mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

第16回Seminar ご報告(3) 夫婦が「道」を同じくすることはいいことか

2015-09-29 09:07:59 | 日記

 「ご亭主といつ知り合ったの?」とNさんに対してFjwくんが「取材」をしている。同じ大学の先輩と後輩、音楽を共に専門とするご亭主の助力あってこそ、今回の、住まいから700㎞離れた草津Seminarも可能になった。話を聞いているだけで、二人の仲の良さが際立つ。それに触発された話が出来する。

 

Snさん:「同じ音楽を専門にしてて、良かったねえ」と感に堪えないように言う。
Fjtくん:「いや、案外それは、そうでもないよ」と、趣味や専門、すすむ道が同じであることは、夫婦としてやっていくうえでは、なかなかむつかしいことじゃないかと、異を唱える。
Sn:「どうして? おんなじことぉしよんじゃから、普段からいろいろ話もできるし、援けあうこともできるんじゃない?」
Fjt:「そういう関係が二人の間で安定するのには、かなり時間がかかってるんじゃないの。専門が同じってことは、競うようになるでしょ。」
**:「ちから関係ってことだよね」
Fjt:「そう。たとえ夫婦でも、いろんなことの力関係が定まらないと安定しないわけよ。」
Sn:「Fさん、あなたは2人とも仕事が同じで、山歩きの趣味も同じじゃない。そりゃいいわよ」
Fjt:「でも家で仕事の話なんかしたことないよ。私の書いたものなんか、カミサンは読んだことないしね。そりゃ仕事については私の方が熱心で理屈をもってると思って敬意を表してたんでしょうけど。山歩きについても、カミサンは百名山をとっくに終わってる。その頃は鼻息も荒かった。だけど、年数を重ねて(今は)私の方が山に関しては力が上だと敬意を表してくれるから、競わないし争わない。その代り、鳥や草木についてはカミサンが私の師匠だからね。私が教えを乞うてる」
Kn:「そうねえ、主人は音楽のことしか考えない。暮らしのことは全部私が仕切るってことになって、家計や資産の管理や投資なんかは、私がやってる。音楽については私より一歩先んじているって思っているから、私も旦那を立ててね」
Sn:「それはそうやね。うちの旦那は自分がこれって思ったら、収支のバランスのことなんか考えないで、やってしまう。今の会社だって、いつの間にか分不相応の借金をして、毎月百万円返済してきてるんよ。その返済は私が(私の蓄えをつぎ込んで)やってきた。それでやっと、このところなんとか回るようになった。資産の管理も、旦那の商売が(負債を抱えて)行き詰っても家庭の方に及ばないようにしてる。もうずいぶん前から毎年、子どもに資産分けをしているし、3軒ある家の名義も、親から子どもに売却するように手続きをして、変更してしまった」
Hm:「やっちゃんは商才があるから、それはできるわ。この人ものすごく金儲けがうまい」
Fjt:「旦那を立てるっていうより、棲み分けるっていうか。家の中の落ち着きどころをお互いがちゃんと持つようになったら、趣味嗜好が同じであろうと違おうと、関係は安定すると思う。それが醸し出す振舞い方ね、それがその家庭のつくりあげた文化と言えると思うんだよね」
**:「うちは(連れ合いが)空気みたいなもんよ」
Kmk:「(さっき歌った)別れても好きな人って歌、良かったわあ。私しゃ別に別れたいって思おとるんじゃないけど、(長年連れ添うと)気にならんわな、旦那がいても」
Hm:「(連れ合いが)こういうもんじゃと思うたら、それで観念できるからよ」


