今朝になって大腿の筋肉が痛む。妙高山の疲れが、こんな形で出てきた。うれしい。近頃、こんな痛みを感じることがなくなったからだ。まだまだ若い、と。
山に入る前、バイオリンやビオラの演奏に老後の楽しみを見つけている友人、TくんとFくんに、ある「お願い」メールを送った。
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Fさま Tさま
ちょっとお願いがあります。
今日8/25の、朝日新聞33面の「文化の扉」欄に、「はじめての初音ミク――電子の歌姫 誰もが創作者に」という記事が出ていました。それを読むと、わりと簡単な操作で、歌詞と曲の入った歌をつくることができる、とみえます。
そこでお願いなのですが、お二人に実際に曲をつくっていただいて、その作り方をSeminarで皆さんに教えていただきたいと思います。
もちろんつくる歌は、皆さんに「なじみの詩」をもちいて、「なつかしさを誘い出すような曲」にすると好評だとは思うのですが、どんなものでも構いません。簡単な曲から、入り組んだ曲まで、場合によっては、合奏や合唱を組み込んで、こんな技が使えますというのまで、いくつか用意してくださってもいいと思っています。私の希望をいえば、(私の)葬送の背景の曲に使えるような曲だと面白いと思っていますが……。
いかがでしょうか。来年の3月末辺りを目途にご準備いただければありがたいのですが。
是非ともよろしくお願いします。
2014.8.25 mukan亭主人
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それに対する返信が早速、Tくんから届きました。
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mukan様 CC:F様
ご返事が遅れ申し訳けありません。
初音ミク(下記参照)について調べるのに時間を要しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E9%9F%B3%E3%83%9F%E3%82%AF
結果的には、せっかくのご提案ですが、私には荷が重過ぎてご対応できません。動画検索で初音ミクによる音楽を試しにいくつか聴きました。
初音ミクは、PCを使って音楽の作曲・演奏・動画の作製が楽しめるツールです。その基本になるのは、コンピュータ ミュージック(MIDI)です。デジタル表現した楽譜をPCに入力するとPCが演奏してくれるMDIの初期のYAMAHA製品を楽しい十数年前に購入して使用した経験があります。音色が変えられるのはエレクトーンで楽器を選んで演奏できる仕組みと同じです。難解な楽譜でも機械ですから演奏できます。また、鍵盤からめちゃくちゃな演奏(操作)をしても、そこから楽譜化されます。作曲支援機能は、バサノバ調、民謡風とかを指定すると勝手にアレンジしてくれます。
ただ、初音ミクの得意分野はゲーム機のバック音楽に流せるような類のもので、個人的には自分でどうこうしたいという気持ちにはなれません。少し飛躍しますが、技術的には初音ミクの延長線上にある技術として、シンセサイザー音楽や、アニメ映画があり、こちらは芸術性が高いものとなっていますがその設備は、初音ミクとはまったく異なるものになっています。
初音ミクは、便利とはいえマニアックなものだと思います。機械にマニアックでなくても、いつも歌を口ずさんでいるような人にとっては、PCで楽譜化したり、それを元に作曲するのに音楽ソフトや初音ミクは便利かと思います。
取り急ぎ T.
