mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

コロナ禍の山歩き

2020-12-31 09:37:13 | 日記

 今年は何日、山に入ったろうか。1月が6日、2月が3日。2月には与那国島へ遊びに行ったから山行が減った。そして2月末には、新型コロナに関する緊急事態宣言が出されて、県外へ行くのは憚られるようになった。3月は日帰りの3日となり、4月7日を最後に6月9日まで2ヵ月間、山行が途絶えた。
 今年の山行日数は、32回、49日。20回の日帰り山行と12回、29日の泊をともなう山行であった。そのうち山の会の人たちと一緒の山行は、22回、31日に及ぶ。私の個人山行は11回、18日だったから、ま、山の会の皆さんにはよくつきあってもらったと思う。個人山行の1回には、現地の登山口に行ってみるといつも一緒に山に入るkw夫妻の車が止まっていた。出逢うために(たぶんこうだろうと思われる)コースの逆を辿って、うまく中間点の山中で一緒にお昼をとるのもあった。
 おおよそ週1回の山行をしていたことから考えると、4,5月の二月を除く山行日数としては、まずまずよく行ったといえよう。ならばコロナの影響は、さほどではなかったのかというと、そうでもない。
 同行する山の会の人たちが、格段に減った。何しろ公共交通機関をつかえないとなると、私とkwさんの車で行くしかない。同行する人がいれば最寄りの駅か浦和駅で待ち合わせて登山口に向かったが、それをしたのは3人だけ。あとの方々は、すっかり山から遠ざかったのではなかろうか。
 私は電車やバスを使わず、車で行くようになった。一番遠くまで行ったのは会津駒ケ岳登山口の檜枝岐村だったろうか。甲州市の瑞牆山のほうが遠かったろうか、それとも巻機山だったろうか。3時間半から4時間くらいの運転は、しかし、日帰りではないから、ゆったりと時間をとってムリをしないようにした。
 同行者が減ったことによる大きな変化は、山行計画段階からはじまった。これまでのように実施日と目的の山名を提示するのではなく、実施の週と目的の山名を提案する。それに同行を希望する方がいれば、その人たちと天気予報を参照しながら、実施日を決めるようにした。その結果、ほぼ晴れた日に山へ入れる。予報と違って雲の中を歩くようなこともないわけではなかったが、それまでのようにざんざん降る雨の中を上るようなことはなくなった。これはこれで、山の愉しみが倍加するようになったともいえる。
 それとともに、テント泊がはじまった。私は昔から使っていた一、二人用テントを引っ張り出してつかった。kwさん夫妻はテント用具一式を手に入れ、テント暮らしの第一歩からはじめた。山へ行くごとにキャンプ泊が進化していく。それは「泊」だけを機能的に考えていた私のテント泊観を変えるほどのちからがあり、それはそれで面白いものであった。kw夫妻はそのうち焚火をするようになり、11月の王岳山行を最後に、寒くなったのでテント泊を終了したのであった。山歩き以外に、キャンプを楽しむというアウトドア領域を開拓したともいえる。これは来年の山行の、行き先にも滞在の仕方にも影響を与えるように思う。
 山に登る前日に、登山口の近場でテントを張る。もしロングトレイルを歩くのであれば、帰着した日もテントに泊まる。そうすると、年をとっても登れる山の範囲がぐんと広がる。今年登った百名山は、5つか。巻機山、武尊山、瑞牆山、会津駒ケ岳、白砂山。どれも前日泊をした。会津駒と白砂山は下山後にもテントに泊まった。
 テント泊が面白いと思ったもうひとつは、テント場に椅子を設え、山を眺めながらワインを傾けてぼんやり過ごす楽しさと言おうか。ボーっとしている時間に身を委ねて、大自然に身を浸すのがこんなにも気持ちをくつろがせるものかと、身の裡の何かがほぐれていくのを感じたことだった。山が歩けなくても、こうやって過ごす時間てのがあるんだ。いつも目的をもって前へ進むという私のからだが身の奥にしつらえてしまっている感性を揺さぶるような体感であった。面白い。
 kw夫妻が付き合ってくれてずいぶん私の単独行は減ったが、いつもそうしていると私自身の山行センスが鈍るから、できるだけ週1のペースを崩さず、どこかしらの山へ行くようにしている。これまで登ったことのない山を選ぶようにするのだが、そうしてみると、まだまだ関東の近場にも登ったことのない山がずいぶんあることがわかった。また、「日本二百名山」とか「日本三百名山」とか「山梨百名山」「栃木百名山」「群馬百名山」などが選定されていることも分かる。
 あるいはまた、行ってみると、ルートファインディングも含めて、そう簡単な山でないこともあった。地元では登る山として意識されていないのに、地元の名山のように喧伝されているのがあることも分かって、可笑しかった。
 こうしてみると、関東甲信越の山だけでも、まだたくさんの未踏峰があり、来年以降の登山に困ることはない。こちらの力が尽きてしまうことの方が先のようだから、しばらくはプランニングの愉しみもとっておける。
 ま、こんなところが今年の山を振り返って思うことでした。

