mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

日頃が日頃だから、ザンビアの反乱

2020-05-31 10:28:57 | 日記

 中国が香港の締め付けをはかる「国家安全法制」を決めたことに対して、アメリカのトランプ大統領が「香港優遇策を撤廃する」と発表した。抜き差しならない「関係」に突入するような気もする。だがわからないのは、トランプさんの方。
 彼は本気で、香港の自由や人権を考えているのかね。中国が香港の締め付けを強化しようと考えていることは、疑いない。彼らは共産党独裁を維持するためにも、香港の自在さを公認しておくことはできないとみている。たとえ50年とは言え、自由社会の自治的な運営を香港が「共産党独裁・中国」に見せつけ続けるとしたら、「国内問題として」捨て置けない「世論」が熾火のようにくすぶり続け、いつ発火するかわからない火種になる。ウィグル自治区への強圧的な「民族浄化的な弾圧」も、それゆえに、そこまで過酷な事態に行ってしまったといえるからだ。もちろんすべての事実は(国内問題であるとして)「極秘匿」のままである。
 
 中国は(香港問題は)国内問題である、アメリカは「内政干渉している」とトランプに反撥している。この「内政不干渉」という理念自体、帝国主義隆盛の頃に植民地が独立していく時代の、いわば植民地・途上国がわが身を護るために帝国主義・宗主国に突き付けた理念であった。
 その理念を用いて、「一帯一路」というかたちでいままさに世界帝国として覇権を宣言している中国が、(「内政干渉」として)他国からの批判を斥けようとするのは、まだ中国自身が、植民地時代の感性を抜け出せないままに、理念を反故にしている滑稽さを表している。まさに、前時代の遺物。でも今、こういう指摘をしても、「中華帝国」は聞く耳をもたないでしょうね。
 
 じつはトランプもそうだが、習近平も香港の経済的価値を秤にかけて、押すか引くかを算段している。香港が自治的な領域と認められなければ、貿易に関する、金融取引に関する(先進国としての)優遇措置を受けられない。それが、香港トンネルを通して世界経済に位置を占めている中国にとって、どれほどの痛手になるか。アメリカにすると、香港に投資、あるいは進出している米国企業の撤退を促す結果になる。あるいは、中国の製造に依存する米国社会の「地球規模」の膨張経済が縮小を余儀なくされる。つまり双方が、経済問題で争っているんだと認める限り、妥協する着地点を探ることは見通しがないわけではない。
 
 だがそのとき、香港の自由と自治は、どうなるか。むろん、トランプさんにとっては、第二義的な「課題」である。まして、11月の大統領選挙目当てのパフォーマンスとあっては、香港の自由と自治は、第三義的、第四義的と順位が下げられて、いずれ何処へ行ったかわからないあしらいになりかねない。とどのつまり、ウィグル自治区の人たちが受けているように、あるいはチベット自治区とそこを追い出された人たちがとっくに手を出せないでいるように、見放されてしまいかねないのだ。
 
 つまり、トランプのアメリカはすでに、自由や人権を語る「理念」も、ビジネスの取り引き材料に過ぎなくなっていることが、日ごろの言動で明らかである。
 古い理念を持ち出す習近平さんの中国が果たして、これをビジネスとみていくかどうかは、わからない。文民統治が利いているのかどうかもわからない人民解放軍などは、そういう商取引的センスを断ってでも「国民国家」的な独立自尊を堅持するであろう。一帯一路という世界制覇を争っているという「理念」こそ、彼らの心を震わせ、行動の瞬発力を引きだす力になっている。そう考えると、中国が、「妥協する着地点」を見いだすように動くとは、容易にいえなくなる。
 
 日頃が日頃だから、トランプを真に受けると、香港市民は(ほぼ間違いなく)裏切られることになる。では、イギリスも加わっている国連の安保理などは、どれくらいの力を持つことになるだろうか。「国際世論」という(これ自体何を指すのかよくわからないこと)のが、どれほどの「ちから」になるのかわからないが、せめて「世界の良識」に呼び掛けて、自由と自治の理念を甦らせなければならないのかもしれない。
 そこへ飛び込んできた、ザンビアの「中国企業幹部3人の惨殺」という報道。ここも、日ごろの振る舞いが我慢の限界を超えてしまっていることを伝えている。習近平さんばかりでなく、外国人労働者を受け入れている安倍さんも、マルチチュードの反乱が、人間をないがしろにする文化の綻びから発生することに心配りをしなくては、人間社会の総体を語る資格はないと、考えくださいな。