ノザーン・テリトリーの旅(8) ゆるやかにアボリジニに近づく「生き物の旅」

2015-09-28 09:46:15 | 日記

 鳥ガイドのアランさんは、鳥だけを見せてくれたわけではありません。オーストラリアの、ここぞという自然環境とそこに生息する動物をも、極力案内してくれていました。たくさんのコウモリが木にぶら下がっていて、昼間からぎゃあぎゃあと鳴きながら飛び交っていたことはすでに書きました。シドニーでは、太平洋を望む断崖に案内し海鳥を見せてくれたのですが、彼が指さす先の波間には何かがひょいひょいと見え隠れしています。双眼鏡をあててみると、イルカです。イルカの群れが、つぎからつぎへと北から南へと泳ぎ渡っていきます。むろん、海鳥もいるので、たちまち皆さんの関心はそちらに移ってしまうのですが、私はしばらくイルカの群れの浮き沈みの速さと間合いに見とれていました。傍らにいた現地ガイドのノーマさんは、この海の向こうにはニュージーランドがあると、あたかも見えるかのように眼をやって眺めていました。

 

 シドニーでもダーウィンの公園でもウルルへ向かう砂漠地帯でも、ウサギが飛び出して速足で駆け抜けていくのを、何度か目にしました。カカドゥ国立公園で野生と思われるワニや水牛や野豚、野生の犬・ディンゴを見かけたことはすでに記しました。野生の馬の群れ、野生と思われる(やせた)牛の群れが日陰に身を休めているのも見ましたが、それが「放牧」のそれなのかどうかは、わかりません。なにしろ牧場といっても、柵のあるところもあればないところもあるようでした。ただ、柵で仕切られたところの何十頭と連なった牛は、しっかり肉もつき肥えていました。柵のないところのそれらは、がりがりに痩せているように見えました。

 

 Alice-Springsの先にある何とかゴルジュと名づけられた、岩壁が大きく立ちはだかる峡谷の岩場にはワラビーが棲んでいました。岩陰からひょいと姿を現し、しばし何かに見とれている様子。それがぴょいと飛び跳ねると別のワラビーがそのあとを追いかけて姿をみせ、下の岩陰に身を隠します。ワラビーにも何種類もあって、ここのワラビーは「Black-Footed-Rock-Wallabies」と解説があります。ワラビーの足跡もアランさんに教わって知りました。アランさんはワラビーをみてもカンガルーと言っています。尻尾の跡や前足と後ろ足の違いなども見て取れ、それが人の歩く道を横切るところでは、はっきりと踏み跡がついて、人の道に出るところと藪に入るところの木立が擦り途切れて、ワラビーの道を(何カ所も)つくっていました。夜行性なので、人が寝静まるころに動き出しているというのが、頷ける気配です。

 

 有袋類のネズミも、Desert-Parkで観ることができました。Yuraraに近づいたところで、野生のラクダが十数頭、木立の間に立ったり座ったりしています。子どもと思われる姿も数頭ありました。先に記した青い舌のトカゲばかりでなく、名前はわからないのですが、木々の幹をよじ登ったり、アリ塚にしがみついている大きなトカゲも目にしました。何種類かの蛇や蛙、幾種類ものチョウが飛び交っているのも目にしましたが、大雑把にしか識別することができません。

 

 そうそう、アリ塚に触れないわけにはいきません。シロアリが土を唾液で汲み上げて5メートルにも及ぶ高い塚をつくっているのを目にしました。現地ではチャーチと呼んだりタワーとかスパイヤーと呼ぶようで、「アリ塚」を辞書でひいて「anthill」といったら、アランさんは「?……」という間合いをちょっと置く反応をしていました。現地の呼び名の通り、バルセロナのサグラダ・ファミリアのような、ごつごつと尖塔が並び立つ「建築」です。それの小さいのから大きいのまで、あるところにはあるという風情で目にすることができます。色が茶色で艶のあるものからコンクリート造りのように灰色でくすぶるようなものまで、色とりどり。アランさんんピーターの説明では茶色は新しいもの、灰色はすでに終わったものという。どちらかというと、草木が生い茂るところではアリ塚が見当たらず、乾燥したサバンナ・砂漠地帯では大きな尖塔が立ち並んでいます。ポツン・ポツンとアリ塚が見え始めると、ここは砂漠化が進んでいるのかなと思ってみていました。『恐るべき空白』の中では、モモイロインコがこのシロアリを好んで食べるとありましたから、蓼食う虫もいろいろというところでしょうか。因みに、アリにもいろいろな種類があって、ハニー・アントというのはお尻に蜜を溜めていて「おいしい」という。また、グリーン・アントというのは、高いところの木の葉をくるりと巻いて巣をつくる、これがそうだよと、きれいにデザインされたような巣を指さしてみせてくれました。

