mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

疲れが出てきて、嬉しい

2014-08-30 09:30:33 | 日記

 今朝になって大腿の筋肉が痛む。妙高山の疲れが、こんな形で出てきた。うれしい。近頃、こんな痛みを感じることがなくなったからだ。まだまだ若い、と。

 

 山に入る前、バイオリンやビオラの演奏に老後の楽しみを見つけている友人、TくんとFくんに、ある「お願い」メールを送った。

 

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Fさま  Tさま

 

 ちょっとお願いがあります。
 今日8/25の、朝日新聞33面の「文化の扉」欄に、「はじめての初音ミク――電子の歌姫 誰もが創作者に」という記事が出ていました。それを読むと、わりと簡単な操作で、歌詞と曲の入った歌をつくることができる、とみえます。
 そこでお願いなのですが、お二人に実際に曲をつくっていただいて、その作り方をSeminarで皆さんに教えていただきたいと思います。


 もちろんつくる歌は、皆さんに「なじみの詩」をもちいて、「なつかしさを誘い出すような曲」にすると好評だとは思うのですが、どんなものでも構いません。簡単な曲から、入り組んだ曲まで、場合によっては、合奏や合唱を組み込んで、こんな技が使えますというのまで、いくつか用意してくださってもいいと思っています。私の希望をいえば、(私の)葬送の背景の曲に使えるような曲だと面白いと思っていますが……。


 いかがでしょうか。来年の3月末辺りを目途にご準備いただければありがたいのですが。
 是非ともよろしくお願いします。
      2014.8.25 mukan亭主人


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 それに対する返信が早速、Tくんから届きました。

 

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mukan様   CC:F様


 
ご返事が遅れ申し訳けありません。
初音ミク(下記参照)について調べるのに時間を要しました。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E9%9F%B3%E3%83%9F%E3%82%AF

結果的には、せっかくのご提案ですが、私には荷が重過ぎてご対応できません。動画検索で初音ミクによる音楽を試しにいくつか聴きました。


 
初音ミクは、PCを使って音楽の作曲・演奏・動画の作製が楽しめるツールです。その基本になるのは、コンピュータ ミュージック(MIDI)です。デジタル表現した楽譜をPCに入力するとPCが演奏してくれるMDIの初期のYAMAHA製品を楽しい十数年前に購入して使用した経験があります。音色が変えられるのはエレクトーンで楽器を選んで演奏できる仕組みと同じです。難解な楽譜でも機械ですから演奏できます。また、鍵盤からめちゃくちゃな演奏(操作)をしても、そこから楽譜化されます。作曲支援機能は、バサノバ調、民謡風とかを指定すると勝手にアレンジしてくれます。


 
ただ、初音ミクの得意分野はゲーム機のバック音楽に流せるような類のもので、個人的には自分でどうこうしたいという気持ちにはなれません。少し飛躍しますが、技術的には初音ミクの延長線上にある技術として、シンセサイザー音楽や、アニメ映画があり、こちらは芸術性が高いものとなっていますがその設備は、初音ミクとはまったく異なるものになっています。


 
初音ミクは、便利とはいえマニアックなものだと思います。機械にマニアックでなくても、いつも歌を口ずさんでいるような人にとっては、PCで楽譜化したり、それを元に作曲するのに音楽ソフトや初音ミクは便利かと思います。
   取り急ぎ        T.


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 また、F君からも返信が来ました。

 

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mukan様
TさんからのメールCCを拝見しました。私も同感です。楽曲の本質は歌詞とメインメロディーだと考えています。初音ミクはそのアレンジと伴奏だろうと思います。音楽性は未だ人の才能によるものです。チェスも将棋もコンピューターに負ける時代ですから、先々は楽想をインプットすれば、バッハ風とかモーツアルト風、果ては井上陽水風などで自動作曲される時代になると思いますが。私は名曲を聴いたり演奏の練習をすることが無上の楽しみとしております。なので作曲は無理も無理の難題ですから、・・・無理です。    以上  F

