mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

幸運に恵まれた北岳でブロッケンを観る

2015-07-31 15:29:10 | 日記

 28日の出発は、いつもの日帰り山行と違って、ゆっくり。夕方4時ころに登山口の山荘に到着する予定。正午ちょっと過ぎに甲府に着いて、参加の皆さんと合流。まずバスの切符売場で時刻を確認したところ、12時発がすでに出ていて、つぎは2時発の最終便。私が調べたのは、プランニング時点の冬タイムのものであったようである。鉄道の時刻表もそうだが、近頃こういう変更に何度か出くわしている。現地の運航が状況に対応して柔軟になっているのか。

 

 そのおかげで、駅ビルのチェーン・レストランに入ってゆっくりとお昼。現地でバスを降りてから5分ほどしか歩かないとあって、ビールを飲む人、甲州なのでワインを傾ける人、優雅な山行の入口となった。陽ざしは強く、気温は35度を超えている。

 

 バスは25人乗りくらいのマイクロ、車掌もついて昔風に切符を切り、出発地・行き先・料金の該当箇所にカチカチカチと鋏を入れる。座席の無い人も3人ほど乗る。芦安村の駐車場から先は、一般車は入れない。標高1400mの夜叉神峠のトンネルを抜けて野呂川左岸を500mほど下方に見ながら、うねうねと山肌に沿って45分も走る。道は一車線分しかなく、ところどころにすれ違うための余地がしつらえられている。小さなトンネルがいくつも抜け、両側からかぶさるような樹林の中を走る。いかにも山に来たという気分がすすむごとに増してくる。

 

 ほぼ2時間で広河原に着く。その先の北沢峠へ向かう人たちは、甲斐駒ヶ岳や仙丈が岳を目指すのであろう、ここでバスを乗り換える。私たちは、野呂川にかかる吊り橋を渡り、広河原山荘に入る。すでに、山荘前のベンチやテント場や河原に向かう広場には、たくさんの人がくつろいでいる。テント場にいるのは若い人、山荘に止まるのは年配者たちと、おおむね年齢層が別れている。若い人がこんなに多いんだと、登山離れを忘れてしまいそうになる。ただ、小学生の姿は見えない。それだけ、北岳が地味な山なのか、2番目じゃだめですかとあの国会議員のように小学生に尋ねたくなる。

 

 山荘の3階の部屋は、16人定員のところに10人。これくらいで、まずいっぱいという感じ。定員通りだと、身体の幅をとるのがやっと、寝返りを打つこともできないし、夜トイレに行くときは足を踏んづけなければならない。山荘の夕食には、カップワインが1杯ずつ付く。そうか山梨かここは、と思う。気温は20度くらいだろうか。寒くはないし、むろん、暑くはない。水は美味しい。ここで、のんびり本を読みながら過ごすのも、悪くはない。まさに避暑地だ。

 

 29日、朝4時起床。4時半朝食。15人くらいの団体さんが小屋の前で記念写真を撮るのを頼まれ、それと引き換えに、私たちも珍しく記念写真を撮って、5時30分過ぎに出発。一日晴れの予報だったのが、曇りに変わる。これはありがたい。暑い陽ざしに体力を奪われると、高度が高いだけに呼吸にも歩行にも多大の影響をもたらす。曇り空くらいがちょうど良い。

 

 二俣までは大樺沢沿いの2時間半の行程。標高差は700m。樹林の間を歩く。道中に花がたくさん咲いている。花の名前を良く知っている一人が、聞かれるとなんだかだと教えてくれる。片っ端から撮影するが、そのうち面倒になって、手を抜くようになる。タマガワホトトギス、キツリフネ、ジャコウソウ、ノリウツギ、シモツケソウ、レンゲショウマ、ソバナ、ヤマホタルブクロ、ヤマハハコ、キヌタソウ、名前のわからない木の一カ所に二つ付いた赤い実、オオカメノキの赤い実も美しい。センジュガンピ、ウメバチソウ、クガイソウ、ハバヤマボクチ、オヤマボクチの緑の花、グンナイフウロ、カラマツソウ、バイカウツギ、サワギク、カツラの実が小さいバナナの実のようで面白い。クモキリソウ、オドリコソウ、クルマユリが頭のすぐ上に赤い花をつけて垂れ下がる。オトギリソウの仲間か、ハクサンフウロも顔を出す。この後も花がいろいろとでてくるが、私のカメラに収めたのが58種類、名前のわからないものが何種類かある。