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年の瀬が押しつまるとは

2020-12-30 11:14:22 | 日記

 今年も明日でお仕舞い。30日なんだから、そうは思うが、なぜか今年は年が改まるという感触が湧かない。どうしてなのだろう。
 カミサンは「今年は孫たちが来ないからね」という。孫たちが来ないから、お接待や料理を考えたりしなくていい。お節だって年寄り二人分の酒の肴くらいがあればいいから、あとはお餅とお雑煮か。仕事をリタイアして18年ともなると、節季仕舞いのあわただしさもない。
 つまり、日常の変わらぬ日々が坦々とつらなり、明ければ1月1日という平凡な1日がはじまるだけ。そういう風に考えると、日常と非日常の端境にある心理的な移ろいというのが、あるかないかの違いだけになる。
 でも、ちょっと違うような気がする。
 年末の大掃除だってそうだ。お節だってそうだ。賀状だってそうだ。そもそも節季という区切りをつけるセンス自体が(歳末・正月だけを指すのではないが)、場面の転換を図って苦しい面倒なものごとをやり過ごし、気持ちを巻きなおして新たな場を迎える仕儀ではないか。仕儀という言葉自体も、区切りをつける儀式的な面持ちを言葉にしたものだ。ただ心もちの移ろいというにとどまらず、儀式的な言葉にすることによって、節季という区切りを外化して、そこへ心もちをあわせるせ生活習慣を築いてい来たのではなかったか。
 だから子細にみると、年を越す世の中の大きな社会習慣と、私たち自身の身に沁みこんだ歳末・新年という越年の感覚と、私自身が意識的にそれをどう受け止めているかということと、それら三層の絡み合いと移ろいとが、錯雑して今のわが身の裡に醸し出す感懐が「今年の年の瀬感覚」になっているのである。
 世の中の大きな社会習慣というのは、おおよそ12/29から1/3までは仕事はお休みであるとか、その間帰省するとか、初詣に出かけるとか、年始に行くとか、お屠蘇やお節やお年玉といったこととかの「行事」になる。だがそれらが社会習慣という外的なもののまんまであれば、ちょうど5月の大型連休と同じで、節季という感触には結びつかない。ということは、幾分かでも子どものころからの暮らし方によって、身に染みているものがあるのか。
 子どもの頃の歳末は慌ただしかった。家業が八百屋だったこともあって、大晦日は除夜の鐘を聴きながら店仕舞いをし、風呂に入り、ラジオの「紅白」や「ゆく年くる年」を聴いた猥雑な混沌の邪気を払って新しい年を迎えるって感覚が底流している。それが年の瀬というものであった。わりと儀式的な型を重んじていた母親の振る舞いもあって、お節やお屠蘇やお年玉は年を越す行事として受けとめる感覚は身に備わっていたが、物心つくころには、戦争と敗戦とその後の世の移ろいとを親や大人の無責任な振る舞いの結果として受け止めるようになってから、わが身から引きはがすようにして、外化していった。
 その、意識的に身につけた観念が、齢を取るにつれて、そう容易に分節化して分けられることではないと受け止めるようになって、身に沁みた儀式的行事を、素直にわがものとして認知するようになったといえようか。子や孫が生まれ、節季という切り換えを取り入れることによって、日々の暮らしを継続する活力に転じることも、無意識にしていたのだと、いま振り返って思う。ここで、社会的習慣とわが身に沁みついた儀式的行事とを分けて受け止めていたことになる。
 となると、子や孫が爺婆から離れ自律していくことによって、ふたたびわが身の生活習慣が転機を迎えているとみることができる。もちろん日常がいつもの日常であれば、盆と正月には子や孫が来るという「ふるさと」としての爺婆が現れるわけだが、新型コロナウィルスのせいで、それも適わない。
 つまり年寄り二人だけの年の瀬が押しつまり、年寄りだけの正月を迎えることが「儀式的」にどれほど保てるかにかかっていると思える。こうなると、節季は個人化される。新年というよりも生誕何十年という節目の方が重くなる。昔のように数え年で年齢を数えていたときは社会的習慣と個人的生活習慣とが符節を合わせて節季を迎えたのだが、満年齢で数えるようになると、個々人で違うから社会的習慣と食い違いが出てくる。
 そうなんだね。そうやって個別化され、人は個人という自己責任で生きていくことを当然化されるから、他人の振る舞いを社会的なモンダイとして考えようという気風が衰えてしまうのかもしれない。節季という、暮らしを分節化して「場」の転換を図って来たことがこの列島の近代化をわりとスムーズに欧米的なものに変えるベースになったと思う。それと同時に、社会的な紐帯を解きほぐしてしまって、私たちの暮らし方そのものを個別化するモチーフを育ててしまっているのかもしれない。
 まさに糾える縄のごとき「節季」の移ろいということができる。