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また、F君からも返信が来ました。
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mukan様
TさんからのメールCCを拝見しました。私も同感です。楽曲の本質は歌詞とメインメロディーだと考えています。初音ミクはそのアレンジと伴奏だろうと思います。音楽性は未だ人の才能によるものです。チェスも将棋もコンピューターに負ける時代ですから、先々は楽想をインプットすれば、バッハ風とかモーツアルト風、果ては井上陽水風などで自動作曲される時代になると思いますが。私は名曲を聴いたり演奏の練習をすることが無上の楽しみとしております。なので作曲は無理も無理の難題ですから、・・・無理です。 以上 F
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両者の返信を読んで、たいへん面白いと思いました。とりあえず御礼の返信をだしました。
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Tさま Fさま
山から帰ってきて、メールを拝見しました。ご返事が遅くなって申し訳ありません。
お二人にまず、丁寧にご返信くださり、感謝申し上げます。私の単純な思いつきにお付き合いください、ありがとうございました。面白く拝読しました。
さっき点けたTVで、阿川佐和子がロックグループALFEEの3人組にインタビューしていました。「みなさん作曲するんじゃないの?」と阿川が尋ねる。高見沢俊彦しか作詞・作曲しないらしい。桜井賢が「向き不向きがあるんですよ」と笑いながら応える。いつか3人で曲をつくろうって話になった時に、高見沢はすぐに15曲くらい、坂崎幸之助は5曲くらい、桜井はワンコーラスしかつくれなかった。以来、作曲は高見沢ってことになった、と話しをつづける。
そうして、貴兄らのメールを読みました。「音楽」といってもずいぶん好みの行方が違うんだなあと思いました。もっと踏み込んでいうと、「好み」というだけでなく、「感じるポイント」が異なっているのかもしれません。
Tさんは「(初音ミクは機械だから)鍵盤からめちゃくちゃな演奏(操作)をしても、そこから楽譜化されます。作曲支援機能は、バサノバ調、民謡風とかを指定すると勝手にアレンジしてくれます」といっています。この「作曲支援機能」というのは、曲調をパターン化して機械に入力しておいたものを援用する仕組みなのでしょうが、それは、人間が、自分の頭でパターン化していることとどう違うのでしょうか。どうしてそれが、気に入らないのでしょうか。
私は20歳代の半ば、ジャズの中でも、モダンジャズを好んで聞いた時期があります。ジョージ・ガーシュインから入りジョン・コルトレーンを面白いと感じ、ついには山下洋輔トリオにのめり込み、山下洋輔と鼓童の太鼓との共演で年の瀬を送ったこともありました。いま思うと、古典的な曲に物足らなさを覚え、ガーシュインに向いたのだと思います。さらにそこからコルトレーンに走ったのは、(たぶん、いま思うと)当時の世の中の体制に対する不同意の気分が底流にあって(アメリカのブラックパワーも立ちあがりはじめていたころでしたね)、常識的な曲調から外れるものへの共感を誘い出していたように思います。山下洋輔や坂田明の、ハチャメチャな展開が面白かったのは、そういうふうに規範をぶち破れない自分の「状況」に苛立っていたからではないかと、今になって思います。別にそれが悪かったと反省しているわけではないし、良かったとふんぞり返っているつもりもありませんが。
「作曲支援機能」というのは、人間が感性でパターン化している「曲調」と、何が違うか。作った人が何をどう感じているかは、じつは作った本人でさえ「確証」できないことなのかもしれません。でもそれが、「曲調」として表出されたときにはじめて、本人も驚くような(自分の内面の)発見として現れてくる、そこが面白いから、音楽は面白いのかもしれません。つまりその[面白さ]というのは、個別の人間が内面に持ち来たっている「人間」の面白さであり、データ処理されてパターン化した感性のどれかに適合している面白さというのではないからなのではないでしょうか。
つまり、初音ミクは、「曲想」のサンバやボサノバや民謡というのはこうだと、一般的に受け止められていることを押し着せてくれる。だからそこには、曲を作った人の個別性が塗りこめられていない、そんなものは音楽じゃないよと、Tさんは考えているのでしょうか。たしかに、一般的多数に適合していると言われて安心する人もいるでしょうし、そんなのくそくらえだと憤る方もいるでしょう。私もどちらかというと後者の傾向が強いのですが、音楽に親しむ人というのは、どちらかの傾向に分かれるものなのでしょうか。
Fさんは「音楽性はいまだ人の才能によるもの」と断じています。初音ミクを通しての音曲は、Fさんの感じている「音楽性」とどこが違っているのかと考えたとき、上記のようなことを私は、想いうかべました。それは的を射ているでしょうか。大いに外れているでしょうか。そんなことを考えてみたくなりました。
また暇を見つけて、貴兄らのご返信に関して、話を伺いたいと思っています。よろしくお願いします。
2014.8.30 mukan亭