 

 御池小屋から二俣へほぼ等高線沿いにトラバースして、ここから大樺沢を八本歯のコルへ登る人もいる。私たちはここからぐいぐいと標高をあげて、このたくさんの花が、二俣から肩の小屋までの標高差800mの急斜面の登りの気分を和らげてくれる。このダケカンバの森を抜けると広いお花畑に出る。標高は2600mの少し手前。出発してから4時間、朝食を食べてから5時間経っている。ここでお昼にする。山荘で作ってくれたおにぎりの大きいのが二つ。「塩を使ってないわね」と、塩分が欲しい声が上がる。梅干し二つと沢庵二切れ。「これで800円じゃ、高い」とも。先ほど抜いた先行者が先へすすむ。ここから標高2750mまでに広がるお花畑には、マルバダケブキ、イブキトラノオ、タカネナデシコ、エゾシオガマ、ミヤマハナシノブ、ヤグルマソウ、オトリギソウ、アキノキリンソウ、トリカブトの仲間、イワオウギ、キンポウゲ、コゴメグサの仲間、バイケイソウの緑の花が後ろに立ちあがる稜線に視線を誘うように上へ伸びている。ハクサンチドリもポツンポツンとある。シナノキンバイが群落をつくっている。ヨツバシオガマの脇に、ピンク色の花をつけたなんとかチドリがある。あとで調べてみたら、手形チドリだった。ウサギギクが2輪鮮やかな黄色の花をつけて背伸びをしている。キバナノコマノツメというスミレの仲間が黄色の花をつけている。標高2800mになるとハイマツ帯に出る。ハイマツの花が咲いている。はハクサンイチゲやチングルマがそちこちに花をつけている。コケモモが岩陰に楚々として小さな花を下に向けている。標高1950mの小太郎からの合流点でルートは大きくカーブする。そのざれた稜線の広いところにたくさんに人が座り込んで、休んでいる。アオノツガザクラが白緑の花をつけて群れを成している。ミヤマヤハズハハコがこれから咲き始めるぞという気配の先端が赤い蕾を開きかけている。ミヤマクワガタが、他の背の高い植物を風よけにしているかのようにして咲いている。

 

 まだ11時にならない。「このままだと12時前に着いちゃうよ」「早く着いたら、どうしよう」という。だが、5時半発で行程6時間を歩くのだから、11時半についてちょうどコースタイムだ。お昼をふくめて12時なら、結構な歩き方と言わねばならない。風が吹き抜けて寒くなる。「身体を冷やさないように、行きましょう」と歩き始める。ツメクサの仲間だろうか、何種類かのちがった白い花が岩の間に広がる。トウヤクリンドウがある。山頂の方は霧がかかる。「ハイマツに霧となればライチョウですね」というと、目を皿のようにして、ライチョウ探しが始まる。チシマギキョウ、クロトウヒレンなどが、砂礫のざれ場に花をつけている。後ろから来た半ズボン姿のガイジンが「ライチョウいましたか?」と声をかけて追い抜いていく。霧の中に消えていくその姿は、寒くてふるえそうだが、彼は平気なようだ。身体の出来が違うってところか。岩場を越えたところで、向かいから来た若い4人連れとすれ違う。ライチョウをみた、という。「間の岳と北岳の間、子ども4羽を連れていた」といって、i-padを開く。目に焦点のあったライチョウの親鳥やひな鳥がそれぞれ一羽ずつも映っている。「いや、ラッキーでしたね。いい写真ですよ」というと嬉しそうに、何枚も撮影したと指先を右から左へ何度も動かして画面を見せてくれた。彼らはこれから広河原に降りるそうだが、4時前には着きそうだ。