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六日の菖蒲十日の菊

2020-05-30 14:53:20 | 日記

「緊急事態宣言」の解除になったあとの金曜日、「ビールパーティをやろう」という呼びかけでご近所のたけのこ公園に集まって、3カ月ぶりのおしゃべりに興じた。年寄りばかり。銘々が飲み物とお弁当を持ち寄り、3時間ばかりを過ごした。通船堀の竹林脇に設けられたたけのこ公園は、訪れる人も少なく、東屋があり中央の支柱を丸く取り囲むようにコンクリートのテーブルと固定椅子が設えられている。
 2月までは毎週一回のストレッチ体操で顔を合わせていたが、その後は無沙汰していた。久々の顔合わせ。コロナにまつわる世間話に花が咲いた。集まってもののうち、「定額給付金」を受け取っていたのは一人だけ。「使わなくちゃあ、経済の活性化に役立たないからね」と、テレビのモニターを大きくするとか、スマホの旧機種を新しくするなどとお気楽に弾む。と同時に、この先どうなるんだろうと、新型コロナウィルスという大自然に向き合うジンルイの心もちを示すようにも広がる。
 持ち込んだ缶ビール1本とワイン2本を私は空けて、どうやって帰宅したかもよく覚えていない体であった。
 
 そして帰宅してみると、「定額給付金」の通知が届いていた。役所に持参して振り込んでもらうのかと思っていたら、そうではなかった。「通知用紙」に書き込み、「証拠種類」のコピーを添付して送り返し、その口座に振り込まれるのだそうだ。これで世帯主8000万人のやりとりをすると、通信料金だけで130億円超かかるんじゃないかと、よけいな計算をしてしまう。
 必要なところは全て印字されている。署名と電話番号と振込口座番号を記入するだけだから、何でこんなに手間取っているのか、わからない。だが投函しても、土日だから、役所に届いて振込手続きをしてもらっても、6月になってしまう。
 まさに、六日の菖蒲、十日の菊だねと、カミサンと笑う。
 えっ、菊はまだ気配もないよと、カミサンは言う。そうそう、アベノマスクというやつは音沙汰もない。ま、棚ぼたを待っているほどの期待感もないからどうでもいいのだが、「全国民に配布」というのが届かないとムッとしてしまうってのも、まったく凡俗だよねと自分を嗤う。

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アフターコロナ―:アメリカからの自律が問われる事態に

2020-05-30 14:53:20 | 日記

 東洋経済onlineの2020/05/26号と5/27号の《8割おじさん・西浦教授が語る「コロナ新事実」》のインタヴュー記事が面白い指摘をしている。西浦教授というのは、疫学の専門家会議のメンバーで、北大の教授。「8割おじさん」という異名は、外出や営業自粛の根拠となった「蜜になる度合いが8割減になれば」と提唱したことから生まれた。
 この中で西浦教授は、実行再生産数について詳しくやりとりしている。簡略に言えば、新型コロナの感染度合いを推し量る数値のことだ。一人の感染者から何人にうつるかという理論値である「基本再生産数」に関しての世界的な認知が得られているが、実際の感染者から何人に感染しているかという「実行再生産数」は、いろいろな算出法が行われていて、これぞという確定的な方法ができているわけではない、という。
 どういうことか? 「基本再生産数」は人の振る舞い方のモデルを設定して、それに基づいて算出する。つまり人の異質性を考慮しない。だが「実行再生産数」は、年齢による違い、生活環境による違い、文化による違いなど、人が一様でないさまざまな振る舞いをすることを算入して、感染度合いを割り出すから、確定的なパターン化ができていないということらしい。
 そう聞いて私は、ああこの専門家の目の付け所は信頼できると思った。
 もうひとつ西浦教授が注目しているのが、「集団免疫」といわれる、社会全体の感染割合が何%になれば爆発的な感染状態が収まり、社会的な定常状態(自然減)に移行するかという%数値である。今のところ私は、イギリスの首相が当初「60%になれば収まる」と、高齢者の致死率の高さも、やむを得ない社会的コストのようにみていたことで、「集団免疫」の%数値を知った。西浦教授は、「基本再生産数」と「集団免疫率」とが逆数になっているとして、次の表をあげて話しを展開している。