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ブログ閲覧数

2020-12-29 09:29:19 | 日記

 このブログの閲覧数が、週ごとに送られてくる。毎日と毎週の閲覧数と、このブログサービスサイトの全ブログの中の閲覧順位とが記されている。閲覧数が何よと思っていた私は、おおむね1日200件くらいかと識る程度で放っておいた。何がきっかけだったか忘れたが、去年(2019年)から、週ごとのそれを記録するようにした。それが今年になって大きく変わり始めていることを感じた。私のブログの評判がよくなったとか、悪くなったということではない。ブログ全体にかかわる閲覧数が変わり始めていると気づいた。
 2019年の週の閲覧数は、最低815回~最高1795回、平均すると1422回であった。1日平均200回であった。いつだったか、半世紀以上の付き合いをしている(いまだにアナログ派を貫く)知人の物書きにそのことを話したら、(そんなに多いのか)と驚いていた。専門書を出版しても手堅く売れるのは300部、多くても700部ですよと話していたある出版社の編集者の言葉が思い出される。
 ところが今年は、最低441回、最高1648回、平均1002回、平均143回。3割減、格段に下がった。でもこれって、この私のブログの評判が落ちたんじゃないの、と評判を数でみる人は思うかもしれない。そうでないと気づいたのは、やはり毎週の閲覧数につけられた「閲覧順位」である。
 このサービスサイトの全ブログの数は、おおよそ300万件の少し手前を維持している。いつかNHKに務めていた知り合いが「ブログってたいてい2年半続けば終わるのよ」といっていたから、300万件のうち、すでに終わってしまったのが9割以上あってもおかしくない。どうして? 進化生物学の研究では、99・9%の種は絶滅してしまったというからだ。ブログもまた、別に生き残ることを第一目的に目指したわけでもなかろうから、成り行きと偶然性に揺さぶられてあえなく絶滅する羽目になっても不思議ではない。
 その順位でみると、2019年の最低815回の週は20906位、最高の1795回の週は20950位。平均すると24171位であった。数が多ければ順位が上がるというわけでもない。閲覧する人全体の数が(たぶん)影響するから、数が(私のブログ内では)最低でも、全体のブログ閲覧者数の順位は最高の数の時よりも上だったことになる。
 2020年はどうか。最低の441回のときは24824位、最高1948回の時は26111位、平均25769位。やはり昨年同様、最低の時の方が最高の時よりも閲覧順位は上にある。
 2019年の最高順位は17247位、そのときの閲覧数は1667回。2020年の最高閲覧順位は18295位、806回だった。閲覧数が半数になったのに、順位は1000番くらいしか落ちていない。つまり、2019年に較べて2020年のブログ閲覧者数が、がくんと減ったのである。
 どうしてだろう? 2019年以前のそれを見ていれば、もっと別の何かが分かったかもしれない。チャットやツイッターに移る人が多くなったからとも(トランプ政権のやり口を見ていて)思わないでもない。加えてコロナウィルス禍がやってきた。ブログの長文を読むほどみなさん気が長くはない。速戦即決、短文・見出し主義。長い文章は読んでいられない。ましてや論理を追うなどムツカシイことはまっぴらごめんというわけだ。
 もっともブログと言っても、このブログのようにだらだらと書き綴るエッセイよりは、写真を載せ、少し言葉を添えるオシャレなブログが多いから、一概にチャットやツイッターと比較はできない。スマホに切り換えた人が多くなったせいもあるかもしれない。
 さて、そういうわけで、閲覧数が減っているこのブログだが、週平均が1002という数、1日平均143という数は、ゴリラ研究者のいう一人当たり150人の知り合いが精一杯という数とおおむね符合する。閲覧数は、必ずしも目を通している人の数ではない。一人が何回か見ていることもあろう。とすると、閲覧数の半分の方々が読んでくれているとみても、ありがたいことだ。
 おかげさまで明日もまた、書き継ごうかという気持ちが途絶えずつづいている。

