mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

心裡を歩いた。

2022-04-21 06:43:51 | 日記

 昨日(4/20)大谷石採石場跡を訪ねた。入口から石の階段を数段下りつづく踊り場を緩やかに降りるを繰り返して、ゆっくりと下へ進む。暗闇に目が慣れてくると、二十メートル以上も上の天井まで広がる巨大な空間の壁面が、ことごとく細かな手彫りの跡を残していることに気づく。床面の石は乾いていて滑らない。所々に設えられた灯りがその巨大さを標すように下の方に続いている。
 あっ、これは「わたし」の心裡だと思った。手彫りのあとは時間の堆積、踏み歩いた「わたし」の痕跡。だれと、いつ、なにがあってこうなったかはすっかり忘れたが、ひとつひとつが、たしかに痕跡として刻まれている。そうか、心裡というのは、無意識でもある。今そこに降りたって浸っているのだと感じた。
 言葉はなくてもいい。ほのかな灯りがありさえすれば、わが身の裡に刻まれた人類史とも謂うべき痕跡を感じることができる。
 でも、「わたし」って、こんなに乾いていたのかと、ぷかりと問いが泡のように浮かんできた。一番下に降り立ったとき、その問いの応えがみえてきた。最下層に水が溜まっていたのだ。水溜まりではない。地底湖と、それを識る人は呼んでいたし地底湖をボートで繰り出すツアーもあるというから、相当に奥行きをもっているのであろう。長年の手彫りの痕跡と共に湧き起こった感情の気泡が、これまた年を重ねてゆっくりと結露し、水滴となって溜まり、こうした地底湖をなしているのか、と。さざ波もたてず鎮まっている。乾いているわけじゃないんだ。
 我思う・・・のまえに、われ感じる故に我ありき、と実感した。


ぶらり遍路の旅に出ます。

2022-04-20 07:59:28 | 日記

    明日から私は、四国のお遍路の旅に出ます。僧・空海(弘法大師)が歩き開いた八十八ヶ寺。1200年前、平安時代の話です。じつは17年前に一度お遍路を始めたことがあります。2005年1月に足かけ6日間、1番札所から19番札所まで歩いています。なぜ19番で止めたのかよく分かりませんが、古い日誌を読み返してみると退職後に『奥日光自然観察ガイド』という本を編集して出版社に話を持ちかけていたのを山と溪谷社が上梓してくれることになり、戻ってきてすぐに目次や索引を作る仕事を手がけていますから、大喜びでお遍路を切り上げてきたのかも知れません。
 信仰心が、全く感じられませんね。いや、今でも信仰心があるかというと、ない方だなあと自分のことを感じています。ただ、宗教的な信仰心ではありませんが、自然に対する深い敬意や畏れを抱いていることは間違いありませんから、原始的な信仰心は持っていると言っていいでしょうね。
 でも信仰心からではなく、
(1)四国の香川県に生まれて、都合9年間高松で育った。
(2)一年前の山の事故でリハビリを続けてきたが、どうやら平地は歩けるようになった。山を歩けるかどうかは試してみなくては分からない。ならば、四国のお遍路さんは経巡る道筋はよく踏まれている。 順番もはっきりしていて、(空海ゆかりの土地を全部巡るか、88ヶ寺を巡るかで)距離も1100㌔~1400㌔もある。歩いて経巡るのは、山歩きに似て、良いトレーニングになる。
(3)17年前の残りを続ければ、1100㌔くらいになる。1日平均30㌔歩けば、37日で88番札所に到着する。
(4)その到着した翌日に岡山で、高校の同窓会が予定されている。おお、ちょうどいいではないか。
 というわけで、明日からお遍路に出かけることにしました。5/28の同窓会は、コロナの影響で実施するかどうかがまだ決まらないのですが、決まろうと決まるまいと、それとは別に四国のお遍路に出かける。
 飽きちゃって、途中で切り上げるかも知れない。これは身が保たないわと諦めるかも知れない。信仰心から出ていればなかなか途中で切り上げるのは難しいかも知れませんが、元々がそうではないのですから、気楽なものです。ぶらり遍路の旅というか、ちゃらんぽらん遍路の旅というか。ひょっとすると歩いてあれこれ考えているうちに人生の普遍的なモノゴトを悟達するという遍路の旅ではなく、すっかり人生を忘れて偏った道へ踏み込む偏路の旅になったり、自分の体力とギリギリの勝負をしたりする辺路の旅だったりするかも知れません。ま、それはそれで、歩き遍路の醍醐味。味わってきましょう、というわけです。
 一番小さい孫娘が、あと一月ちょっとで14歳になります。今ちょうど私は、その6倍の年齢生きていることになります。若い頃と歳をとってからとは、モノゴトの感じ方も考え方もすっかり変わります。昔はそれを知恵がつくと謂って年の功を讃えたものでした。ですが近年のデジタル化社会では、アナログ世代の私たちはITのアルゴリズムに馴染めず、世の中から取り残されていっているように感じます。
 あ、淋しいってワケじゃないんです。そうやって年寄りは世の中から退出するんだなあって、感慨深く来し方を振り返っているわけです。面白い、良い人生でした。その感謝の気持ちを、何か大きな大宇宙というか、大自然に届けたい、そう思って歩いてみようと思っています。お大師さんには超越的な大自然の依代になって頂こうってワケです。同行(同行)二人と修行的な意味を込めて謂われますが、私の場合は、同行(どうこう)2人というもう一人の私との旅と、以前お話ししました。でも、依代になって頂くと謂うことでしたら、お大師さんとご一緒に歩かせて頂きます。
 せめて日頃の「わたし」を離脱して、来し方への感謝をしようというわけですから、ほとんどクセになっているブログなどからも離れて、わが身を振り返りつつ歩光と、思っています。そういうわけで、6月になるまで、このブログもお休みします。戻ってきてから、果たしてご報告する心持ちを持っているでしょうか。すっかり現世から解脱して、一切皆空となっているでしょうか。
 行ってきます。皆さま、ごきげんよう。