 そして従来、「基本再生産数2.5の想定では、人口の60%が感染すると、新規感染者数は自然に減少に転じると、これまでの数理モデルでは計算されてきた」が、「集団免疫率」が30%程度で自然減に転じるといえるのではないかと、具体的な数値を提示する。
 
 スウェーデンは、この「集団免疫」を獲得するまではやむを得ないとして、放置状態でコロナウィルスに向き合っているという。その死者数は4000人だが、人口比で日本に適応すると、4万人の死亡者数ということになる。5月29日現在900人未満にとどまっている日本の死亡者が4万人となったら、どうだろう。果たして日本人は、この数字に耐えられるだろうかと、西浦教授は問う。
 日本は、奇跡的に感染度合いが低く、死亡率も低い。西浦教授は、日本の「集団免疫」の割合は、大きく推定しても1%にみたないとみている。その謎はまた、別に追求されているようなのだが、西浦教授の関心は、国際的な感染率や集団免疫率の跛行状態が生じているために、コロナ後の世界関係で、面倒が起こると指摘する。
 
 彼の指摘の一つがアメリカのコロナウィルス感染の進行と経済活動に関するアグレッシヴな態度である。つまり、アメリカがある程度の集団免疫を獲得したとき、当然のように日本に対しても市場の開放や往来の自在を(航空経路の復活をふくめて)要求してくるだろう。その時日本は、「防疫」を理由に、制限を加えられるだろうかと苦慮している。
 つまり疫学の専門家といえども、アメリカの現政権にべったりの日本政府の態度からして、経済活動の制限ができないのではないかと、心配している。この地点に来て、日米関係における日本の基本的立ち位置が露わになる。
 もしアフターコロナの国際関係を思い描くなら、米中対立の相剋をとらえて、自ら歩きだす道筋のイメージをしっかりつかんでおく必要がある。つまり、疫学的な感染の広がりを示す数値だけでなく、独自に科学的な数値で進路を選択することのできる立ち位置を築いておかねばならないのだ。
 疫学の専門家がそこまで思慮を巡らしていることに感心するとともに、そういう不安を、言わば専門外の人たちに抱かせる日本の外交関係の定まりがたさを、まず自認することから再スタートするしかないよと思う。

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アフターコロナの山歩き

2020-05-29 08:56:22 | 日記

 昨日、登山四団体が(5/25)「自粛解除後の山岳スポーツ再開にむけての活動ガイドライン」を発表したことが報道されました。要点は以下の6点。主要には2~5の4点です。

1、近距離100km圏内程度でできるだけ都道府県を跨がない日帰り登山から始めましょう。
2、体調不良(平熱を超える発熱、悪寒、倦怠感、息苦しさ、咳等)での登山は止めましょう。
3、登山は、少人数で行いましょう。(パーティーは、当面5名以内で。)
4、登山中でもマスクを着用しましょう。マスク着用時は、熱中症及び脱水には十分留意し、こまめに水分摂取を心がけましょう。
5、登山、クライミングジムでのソーシャルディスタンスを守りましょう。 一般的には2メートル前後ですが、登山中の場合は、さらに距離が必要と言われています。
6、自粛期間中、季節や地震による山容の変化、登山道の荒廃など思わぬ危険が潜んでいます。十分な登山ルートの下調べと地図、コンパスの持参、登山届けは必ず提出し、家族にも残しましょう。
 
 日本野鳥の会などが発表している「ガイドライン」15項目に較べると格段に少ないのですが、野外活動の性格も違うし、グルーピングの仕方も異なりますから、登山の方が少ないのは、よくわかります。でも、「4」などは、そうかなと思います。もちろん感染者とともに歩くとすると、マスクをしている方がいいのでしょうが、「5」でさらに「4」というのは、念の入れ過ぎのような気がします。ま、山ですれ違う人もいることでしょうから、マスクをもっていくのは必要でしょうね。
 
「2」や「6」は、年寄りの山歩きでは、コロナに限らずこころがけること。と考えてみると、ずいぶんさっぱりしています。やはり山歩きは、3蜜から離れる遊び。つまり都会的ではないということですね。
 
 早速、6月の計画が決まりました。と同時に、できるだけ公共交通機関を使わないアプローチの方法を考えますと、行き先がある程度限定されます。それでも埼玉という位置は、もし都県境を越えても良ければ、神奈川・山梨から群馬・栃木まで、ずいぶん広い範囲を日帰りできます。毎週登っても、何年も歩くコースが設営できるところです。関東平野の真ん中、ふだん山へのアプローチに時間がかかるという地点が逆に、好立地になっているというわけです。
 だが、都県境をまたがないという、自粛全面解除ではない事情がありますから、いまのところは、奥武蔵と秩父地方程度にしておくほかありません。それでも一年間くらいは、その気になれば、毎週歩くことができます。
 