 

 12時ころに小屋に着いた。標高3009mの肩の小屋。すでに小屋前のベンチに座って、宴会を開いている人たちもいる。手続きを済ませ説明を受ける。雨水は1リットル100円、飲み水は500ccのみねらるウォーター400円というのに目をむく。部屋に入る。汗に濡れた服を着替えて、荷物を片付け、このまま寝たら、夜寝られないよというので、外へ出る。寒いほど。羽毛服や雨具やフリースを着る。北岳の方へ登ってみようとするが、上は雲の中。降りてくる人たちも「なにも見えない」という。また部屋に戻って、4時45分の食事タイムまで横になってのんびりする。どやどやと男たち6人組が上がってくる。下で「左奥」と彼らに指示している声が聞こえ、私ともう一人は、すぐに自分たちの指定場所へ移る。ところが先頭で登ってきた人は、右側の部屋へ入る。右側の人たち10人ほどは下へ降りていて誰もいない。上がってきた人たちは「狭いなあ」などとにぎやかにおしゃべりしながら荷物を広げている様子。しばらくすると、小屋の従業員らしい女の人をともなって上がってきて、下へ移るかどうかと話しをしている。私たちの左の部屋へあとから来た人たちが入ればおさまるだろうが、こちらの部屋を覗き込みもしない。結局初めに右の部屋へ入っていたグループが全員下に降りることにして決着した。おかげで私たちの部屋は、13人定員のところ6人で過ごすことになった。

 

 4字45分の夕食を済ませて、外に出ると「水場」という表示を見つける。「往復30分」とある。テント泊に人たちのための水場だろうか。これなら降りて顔を洗って歯をみがいて顔を洗って帰ってきてもいいかなと、散歩代わりに水場へ行ってみることにした。テント場を過ぎて東斜面を下りはじめる。右の方に沢があるようだが、水が取れるのはウンと下の方だ。降りはじめでMrさんは断念しア。他の人たちはついてくる。ジグザグに道は下る。そろそろ沢へ寄ってみるかと私はざれた岩礫と岩を伝って沢へ降りる。だが、水を受けて流す鉄製の樋が乾いているだけ。水はちょろとも出ていない。ジグザグを下ってたKhさんが下の方にそれらしいものがあると声をかけてくれる。私は元へ戻らず、沢沿いの癌礫を伝って降る。滑りそうだし、岩雪崩を起こしていっしょに崩れ落ちてしまいそうな感じだ。なるほど、Khさんは目がいい。たしかに樋があって、水が出ている。ちょろちょろと。そこで水を汲み、歯を磨き、顔を洗い、Mrさんのペットボトルをいっぱいにして登りはじめる。飲んだ水の量よりも汗で流した量が多いのは、間違いない。標高差150mほどを登った感じだ。

 

 7時前には床に入ったが、8時半の消灯までうつらうつら。いつしか寝入って、一度目が覚めたのは11時半、つぎに2時ころ。つぎに気がつくと4時を過ぎていて、電燈は灯り、皆さん着替えもしている。起きて着替え、荷物を整える。4時半には荷物をもって下に降り、5時の食事のあとにトイレを済ませたら、すぐにでも出発しようと皆さんは構えている。標高3000mの空気の薄さが全く身に応えていない様子にホッとする。薄明るくなってきた。富士山が見える。鳳凰三山が見事に黒くシルエットをうかばせている。地蔵岳のオベリスクがすっきりと姿を立ててみせる。北の方には、甲斐駒ケ岳が、東には仙丈岳の黒い姿が屹立する。八ヶ岳の南部分は雲に覆われているが、北の蓼科山は独特の姿を独立峰のように現している。4時40分頃から並び、5時10分前に始まる朝食を頂く。夕食は7分で済ませた。朝食はその記録を抜くかなどと言いながら、ほぼ完食。体調はいいようだ。

 