 

 また因みに、アリではなくハチの話ですが、直径5センチほどの木の実のようにたくさんぶら下がっている「ブッシュ・ココナツ」。 運転手のピーターが落ちているそれを拾って話すに、ハチがつくったものだという。オスバチがこれをつくり、メスがその中に入ると小さい入口から交尾して、巣は完成する(空気を通すために密閉はしないらしい)。メスは卵を産み命絶える。卵は孵り親を栄養分にして育って、小さな穴から外へ飛び立つ、という。みると、ブッシュ・ココナツがたくさん落ちていたりぶら下がっている。その後は、あっここにも、あそこにもと目に止まるようになる。

 

 こうして16日目に私たちはノザーン・テリトリーの最南部、エアーズ・ロックというヨーロッパ人の名付けた地名で知られる「ウルル―カタジュタ国立公園」に入りました。ここは入域自体が許可を必要とする仕組みになっています。そこを訪れる人たちは、隣接したYuraraに宿をとり、ウルルに通います。私たちは「3日間通用のパスポート(記名)」を得て、ウルルとカタジュタに向かいます。オーストラリア原住民・アボリジニの「聖地」とされ、ウルルと現地名で呼ばれるエアーズ・ロックも、アボリジニの始祖に当たる七つの星が降り立ったところとして、サンクチュアリにされていると言います。でも、ヨーロッパ人たちはお構いなしに、その岩山に鎖を張り、標高差300mを短パン・タンクトップ、半ズボンで登っています。ガイドのアランさんも運転手のピーターも、登ることには賛成できないと話していました(でも登れるけどね、と)。私は「エアーズ・ロック」と呼ぶのをやめ、「ウルル」と呼ぶことにして、登りたいと言うのを取り下げました。

 

 そういう私たちの気持ちに応じたわけではないでしょうが、現地のアボリジニ・ガイドをつけて、午後いっぱい、陽が沈むまでウルルの話を聞き、アボリジニの創成の物語りを聞くことになったのでした。(つづく)


第16回Seminar ご報告(2)戦時の名案

2015-09-27 10:33:24 | 日記

 「第九を歌う」が終了した後、ヴィレッジのレストランで夕食。ロッジに戻って2次会。話が弾んで、日付が変わるころまでやいのやいのとやりとりがあった。

 なにより、岡山から来ていたSnさんが「私しゃ自民党員だけど、今度の安保法案は何よ! 我慢ならんわ」と憤懣をぶちまける。同じく岡山から来ていたKnさんが「政治の話はやめようよ」と、諌める。ヨーロッパ人やアメリカ人は、宗教と政治の話はしないというのを良しとしていると、むかし聞いた話を思い出す。Fjtくんが「いや、いいんじゃない。Seminarなんだから」と発言を歓迎する。

 

★ 中国との戦争

 