 自粛期間中、ここ8年間の山の会の山行記録を整理しています。ちょうど私が(数えで)古稀の歳からの、個人山行を除くもの。実に四百字詰め原稿用紙で1600枚を超えています。略記していた人名を起し、半角で記した数値を全角に直すなど、細かく手を入れて、できれば、自前でデザインして、製本にまでもっていこうかと考えてとりかかりました。そういう「目的」をもつと、こつこつと作業は持続します。なによりわが身が歩いてきた形跡が、一緒に上った人のたたずまいと共に甦ってきますから、身に刻まれてはいるがすっかり忘れていた自意識が思い浮かび、現在との距離を感じさせます。そればかりか、身体の傷みが、あちらこちらに起こっていたんだなあと、加齢によるわが身の衰退遍歴が読み取れて感慨深いものがあります。そう考えると、コロナどころか持病を抱える末期高齢者という立ち位置こそ、山歩きができるのかどうか、どう登りどう下って無事に帰ってくるのかと慮らなくてはならないといえます。モンダイは、3蜜なんてもんじゃありませんね。

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「特別定額給付金」の「寄付」を予算化すること

2020-05-28 17:35:55 | 日記

 兵庫県加西市が、新型コロナウィルス感染にともなう「特別定額給付金」10万円の市職員分6000万円を「寄付」してもらうとして、議会で可決したことについて。
 加西市長は「圧力と感じている職員はいない」と記者会見で述べているが、どうかしてるんじゃないか? 「皆さん、賛同してくれている」とも。
 おまえさんがいうことではないだろうと、思わずTVの画面に毒づいてしまった。
 
 中国縦貫道に沿う、兵庫県の西寄りの町。加古川市の北にある加西市は、人口が4万5千人ほどの都市。かつて三洋電機のお膝元として繁栄した。
「寄付」を予算書に盛り込み、議会で可決するってのも、変だ。市町としては、苦肉の策のつもりなんだろうが、これじゃあまるで、北朝鮮だ。
 これを取り上げたTV番組は、「寄付が匿名とかなら・・・」とこざかしいことを言っているが、それも違うだろうと思う。加西市が財源に困っていることだけは伝わってくる。小さな地方工業都市だ。といっても製造業よりも第三次産業が多く、今回のコロナウィルス操業自粛があったとすれば、困惑したに違いない。といって、公務員の給与の削減に切り込むには、壁が厚い。ならば、今回の「特別定額給付金」という棚ぼたをそっくり頂戴してはどうかと、「名案」を思い付いたというところか。たしかに、公務員は今回の「緊急事態宣言」の自粛要請による損害を受けてはいない。だからそっくり寄付してもらっても、ご本人の懐は痛まないじゃないかと考えたにちがない。
 でも、支給は「全国民に」だから、政府がとった税金を変換していると考えると、給与の被害があったかどうかは関係ない。もし損害の応じて支給するというのなら、そういう名目にしてくれよと、受け取るご当人は思うに違いないし、その方が筋が通っている。
 
 何がモンダイなのか。加西市の市長が、本来国に要求するべき財源を、一番取りやすい足元の市職員に求めたことが、いけない。「寄付」という社会慣習がない日本だから、議会で議決してというのも、とんでもない見当違い。必要な財源を提示して、正々堂々と国に請求する。むろんそれが適えるとは思えないが、そののちに、かくかくしかじかに用いる財源がないので、ぜひとも「特別定額給付金」の一部でも「ご寄付願えませんか」と、市民全体に呼び掛ける。その方がよっぽど、市民の共同性をはかるうえでも、効果を発揮すると思う。たとえ寄付が集まらなくても、その「寄付」によって「補償を受けるべき」産業の人たちは、何とか頑張ってやっていこうと思う。実際の金もそうだが、それ以上に、そういう心意気があるだけで、何とか持ち堪えようという気持ちが、湧き起るものだ。
 
 政府は「第二次補正予算」をまとめた。それによると、「予備費」が10兆年もあるというではないか。加西市長よ、もっと政府に然るべく財源をよこせと、「お願い」するのではなく要求する姿を、加西市民に見せた方がいいのではありませんか。

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