mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

佳い年になりますように

2023-12-31 20:20:34 | 日記
 カミサンの姉が12月下旬に亡くなり、喪中となりました。享年89歳。ま、天寿を全うしたと思うほど穏やかな晩年でした。この方の来し方を振り返りつつ、私たちの八十年に思いを致しています。
 とは言え、9月に設定した2024年正月の過ごし方は変更しようもなく、今日、孫が一人やってきました。話し方も話の中身もすっかり大人となり、爺さん手打ちの年越し蕎麦を頂戴しつつ、夕食にワインで乾杯しました。お酒はまだ美味しいと思えないようです。
 明日朝出発してスキー場で三が日を過ごしてきます。現地でもう一人の孫と合流、さて、スノボかスキーか、この子らの事前調査の綿密さと実際の過ごし方がうまくマッチしますかどうか、もう手の届かない世界をちょっとイメージして、付き添っていく次第です。
 皆様にとって佳い年になりますようにお祈りしつつ、晦日にアップします。明日から3日間はお休みします。

ちゃらんぽらんの根っこ

2023-12-31 08:51:51 | 日記
 オモシロイ小説を読んだ。寺地はるな『川のほとりに立つ者は』(双葉社、2022年)。人が出合い、関わりを持ち、人を知るということが、どういうことなのかを問うている。
 日本語の「あう」ということも、合う、会う、逢う、遭うと、表記でさえ幾通りかある。もともと「あふ」という音があり、それに漢字が当てられた。言葉の発生的な流れを辿ると、一つの「あふ」事象を表現するオン(音)が、いくつもの「であい」に分岐していったと考えていくと、よく理解できる。
 大野晋はこう解説する(古典基礎語辞典)。
《もともとは二つのものが近寄ってしっくりと調和し、一つに合体することをいい、うまく重なる、符合する意》
 なるほど、出発点がコレか。そしてこう続ける。
《『万葉集』には心が同意することから生じた、契りを結ぶ・結婚する意の例が多い》
 えっ、いきなりそこまでいくのかい?
《また、二つのものが互いに近づいて一つ所でぶつかるところから、出合う、立ち向かうの意》
 と、続ける。大野晋は発生的に書いているわけではないのだ。ところが、
《これが、さらに、対抗する・闘う意へと発展した》
 いや、発生的に書いているのかも知れない。つまり言葉の発生が、事象を感知する五感の感触を表現するものだと考えると、「あふ」はそもそも「心が同意すること」を指していたと考えるのは、順当かも知れない。そのうち「同意」は別として、何事かに出喰わすとか、災難に遭うというのも「あふ」ことから派生したと見るのは可笑しくない。そこからさらに、「道に闘(ア)ふ(遠征の道において闘うこと)」とか「虎にあひて、一矢を射て死なばや」と大野晋は例示をしている。試合という「合ふ」も、闘う意の派生であろう。
 こうした言葉の語源と意の広がりを見ると、同音異義語の多い日本語はずいぶん音を節約して言葉を使い回してきたように思える。「あふ」がそうであるように、会って後に「しる」となると、これまた多岐に分かれる。
 大野晋は語源をこう記す。
《シルの原義は物事の状態・内容・性質・なりゆきなどを、意識の中で、はっきりと認識して理解すること》
 一つ教えられたのは《シルシ(著し)と同根。シル(知る)は場所や土地を隅々まで自分のものとするときに用いるシル(領る、領有する、統治する意)と関連があると考えられてきたが、この二語には意味的に隔たりがあり関連が認めがたいので別語として扱う》と前置きがあったこと。所有の感触と重なってくる。
 これまでずうっと「シル」を私は「意識の中で、はっきりと認識して理解すること」と思ってきた。だがそれが所有するという身体的感触と同根というのは、どちらが生成的に先であったかはワカラナイが、身の裡から湧き起こるヒトのクセという好奇心の源を言い当てているように思える。「知る」を「領る」と重ねることは、身の感覚として、直感的にだが、腑に落ちる。
 人と出会う→人を知るということを、感知する→意識する→理解する(→わかる)→はっきり判断して見分ける→わきまえる→弁別する→考慮する→経験する→交わって親しむ、と派生展開すると大野晋は記述する。自動詞的な「わかる」を彼は、他動詞的な語釈の後に位置づける。他動詞的な展開の中に(→わかる)のように自動詞的な用法が挟まっている。しかし、主語のワタシを軸に見ると、気が付くとあるコトを(感知している→意識している)が自動詞の(→わかる)と表現され、その後に、誰が?→ワタシが・・・と胸中には生成して来るように思える。つまり最初から主語が措定されているのではなく、自然との生成的なカンケイを勘案すると、主語はあとからついてくる。これが「自然(じねん)」なんだと言えるように思う。
 いやいや遠回りをしている。冒頭の寺地はるなの小説は、人が人と出会い、人を知ること、理解することが、いかにムツカシイかを、ほぐしていこうとしている。だれが、だれを、いつ、なぜ、どのように「知る」のか、「理解する」のか、解きほぐせばほぐすほどわからないことが浮き出してくる。そうして辿り着くのが表題となる。