Sn:「あれじゃまるで、喧嘩を買うぞって言ってるようなもの」と、「安保法案」というよりも「戦争法案」だと批判、「あれじゃ自衛隊員に死にに行けって言ってるようなもんだもの」。
Fjt:「でも、中国が尖閣を寄越せって攻めて来たらどうする?」と問う。
Sn:「戦争するよりも、まず外交戦で交渉するほかないんじゃない」「尖閣くらいやればいいじゃない」と応じる。
Hm:「でもさ、ポーランドの例もあるでしょ。ひとつ譲ると、次をまた譲ることになるよ」と、ドイツに占領され、それに対抗するソ連に蹂躙されたポーランドン話をして、「そう(尖閣が攻められるように)なったら戦うしかないよ」と反対の意を表明する。
Sn:「男ってすぐに頭に血が上って喧嘩腰になるでしょ。嫌なんよ、私」
Hm:「イヤも何も、相手が仕掛けてくるんだもん、黙って(逃げて)いるわけにはいかないよ」
Fjtくん:「いやしかし、Snさんの(戦争はしない)逃げるしかないっていう意見は、面白いと思う。賛成したい」と論議の舞台をつくる。とことん国際世論に訴え外交交渉によって問題解決を図る姿勢を「戦後日本」の基本姿勢に据えたのは、間違いではないと付け加える。
Sn:「尖閣を獲って、次ってことはないんじゃない」
Fjt:「いや、その次には琉球は我が国の領土ってことになるよ。むかし朝貢してたのを日本が奪ったって言ってるんだから」
Sn:「その(琉球を奪う)利益があるの?」
Hm:「太平洋を米中で分けるってことをすでに言い出している。琉球が日本支配から離脱すれば、中国の太平洋への進出が思惑通りになるね。」

 

★ 沖縄の基地依存をどうするのか

 

Sn:「沖縄の知事も、日米間の協議で取り決めたことなんだから、それに異を唱えてアメリカにまで行って直訴するなんて、おかしいじゃない。政府間が取り決めたことなんだから、地方の政権執行者はそれに従うのが道理じゃないの」
Fjt:「いや、それはそれでいいんじゃないか。アメリカは(基地のある)地元の合意を得てほしいと熱望している。それをするのは日本政府の仕事とも言ってるしね。アメリカの映画監督がつくった沖縄の基地と人々を描いたドキュメンタリー映画『うりずんの雨』ってのを観たんだけども、その日の朝日新聞にその映評が載っていて、12歳の少女をレイプしたアメリカ兵にインタヴューしているのを、古傷をえぐるようなことと非難している女性運動家の声を載せている。だけど、映画そのものは、沖縄が本土の人間たちに(薩摩による琉球処分、サンフランシスコ講和条約における沖縄の切り離し、そして、本土復帰後の沖縄への基地配備と)レイプされてるって抉り出していいるんだよね。もしその女性運動家が沖縄人なら、アメリカ兵にインタヴューするよりも、日本人にインタヴューしなよっていうべきだし、もし彼女がヤマトンチューなら、忸怩たるものを感じているって言葉を取り出すよね。取材記者の視線もそういうことに焦点が合っていない。それくらい、沖縄のことを犠牲にしているって思ってないんだよね」
**:「米兵のレイプっていうけど、戦争になるとどこの国の軍隊も狂ったようになってレイプなんかしているよね。日本人がレイプしたことは記事にもならないのに、米兵がやったことは大きな記事になるって、沖縄のメディアが煽ってるんじゃないの」
**:「そう、そういうふうに人間を狂わせるから戦争ってやっちゃいけないんだよ。絶対反対よ。」
**:「沖縄は基地があって経済が成り立っているってことがあるから、基地を残してほしいって意見もあるのよね。辺野古移設反対っていうだけではないし、翁長知事だって僅差で当選したんじゃない。」
Fjt:「でもね、当選したものが知事として施政権をもつのは民主主義の定めだから、それはそれでいいんじゃない。それよりも、(敗戦以来70年かけて)基地に依存するしかない経済にしてきたのは本土なんだから、もし沖縄が望むなら、基地に依存しないでやっているように、70年かけて立て直すって考えなければならないんじゃないかね」
**:「安全保障の点からいうと、沖縄に基地は必要だよね。米軍じゃなけりゃ自衛隊を置くってのならいいのかな。」
**:「沖縄以外の都道府県が、大阪の市長みたいに、わが地方で受け入れるって言わなきゃいけないんじゃないの。どこもいい出さないじゃない。安全保障ってことを考えてないんだよね。」

 

★ 国民皆兵は高齢者から

 