 5時20分出発。雨着の上を羽織ったまんまで歩くのは暑かろうと、脱いでしまったが寒くはない。雲が取れて渓部分が黒々と深く、陽の当たるところに山の陰が映る。「影北だよ」と影富士をもじっていうが、ウケない。大きな岩場になる。つかむところに不自由はしないが、浮石があって危なっかしい。と、ガラガラと音がして、大きな岩がKhさんの足元に落ちている。痛めたかなと思ったが、Khさんは慎重に足を動かして、その大きな岩を両手でつかんで落ちないところ置く。あとで聞いたことだが、Khさんの先を歩いていた人ががさりと岩を落としてしまった、という。ずいぶん雑な歩き方をする人だと思っていたら、がさりと大きな岩を蹴飛ばして登り、それがKhさんの後ろを歩いていたMsさんに顔にぶつかりそうになった。Khさんはすぐに両手でその大岩を向こうへ押しやって岩壁に押し付けて落下の流れをずらし、足元へと落としたという。さすがに落とした人も気づいたようで、Khさんが上へあがってくるまではとどまって事態を確認していたようであった。やれやれ。これで怪我でもしたら、下山そのものが難しくなる。先行者と少し距離を置いて歩くようにする。

 

 山頂手前の岩場を歩いていると、西側に雲がかかる、東側から朝日が差し込む。「あっ、ブロッケンだ」と誰かが声をあげる。両手をかざすと、雲に我が姿の陰が映って両手を挙げ、手を振ると手を振る。虹色の後光が差している。ウホ―と声をあげる。山頂は雲の中だ。ここでしか見られないかも、とカメラを出して撮影する。後ろから来た高齢者2人連れが、「えっ、なんていうんですか」と聞く。「ブロッケン現象」と応えて、また手をかざし振る。「こんなものがみられるなんて、これだけで北岳に来た甲斐があった」と、後続の高齢者は喜んでいる。第一峰の山頂部を通り抜け、主峰に着いたのは6時5分。30分のコースタイムのところを45分かけて小屋から登っている。先ほど山頂を覆っていた雲は取れ、周りは360度見晴らせる。まず、記念写真を撮る。最後に他の方にお願いして、全員の記念写真を撮る。陽が昇りすぎて鳳凰三山は明るくシルエットがはっきり見えなくなる。甲斐駒や仙丈が岳は黒々した姿を変えて、カールもはっきりと見分けられる。2,30人は居たろうか。そこへ、北岳山荘の方から高校生たちがやってくる。総勢26人、東京工芸高校の生徒たち。今どき山岳部にこれほどの人数がいるのは珍しい。そのうち8割は女子という感じだ。しかも「東京A」とか「東京B」と表示してあるから、インターハイに出場したのであろう。聞くと、甲斐駒ケ岳に登り、昨日北岳山荘にテントを張り、今日これから広河原に向かうという。教師らしき人は3人。たいへんだろうなと思うが、生徒たちは「やったぞおー」と言いたそうな喜びようだ。続々と北岳山荘の方からもやってくる。私たちも25分もいたから、席を空けることにする。

 

 6時半、下山開始。10時20分に間に合わせることはしないから、ゆっくり降りましょうと岩場を折りはじめる。難しいところはないが、すれ違う人が多い。岩場が終わるところが、八本歯のコルへの分岐だ。そこからお花畑がはじまる。キタダケソウが群落をつくるところだが、一月前に終わっている。変わってハクサンイチゲ、チョウノスケソウ、ウスユキソウ、キンロバイ、イブキジャコウソウなどが咲き乱れる。名前のわからない白い花もある。ルートが山荘への分岐に着くと後は、岩場になる。一人高齢者が座り込んでいる。どこをどう歩けばいいか迷っていて、お先へどうぞという。岩につけられたマークは薄くなってわかりにくい。大きな岩ばかりのところをひょいひょいと伝って歩くのは、慣れない人には怖いだろうなと思う。岩が終わるところから梯子を伝い、八本歯のコルに至る。その先は梯子が断続し、登ってくる人とすれ違い、ぐいぐいと標高を下げていく。下から見上げると北岳バットレスが大きな岸壁を起ち上げて聳える。すごいなあ、と声が出る。

 

