱っているから用心している(身の衰えが歩調をそろえていて齟齬がない)。
 つまり、ほどほどの体力と意欲の低下が見合っていると、好感していいのかもしれない。もうがんばれない。それでいいのだというのも寂しいが、仕方がない。
 
 「今日はゆっくりなさいな」と言って、カミサンは北本の方へボランティアの探鳥ガイドに出かけて行った。はっきりと後期高齢者の暮らしがはじまっているのだね、私は。

そうか、自然に帰れ! か

2018-01-30 08:54:14 | 日記
 
 昨日の最後に「教えてよ、イワナミ映画さん」と記した。今朝夜明けにそれが夢の中に甦り、ひとつ思い浮かんだことがあった。
 
 映画『女の一生』の主人公の立ち位置は、ナイーブな女だったのか。伯爵家出身の世間知らずの女というのではなく、純朴で疑うことを知らない、まっすぐに生きる女という意味を読み取っていたのかもしれない。日本にいる私などからすると、カトリック的制約がないというだけでも、さらに枠を外した「まっすぐに生きる」と言うありかたを想いうかべてしまう。とすると、ヴェネツィア映画祭批評家連盟賞の選考委員たちも、そう読み取ったのか。
 
 もう少し深読みすると、近代の果てにある現代社会の流れに翻弄されて、人は「動物化」しつつある。ナイーブというのはそれを象徴する。映像のなかで何度も出てくる、畑を耕す、作物を育てるというのが、その象徴的表現だ。その果てに「絶望的になっている」主人公に対して(孫娘を連れてきて)「人生ってそう悪いモノじゃないでしょ」と(無一文になった主人公に)告げるのは、未来に残るかすかな「希望」だというのか。
 
 つまり言葉を変えて言うと、ヨーロッパの人たちが、自然に帰れ! と謂ったルソーの再発見をしているということか。イワナミ映画の上映作品選んでいる人たちも、西欧的教養にまみれ(日本の伝統的継承文化を忘れ)て「再発見」し、啓蒙的に喧伝しているつもりなのかもしれない。
 
 物語の読み取り方には二通りあると、國分功一郎がハーマン・メルヴィル『ビリー・バッド』を取り上げて、バーバラ・ジョンソンの評論を紹介していた。ジョンソンは、ビリーの立場でこの小説を読むのとクラッガートの立場で読むのとを対立させて、その双方が成立する、しかし両立することはない、《つまり、どちらかが正しいということはできない》と解析している。
 
(1)ビリーの立場というのは《何ごとをも素直に、字義通りに、額面通りに受け取る。……メルヴィルが晩年に「神」や「宿命」を受け容れたことの証として読む「受納」派の読解に対応する》形而上学的読解。
(2)《それに対し、この小説はこの世に対する抵抗であり、メルヴィルはビリーの悲劇を社会に対する一つの皮肉として描いたのだとする読解》をクラッガートの立場として提出する、精神分析的読解。
 
 國分の紹介は、それを発端にして、じつは、双方を同じ舞台に乗せて考えるシチュエーションがあると提示するところにある。それが「中動態の世界」なのだが、いまそこには踏み込まない(ちょっと借用するだけ)。ヴェネツィア映画祭批評家連盟賞の選考をする人たちだから、上記の(1)と(2)とを踏まえて、この映画に賞を与えたのであろう。それに追随して(だろうと思うが)イワナミ映画さんが上映することにしたのであろう。
 
 でも、もうそういう「自然」のとらえ方の時代ではなくなっているよ、と國分功一郎は提示している。詳しくは『中動態の世界』(医学書院、2017年)の終わりの方を参照していただきたい。「孫娘」が「希望」という、まるでパンドラのほこに残された唯一の宝物のように提示されると、まったくの先祖返りに思えてしまう。悪いと言っているのではない。ならば、ヨーロッパのひとたちは絶対神のことまでふくめて、ひっくり返してから、論じ始めなさいよと思ってしまう。國分功一郎は、そうはいわない。つまり私たちは、勝手に起点を決めてそこから人生や世界をはじめることなどできないと、「自由意志」を見切っている。それが中動態の世界なのだ。
 
 彼の言葉を借りるまでもない。私が常々、このブログで言い立ててきたことは、そういう中動態の世界であった。「いい」とか「わるい」とかいう前に、わが胸に手を当てて考えてごらん。「わたし」自体が、生命体35億年の進化を宿し、ホモ・サピエンス10万年の歩みに扶けられ、縄文のころからの列島民衆の文化的形象を受け継いできた「形象存在」にすぎない。ことばがそうであるように、感性も概念も思索も、ことごとく「わたし」のものは「みな」のもの。「わたし」は文化・環境の形成した存在。そのわずかの(かどうかはわからないが、DNAの違いも含めて)違いが、この顔とこの暮らし方と子の振る舞いの違いになっているに過ぎない。
 
 まあ、今朝ほどそんなことを床の中で夢見ながら、起きだしたのであった。あらためて、おはようございます。

「”女の本質”はそう変わらない」ってか?