Sn:「自衛隊員だって、なり手がなくなるし、辞める人が出てくるわよ」
Fjt:「そうだよね。今の日本人は、自衛隊を傭兵のように思っているから、命をかける気にならないよね」
Hm:「傭兵って言い方はないんじゃないか。志願して、命懸けで任務を果たすって教育もしてるんだし、実際そうしていると思うよ」
Fjt:「『兵士に聞け』って自衛隊員に取材して、彼らの使命感などを書いた本を読んだことがあるけど、たしかにHmくんが言う通りだよ。でもね、国民の方は、彼らに命を捨ててやってくれって頼む覚悟がないよ。おカネを払ってやってるんだから、彼らはそうするのが役目デショってもんだよ」
**:「国民がそう考えてたら、自衛隊員もやる気がなくなるよね」
Fjt:「私はむしろ、徴兵制でも布いた方が、皆さん、我がことと考えるようになるから、いいと思っているくらいだよ」
Fmn:「わたしはね、年寄りがみんな前線に出るのがいいと思う。尖閣が攻められたら、65歳以上の高齢者を徴兵してね、船に乗せて尖閣に送る。若い人たちは銃後を守る。」
Fjt:「そういえば、日露戦争の203高地の戦いのときには、いくら撃っても後から後から押し寄せる日本軍がいて、ロシア兵は気持ち悪くなったっていうからね」
**:「船は行きの燃料しか積まない、でね。兵站もなし」
**:「年齢順に並んでね。当然高齢な人ほど最前線に立つわけよ」
**:「高齢者問題は全部解決するね。介護費用や医療費なんかを回せば、戦時予算も捻出できる」
**:「でもそうすると、最前線は老老介護になるわよね」
**:「もうそうなったら、兵士は男だけってこともないから、女の人たちも徴兵されてね」
**:「Fmnさんの提案は案外名案かも」


第16回Seminar「第九を歌う」開催

2015-09-26 10:51:08 | 日記

 第16回草津Seminarを終わって帰ってきました。今回の主題は、「第九を歌おう」。岡山から、ご夫婦とも音楽家という黒岩Nさんが、700㎞をキーボード持参の車で駆けつけ、歌唱指導をしてくださった。黒岩さんのご亭主は大学で音楽を教えて来た方ですが、じつは実家が草津温泉。あの湯畑の真ん前にある宿を営んでいた家で生まれ育ったとのこと。ご両親はすでになく宿の経営も人手に渡したということですが、ご兄弟が健在でいわば久々の里帰りでもあって、Seminarに関しては黒子役に徹し、Nさんの歌唱指導の現場には立ち会いませんでした。

 

 冒頭に配られたのが、「歓喜の歌」の歌詞のついた楽譜プリント。事前に、「第九なんか歌えるのかね」「そもそもなんで第九なの?」と疑問が寄せられていて、Nさんは返答に窮していた。「(Seminarのコーディネイトをしている)Fjさんが言い始めたこと」と、そちらに話を振る。彼は覚えていない。ただ、この話が持ち上がったのは去年12月3日、渋川で開かれた同窓会の折だったから、12月で音楽の専門家の歌唱指導となると「歓喜の歌」という、なんともイージーな思いつきが口をついて出たのかなあ、と笑う。

 

 はじめに日本語訳の一音符にひとつのことばの音を配置した、歌いやすい歌詞で歌って、小学校4年生の音楽教科書に紹介されているという旋律を思い出させる。ああ、あれかと参加者の想起域を刺激しておいて、今度はドイツ語で歌わせるという手はず。聞くと、国立音大では全学生必須の歌とか。NHK交響楽団が年末に演奏する「第九」の第四楽章の「歓喜の歌」は国立音大がここ数十年ずうっと請け負ってやってきている、という。国立音大生は、だからドイツ語で覚えてしまって、この旋律と歌詞はドイツ語で頭に浮かぶほどだと。

 

