mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「身近に感じる」深さ

2019-05-20 08:47:20 | 日記
 
 5/17に「どこまでさかのぼれるか」と、旧尾ヶ崎村の聖観音堂、「庚申塔・青面金剛」のことを記した。庚申塔や「いん師碑」と名づけられた石碑、半鐘に彫り込まれた銘文が、おおよそ300年程前以降の尾ヶ崎村に暮らす人々の気配がうかがえて、起ちあがるようであった。それが「吉宗のころよ」とか「飢饉があったあの天明ですよ」と謂われて、学校で学んだ「歴史」と結びつく。
 
 ふと思うのは、不透明なスクリーンの向こうにぼんやりと影が浮かぶようであった「江戸時代」が、なぜ、この石碑や銘文で起ちあがるのであろうか。

 ここを紹介してくれた講師のmsokさんは、私の50数年来の友人。ひょんなことから知り合い、仕事に関してはまったく別の道を歩いて来たけれども、毎月2回は会って言葉を交わすことを半世紀以上も続けてきた。msokさんはお酒を呑めない。なのに、良くここまで(私と)かかわりがつづいたと、振り返って思う。そのmsokさんの父上が七人兄弟の末っ子ということで養子にもらわれて世帯をもったのが、この聖観音堂の守りをすることになったS家であったそうだ。実際暮らしてきた地も、10キロ余離れたK市。「ここは私にとっては外部」とmsokさんは感慨深げだ。父親の死後「墓守り」のように月2回ほど足を運んで、お堂の掃除をしたり、聖観音堂を護る10軒(今はそのうちの2件が途絶えて8件となったそうだが)の一つとしてお役目を務めてきている。そうこうするうちにS家の受け継いだなかに何点もの古文書があり、それを読むために古文書の勉強をして「解読」してきた。おおよそ400年程の係累をさかのぼれるという。これは、柳田国男が「どんなに遡っても400年くらい、それ以上は藤橘源平の類が紛れ込んで、ワケが分からなくなっている」といったものの、いわば一番古いところまで辿れるということだ。
 
 そのmsokさんのS家の墓所もあり、「尾ヶ崎村名頭覚書」には、村の名主を務めた代々の姓名が記されている。msokさんにとっての「外部」は、さらにその単なる友人である私にとっては「チョー外部」になろうが、どういうわけか、石碑や半鐘の銘文、あるいは昭和18年の、この地の石段を設えた記念碑を観ていると、他人事のような気がしない。建立者の具体的な名前が記されていることもある。半鐘には、幼くして亡くなった童子童女の戒名が彫りこまれている、あるいは、村の文字通り寺子屋で教わったであろう師の名前とそれを顕彰する弟子の名前にS家をみつけると、いかにもmsokさんがその時代に生きていた証を見るような思いが湧き起って来たのであった。
 
 もう15年程前のことになるが、私が山を歩きながら鳥をみたりしていることを知った、これも半世紀以上付き合いのあった友人が「何が面白いの? 名前を覚えると親しくなってこと?」と訊ねたことが思い出される。この友人は謂うならば知識人の一人で、著書を何冊も著している方だが、そのとき私は、ああひょっとしてこの方は「普遍性」に心を奪われて、個別性を捨象して世界を観ているのではないかと思ったことがあった。私は、個別性が世界をなし私たちはその中に生きている。普遍性は、いうならば私たちの頭のなかに仮構した妄念として存するだけだと考えていたから、この友人は観念世界に生きていくことに意味を感じているんだなと受け止めたことがあった。
 
 身近に感じると私たちは、わがコトのように受け止める。それは個別性を手放さずに、身体で受け止めることである。身体で受け止めるとは、系統発生的に・遺伝的に・文化伝承されてきた「身」の自然として、その「身」において了解すること。別様に謂えば、腑に落ちるようにわかることだ。観念の世界は、身体性から離陸し個別性を捨象して、それ独自の論理性と視力・視界を設定して世界を描きとることであろう。そのとき捨象された(個別的)身体性は、ついに復元されることがないから、制作された観念世界は、記録される形の永遠性を持つように思えるのではなかろうか。
 
 とすると、私たちが受け継いでいる文化の伝承性は、いつまでも普遍性を彼岸において、此岸での個別性にわだかまる。そのわだかまりが、庚申塔や石碑の銘文に留められてmsokさんという個別性を介して、わが「身」に起ちあがった。その深さを感じることが、「身近」だったのではないか。そう感じて、改めて「歴史」というものの「身」の裡における復元性を考えてみたのであった。
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先が見えると元気が出る