 川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない

 わが身にしてからが、自身が如何程の石を、その水底に沈めてきているか知らない。にもかかわらず、ヒトというのはカクカクの故をもってシカジカの振る舞いに及んでいると、水の流れを見てこの世のメディアは解釈・解説する。その根拠は、ワタシもそうだからと人類史的共感性をベースにする。だが、そうか。川のほとりに立つ者は、水の水量や流れ、水面の勢いや澱みに目をやっているだけではないのか。水底を覗いているか。水底の石の数に思いを致しているか。そこまでの共感性を動員せずしてどうして「わかる」と言えるのか。「わかったふうに」人の振る舞いを云々できるのか。そう作者は問いかけ、読者が自問自答することへと道筋をつける。でも「知る」ことの曖昧さは、変わらない。だがそれでいいのだ。言葉にしたって、ちゃらんぽらん。「あふ」も「シル」も曖昧模糊。いくら腑分けしても、水底の石は身に刻まれたまま。
 そうだよ、私はワタシの水底の石の数さえ知らない。でもワタシが私であり、私がワタシであることは信じて疑わない。それがイイことかワルイことかも、もちろんワカラナイ。ただ、疑わないからこそ、昨日の私は今日のワタシと、時間軸だけが外的に動いているコトと感知して自我の一体性を保っている。これがイイことかワルイことかもワカラナイ。
 それを放擲して、周りの人からこの人認知症よと言われても、茫茫と、ニンチショウって何? と口にしながら、気儘にふるまうのも、オモシロイかもとおもう。
 もっとちゃらんぽらんに。もともと、ささらほうさらなのだから。