 Nさんはしかし、「大きな声で」とか「口をしっかり開けて」とは言わない。私たちも椅子に坐ったまま。旋律に乗って恥ずかしがらずに声を出せればいいと、「指導」の水準を最低ラインに絞っている。ところが、ずいぶん声の伸びもよく響きもいい人が隣にいる。やはり岡山から駆けつけたSさん。「あなたはずいぶん上手だね。カラオケ?」と尋ねてみると、コーラスグループに加わって歌っているという。Nさんが、「高校時代に音楽をとった人は?」と聞くと、なんと、手を挙げたのはSさん一人だけ。Fwくんは「えっ? 芸術科目? そんな選択ってあったっけ?」と、まるで覚えていない。

 

 みんなで歌うコーラスは恥ずかしくないからいいのよと、Sさんは合唱を推奨する。そうか、そういえば昔、学生時代に歌声喫茶ってのもあったっけ。酒に酔って色々な歌も歌ったなあと、放歌高吟したころを思い出す。うまく歌おうと思ったことはなかった。場を共にする者たちが、一緒に声を張り上げて同じ歌を歌う、それが逆に場を共にしているという共感性を高める。フォークソングが、その端境にあったように思う。1970年代のはじめまでは、まだこうした雰囲気が残っていた。こじつけのように見えるかもしれないが、高度経済成長がオイルショックでひと段落したころに、共感性を求める社会的気配も終わっているというのは、面白い現象ですね。それに代わって登場したのが、カラオケでした。

 

 ところが、カラオケというのは、一人ひとりが歌う。歌声喫茶で歌うのとか、肩を組んで放歌高吟するというのとはまるで違う。映像・歌詞付きのカラオケが登場したのは1980年代になったころであったか。そのころから、うまく歌うというのが流行りになった。一緒に歌うというのと違って歌って聞かせようとする。収納曲数が多彩になるにしたがって、みなさん自分が次に歌う選曲に夢中になって、歌っている人の歌を聞いていない。歌う方も、映像と部屋いっぱいに反響する自分の声にうっとりとして、他の人が聞いているかどうかはどっちでもいいようになる。みんなと一緒に来たはずのカラオケボックスで、けっきょく皆、一人ひとりになって、それはそれで満足しているという姿。ナルシシズムですね。まあ、それはそれで人の恒ですので、悪いってわけではないのですが、共感性よりも自己陶然性に重きを置くという傾向が強まったのと、高度消費社会へ移行したことが重なっているのは、やはり何かワケがあったと思えてなりません。今はカラオケも、機械が採点して「うまさ」を表示してくれるご時世。それがTVの番組になってアマチュアもプロも、分野をごちゃまぜにして競うというのですから、時代は変わったものですね。そんな感懐が、胸中をよぎる。

 

 そんなやりとりを挟みながら、それでも二度三度と歌ううちに声も大きくなる。だが大きな声を出すごとに、私は声がささくれ立って、だんだん割れてくる。息も長く続かない。隣のSさんは軽々と声を伸ばしているのに、私は息継ぎの機会を逃して歌もとぎれとぎれになる。まるでローマ字を読むみたいに、ドイツ語を妙なところで区切って音にしているみたい。Nさんが「腹式呼吸って、やってみましょう」とお腹に手をあてて、「すうー ふうー」とやってみせる。ははあ、これが高齢者にいいのかもしれないと、思う。私は酸素の薄いところの山歩きもしてきたから、息が切れると歩けなくなってしまう。当然呼吸法は腹式。意識するのは吐く「ふうー」の方で、吸う「すうー」の方は(放っておいても吸い込まないではいられないから)自然に任せる。ところが歌うときっていうのは、ある音節の途切れるところで、瞬時に大量に吸わなくてはならない。楽譜にそのマークさえつけられているという。胸式の呼吸では(分量が少なくて)長く歌うことができないから腹式にする。しかも、ただ吐くだけでは音にならない。うんと吸った息を音にして少しずつ小出しにする技術が必要になる。意識的に自分の身体をコントロールするという点では、歩いているときの息継ぎでは適わない意識と身体の結びつき方を身に備えなければならない。Sさんは、「コーラスをしていると、ここのあたりが広がってくるんよ」と首のあたりに手を回して、喉を逸らせる。

 