2019-05-19 20:45:10 | 日記
 
 昨日(5/18)は隔月に行われるseminarの日。講師はmdrさん。お題は「日本語大丈夫ですか?」。英語を飯の種にして生きてきた講師が、日本語の来歴、現代人のことばは何時代まで通用するかなどなど、日本語にまつわるいろいろなモンダイを拾って、皆さんに問うというもの。つまり英語という外側から見た日本語を俎上に上げてみようという、トピックもの。「戦争に負けることは言葉にどういう影響を与えるのか」というモンダイにまで踏み込み、いかにも戦中生まれ戦後育ちの世代的面目躍如といった展開。seminar後の会食もあって、久しぶりにお酒をしこたま呑んでしまった。
 
 今日の午前中は、2018年度最後の修繕専門委員会。委員長はこれで重責から解放されるとあって、元気が出ている。ちょうど8年越しの水漏れモンダイの原因も判明し、被害を受けたお宅の修復工事も完了したから、文字通り肩の荷を下ろした。一つ残っていたモンダイ、東京ガスが給湯器の防水のための工事を取り合おうとしなかったために、消費生活センターへ訴え出るという「理事長提案」が残っていた。ところが、どういうわけか東京ガスが防水板取り付け工事を引き受けると一昨日(5/17)申し出てきたから、その「提案」も無用になった。どうして申し出てきたの? と一人の委員が質問した。じつは修繕専門委員長が、今年度の修繕専門委員会の活動を閉じるにあたって、東京ガスの担当者に現段階の状況をお話ししたところ、向こうから申し出があったそうだ。なるほど、消費生活センターへ訴え出られて、それが俎上に上がるだけで、企業の評判に傷がつくと考えたのかもしれない。こちらの姿勢を、示すべき時にはしっかりと表示し伝えることが必要だと、教わった。
 
 午後には、昨日〆切の「通常総会出欠票」の集計と「委任状」の集約と「議決権行使書」の有効票数をカウントする作業をした。回収数は104戸。まだ提出していない人が20人以上いるが、現在の理事・役員で出していない人もいるから、忘れているのだね。ひとまず、あと数日待って、その後に最終集計をしようということになった。これも、総務理事と正副理事長とが作業をしたのだが、来週の日曜日の総会で、お役目を解除されるとあって、気持ちが軽い。元気が出る。
 
 そうなんだ。ひとって、先が見えると頑張れるし、それが間近に迫ると、これまでの難儀をすべて軽々と乗越て来たように思える。ゲンキンといえばゲンキンなものだが、それがゲンキの素なのだと思う。1年の任期というのは、そういう我慢の限度と引き比べても、ちょうどいいころ合いなのかもしれないと、「理事・役員交代制に関する提案」を想いうかべて、振り返っている。
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どこまでさかのぼれるか

2019-05-18 09:45:34 | 日記
 
 昨日(5/16)「ささらほうさら」の月例会。今回は、室内の教室ではなく現地に出向いて遺跡を探訪した。講師はmsokさん。今はさいたま市の岩槻区にある、旧尾ヶ崎村の聖観音堂。住宅が立ち並び始めた新興住宅街のはずれ。ほんの1kmほど先に埼玉スタジアムのドーム屋根が見える。かつての岩槻市からみると、越谷市と浦和市の端境にぐい~っと割り込んでいる最南西端。見沼田んぼの東、綾瀬川を水源とする田圃が、かつては広がっていた。さらに東には元荒川が流れをつくる。もっと古くまで目を遣ると、古東京湾の一角になろうか。msokさんの話によると、ほんの20年程前まで、この辺りは水田と萱の原であった、と。