2018-01-29 15:42:59 | 日記
 
 ステファヌ・ブリゼ監督『女の一生』(フランス映画、2016年)を観る。原作モーパッサンの映画化したもの。なんともつまらない作品だと、観終わった後、思った。なんでこんな映画を、いまどき、持ちあげて上映するのか、わからない。女性客がいっぱい。いつもなら3,40番くらいの入場順番が百番近い。2,3倍の入りだ。
 
《この上なく美しく、繊細に 人生の四季を描く世界文学の傑作が 新たな映像表現によみがえる。》
 
 とチラシの表書きに喧伝する。だがそうか。映像表現なら、もっと緊張感を持った映像はたくさんある。人生の四季とはいうが、娘と女と母親という女の一生をたどるのであれば、(今は)もっと多彩な要素をふくめねばなるまい。女性の社会的位置もモーパッサンの時代とは格段に異なっていることを考えれば、ただ懐古趣味的に、150年前を再現してみせるだけではリアリティに欠ける。観るものとの対話が成立しない。
 
 この上映をしている岩波映画が、ヴェネツィア映画祭2016国際批評家連盟賞を受賞したのを受けて輸入したのかもしれないが、もう少し自分なりの定見をもてよと、悪口も言いたくなった。でもでも、も少しチラシをよくみてみようと、帰りながら細かく読んだ。すると、
 
《恋愛、結婚、出産、子育て、親を看取ること――。置かれる立場や状況は違えど、”女の本質”はそう変わらない。こと世間知らずなお嬢様ジャンヌは、諸所のつまずきを正直に、まともにかぶってしまう。だから濃い物語が生まれる。濃いから面白く、目が離せない》
 
 と、掻い摘んで説明している。そうか「”女の本質”はそう変わらない」ってことか、ポイントは。これは女の本質はバカだと言ってるようなものだ。この岩波映画のチラシを書いたのは、ひょっとして男の社員か。女の本質は男に依存して経済的に世間知らずで、わが子に盲目ってことか? いまどきそんなことを「女の本質」などと言ったら、バカにするんじゃないよと女性社員に足蹴にされるに違いない。そのバカさ加減を「美しく繊細な……映像表現」に解消しようってのも、何だかあざとい。私に言わせれば、世界を見損なっている。岩波映画だけでなく、ヴェネツィア映画祭国際批評家連盟ってのも、なにに「批評性」を認めたのか、教えてもらいたいものだ。
 
 そうして最後の場面。何十年と借金をしてはカネオクレの手紙を書いて寄越しはするものの、一度も帰ってこない息子の子どもである孫娘を連れ帰った乳姉妹が「人生ってそう悪いモノじゃないでしょ」と無一文になった主人公に向かって言うに至っては、バカも極まれりだと思った。フランス(の社会)って(当時でも今でもいいが)、ここまで愚かしいのかい。それとも(貧富の格差が埋めようもないほど拡大している現代において)この最後の表現に、絶大な「皮肉」をみとめて批評家賞が与えられたのだろうか。教えてよ、イワナミ映画さん。

実務軽視と戦略重視の狭間にあること

2018-01-28 16:51:29 | 日記
 
 昨日(1/27)は36会Seminar。今回で第30回。満五年が完了する。思えば古稀の歳にはじめて、隔月に開いてきた。会場になる大学の、定年後も研究仕事をボランティア的に続けてきた人がいたからではあるが、同時に、Seminarをやろうよと発案した新橋の商店主、自動車会社の開発部門に身を置いた技術者などの同窓生が気を合わせたから、ここまで続けることができた。
 
 今回の講師は、その自動車をつくってきたmykさん。お題は「海外企業異文化の経験」。彼がかかわってきた海外の自動車会社、5カ国7社の、彼の関わってきた局面での「違和感」を拾い出し、そこに見える海外企業に身を置く人たちの気質、向き合い方を見極め、転じて、日本企業の、あるいは日本の人たちの特徴に言及して、問題点を取り出す。「今後いかに解決していくかが焦眉の急」ととりあえずの結論を述べて時間が来てしまった。
 