 

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 両者の返信を読んで、たいへん面白いと思いました。とりあえず御礼の返信をだしました。

 

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Tさま  Fさま


 山から帰ってきて、メールを拝見しました。ご返事が遅くなって申し訳ありません。
 お二人にまず、丁寧にご返信くださり、感謝申し上げます。私の単純な思いつきにお付き合いください、ありがとうございました。面白く拝読しました。

 

 さっき点けたTVで、阿川佐和子がロックグループALFEEの3人組にインタビューしていました。「みなさん作曲するんじゃないの?」と阿川が尋ねる。高見沢俊彦しか作詞・作曲しないらしい。桜井賢が「向き不向きがあるんですよ」と笑いながら応える。いつか3人で曲をつくろうって話になった時に、高見沢はすぐに15曲くらい、坂崎幸之助は5曲くらい、桜井はワンコーラスしかつくれなかった。以来、作曲は高見沢ってことになった、と話しをつづける。

 

 そうして、貴兄らのメールを読みました。「音楽」といってもずいぶん好みの行方が違うんだなあと思いました。もっと踏み込んでいうと、「好み」というだけでなく、「感じるポイント」が異なっているのかもしれません。

 

 Tさんは「(初音ミクは機械だから)鍵盤からめちゃくちゃな演奏(操作)をしても、そこから楽譜化されます。作曲支援機能は、バサノバ調、民謡風とかを指定すると勝手にアレンジしてくれます」といっています。この「作曲支援機能」というのは、曲調をパターン化して機械に入力しておいたものを援用する仕組みなのでしょうが、それは、人間が、自分の頭でパターン化していることとどう違うのでしょうか。どうしてそれが、気に入らないのでしょうか。

 

 私は20歳代の半ば、ジャズの中でも、モダンジャズを好んで聞いた時期があります。ジョージ・ガーシュインから入りジョン・コルトレーンを面白いと感じ、ついには山下洋輔トリオにのめり込み、山下洋輔と鼓童の太鼓との共演で年の瀬を送ったこともありました。いま思うと、古典的な曲に物足らなさを覚え、ガーシュインに向いたのだと思います。さらにそこからコルトレーンに走ったのは、(たぶん、いま思うと)当時の世の中の体制に対する不同意の気分が底流にあって(アメリカのブラックパワーも立ちあがりはじめていたころでしたね)、常識的な曲調から外れるものへの共感を誘い出していたように思います。山下洋輔や坂田明の、ハチャメチャな展開が面白かったのは、そういうふうに規範をぶち破れない自分の「状況」に苛立っていたからではないかと、今になって思います。別にそれが悪かったと反省しているわけではないし、良かったとふんぞり返っているつもりもありませんが。

 

 「作曲支援機能」というのは、人間が感性でパターン化している「曲調」と、何が違うか。作った人が何をどう感じているかは、じつは作った本人でさえ「確証」できないことなのかもしれません。でもそれが、「曲調」として表出されたときにはじめて、本人も驚くような(自分の内面の)発見として現れてくる、そこが面白いから、音楽は面白いのかもしれません。つまりその[面白さ]というのは、個別の人間が内面に持ち来たっている「人間」の面白さであり、データ処理されてパターン化した感性のどれかに適合している面白さというのではないからなのではないでしょうか。

 

 つまり、初音ミクは、「曲想」のサンバやボサノバや民謡というのはこうだと、一般的に受け止められていることを押し着せてくれる。だからそこには、曲を作った人の個別性が塗りこめられていない、そんなものは音楽じゃないよと、Tさんは考えているのでしょうか。たしかに、一般的多数に適合していると言われて安心する人もいるでしょうし、そんなのくそくらえだと憤る方もいるでしょう。私もどちらかというと後者の傾向が強いのですが、音楽に親しむ人というのは、どちらかの傾向に分かれるものなのでしょうか。

 