 そこに東京都心と結ぶ埼玉高速鉄道の浦和美園駅というターミナルができ、その少し先に埼玉スタジアムがつくられたこともあって、いわゆる農業調整地の制限が解除されたことから変貌がはじまり、今や田圃は見る影もなく、縦横に走る区画された太い道路と戸建ての住宅と販売中の空き地がしめるようになった。その中に、青々とした森をなすところが何カ所か見える。その一つが、今日の現地・現場。グーグルの地図では「庚申塔・青面金剛」と表示されている高台である。
 この高台の南西へ突き出したところが、かつては尾ヶ崎村と呼ばれていた。行政区画的にみると浦和市と越谷市の間につきだした岩槻市の尾っぽである。msokさんに言わせると「崎」とは突き出したところ。たしかに道路からその高台に上がるとさわやかな風が吹く。夏日になろうかと心配していた現地講座であったが、帽子をとって木陰で風にあたるとホッとする。
 その高台の突端、20m×30mほどの一角が「聖観音堂」のある「庚申塔・青面金剛」である。ちょうど保育園の園庭ほどの広場があり、南西と北が大きな木に囲まれている。拓けている東側には何本もの大木があって、鬱蒼としていたそうだが、最近伐採されたという。「何しろやぶ蚊が発生してね」と、父親が亡くなってからこの地の手入れに通うようになったmsokさんは笑う。素通しになった東側に墓石が何十基か並び立つ。木を切ってみるとすぐ際の低地にまで住宅が押し寄せてきているのが分かる。

 北側に観音堂がある。南面が5間、奥行き2間半というところか。住宅風に謂えば2K。台所とトイレも設えてあるが、今は無住。ここを墓所とする10軒ほどが交代で、観音堂の保持のために、風を通し、掃除をしていて、msokさんも月に2回は足を運んでいるそうだ。畳敷き十畳間の北側に閻魔大王と奪衣婆と十王が控えている。いつ頃の制作になろうか、いずれも古びて、なかには片腕がないものもある。msokさんは、子どものころ奪衣婆が恐かったという。なるほど、お仕置きとしてここへ連れて来られて、悪いことをするとこれこれこうだよ、奪衣婆が三途の川のほとりで衣服をはぎ取って……閻魔様の前に引き出され……と話しを聞かされると、ごめんなさい、もう悪いことはしませんと思ったのかもしれない。
 
 msokさんの現地講座は、まず庭からはじまった。この高台に上がる石段が西側と南側に二つある。その南側の石段は、かつて木の階段であったらしい。それが石段になったのは、昭和18年10月10日、msokさんが生まれてまだ20日しか経っていない時であった。ということが、石段の一番下の石碑に記されているというので、降りてそれを読む。何某という人が長年故郷の恩に報いたいと考えて35年余、この青面金剛の階段をしっかりしたものにし崩れようとする土を止めようとしたが、時あたかも大東亜戦の最中、資材もなく難儀をしたが、やっと思いを達することが出来たと、記して、竣工の期日を記してある。彫り込んだ文字も崩れることなくしっかりとしている。75年ものだ。
 
 もう一度上に上がってすぐ右にある石碑が「庚申塔」だという。正面に、邪鬼を踏んづけた青面金剛浮彫立像が立つ。その一段下には、三匹の猿。口を抑え、耳を塞ぎ、目を隠している。回り込むと左側面に「宝永四丁亥十一月吉祥日」とある。宝永というのは1704年~1711年とmsokさんが絵㋔度のはじまりから平成までの元号を一覧表にしてくれている。つまりこの庚申塔は、1707年の建立である。う~ん、いまから312年前か。塔の上に屋根型の石の帽子が乗っているのが、古い形という。「為二世安楽」とも彫り込んでいる。次の世への願いを込めているのであろう。「享保十一丙午」(1726年)の庚申塔もある。こちらは「施主 尾ヶ崎村 男七人 女十四人」とある。この地を墓所とする人たちなのであろうか。男も女もちがいなく扱われている気配がして、江戸時代の村落における性差別が、私たちが教科書で教わっているものとは違うものだと感じさせる。
 
 観音堂の方を振り返ると、軒先に小さな半鐘がつるしてある。「よく戦時中に(供出で)もっていかれなかったねえ」と、どれかから感嘆の声が上がる。「小さかったから、隠したんじゃねえか」と別の誰か。その銘文には、13人の童子童女の戒名が彫られ、「寛保二……」(1742年)とある。これも300年近い時歴を持つ。「武州岩附領尾ヶ崎村 施主鈴木彦三郎」とあり、作者の匠の銘もある。鈴木彦三郎というのは名主だったのだろう。「領」というのは、ここが天領であったから、旗本か直参の管理管轄地だったのであろう。「そうだよ、飛び地で領家辻などという名称が残っているのも、その名残だね」とmsokさん。
           