 こうして、何とか「歓喜の歌」をひと小節をドイツ語で歌うことができるようになった。「これで年末にTVの前で歌えるな」とHくんは嬉しそうだ。といっても、皆72,3歳という高齢。思うように声が出なくて落胆するところ。Nさんは、そのケアも、考えていた。さほど他の音域の広くない、むかし懐かしい歌を選び、大声で歌って気持ちを立て直す配慮までしている。どこからか借りてきた歌声の本、人数分そろえてしおりを挟んでいる。なかには、楽譜の歌詞の、折り返すところがわからなくなったり、跳んで繰り返す最終部分がわからなくなったりしながら、5,6曲を歌って、心もちの色直しをして、歌うSeminarは、終わった。バイオリンを習っている、近年躍進の目覚ましいFnくんが、Nさんにあれこれと尋ねている。Hくんは「これまでのSeminarの中で一番良かった」と絶賛する。それがきっかけで、来年もやろうということになった。草津Seminar音楽祭ってわけ。

 

 だったら、「歓喜の歌」をテーマ曲にして、はじめるときにこれを歌いましょう。そして今年はベートーベンだったけど、来年はシューベルトというふうに、色あいを換えてやっていくといいわと、Nさん。9月もいいが、来年は10月上中旬にして、紅葉の草津を楽しめるようにしましょうと、今回の宿の設営を全部してくれたTさん。早めに日程設定をして、皆さんの都合を開けてもらえるようにしようと、話しながら帰途に就いた。


なんだこれは!

2015-09-24 09:08:33 | 日記

 今朝目が覚めて、私が最初に「どうなったか」気にしていたのはラグビーの結果であった。新聞の朝刊には、「前半戦7-12」とスコットランドに「善戦」しているらしい途中経過が伝えられていた。前半30分(スコットランドの攻撃を)抑えることができれば勝機がある、という「解説」も耳に残っていたから、どうなったろうと、いっそう気持ちが魅かれる。ではでは、とNHK・TVをつけて7時にニュースを観る。ところが、「見出し」にもならない。「なんだ、これは」と愚痴をこぼすと、カミサンが「負けたんでしょ」と口を挟む。結局ラグビーの結果がニュースになったのは、7時30分すぎてから。なんだこれは! である。

 

 南アフリカに勝った前日までは、あんなに持ち上げて、五郎丸選手のプロフィールとか、キックの前の仕種とかまで報道しておき、「いよいよスコットランド戦」と期待を高めておいて、いったん負けたとなると、この扱いは、何だ。マス・メディアが移り気なのよといえば、それまでだが、彼ら、TV制作者は勝ち戦しか価値がないと思っているのか。これじゃ、少数意見に耳を貸さない安倍政権とおんなじじゃないか。

 

 そう言えば、近ごろ気になる報道には、ニッポンをほめることばかり拾って編集して、海外にまで取材に行って、頑張っているニッポンとか、こんなところに重宝されているニッポンと報道している番組がやたら目につく。そんなに褒められたいのかね、君たちは。そんなに、周りの評判が気になるのなら、耳に痛い評判も拾って、ニッポンの「真実の姿」に迫ってよ、と思う。

 

 もちろん日本の、いいところを拾うことが悪いとは思わないが、いいところだけをこれでもかというふうに取り上げる心根が、じつは、今日のラグビー報道のように、ひとたび負けるとそっちのけにする姿勢に通じている。弱い姿は見たくない、というのであろうか。これは海外の当局者の発言や報道を紹介するときにも、日本を褒めることだけは力を入れて紹介するのに、日本に対する非難や批判は、紹介しないかそのような紹介をするかの国の当局者やメディアが、イビツだヘンだというトーンである。そんなことでは、自分の姿を摑むこともできないぞと、思ったね。

 

 そういう点でグローバルになるには、ニッポンという所与の偏見をひとたび抜け出てコトをみてとる文化が必要なのではないか。もしニッポンの規範を領導したいと考えるのなら、自分の殻を意識し、抜け出してみる視点を獲得することを心掛けてもらいたいね。