 Fさんは「音楽性はいまだ人の才能によるもの」と断じています。初音ミクを通しての音曲は、Fさんの感じている「音楽性」とどこが違っているのかと考えたとき、上記のようなことを私は、想いうかべました。それは的を射ているでしょうか。大いに外れているでしょうか。そんなことを考えてみたくなりました。

 

 また暇を見つけて、貴兄らのご返信に関して、話を伺いたいと思っています。よろしくお願いします。
    2014.8.30 mukan亭


「予想外の天気」に恵まれた火打山・妙高山

2014-08-29 16:26:58 | 日記

 気象庁がナウキャストと名づけた刻々の気象状況予報をおこないはじめた。それほどに、昨今のお天気は変わりやすい。加えて、局地的に大雨になったり強い風が吹いたりして、ときには甚大な被害をもたらしている。そんな中の山行であるから、家を出るときから傘をさして、ザックカバーをつけて出たからと言って、何の不思議もない。

 

 信越線の妙高高原駅に降り立ったとき、青空が3分方広がり、日差しが差していた。「だれっ、晴れ女は?」と声が出た。今日のこの地域の予報は、午前中曇り、お昼頃から小雨、降水量は1、2m/h。まずまずの天気。雲の高さは1000m~2000mくらいあろうか。

 

 バスの乗客は私たちのほかに、地元の中学生3人。彼女らは山麓の温泉地に降りた。合宿か何かに参加するのか。バスは標高500mほどの駅から1300mの笹ヶ峰へ向けて、高度をぐいぐいと上げる。7月初旬に訪れたときよりも緑が濃くなり、手入れで切り倒された草木が道沿いに置かれ、枯れている。すれ違う車の数も、格段に多い。ランニングをする若い集団がある。スポーツクラブの合宿のようだ。まだ夏休みという気配である。

 

 10時20分に登山口を出発。すぐに樹林の中に入ったから、日差しの強さが気にならない。快適にブナ林の葉が茂る明るい緑の木道を歩く。歩き始めて約1時間、黒沢を横切るところで4人のグループが休んでいるのを追い越した。彼らも高齢者のようだ。12曲がりは、足元がしっかり踏まれた緩やかな傾斜だから、150mの高度を上げるのが苦にならない。「あれっ、もう8/12だ」と、楽勝気分。12時15分前に1790m地点。ここでお昼にする。カエデが多く、秋の紅葉もよさそうねと、早や、もう一度訪れたいような声が飛び出す。

 

 下山してくる人たちとすれ違う。山頂部の様子を聞く。「雨っていうか雲の中よ、全然見えない。」と口をそろえる。富士見平を過ぎて道は平坦になる。7月にあった雪はすっかり消えてしまっている。Mrさんが少しくたびれてきたようだ。彼女は15歳になる愛犬の世話で疲労困憊しているという。人間にすると80歳ほどらしいが、ボケが入って夜中に目覚めて徘徊する。放っておくと鳴く。夜中の2時とか早朝4時とかに散歩に連れ出す。彼女が寝不足になる。これが毎日繰り返されているそうだ。これじゃ山は無理だわということになって、昨夜は自宅近く駅のホテルに宿をとったという。犬の世話は娘さんに頼んだそうだ。「山にも行けないんじゃ、母さんが金属バットを振り回すようになるからね」と娘さんを脅かして仕事を休ませたと、けらけらと笑っている。高齢者介護というのは、人間のことだけではないのだ。犬だって、長年連れ添うと家族同然になる。「家族ってことは認識しているの?」と尋ねた。「わからない。でも寄ってくるから、分かっているのかもしれない」そうだ。何とも切ない話だ。

 

 もうすぐ高谷池ヒュッテというところで、小雨が落ちてきた。雨具をつけた方がいいとザックを開けていたところで、雨粒が大きくなり、降りが強くなった。雨具を着る前にずぶぬれになっちゃったよとKさん。先行してもらった人たちは、何とか小雨をしのぐ程度で終わったようだ。宿の入口には雨をしのぐ人たちがいたが、やはり火打山の山頂は雲の中。「佐渡島が見えるって期待していたのに」と悔しそうだ。