この一年

2023-12-30 10:11:21 | 日記
 2023年という一年は私にとってどんな年であったろう。でもコレって、何を考えているんだろうと、考えているワタシをさらに一歩退いて眺めるような気分が浮かんだ。
 年末の新聞・TVに「この一年を振り返る」という記事・企画が登場する。これらは、誰にとっての・・・という視点が隠されている。記事・企画をしている記者・ディレクターは、隠しているとは思ってもいないに違いない。「政治」や「経済」、「国際関係」、「科学」、「芸術」、「芸能」なども、公平公正、客観的に見ていると公言している。神の目のような視点と私は思っているが、実はそこには、その記者・ディレクターの無意識が隠れている。
 人は一様ではない、多様だとごく普通に言われるようになった。それは感覚や感性、性格や資質のちがいという個体の差異を指していることが多い。だが、社会的な情景に位置づけてみるときには、その個体の差異を生み出す社会的な関係に目を留めなければならない。個体の差異という生命体としての違いで言えば、ヒトとしての感性や感覚などは99.99%同じと言ってもいいくらいだ。どれをとっても、人類史の辿ってきた径庭が、微細な差異の蓄積を伴ってそれぞれのヒトに堆積し、無意識として身の裡に潜んでいる。それが社会的情景においてみると、人の感性や感覚、個性や資質の違いとして現れている。そのヒトが身を置く社会的情景こそが、モノゴトを見る視点をかたちづくる。
 客観的というのは、つねに差異を生み出す社会的根拠を意識し、見ている事象をどんな次元で見ているのかに応じたフィルターを通して差異を無化する。神の目である。それは、そうした社会的情景とそれに起因する差異を無化する視線を指している。
 公正とか公平というのは、社会的情景とそれに起因する差異が社会的情景のもたらす力関係の作用を受けていることを意識して、そのバランスを取ろうとすることだ。それは動態的であり、どんな場でどのようにバランスを取るのかによって一様ではない。つまりそれを記述する記者やディレクターの無意識も作用するから、公平公正もまた、つねにつねに批評と批判に晒されて動き回っていると言える。
 いやいや、横道へ逸れた。でも、こうして一つひとつの私の言葉を吟味してワタシの言葉で改めて概念規定することが、もう一歩進んだのも今年一年のワタシであった。どんな言葉を吟味してきたかは、このブログを読んでもらうしかないし、それを改めて、コレとコレと並べてみる趣向はもっていない。
 門前の小僧は境内には入らない。
   *
 さて今年のワタシは何をしたであろう。
(1)左手掌(デュピュイトラン拘縮)手術のリハビリにキリを付けた。
 恢復したわけではない。縮んでいた手掌は慥かに伸びたが、逆に曲がらなくなった。手術をするんではなかった。握力は極端に低下した。左指のブラインド・タイピングができなくなった。医師は済まなさそうに「その後」の診療を約束しているが、細かい神経を腑分けして行った全身麻酔の手術であったから、こうしたこともあるだろう。仕方がない、と諦めた。
(2)四国お遍路の区切り遍路・第3回目と第4回目を3月と11月に行い、88番札所まで経巡り、結願した。空っぽのワタシに出逢えた。
 「発心」したのは2005年1月、62歳の時。退職後、「体を動かすこと」を発心したのだと、いま思う。山歩きはしていたが、それが途絶えた後に「歩くことがワタシになる」とは思ってもいなかった。
 このときは5日間で切り上げている。子細の記録もない。日々、どこをお詣りした、どこに泊まったと日誌に記しているだけ。札所の間の距離を調べてみるとおおよそ120km、24km/日の歩行となる。
 第2回目遍路は2022年4月、79歳。山で遭難して一年後のリハビリであった。17日間歩いて「飽きちゃって」切り上げている。420km、25km/日のペース。
 第3回目遍路は2023年3月、80歳。19日間、580km、30km/日。「ワタシには信仰心がない」ことを確認した。このときは当初の予定日に切り上げている。
 そして11月の第4回遍路、81歳。11日間、320km、28km/日。「空っぽのワタシ」を発見したと言えようか。
(3)7月に笠ヶ岳に登った。リハビリを続けていた山歩きにどれだけ躰が耐えられるかのお試し登山。
 普通よりも1日宿泊を増やして何とか完登した。その時、84歳でなお槍ヶ岳への「裏銀座コース」を歩く予定というグループに出逢った。私は歩いていない。来年行ってみたい。だが単独行は心配というカミサンに配慮して、誰かに付き合ってもらおうと考えている。さあ、そのためには平地を歩いているだけでは適わない。春になったら丁寧に体を作って行こうかと思いが湧いている。
(4)半世紀以上続く毎月の例会がある。「ささらほうさら」の会。めちゃくちゃとかワヤになるという混沌を意味する秩父地方や山梨県などの方言である。
 コロナ禍で例会がしばらく休止していた今年1月、会の実務の中軸を担っていた方が亡くなった。それを機に、例会を4月から再開した。休止期間中も発行していた私の個人誌「ささらほうさら・無冠」が、しばらく前から会員の原稿も載せるようになり「会誌」の色合いも帯びるようになっていた。私がつれづれなるままにワタシの吟味を綴る「mukan's blog」の、ひと月分の内のいくつかを選択してアップする。それに対するメンバーのコメントが寄せられる。それがワタシに突き刺さる。そういう遣り取りが、徐々に濃密になっている感触。いい年になった。
(5)還暦で退職した頃から再会した高校の同期生の在京組が集まるseminarにする核であったマンちゃんが8月に亡くなった。享年82歳、男の平均年齢である。小学生時代からのワタシの親友。
 話は前後しているが、これを機にseminarは消滅した。同期生の集まりはその後も行われている。だがワタシにとっては、すっかり消えてしまった。ああ、こういうふうに人はこの世から消えていくものだという感触が、seminarばかりかワタシの身をとらえて溶けていくように感じられる。
   *
 そうだ、八十路の八十爺になっていくとはこういうことだと、日々のわが身を受け止めながら、今年を振り返っている。