 車に関しては最先端を走る国々の経営陣や、これから自国の車の開発をすすめようという途上国への研修支援と技術援助の様子に共通して感じた「違和感」は、「実務軽視」と「戦略思考重視」であったようだ。米国とドイツの自動車会社の経営幹部は、R&D(research & development)に関心がなく、製造コスト切り下げを考えろと提示するだけ。つまり(車をつくるという)実務的な過程に立ち入らないで、経営・販売戦略的な「工程」を描いて「(実務の)現場」に指示するという。これは、「現場からのたたき上げ」を大切と考える日本の職人気質に合わない。たとえば日本企業の将来経営に携わるような新人でも、「現場から」と言って製造の現場や販売の現場に「研修」に出されるというのは、よく聞く話だ。つまり「会社」を一つの有機体とみているから、その隅々まで配慮が行き届くことにこそ、会社を切り回すものの精髄があると、見ているというわけだ。
 
 今も昔も同じかどうかはわからないが(もうずいぶん昔になる)、イギリスに進出した日本企業の経営トップが「社員食堂」で労働者と同じ食卓で食べるというのが「ニュース」になったことがあった。イギリスの経営者たちからすると、それはとんでもないこと(労働者たちに対しえ失礼だ)と受け止められたようだった。つまりイギリス人の階級意識からすると、経営者が社員食堂に立ち入るというのは(何か意図があってのことと)邪推を招くという論調であったか。
 
 ここにはたぶん、社会そのもののが育んできている「平等意識/市民意識」ひいては「会社(をどうとらえるかという)意識」が根を降ろしている。これは逆に経営者からすると、「企業の戦略的なこと」は経営者が担当して考えること。だから「コスト削減」となったら、製造過程でこれこれ、販売過程でこれこれと「削減目標」を提示してやるのが経営者。具体的にどこをどう削ってそれを実現するかは、製造過程や販売過程を担当している人たちが考えて実施することであって、それに立ち入ってああしろこうしろと指図がましいことをするのは、越権行為だとでも考えているのかもしれない。日本人の持っている「平等意識/市民意識」、ひいては「会社(をどうとらえているかという)意識」は、企業の上部に位置しているものでも現場仕事に従事しているものでも変わらないと、日本人ならば思っているということだ。企業を一体とみている感覚と経営者と労働者とを毅然と峻別している人たちとでは、やることなすことが違って当たり前ともいえる。
 
 mykさんは自己批評的な視点を外さないで「違和感」を話したから、一概にどちらがいいと決めつけるものとは明らかに異なっている。また私たちにとっても、国と地域が違えば、どうしてそういう違いが生じるのかわからない。私たち自身が「島国」で文化的に閉ざされてきていると言われてきたから、果たしてどちらが特殊なのかわからない。また同じドイツの企業でも、ずいぶんな違いがあったから、これもまた、お国柄の違いとしてみるわけにいかない点もある。今日、日本を見直そうというTV企画もずいぶんとあるし、日本人が、こんなところでこんなにも頑張っているとか、日本商品がこんなにも評判がいいという企画はあるが、それらはなんだか、自画自賛のような気配がして、あまり意味深いことだとは思えない。でもそうしたことを踏まえて、私たち自身を振り返る機会とするのは、意味多いことだと思う。時代と風土と気質と私たちの文化を、いいか悪いかは別として、特徴的に捉えるmykさんの視線こそが、彼のSeminarの提起していることではないかと、私は思った。

忘却とは忘れ去ることなり

2018-01-27 09:46:32 | 日記
 
 同窓の新年会がある。皆、後期高齢者だ。北海道にいる一人が「参加できないので、メール参加します」と、何通かのメールを送ってきた。その一つに、下記のようなことが記されていた。
 
****北海道からのメール
 
 今机の上にある本。〇「脳活道場スペシャル・車の運転脳強化90日間ドリル」(わかさ)〇「大人の国語力テスト1000」(青春出版社)〇「朝日脳活ブックス・思い出しトレーニング・昭和のできごと604問」(朝日新聞出版)〇「サビない脳をつくる健康習慣」(笠倉出版社)〇「やせたいなら肛筋を鍛えなさい」久嬢由起子(KADOKAWA)。
 一番上は毎週末買いに行くもみじ台のおかず屋近くの農協スーパーで、あとはいずれもCOOPの宅配で買った。市価より少し安いので、つい買ってしまう。まだ読んでいない。
 