 

 宿泊手続きを済ませ、Mrさんを残して、天狗の庭まで行くことにする。下山してくる人が何組かすれ違う。どなたも「なにも見えない」と一言。山頂をあきらめるのが、苦痛でなくなった。降っていた雨も小やみになり、視界が広がる。天狗の庭は、相当に広く長い湿原になっている。7月に来たときには、高谷池湿原に隣接しているように思った。それくらい近く、10分くらいで簡単に行ったように思っていた。ところが、雪が消えてみると、木道脇の草が覆いかぶさるように繁茂している。見晴らしの良かった湿原は、カヤが大きく伸びて見通しが悪い。それに標高でいうと、高谷池から20mくらい登って、再び高谷池と同じ標高に下ったところに天狗の庭湿原が広がっている。しかも、その先は、火打山に向かって緩やかに登っている。天狗の庭の散歩は、1時間近くかかった。

 

 女性陣は花談義に余念がない。ウメバチソウ、ヨツバシオガマ、ミヤマアキノキリンソウ、サラシナショウマ、オヤマノリンドウなど、どこに目をやっても花をつけている。実をつけたタケシマランやサンカヨウをみて、どなたかが「秋ねえ」と感に堪えないような声を出していた。「小さい秋、み~つけた」ってわけだ。7月の雪解けを待っていたかのように花をつけていたミズバショウが枯れて黄色くなった葉を揺らして、緑色の実をつけている。湿原一面のワタスゲが雨に濡れた綿の穂先を垂れ下げて、サギスゲのようにみえる。

 

 湿原の池の面に雨粒が落ち、その向こうの小高い山裾に流れてきた雲が垂れこんで湿原を覆い、幻想的な気配をいっそう強める。静かに身を置いて眺めているだけで、火打山の味わいというのを感じる。ヒュッテに戻る途中、一瞬雲が切れ、高谷池湿原とヒュッテの姿がくっきりと姿を現す。高いところから見下ろしていたから、まるでおとぎ話の箱庭の風情をみているようであった。カメラを出すのさえ忘れて、ふたたび雲がおおったとき、撮っておけばよかったと思った。

 

 ヒュッテの宿泊者は、私たちのほかには一人だけ。濡れたものを着替え荷物整理を終えて、5時半の食事まで、ストーブを入れてくれた談話室に腰を据える。ストーブがありがたいと思うほど冷え込んでいるのだ。お湯を沸かしコーヒーを飲む。何人かがドリップ式のコーヒーを用意している。ビールを買ってくる人もいる。持ってきた焼酎をお湯割りにして、わけあっている。Msさんはビーフジャーキーや梅を挟んだ海苔をおつまみにどうぞと出してくれる。

 

 あれこれおしゃべりしながら、「2014年度下期山行計画案」を検討する。何カ所か修正して、「下期計画」を決定する。あっという間に時間が過ぎる。

 

 夕食は、カレーとハヤシライスのバイキング? だ。「残さないように」というご注意だけ。自分でよそって自分で食べる。食後、このヒュッテの固定カメラから撮影した画像など、「火打山の四季」と「火打山の花」の映像が紹介される。季節の変化の大きさ、雪の季節の厳しさ、紅葉のシーズンの目を奪われるような美しさが、みごとに表現されている。「(今年の火打は姿をみられないが)来年の10月初旬にでも、また来ましょうか」とつい言ってしまった。皆さんのようであった。

 

 7時半にはもう、床に就いて寝ていた。寒くはない。外は雲がまいている。ときどき目を覚ましたが、寒くはない。少し食べ過ぎたかなと思うが、寝苦しくもない。気がついたら、朝4時40分。9時間くらい寝ていたことになる。5時に起きだして窓の外を見ると、火打山の雲もとれ、姿がくっきりをみえている。朝日の陽光が当たっているように見えないのは、東の方に厚い雲がかかっているからであろう。これもカメラに納めようと思ったときには、すっかり雲の中になっていた。5時半の朝食までに服装を整えて荷物をまとめる。朝食は中華丼。これもバイキング? 式。Mrさんが「6時半出発ですよね」と念を押す。なぜ急ぐの? と、早く身支度をする私に抗議しているようであった。6時半出発。曇り。昨日の雨が草木についているから、雨具をつけて歩く。