  「いん(しめすへん+垔)師碑」と彫り込まれた、自然石の大きな石碑がある。「いんし」というのは「神を清め祀ること」と広辞苑にもある。msokさんによると「これは村の人たちにモノゴトを教えていた人を顕彰するために教え子たちが建てた石碑」だという。「字武雅姓鈴木俗呼称文之進従天明至文化年中迄在職三十四年文化十三年……(1816年)没……」と長文の功績をたたえる文言が彫り込まれている。建立されたのは嘉永四年(1851年)武雅門弟子としてたくさんの村と大字と氏名を記し、最後に「当村セハ人 志村大作 真々田沢右エ門 森住幸次郎 鈴木開之丞」とある。このセハ人の一番前と一番後ろの人の墓が、この観音堂にあるから、そういう係累を継いできたのであろう。そう言われてみると、msokさんも「文之進」である。石碑をたてて神と祀られるかどうかは知らないが、モノゴトを学び考えていくことにおいて人後に落ちない生き方をしている。当時に思いを馳せれば、当時の農村の人々が、回状という行政伝達の文書を読み、書き記し、次の村へ知らせるという情報回路のチャンネルを担っていたのであるから、まさしく、文字を教え、それに伴うものごとを語り教えて、世代を受け継いでいくという文化伝達の役割を担っていたろうし、同時に、それを神と清め祀って顕彰しようという村人たちの気概もうかがわれて、面白いと思った。
 
 こうして遡ってみていると、わが身の外に流れ伝承されている「歴史」と違って、わが血脈に流れ伝わっている文化伝承の証が起ちあがるようであった。新奇なものに目を奪われ、あるいはそれらを追い回す「情報伝達」の社会が、ど~んと篤く地道な前歴を積み上げてきたのだと、わが身の奥行きの深さを感じとるようであった。
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いかにも丹沢設え――大室山・加入道山

2019-05-16 11:59:38 | 日記
 
 藤野駅で拾ってもらって、道志の湯の先の登山口に向かう。陽ざしが降り注ぐ。「良かったねえ、晴れて」とkwrさん。昨日(5/15)のこと。予報では9時から12時までは「晴れ」だが、その前後は「曇り」。降水確率も30%と少し上がっていた。「いや、晴れてるというより、変わり方が早まったんじゃないかな」とことばを返す。8時50分には歩きはじめていた。
 
 道志の湯の登山口には「横浜市有道志水源林」とあり、その頭に「林野庁認定水源の森百選」と権威付けしている。名水百選は聴いたことがあるが水源林百選は初のお目文字である。少し登ると「水源林記念植樹」の看板があった。それによると2年半前。道志村と横浜市の小学生が植樹の手伝いをしている。
 
 登山口の標高670m。今日の最高峰・大室山は1587m。標高差900mか。手前の加入道山1418mまでが一気の登りだから、標高差は700mと踏んだ。道志川を挟んで北側に並ぶ赤鞍が岳(朝日山)まで上った時の標高差も700mではなかったか。これはきつかった。身に堪えて忘れられない。その後の登りでも「あの時は……」と口の端に上る。
 
 明るい広葉樹の中低木が陽ざしを受けてトンネルをつくる。先頭を行くkwrさんは「こんな上りならいいやね」とご機嫌。ちょっと早いかなと思うペースだ。でも昔の竈炊きのご飯と同じ、はじめちょろちょろ中ぱっぱだと、地図を想い起して連想が飛ぶ。つい先日、「日本三百名山一筆書き」の田中陽希がこのルートを上って丹沢の山々を縦走する放映をみた。そのときには、加入道山への登りには岩場があり難儀していたようであった。昭文社地図にも、白石峠との分岐に出る手前のところに[危]のマークが付けられて、「通行注意」と記されている。
 
 樹林の下草はよく刈り取られ、枯木と枯葉が降り積もる。シカ柵の扉を開いて中へ入る。どっちが中でどっちが外かは、じつはわからない。でもたぶん、シカの住まう世界へ踏み込んだのだと思う。チゴユリがある。フタリシズカやマルバスミレ、キクザキイチゲやアズマイチゲが花をつけ、足元にサクラの花びらがちらほらと散っている。花筵というのだったか。ミツバツツジの濃い赤紫色が目に止まる。振り返ると、北の方の(菜畑山だろうか)山肌が濃い緑と薄緑の新緑に彩られて、少し靄がかかるようだ。天気が変わり始めているのかもしれない。そのうち、緩やかだが足元に石がごろごろし始め、あるいは道が崩れて新規にルートが設えられたり、ルートがえぐれて両側が壁のように起ちあがったりして、変化に富む。
 