 私の物忘れ対策は主に二つ。
(1)テレビで名前がすぐ出ない女子アナ、コメンテーター、女優などがいる時は、すぐ調べる。番組情報に書かれていればすぐ分かる。悔しいので、カレンダーの下の余白に名前を書いておく。最近のメモでは足立梨花、小池ゆり子、石原さとみなどの名がある。宮崎あおいもよく忘れ、何度も書いた。今の朝ドラの「葵わかな」も覚えにくい。一方、番組情報が不親切でわからない場合は、頭の中にマークしておく。
(2)思い出すまでしつこく考え、追う。女優の名前もそうだが、作家の名前も、すぐ資料は見ず、周辺情報を思い起こし何とか思い出しに務める。カズオ・イシグロ絡みの村上春樹の名前がでず、苦闘したのか、カレンダーにその名があった。一つの狙いは忘れやすい名前に何か法則性はないか探ること。何となく、学校時代のクラスメート、大人になって仕事や身の回りにいなかった苗字が、一因かと思ったが、必ずしもそうではなさそう。モノ、店の名前も出ない時はしつこく追う。引き出し力の強化に役立つと思うので。ただ先日2日間も思い出せなかったのは、大衆衣料品の「しまむら」と関連する「ユニクロ」。初めてスマホを使った。しまむらは地図機能で、ユニクロはファーストリテイリングという名前は憶えていたのでネット検索した。

 皆さんの秘伝を教えてください。それでは楽しい新年会を。
******
 
 いや一読、こんなこと(上記の1のようなこと)をしていたら病気になっちゃう、と思った。そこで、次のような「返信」を送った。
 
******* 北海道への返信メール
 
 いろいろとメールをありがとうございます。あなたの「努力」を思うと、涙ぐましいですね。私はとうてい、そんなことはできないなあと、慨嘆しています。私の気性に合わないように思います。
 たとえば、健康を保つためにジョギングをするとか、ボケないために脳トレをするというのに私は、ものすごく抵抗を感じます。昔からそうで、なんでも「おのずから……成るべくして成る」という「じねん」が性に合った向き合い方をしてきたなと思います。
 もちろん目の前に具体的な「目的」があるときには、それに合わせたトレーニングをします。ですが、歳をとり身体的に衰え思索力や記憶力が衰えていくというのは「目的」でも「目標」でもありませんから、自然に任せるようにしようと思っています。

 最近の人間工学では、「人はかくあるべし」というモデルを(その研究者や開発者自身がもっているという傾きを)意識しないで、人が心地よいと感じるのはかくかくしかじかであると決めてかかり、それがシステム化すると、今度は人間がそれに合わせて振る舞うようになります。駅の自動販売機の手続きなども、そのようにつくられています。つまり文化のデファクト・スタンダードが人を飼いならす。私たちがそれに適応するようになるわけです。
 そのようにして、いつのまにか人はふだん、4,5kmほども歩かなくなり、20kgほどのものも持ち歩けなくなってきました。そうして逆に、お祭りのようにウォーキングフェスティバルで、「楽しむ」ようにしています。なんだか文明病という気がするのですね。
 
 わざわざ「健康のために」トレーニングするよりは、「健康な暮らしをする」。病にならないように運動をするよりは、「運動」そのものを(暮らしの楽しみとして)日常化する。ボケないために「脳トレ」をするよりは、好みの本を読んだり文章を書いたりするということを「暮らし」そのものとする。そういうのが私の好みのありようなのです。
 ハウ・ツーものに傾注するよりも、あなたはフラダンスを踊り、若い女性にほれ込み、その方々と社会的なかかわりを持つ才能を全面開花させて、にぎやかに暮らす。その方があなたらしいと、私は羨ましく思ってきました。なんだか、ボケたり、身体的に衰えたりすることを予感して、慌てふためいているのではないかと感じました。恐れることなかれ。ボケればボケたで、周囲の人には迷惑でしょうが、それはそれで「わたし」なのだとカンネンするのが「年寄り」ってものじゃないか、と思ってすらいます。

 どんどん忘れる。自分が忘れたことも忘れる。いずれ我を忘れ、ということは世界を忘れる。独りになったことも忘れるというのが、人の歩む常道なのかどうかはわかりませんが、自ずからなるわが道なのよと見極めて、あまり先々のことを心配せずに過ごそうではありませんか。
 その一つが、明日の「新年会」。顔をみるだけでいいのです。まして、いいお酒を飲んで、おしゃべりをして過ごす。「わが青春の時代」を少しずつでも共有している人たちと、中間の社会的活動部分をごっそり除いて、今どう生きているか、自分の姿を鏡に映してみる。そんな集まりだと、愉しみにしています。あなたも是非一度、こちらに足を運びませんか。
 失礼を顧みず、勝手なことを言いました。 2018-1-25
******
 
 そうして昨日、久し振りにすっかり酔っぱらって、夜遅くご帰還。今日もまた、別の「新年会」がある。