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12月限定のジョーク

2020-12-28 08:28:19 | 日記

 鳥観から帰って来たカミサンが、こんなことを言う。
「自分の生まれた西暦年に今の自分の年齢を足すと、誰でも2020になるだって」
 えっ、と思って足し算をしてみると、たしかに2020になる。
「これって、今年だけのことなんだって。Oさんが言っていた」
 と、鳥友の名前を告げる。Oさんは変わった方。群れるのが好きではない。朝早く、と言っても私たちとも次元が違い、新聞配達と競うかのように車を運転して鳥観に出かけ、空が白み始めるころには「おっはぁ。こんな鳥いました」と、ほぼ毎日スマホに写真を送ってくるマニアックな方。
 ふ~んと聴きながしていたカミサンの話が、お昼頃に気になった。
 今年だけっていうが、どうして? 今度は何年になるんだろう、と。
 こういうのは計算すればわかるじゃないかと数式に変換する。生まれた年をXとする。年齢をAとする。今年の暦年をYとすると、X+A=Yとなる。さて、2020年だけとなると、A=a+bと2000年を境にして二つに分けるか・・・、とやっていて気づいた。
 何やってんだ、、バカな。そもそもY-X=Aを年齢というのではないか。等号の両サイドを入れ替えるだけで、X+A=Yとなる。ということは、今年だけでなくて、来年も再来年も、この話は通用する。
 と考えて、さらに気付いた。ただ、この話は、12月じゃなくては通じない。12月となると、この年の何月生まれの人も、満年齢になるから、生年と年齢を足すと暦年になる。もし途中の月だと、まだ誕生日の来ていない人はそうならないから、おや? 変だぞと、気付くというわけだ。
 カミサンにそのことを話して、
「Oさんに担がれたんだよ」
 と告げると、
「でも、今年だけだって言ってたよ」
 と笑いながら、そうだよねえ、年齢ってそうだよねえと感に堪えないような声を出した。
 どうしてこんな、単純なことに引っかかるか。たぶん元号で生年を記憶し、ふだん西暦に置き換えて「計算」したことがないからだ。私もそういう意味では、元号と西暦の二重の遣い方が身と頭との二重性と重なっている。そういうとき、こんな簡単なジョークに引っかかってしまうってことの証明のようなもの。
 特殊詐欺に騙されないようにと、連日のようなキャンペーンがTVから流れてなお、被害に遭う人が絶えないのは、この身と頭の乖離が気が付かないところで行われているからにちがいない。ま、特殊詐欺をジョークと同列に並べるのは、ジョークに失礼かもしれない。だが、そんなことが気になった昨日であった。