「今年のワタシ」イブ

2023-12-29 08:27:29 | 日記
 やっとガラス吹きを終えた。今日は外側。面白いと思ったのは、ガラスにつく汚れも引力に影響されているのか、上の方は薄く、下の方の汚れがひどくなっている。それとも、実はそれほど汚れに違いはないのに、それを見ている私の視線と午後の陽ざしのさし具合が作用しているからそう見えるのか、ワカラナイ。
 もひとつ、小窓のベランダに出て汚れを拭くとき、狭いベランダからひょっとして落ちるんじゃないかと思った。ほんの2メートルくらいの高さだが、落ちると骨を折ってしまう。これまでそう感じたことはなかった。この感じ方も歳のせいか。1年前に感じなかったことだったか、同じように感じたことを忘れてしまっているのか。ははは、いずれにせよ、これは歳のせいだね。
 図書館へ読み終わった本を返し、予約本の2冊を正月用の読物として借りる。ついでに往復3キロ足を伸ばして生協で買い物をしてくる。お店は買い物客で一杯。といっても精算所はスムーズに流れ、待つことはなかった。どうしてだろう。
 夕食時にどぶろくを頂戴する。3月の三原村の民宿・クロウサギで頂戴したときとはちょっと味が違う。どぶろく特区である村の後継者を育成することもあって、クロウサギ制作ではなく三原村共同醸造にしたと言うから、味も変わったのかなと思った。みると飲んだのは「あのこ」辛口。もう一つの「このこ」甘口もきている。これを美味しいと思ったのかも知れない。何しろ三原村南側の山を越えて1日歩いて到着した後だったこともある。これはうまいと思って、カミサンにも送ったくらい。ま、後で飲み比べてからにしよう。
 あっ、そうそう。夜中のトイレ、目を覚ますことなく8時間。水不足よとカミサンは言うが、さてなぜだったか、ワカラナイままになった。
 久しぶりに小説を読む。まだ読み終わってないから感想を言う段階ではないが、付き合っている人の、ここまで生きてきた関係が静かにほぐれてくる記述の運びは、とても自然の成り行きと感じられ、好感を持って読み進めている。この運びに対するワタシの感触は、ワタシが「自然(じねん)」と口にして意識していることと深い関係を持っているかも知れない。これも読み終わってから、あとで考えてみたいテーマになるかな。
 まあ、こうして私の年の瀬は過ぎてゆく。明日あたりに、今年一年を振り返って、ワタシにとってどういう年だったろうと考えてみることもしてみようか。ふと、そう思った。

家庭って何だ?(4)平穏というざわざわ

2023-12-28 11:25:59 | 日記
 しばらく前に呼んだ新聞の「投書」が気になっている。「悩みのるつぼ」という欄への「家族と暮らすのがしんどい」という「男性 20代」の人生相談。回答者の清田隆之は冒頭でこう要約する。