 

 茶臼山を経て黒沢池ヒュッテに向かう道には花が多い。女性陣はときどきかが見込んで詮議している。大きく円陣を組んだ緑の葉っぱにしっかりした緑色の実をつけている。なんだろうと思うだけで私は通り過ぎたが、キヌガサソウではないか「大きな緑の実 たぶん!!」と、後でSさんが教えてくれた。ユキサザやエンレイソウが実をつけている。1時間ほどで黒沢池ヒュッテ。その手前の高台から黒沢池を囲んで西の方へ伸びる湿原と東端のヒュッテが箱庭の絵のようにみえる。

 

 妙高山の外輪山を越える大倉乗越を過ぎてから、草花の様子が変わったように思った。トリカブトが多い。ミョウコウトリカブト、ここの固有種だよと教えてくれる。黄色いホタルブクロも群落をなしている。ツルニンジンやヤマハハコ、モミジカラマツが姿を見せる。だがトラバースの道は、歩くのが容易ではない。左側は大きく渓に落ちる斜面。笹がついている。その下の方は、すっかり雲に覆われている。長助池も見えない。

 

 長助池への分岐の、7月には一面雪に覆われていた標柱も、いまは迷いようもないくらいだ。ここからが標高差400mくらいの急登になる。狭い渓合いの石を踏み大岩をよじ登って1時間半、妙高山の北峰に到着する。1kmの距離だから、勾配は40%になる。「こんな急登の方が案外疲れませんね」とSさんが言う。昨日の、笹ヶ峰から12曲がりまでの長い緩やかな歩きを比べているのであろう。Mrさんも、形相を変えて登ってきた。山頂部に出る手前の岩の間に、ダイモンジソウが根を張って花開いている。透き通るような青のホタルブクロが一輪だけ咲いている。

 

 小休止をとって、餡パンを腹に納める。雲間から南峰がくっきりと現れる。北峰より8m高い。妙高山の最高峰というわけである。岩の上を歩く人の姿が3つ、見える。遠方は雲の中だが、山頂部だけからりと晴れ割ったようだ。写真を撮る。南峰には5人くらいの人がいた。東の方から登ってくる人もいる。女性陣は山頂部で記念撮影。その山頂部の足元に、驚くほどたくさんのトウヤクリンドウが群落をつくっていた。

 

 ここから500mほどの間は、岩場を降りる。鎖もついている。Mrさんも緊張しているが、以前に比べたら、へっぴり腰が治ってきている。「どこに足をおくところがあるのよ」と宙づりになって怒っている。「右足を左足を入れ替えなさい」というと、どうやって入れ替えたらいいか困っている。NHKのTVでは、大岩にに階段を切ってあると見せていたが、登ると降るでは、怖さも違う。足元が見えないから、余計怖い。登ってくる人もいるから、下で待っていてもらう。若い男性は、池の平のロープウェイで来たという。日帰りだそうだ。Sさんは、「こういう下りの方が疲れない」となかなかの醍醐味を味わっている。

 

 鎖場の下りを降りたあたりで、小雨が落ち始めた。下から登ってきた人が「麓からこんな小雨でしたよ」という。標高2000mで雲をつき抜けてしまうのかもしれない。雨具をつけることにした。順調に天狗堂の分岐に着く。ここからKさんを先頭に、元気な人たちに先行してもらう。せめてその人たちだけでも、風呂に入る時間を確保したい。私は、疲れの出てきたMrさんと、「胸突き八丁」と呼ばれる岩場の360mほどをゆっくり降る。Mrさんはずいぶん疲れが出ている。立ち止まると足がぶるぶると震えている。太ももの筋肉が疲れ切っているのかもしれない。これで岩の下りは危ない。だが、止まるとかえって歩けなくなると、気力を振り絞っているようだ。「これが妙高山ですよ。しっかり味わってください」と声を掛けながら、足場を選んで、すすむ。7月に私が転んだところは、何ということのない岩場になっていた。あのときは、沢のように雨水が流れ下っていた。一人だったから、自分流の速度だったのだろう。でも、足を滑らせたのが不思議なほど、何でもない大石の積み重なった場所であった。