世界をすべて感じ取る若さ

2022-04-19 15:22:34 | 日記

 今朝の外気温は、10℃。空は晴れ、気持ちがいいと私より早く起きて外へ出たのだろう、カミサンが言う。あなたは夏が好きだからねと返すと、嬉しそうに、そう、冬に夏が好きっていうと誰でもそうよといわれるでしょうけど、夏の暑い盛りに夏が好きって思うの、と本当にいい季節が来たっていうような顔をしている。
 そのカミサンが、若いって凄いねと話す。一昨日、40代の若い人を案内して、秋ヶ瀬公園を歩いた。ユウガギクをみつけ、それを話題にしたとき、当の若い人が、そうですね、ほんのりとした香りが素敵ですねと応じて、はっと気づいたという。そんなことを言う人は、はじめて、と。
 いつもは還暦を過ぎた人たちが相手。その人たちで香りを話題にした人はいなかった。歳をとると、鼻が利かなくなる。年寄りは「優雅菊」と思うらしい。だがじつは、「柚香菊」。香りでその存在を知る。それが名前の由来。自然を感知することを、若いってことは、すべてで受けとっているんだ。歳をとるってことは、世界感知が部分的になっているんだと、気づいたってわけ。
 そうだね。全身で感じ取る自然が、年を経て傾きがクセとなり、それに感知能力の劣化が重なって、断片化してくるってワケか。人とは世代を超えて付き合う必要があるな。そうでないと、世代的な身体的制約を何時しか受け容れて、感じ取る世界が狭くなってしまう。でもね、そうやって緩やかに現世と離れていって、何時しか彼岸に脚を突っ込んでいるっていうのが、いいんじゃないの? そういう声も聞こえる。
 年寄りばかりと付き合っている間に、相手が逝ってしまい、そうこうして自分も身罷る。感じ取る世界が狭くなっていくってのは、ひょっとするとミクロの世界に踏み込んでいるのかも知れない。視線がマクロに向かっているときは、自分のイメージモデルと食い違ってやきもきしたことも、ミクロの世界に目を向けてみると、なんだ、やきもきの淵源がこんな所にあったんだと気づくことが多くなった。やきもきした自分が恥ずかしくなる。世界が狭いっていうよりも、一番の大切な真実が手元にあったってことを識る。チルチルミチルの青い鳥を見つけるようなこと。
 そうして青い鳥を手に入れたジジイは、でもこれって、俺が手に入れたかったことなんだろうかと自問自答しながら答えを得ることもなく、若さへの嫉妬も感じることなく、それはそれでいいじゃないのと、思うのでした。
 知らない世界って、ずいぶんあるのよね。