 大樺沢の岩礫帯に出ると登山道も広くなり、すれ違う不都合もなくなる。若い人たちが結構多い。中学生を交えて高校生の合宿が上ってくる。私立の学校なのだろう。16人と聞いたが、それも人数は多い方だ。上級生が大きな荷物をかついでいる。中学生からすると「神様」にみえるに違いない。1時間歩いたところで一休みする。下の方に雪渓が見える。上ってくる人は、私たち下山組の顔をみて、「羨ましいなあ、いい顔をしている」と声をあげる。Kwさんが「なら、降りれば……」とヤジで応える。でも、この暑い陽ざしのなかを登るのはたいへんだなあと、Khさん。昨日の私たちはほんとうにラッキーであった。

 

 雪渓の上部に着いた。せっかくもってきたのだから、アイゼンで楽に下ろうよと、雪渓に乗り出す。MrさんとMsさんは雪の上でバランスがとりにくいと、腰が引ける。と、アイゼンが利かなくなり、滑る。Khさんにぶつかってとまる。もう一人はずるずると滑りはじめてとまらない。Khさんが駆け下りて、下で止める。「滑ったのは楽だった」と後で感想をしていたが、2人はそこで雪面から降りてアイゼンをしまった。雪渓はすっかり地面についていて、融けて落ちる心配がまったくなかった。残りは楽ちんな下りを楽しんで、下で二人を待ち受ける。9時15分、二俣に着く。ここから2時間ほどのコースタイム表示がある。私がみたガイドブックでは1時間半だが、2時間ほどが妥当だろうと読む。

 

 しかしここから、脚の下肢が脱力するような不安定を感じるとTさん。後ろを歩くよりは先頭を歩かせてと、とつとつと歩度をすすめる。もう花をみて愛でる元気はない。い仰がなくても11時半には着けるから、とゆっくり行くように言う。途中、脚を冷やすスプレーをかける。二度目に休んだときには、流れ落ちる沢の水に浸したタオルで下肢のひざ部分を冷やす。これはずいぶん聞いたようだが、それでも歩いていると、不安定さはほぐれない。当人にとっては這う這うの体であろうが、出発した山荘に着いた。11時40分。出発して、6時間20分。いい歩きであった。水場で顔を洗い、水を補給して、広河原のバス停に着き、すぐにバスチケットを購入し、甲府行きの列に荷物を置く。よく冷えた車内で、うつらうつらしていたから、それほど長い時間かかったようには思わなかった。

 

 甲府に着いたのは、2時40分。近くの「ほうとうの店」に入り、「かぼちゃのほうとう」をいただき、特急あずさに乗ってさかさかと帰還。よく無事に、3000m峰へ登ってきたものだと、安堵している。こういうことはこの後、そう何度もあるまい。

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陣笠のシニシズム

2015-07-28 07:13:07 | 日記

 安保法案の審議が参院に移ったが、それよりも何よりも、私は自民党の国会議員に対する「規制」がイヤな感じである。TVに出るな、アンケートに応えるなと「引き締めに懸命」というのであるが、彼ら国会議員は自らを何だと思っているのだろうか。「国会議員が国民の違憲を代表する」というのは、「党が代表する」というのとは全然異なる。不祥事があって比例区選出国会議員の辞任が問題になるときも、「党を除籍/離脱」しても「国会議員資格」を失わないのは、個々の人が「代表している」とみているからである。

 

 55年体制のときの自民党は、それこそ論議百出といわれるくらいピンからキリまで意見が分かれた。つまり、政権に結びつくメリットだけで野合していて、その分、派閥に分かれていわば「内々のかたち」で論議をしていたとみることができる。それが内部の力関係の変化を醸し長期政権のエネルギーに転嫁していたと言える。それでも大きな問題を抱えたときの「引き締め」はあったし、野党からすると「陣笠代議士」と呼ばれる形がよくみられた。とどのつまり日本の民主主義は「数」ではないかと言われる「常識」が広がったのも、この「陣笠」のおかげである。

 