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ここからもう一歩の跳躍を

2020-12-26 13:46:41 | 日記

 今日(12/26)の朝日新聞の佐伯啓思「コロナ禍で見えたものは」が指摘していることは、このところ私が感じ記述してきたことと重なって、もっともだと思いつつ読んだ。佐伯の論展開をかいつまんでみる。

(1)「不要不急」と「必要火急」とを対置してみる。生存の確保に必要なものだけで人がやっていけるわけではない。人の文化は「不要不急」なものに支えられている。
(2)ところが文化はいま、経済に従属している。芸術も科学もエンターテインメントも同じ経済原理で動いている。
(3)経済学は「希少性を処理する方法」の研究であったが、「無限の欲望」の肥大化に「不要不急」と「必要火急」との区別が見えなくなっている。
(4)人の生における大事なものを市場原理に任せておくだけでは見失われていく。
(5)と述べて、「いかなる生、いかなる社会を望ましいと考え、いかなる文化を残すかという価値をめぐる問い」を問う入口に立つ。そうして、「生の充実には、活動の適当なサイズがある」と「無限の欲望の」抑制をほのめかす。

 佐伯が文中で触れたジジェクの「物騒な」言葉(新型コロナウィルスによって、豪華客船のような猥雑な船とおさらばでき、ディズニーランドのような退屈なアミューズメントパークが大打撃を受けたことはよかった)の方が私には共感するところが大きいが、佐伯が控えめにというか、あいまいに言葉を濁していると思われるところが、気になった。
「無限の欲望」の抑制をほのめかすにとどめているのは、人の好奇心もまた、「欲望」であるからに違いない。そこに踏み込むと、経済学という肩書をもつ学者であった彼自身にも、他人事ではない。「価値をめぐる問い」を問うこととなると、百家争鳴に陥ることは目に見えている。たぶん彼は「コロナ禍で見えたもの」を為政者に問いたいと考えているのであろうが、そういう提言的な文脈ではない。「コロナ禍でみえた」感懐を綴っているだけという体裁だから、論議を交わす場が設定されていないとも言える。つまり、佐伯が「コロナ禍にみたもの」は(全く平場に身を置く私同様)現実政治過程に生かせるようなものではないということでもある。
 でも一つ、彼の立場にあれば踏み込めないこともあるまいにと私は思う。
 生存に必要なことだけが人の文化ではないというのは正論である。だが、「市場に依存しなければわれわれは生きてゆけない」のが、コロナ禍で断たれているのだとすると、まずwith-コロナ社会において生存に必要とされる要件だけでも(市場原理と別様の回路を通して)インフラとして整えよと言えば、為政者向けの提言として活きてくる。経済学の専門家としての彼の得意分野も生かされてくる。それを「文化」の次元を一緒に論じてしまったから、焦点が拡散してしまった。「不要不急」と「必要火急」とを対置させたのであれば、まず生存に必要火急のことがらをどうするかを論じ尽くし、それとは別個に「文化」としての不要不急へ言及するものではないのか。
「過剰が整理される恐慌」襲来と同じと言えば、ただ単なる経済現象としか受けとめられず、過剰なる人命が整理されると言ってしまうとジジェク以上に「物騒な」物言いになる。そう言いたいのではあるまい。
 とすると、市場に依存しなければならない現状からどのように離脱するのかを思案するのが、学者たるものの背負っている過大なのではなかろうか。ただ単に「価値を問う」というのでは正論過ぎて、そういう問いの立て方自体が、すでに時代遅れになってしまっているのではないか。それとも佐伯啓思は、すでに引退している気分なのだろうか。ならば私と、おんなじだ。世の中的には、もう用がない。
 せっかく共感して読みすすめたのに、そこからもう一歩の跳躍が読み取れなかった。残念。

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