何が不安なのか?

2022-04-18 06:37:34 | 日記

 お遍路の用意をしている。Googlemapの道案内を使えるかどうかを、昨日試してみた。2キロほど離れたところにある図書館までの往復を案内して貰った。スマホ画面に現れる矢印の表示が進む方向と一致しないのが気になるが、自分がいる現在地と考えれば、わかりやすい。この案内特性が分かれば、迷子になる心配はない。
 思いつく毎に、荷を一部屋に集める。結構な分量になる。リュックをどれにするか、迷っているが、昔を思えば、それほどの着替えがあったわけじゃないし、洗濯も出来るだろう。おっ、洗剤も去年入院していたときのコンパクトな小パックを持っていくか。季節柄、防寒もそれほど必要あるまい。逆に、ふだんずいぶん物に取り囲まれて贅沢に過ごしていると思う。
 雨の備えをする。山歩きと同じと考えているが、この一年の間に雨を厭う気分が私の身の裡に芽生えているのかも知れない。あれこれと濡れないように着替えなどを整えすぎる。ごくごくシンプルにと考える。準備していることが即ち、物との断捨離をすることになる。
 まだ四日あるのに、何だか心裡に小さい不安が、ある。何だろう、この気分は。お遍路のいいところは、行き先が決まっていること。自分は何処へ向かっているのかという不安は、持たなくていい。宿なども整えられているから、困ることはない。前日に予約して縦走する小屋泊まりの山歩きと同じだ。道だって、人里の道路。踏み跡を追うのと違って、「へんろ石」とか、案内標識を見落とさないようにすることではずだ。にも拘わらず胸中にわだかまるこの不安は、一体何だ?
 ちょっと思い当たるのは、私自身が思っているペースで歩けるだろうかという不安。つまり体力が落ちていて、一日平均25㌔のペースでプランニングしたように進めないのではないか。カミサンに話すと、そんなことは融通が利くのだから心配することはないじゃないと、笑っている。そうなんだよな。山歩きの3分ほどはルートファインディングと考えていたころは、それもワクワクする大きな要素であった。それに比すると、お遍路の道は、むしろ物足りないくらい。人、土地、食べ物、暮らし方。全く知らない土地なのに、四国の生まれというだけで手放しで故郷に帰るような気分になっているのも、心躍ること。旅としてはワクワクしていいはずなのに、自分の体力が落ちているということを突きつけられるのが、不安なのか。
 そう思えば、自身が今年八十になるということを、身を以て承知する旅になる。それをすんなりと認めたくないというナニカが、わだかまりの源なのか。でもそれって、ヘンだなあ。私の身がこれまでに保ってきた挑戦的なスタンスを変えなければならない事態にあることを、わが身が承服したくないってことか、心根が試したくないってことか。試した結果、「現実」を突きつけられるのを(先読みして)不安に感じているのか。
 となると一つ、1日平均25㌔という歩行ペースを20㌔に変えて、行程表を作っておけばいいかと思案している。


体力が落ちているのか?