 これが「同調圧力」と言われて、日本社会の集団規範の悪評例になるほど非難されてきたことは、良く知られている。ことに日本社会が高度消費社会に移行したころから、個性が強調され、「同調」が非難され、オンリーワンが歌になるほど固有性が尊重されるようなご時世になった。だがやはり、それは「文化の変化」と呼ぶにはまだまだと言わねばならないほど、表層だけの変化だったようだ。

 

 この(個別性尊重の)表層は、経済社会の付加価値創出現場にだけ通用するコトと言いかえることができる。言葉を換えれば、創造的なエリートにおいては「オンリーワン」が大切であるが、それにしたがって作業をする「労働力商品」とすると、従順で同調的な低賃金を受け容れるものがよいと、はっきり区別している。アベノミクスをみていると、その仕訳をしながら、雇用する側が自在性を獲得し有利に事を運ぶ制度設計へと移りつつある。あきらかに雇用される側が不安定になる方向へ舵を切りつつある。「オンリーワン」という社会的掛け声が、そのような制度設計に利用されていることを、忘れるわけにはいかない。

 

 それを「代議士」が証明してみせた。自民党の衆議院議員に対する党の規制が受け容れられて、皆さん「同調」している。まさに「陣笠」に戻った瞬間である。これが参院に移って、同じ場面を繰り返すのだろうか。「同調圧力」を非難していたいじめ問題に取り組む議員たちが、これにどう「反抗」したか聞いてみたいものだ。

 

 私は陣笠に期待はしない。彼らは頭数であり、とどのつまり自分の意見を確立し公表し大衆の意見にしていくことを「執行部任せ」にして、「数」として右往左往するだけの金食い虫である。むろん、かつての戦闘では「陣笠」はそれなりの力を発揮した。「執行部」の戦略戦術の手足となって、人々を動員する人力としてである。公明党も、けっきょく自民党の手足をなって、細々と命脈をつないでいる一派閥に過ぎない。

 

 戦後70年の総決算をみたところ、結局ほとんど一歩も動いていなかったという慨嘆は、世界や世間に対してではない。己に対するシニシズムである。やめたやめた。山に籠って、座禅でも組まねばならないのかもしれない。

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暑さを逃れて、高い山に向かう。ではでは。

2015-07-27 17:29:49 | 日記

 やはり台風は、熱帯低気圧になった。山には影響がなく、北岳に行くことにした。大急ぎで「校正刷り」に手を入れて、先ほど出版社へ送った。デザイナーが「こんな感じで考えている」として試作した「表紙モデル」に使った毛筆フォントを、そのまま使っていることに気づいた。こちらの指定した手書きの題字と違うのだ。たしかに間違うくらい、こちら指定の題字は「本格的」。メールを送って指摘したが、「最初に送ってもらったものを使っている」とかんちがいに気づいていない。あらためて、兄の自筆墨書題字を送って、吟味してもらうことにした。

 

 北岳参加者の一人が「腰が不安定になった」と、不参加を知らせてきた。やむを得ない。74歳の方だから、よくぞここまでがんばっていると思う。「皆さんに迷惑をかけてはいけないから」というのも、2泊3日の行程とあっては、そのまま受け入れる。「お大事に」というほかない。明日からの地図をつくり、8月山行の日程や10月以降の「2015年度後期山行計画(案)」をつくって、今回お休みする人へも郵送する手はずを整える。だんだん山がきつくなっているのかもしれない。年々皆さん、齢をとる。そこへもってきて、お孫さんが生まれる。連れ合いが高齢化し、世話が必要になる。何かと忙しく、月一回の山歩きがおぼつかなくなってきている。中には、長く連れ添ったペットが高齢化して、世話が焼けるようになった。家を開けられないという人もいる。致し方ない。気儘に遊び食らうというのも、案外、時節というか、周辺環境のタイミングがうまく合わなければならないと言えそうだ。

 

 明日から三日間山に入るから、その間に期限が来る本を図書館に返しに行く。今日は月曜日、図書館はお休み。投げ入れの返却ボックスに放り込む。図書館だけでない。プラザ・イーストという建物全体が休刊日。区役所へまわって、入口にある郵便ポストに山関係の手紙を放り込む。これで明日の午後には届くに違いない。