 歩き始めて1時間20分ほどのところで道の分かれる小さな手書きの表示があった。斜面を直登する点線と迂回する白石峠への表示。kwrさんはこれを加入道山への分岐と思ったらしい、直登ルートの方へ進もうとする。そちらの方は「とにかく急」「ポールないと厳しい」「黄テープ追うこと」とボールペンで書き込みがついている。田中陽希はこちらの方を登ったのかもしれない。違うよ、白石峠との分岐はまだ先だよと実線で記された道を選ぶ。岩場はない。山体をトラバースする片側が切れ落ちて、滑りやすい。その先は、急斜面をジグザグに登る。緩いロープが張られているが、足の置き場がわからない傾斜だ。でも[危]というほどの感触はない。戻ってきて下るときになって、その危うさが少しは実感できる。
 
 白石峠との分岐に着く。1時間45分。ほぼコースタイムだ。「←加入道山0.3km、大室山2.7km」とある。この先には危ないところはない。kwrさんはホッとしている。キジムシロかな、ウマノアシガタかなと話す声がする。黄色い花がたくさんついている。上から降りてくる人に出逢う。大室山を往復してきたそうだ。ずいぶん早立ちしたのだろう。「加入道山はすぐそこよ。ガスコンロもってる? いや、もってれば、避難小屋もあるから。大室山まで行くのはタイヘンだよ。いや、足場が悪いんじゃなくて、ここが大室山かと思うとその先にまた、山頂があるからね」と、言って来たばかりの難儀を話す。広い山頂に到着。10時45分。出発して1時間55分。ちょうどコースタイムで歩いている。ベンチもテーブルもあって、少し下に避難小屋がある。
 
 桜が咲いている。下向きに花をつけているからミネザクラかなと思う。あとで調べてみると、ヤマザクラだそうだ。ミネザクラならもっと密集して花をつけるという。上るときに足元に散っていたのは、この花むしろだったらしい。ワダソウであろうか、オシベが開いて花びらに斑点がついたように見える白い花が一輪。「←大室山1時間」と標識が立つ。1時間20分というのが、昭文社のコースタイム。幅の広い稜線。よく歩かれている道らしく、見通しはよく踏み跡はしっかりしている。下りになる。途端に丸太を半分に切って設えた階段がある。手でつかむところがない。「こりゃあ、後ろ向きで降りた方がいいかも」といいながら、kwrさんは慎重に下る。オオカメノキの花が美しく迎える。前方に見える山頂は、ニセ大室山よと話す。地理院地図にも名前はない。1543mの表示があるだけのピークだ。これを先ほどすれ違った単独行者は「だまされる」といったのだろう。地図の等高線を読んでいないに違いない。
 
 南の丹沢の山々はいかにも奥深く、まさに重畳たる峰々を重ね、遠方になるほど、色合いは紫を帯び、ほのかに陽が差しているのが分かるが、いつしか雲が、その頭上に垂れ込めている。きちんと整備された木製の階段が現れる。これは、いかにも丹沢の山の階段だ。ちょうどこの稜線が山梨県と神奈川県の県境になる。だが一般に、この大室山は丹沢の山として紹介されている。私も当初は、丹沢自然教室まで車で入り、そこからこの大室山を経めぐるルートを考えていた。kwmさんが、それよりは道志の湯から登る方がアプローチが楽と変更を提案して、それを上ることになった。だが整備は、神奈川県が力を入れているのが分かる。もしこの木段がなければ、ずいぶんな急斜面を這うようにして上ることになる。昭文社地図には「木道あり、ブナ林」と書き込みがある。その通りに、バイケイソウの葉が大きく広がって、一面を覆っている。何かの調査中なのであろう、小さな検査ネットが張られて点在している。
 
 木道があった。双列になり、やがてひと列になる。案外、訪れる人が多いのかもしれない。振り返ると、歩いて来たルートの西側半分が雲に覆われている。犬越峠との分岐に来る。大室山は文字通り四通八達して、登山道がある。「←大室山0.3km」という表示に元気になり、軽快に歩く。
 
 山頂着12:05。登山口から3時間15分。コースタイムが3時間20分だから、上々。広く平らな山頂部は桜の木がいっぱいある。ミネザクラかと思ったが、ヤマザクラらしい、サクラの花がちょうど満開。「誰にも見られず、勿体ないね」とkwrさん。お昼にする。食べていると西から霧が巻いてくる。20分ほどで切り上げ、下山にかかる。「1時間20分加入道山→」の標識がヘンだ。来るときは上りなのに、「←1時間」だった。雲の中に入ったせいか、kwrさんの足が速くなる。バイケイソウが霧の中に浮かぶ。丹沢仕様の階段の下りになる。快調だ。見ている景色が、上るときとがらりと変わる。下るときにオッカナビックリだった丸太半分の木段もkwrさんは難なく上る。
 