《家庭は平和で、特別な問題はない。でも、相談を適当に流されたり、元気ない自分を見せられなかったりするのはしんどい。家族には支えてもらった恩があり、頑張ってちゃんと振る舞おうとするも、やっぱりしんどい。家を出たいが反対され、「恩知らず」という旨のことまで言われた。そういう中で罪悪感や自己嫌悪が募り、精神的な限界を迎えているのが相談者さんの現在地だと思います》

 回答者の「要約」は相談「全文」の約4割ほど。私は一読、「男性20代」が脱皮のときを迎えて葛藤していると感じた。20代というのが、遅いと思ったくらい。
「両親との仲も良く、平和な家庭」だが、「自然体でいることができません」という。「仲が良い」とか「平和な家庭」というのが、〈親の子〉で過ごしていたこれまでの「かんけい」。親が保護し、子は護られていることを自然として、無意識に受け容れてきた。それが、なぜか居心地が悪いと感じるようになって「自然体」ではないと思う。独り立ちの季節を迎えているよと躰の無意識が内心に呼びかけている。そういう自分を《人として「欠陥品」のように思えます》というのは、アタマがまだカラダの無意識を受け止めかねているってことではないか。
 回答者の清田は《そもそも、家族だからって自然体でいられるとは限らないし、どんなに素敵な両親でも相性が合わないことだって全然ありますよね》と、相談者の内心の変容をみていない。まるでスティルカメラのように、相談者の文言の光景を、そのショットでとどめて、その関係に言い及んでいるみたいだ。
 その昔「人はその本能が壊れている」と言ったのは岸田秀という精神分析学者だが、それに加えてそれを取り繕うために、いろいろな衣装を着るようになったとまでは言わなかった。子が独り立ちするのをうながすのは親の役割だ。たいていの動物は母親が育て、その時期が来たらオスの子は(縄張りの外へ)追い出す。それは親が見極めているようだ。
 ところが人は、家族制度が父系制になったために嫡男を家にとどめる。母系制の「本能」は失われた。そこへもってきて近代社会の豊かな暮らしの核家族化に少子化が作用して、親が子を遠方へ手放さない社会常識が行き渡ったのであろうか。親の自律/自立もひ弱になってきたのかも知れない。時代によって着ている衣装もいろいろと替わってきたようだが今、子自身がよほど親と不仲になって出て行くか、進学とか就職とか結婚や転勤という外的契機の然らしむる他は、親と子が同居を続けることが多いようだ。引き籠もりもまた、そのようなカタチの極限形態を示していると思える。
 回答者の清田は「段階的家出」を提唱し、《自分を大切にすることが最大の親孝行であり、一時的に親を悲しませることがあってもまったく問題ないと私は思います》と、親子の関係を壊さないままで独り立ちすることを奨めている。
 そうかなあ。脱皮するというのは、親と子の関係を一旦壊して再構築することなんじゃないか。関係を変えずに、いつの間にか換わっているような自然の成り行きでは、どこまで行っても、親と子両者の身の無意識が、そのまんま付き纏い、結婚するとき、結婚してから、孫が生まれてからと、家族関係が変わっても、親と子の両者の心的依存関係は変わらずに付き纏い、相談者の「悩み」は続くんじゃないか。私にはそう思える。
 親が子にかける思いと子が親を想う思いは、対称的ではない。元服が、ただ単に大人になった儀式ではなく、武家であれば隠居する親に代わって出仕して務めを果たすことであったように、どこかで子が大人になったことを認知する儀式を、独り暮らしというかたちで、心持ちの切り替えを伴うこととして行う必要があるのかもしれない。そういう社会的波動が起こってこないのだとしたら、そこにこそ列島民族的な危機を感じた方がいいのかも知れない。
 平穏に慣れ親しみ、いつしか馴れ染みこみ、すっかり無意識に寄りかかって暮らしていると、動物としての波動さえも感知できなくなって、ヒトはすっかりへたれてしまう。そんなことを考えてしまった。