 

 暑い陽ざしなのに、自転車で動いていると風が来て、苦しくない。さすがに歩いている人は少ない。さいたま市のスピーカーが「埼玉県から光化学スモッグ注意報が発令されました」と放送している。「発令中は外で運動するのを控え、できるだけ外出しないで、注意してください」と懇切丁寧である。内陸の埼玉県はことに気温が上がるからなのだろうが、明日から行く北岳も山梨県という内陸。標高が高いから気温は10度台なのだろうが、それともて、日差しを浴びながら歩いては、熱中症になってしまう。

 

 トラックがいきなり止まり、窓から首を出した運転手が「中尾小学校ってどこにありますか」と尋ねる。ぱっと頭に浮かんだ小学校が「なかお」と言ったかどうか一瞬迷ったが、そこの道路を渡って左へ行けば小学校がある、と教える。「ありがとう」といってトラックは行ったのだが、5分ほどして、また同じトラックに出逢ってしまった。運転手が「向こうへ渡るのはどこから?」と聞く。ひとつ信号を外したら、向こうへ渡るところを見失ったというのだ。そうそう、この、片側2車線の新産業道路は、ここ2年ほどで整備されてきた道路だから、古い道との接続がぎくしゃくしていて、信号機もそんなに設置されていないのだ。ほんの50mほど戻って渡りなさいと後ろを指さす。このトラックにはnaviもないだろうし、大変だなあ、この暑いのにと同情する。

 

 帰宅して、山用具を出す。わずか20分ほどだのに、汗びっしょり。家にいても熱中症になりそうだ。同じなるなら、山に入っていた方がいいと、勝手な理屈を考えて、明日からに備える。このブログも、31日にお目にかかる。ではでは。

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もうひと頑張り。よし、っと

2015-07-26 09:14:39 | 日記

 昨日昼の予報では、「台風12号は27日には熱帯低気圧に変わる」という。よし、これで28日からの山は実施と決めて、皆さんに連絡した。「やるぞ」「愉しみ」「頑張ります」という意気込みの返信が届く。そうして昨日は、二か月に1回のSeminarに出かけて、無事に終わり、会食で心地よく酔っぱらい、10時ころに帰宅。シャワーを浴びてすぐに寝てしまった。

 

 今朝の台風情報をみていると、進路は相変わらずのろのろだが、九州を縦断しそう。そうして九州の北のところから、「中国地方を横断するかもしれません」と言っている。熱帯低気圧になるという話は、どこやらへ行ってしまったようだ。パソコンで、「気象庁の台風情報」を検索する。ここでは72時間先の進路予報まで少し拡大してみることができる。なんと、28日午前3時に、鳥取県の少し沖合に中心が位置して、東へ向かっている。私たちが山に入る28日お昼頃には、北岳も暴風雨圏に入りそうな様子だ。これじゃとても、入山はできない。そもそもバスが止まるかもしれない。慌てて皆さんに、「今夜判断する。切符は明日買うようにして下さい」と連絡する。朝令暮改もいいところだが、まあこれも、大自然相手では仕方がない。

 

 亡き母親の「祈念誌」のプリントアウトしたものが送られてきた。「目を通して校正し、明日までに送り返してくれ」とある。なるほど本職のやることは、丁寧というか、念には念をつがえというふうに、取りこぼしの隙を失くする手順を踏むのだと思った。

 

 手を入れる。と、やはり取りこぼしがある。すでに訂正を要請していたところは、それなりに直されているが、間に合わなかったところは、そのままだ。そうしてふとみると、すっかり落ちている部分がある。気がつかなかった。まだ全体の5分の1くらいしか見ていないが、目がしょぼしょぼして続けることができない。まあ、休み休み明日までに片づけて、こいつを送ってから山に入る。帰ってくる頃に再び、最後の刷り上がりが出来して送り届けられる。それをさらに最終校正して、送り返したら、あとは印刷製本にかかるという手順だ。私の方は、それを放り込んだら、北海道へ出かける。これが1週間の山になるから、何とも慌ただしい。