 尾根の東側が明るい陽ざしに浮かび上がる。コースタイム1時間の前大室山まで40分できている。霧は深い。「いやくたびれたよ」と言いながら、kwrさんは加入道山で一息入れることもせず、先を急ぐ。白石峠との分岐を過ぎて[危]地点を通過する。上からみると、トラバース道がいかにも急傾斜だ。慎重に進む。斜めに傾ぐ道は不安定だ。
 
 水場を過ぎてやっと、滑り落ちる危険のない、パッパの道が終わる。そのうち、上りのときにちょろちょろと思った落ち葉の積もった道に出て、シカ柵を抜け、目に青葉が飛び込んでくるようになった。奇妙な格好のアカマツの大木にも目が行く。最後の沢を渡す木橋を通って登山口に着いた。14時55分。出発してから6時間05分。
 
 車を止めたところについてふと思ったのだが、今日の山行はとても快適で、トレーニング山行というほどではないと思った。どうしてなのだろう。「ひょっとして、トレーニングの効果が出てきているのかと思う」と話したら、鼻先で笑われた。行動時間でもない。標高差でもない。はじめちょろちょろ中パッパが、私の歩行感性に合っていたのかもしれない。あるいは、行く前には「危険なところがある」と気持ちに重圧をかけていたのに、コレということろもなく快適に上り下って来たことが、心の負担を取り除いて、軽快であったと実感させているのか。面白いトレーニング山行であった。
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混沌を描き出す本

2019-05-14 20:14:04 | 日記
 
 いま読んでいて、投げ出したいと思っている本がある。ウィリアム・ギャディス『JR』( 木原善彦訳、国書刊行会、2018年)。図書館から予約簿人間な届いていますというメールがあって、取りに行った。JRって何の本か? 副題をみると「FAMILY OF COMPANIES」と見たとき、えっ? 旧国鉄一家の本? と思っちゃったね。ま、アメリカの企業群とその資本をもつ人々の話ではあるのですが。
 
 投げ出したいというのは、何とも読みにくいからだ。いや、文体そのものが難しいのではない。平易な、話し言葉が何人もの登場人物の口から、飛び出してくる。その場に居合わせれば、「おいおい、ちっとは黙って話を聞けよ」というであろうし、じっさい冒頭に登場する話を持ち込んできた弁護士は、対する女性たちに「聞いてください」と繰り返す。話を聞いている女性たちが、弁護士のことばに触発されて口を挟むごとに、もののみごとに登場人物が置かれている立場と関係と置かれている環境と、ここまでに至った諸事情と、それが移り変わっていく様子が浮かび上がる。書き手からすれば、一つひとつ薄皮をはがすように繙かれていくというであろう。だが、繙かれていくというほど、ヤワではない。丹念に読み解いていかねばならない。それは、くたびれる。つまり、ありとあらゆる、登場人物にかかわる諸状況と諸現象と書環境が、会話を通じて記述され、それが、だれがどこで、何に向かって発話したことかを想定して読まなければならない。いわば、他人が存在することにつきまとう混沌の海が、どんどん目の前に展開し、そこに目を凝らして、読み解くという努力を要求してくるのだ。まるで、昔読みかけて投げ出したジェイムズジョイスの「ユリシーズ」を読むような、驚きがつづく。1時間に、それでも、何十ページかを読みすすむことはできるが、なんとこの本、900ページほどの2段組み。末尾の「解説」にあったのだが、本書の朗読版もあってそれは何と37時間46分もの長さだという。
 
 そうだ本書は、混沌の海だ。人が実存するということがもつコトゴトは、言葉に表したとしても、そう簡単に読み解けるものではないと、読む者に知らしめるようである。まして、その人々がまつろう「かんけい」が物語りをかたちづくるということを、作家がやって提示してくれるのではなく、読者がやるのだとしたら、文字通り混沌の海から物語を紡ぎだすことになる。その作業の半分を担う覚悟がなければとても、読みすすめられない、と思っている。
 
 明日は山へ行く。終末にはseminarがある。来週には、「通常総会」がある。とてもじゃないが、腰を据えて本を読んでいる暇はない。期限切れで道半ばにして返却しなくてはならない。ま、こういう「面白い本」もあるのだとわかったところで、勘弁してもらおう。
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