2022-04-16 09:25:12 | 日記

 どうしたのだろう、いくらでも寝られる。春眠はとっくに過ぎて、もう夏日になったりしているのに、8時間も9時間も目が覚めない。6時には起こしてほしいとカミサンに頼んでいるのに、たっぷり9時間寝て声を掛けられても、目を開くのに、両手を借りてまぶたを押し下げなければならない。どうしたのだろう?
 思えば、山の事故があって1年余、この1年間山らしい山に入っていない。ハイキング程度。歩く力だけは落とすまいと、出来るだけ歩いてきた。片道5㌔、往復10㌔のリハビリも歩いて通う。毎日2時間程度なら歩き続けられる。4時間から6時間程度のハイキングは、草臥れずに行ってくることが出来る。では、何日か続く縦走登山となると、どうだろう。
 そう思って、体力チェックをすることにした。四国のお遍路旅を歩いてみようというのである。いつかも書いたが、信仰心はない。だから「同行二人」の「行」は「ぎょう」ではなく、「こう」。もうひとりの「わたし」と一緒に、行けるところまで行ってみる。急がない。草臥れたら停滞する。道に迷わず、宿さえ確保できたら、心配はない。
 山と溪谷社発行の『四国八十八カ所05』を、私は持っている。じつは、2005年の1月下旬に一番札所から19番札所まで5日間ほど歩いたことがある。お遍路の謂れでは、「発心」といわれて、遍路旅を続けることへの心準備が整えられるとされている。だがなぜか、5日間ほど出切りあげてしまった。「発心」に縁がなかったのか、退職して二年が終わろうとして、編輯を手がけていた自然観察ガイドの本がいよいよ出版されることが決まって取りかかることになったためか、カルチャーセンターの山ガイドが、その春から始まっているからその準備のためであったか、すっかり忘れている。そのときの菅笠が取ってあったのでその荷をほどいてみると、「御朱印帳」が出てきて、19番札所の御朱印までちゃんと記し残されている。何だ、こんなことまでしていたんだと、あらためて想い出したというわけ。なら、つづきに取りかかればいい。
 そのことを知ったご近所の知り合いが「最新の地図を手に入れた方がいい」という。私より十ほど若い彼が歩いたとき、道が分からず、宿なども行きすぎたりして探すのに骨を折ったらしい。そこで、四国88カ所の寺から寺へ一つひとつの寺紹介と経路地図を描いた案内サイトを見つけてダウンロードした。
 さて何を思って、どの程度のペースで何処まで行けるかを想定した。30㌔平均歩けるというのが、元気な人のペース。4月下旬に出発して5月下旬で、残りの千㌔余を歩き通して、5月28日に予定されている岡山県の高校の同窓会にドンピシャリで顔を出せる。行こ行こと、わが身の裡が元気な声を掛けた。17年前は夜行バスで徳島駅まで行った。だが今回は、コロナ禍で、ここ3年ほど逢うことが適わなかった兄にも会って、それから徳島へ向かおうと行程を決めた。
 出発の一週間前から、思いつく毎に必要な品を用意して、そろえ始める。とともに、雨だったらどうしたものか、トンネルを抜けるとなると懐中電灯も必要になる。軽登山靴がいいだろうか、ウォーキングシューズがいいだろうかと、湧き上がってくる。そうして行き着いた一つが、果たして体力が一人前にあるかと思案するところ。30㌔ペースを25㌔ペースに落とすと、宿がなくて38㌔歩くところを、12㌔と26㌔に分けることも出来る。そうやって変えると、5日ほど行程日数が増える。
 いや、ひとまずそうやって想定しておいて、身の疲れ具合と相談しながら、翌日の宿を決めて歩くようにしよう。修行じゃないんだ、お四国トレッキングだと自分に言い聞かせる。お寺さんは、いわばそのエモーショナル・キャリアー、気分の運び役を務める媒介項だ。山でいえば、通過するピーク。宿の予約も、スマホを使えば簡単にできるはず。迷子にならないようにすることが、まず第一。そう考えたら、スマホがちゃんと使えないことにも気づいた。行きたい先を住所で打ち込んで現在地から案内する機能が、Googlemapにあると教えて貰った。果たして使えるかどうか、まずこちらでやってみなければならない。