 

 忙しくしていられるのは、年寄りにはありがたいことと、そういえば、どなたか昨日言っていた。そう思って、暑さをものともせずに、もうひと頑張りしなくちゃならない。よし、っと。

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平凡な日常の裏側に狂う生き方

2015-07-24 15:29:45 | 日記

 伊坂幸太郎『ラッシュライフ』(新潮社、2002年)を読む。「ラッシュ」というのが何を意味しているだろうと、考えながら読みすすむ。ラッシュ・アワーや通勤ラッシュというような、人の群れが押し寄せて、それに追われるような、「忙しない人生」だろうか。それともラッシュ・フィルムというような、「粗削りな」というか「編集作業の手が入っていない」、つまり、人間の意思が統御していない人生だろうか。rush。

 

 どれも違った。いやひょっとしたら、どれも当たっているかもしれない。退屈な繰り返される日々の中に起こる裂け目のような出来事、その組み合わせがあちらこちらで起きて、狂おしい。常軌を逸していることの中で人生の根っこにある真理性に気づいて、すべてを失くしていることのさわやかさを感得するみずみずしさ。lush。

 

 伊坂はlush の両義[生い茂る豊潤/酔っぱらい]を用いてタイトルをつけたようだが、rushのいくつかの意味を当てはめても通用する物語になっている。ま、通勤電車の中で読むのに手頃なお話しだが、この作家は、ちょっとした目利きのような人に対する視線をもっているから、退屈しないで読んだ。

 

 来週の山を実施するかどうか、むつかしいところにある。山小屋はすでに予約しているから、足を運べばいいのだが、台風12号が近づいて来そうな気配を見せている。のろのろと時速15km。当初、三日前は西から北へ方向を変えて、27日ごろ関東直撃の様子であった。台風一過の晴天になるかと期待していた。ところが、西への移動が続く。やっと今日あたり南大東島にある。沖縄を通過した辺りから北へ方向転換し、日本海へ入るらしい。そこで北東へ向かう。28日に能登沖あいと思っていたのが、鳥取の沖合をうろついている。となると、29日にも、南東に伸びた台風の腕が影響しては来ないか。なにしろ標高が3000mの高山帯だ。西1000kmの天候がじかに現れる。富士山頂では九州の荒れ模様がみられる。そういうことを考えて、落ち着かない。

 

 今日は、来月初めに北海道へ行く最後のミーティング。1人が車で先発するために、飛行機に積み込めないガスのボンベなどはそちらに引き渡さなければならない。ところが、頼んだ食事メニューがまだできていない。どれくらいの熱量をつかうか私は心配しているのだが、メニュー担当の相棒は、とんと気にしていない。まあいいか、三日くらいの間、湯だけ沸かせばいいと考えて、用意した。二の重さもあるが、若い時のようにやたらとハンドメイドにしない。軽ければ、お湯を注ぐだけで一食が出来上がる携帯食を用意すると、7食分で済む。停滞の予備食も含めて、10食分。約3kg以下の重量。半シュラフをシュラフカバーと組み合わせて済ませる。全体で12kg程度に抑えられれば、何とか元気に歩けるだろう。そんなことを考えながら準備をしている間が、愉しい。

 

 思えば、山歩きというのは(初めての山だとことに)想定通りにはいかないことが多い。なぜか、いつも不思議に思うのだが、二度目の山はラクなのだ。人様を案内する山の下見というのは、登山路の様子を見るよりも、一度目の苦しさを味わって二度目の難儀を楽にするためではないかとさえ、私は思う。北岳は何度か歩いた山だから、心配してはいないが、幌尻岳ははじめての山。ラッシュライフじゃないが、ラシュ・クライミング。もちろん忙しなく登るじゃなく、豊潤な登山。でも日常から外れて、とち狂うような世界に身を置くことになる。lushってところか。坦々と歩んできた人生のが、じつは山狂いであったというのも、話しとしてはオチがつく。

 

 そういうわけでこれから、山狂いのミーティングに足を運ぶ。

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