 

 地獄谷の沢に沿うように下っていると、青い装飾花をつけたガクアジサイが咲いている。「こんな季節に!?」と、Mrさんも驚く。平地では5月の花だ。似たような花をつけたノリウツギも白い装飾花が鮮やかであった。地獄谷を渡るところに先行した人たちが待っていた。Msさんの脚がつり始めたようだ。急いで下ったのが、いけなかったのかもしれない。バスの時間に合わせるんじゃなくて、こちらの下山でバスを選ぼう、どうせ帰宅が遅くなっても構わないと誰かが言い、安心したように歩く気力がよみがえってくる。

 

 麻平でやはり先行隊が待っていてくれた。Kさんのマッサージが効いたとMsさんは元気が戻ったようだ。Mrさんは「待たなくていいのに」と怒り顔。立ち止まった脚のブルブルは収まっていない。そこから50分かけて何とか燕温泉にたどり着いた。3時前。時刻表を見るとバスの時間は4時20分。じゅうぶん風呂に浸かる時間がある。男風呂は400円、露天風呂のある女風呂は500円であった。身を浸すと、熱いと感じていた風呂なのに、いくらでも浸かっていられる。不思議な感覚であった。足の親指がつかれている。湯の中でほぐしていやると、疲れがすこしずつ湯に溶けて出ていくようであった。これが燕温泉、と思いながら、7月の単独行とは違う妙高山の味わいを感じていた。

 

 あとから、植物に関心の深いSさんに確認してもらった花は、次の通り。モミジカラマツ、クロトウヒレン、ウメバチソウ、ヒメウメバチソウ、イワショウブ、アラシグサ、ミヤマコウゾリナ、ヨツバヒヨドリ、ミヤマアキノキリンソウ、ヤマハハコ、ムカゴトラノオ、イワイチョウ、サラシナショウマ、ワタスゲ、ダイモンジソウ、ソバナ、ミョウコウトリカブト、トウヤクリンドウ、ウサギギク、ツルニンジンの20種。ユキザサ、タケシマラン、サンカヨウ、エンレイソウ、キヌガサソウの実。7月とは違うが、ずいぶん花の多い季節であったと、良く識る人を介して思う。

 

 予報に比して、天候には恵まれたと言っていいだろう。1日目ほぼ、小屋近くまでの曇り空。2日目の前半の好天。ゲリラ豪雨があちこちに難儀をもたらしているときに、もうしわけないような天気であったと、小雨に濡れたことをすっかり忘れてご機嫌で、帰路についたのであった。


グローバリズムから、ちょっとステップアウトできないか

2014-08-26 14:20:35 | 日記

 「与那覇潤対論集」と銘打った『史論の復権』(新潮新書、2013年)を読む。7人の、その筋の専門家との対談。政治学、経済学、戦後史、民俗学、昭和史、映画史、大河ドラマプロデューサー。この対談を通じて、日本の近代という地平が歴史的にどのような位置にあるかを、再考察してみようという試みである。

 

 つまり、これまで行われてきた「近代」論議は、西欧をモデルとし、それとの位置関係においてやりとりをしてきた。歴史的に見た場合、中国が早くもグローバル化の先導をしていたと与那覇は見て取り、日本もその影響下にあって、それを受け入れようとしたり拒否したりしてきたとみる。

 

 与那覇潤はその著書『中国化する日本』で、日本の近代化は、西欧化を目指していると考えられてきたが、じつは「中国化」であったとする。西欧化として進められてきた資本主義社会化は「中間集団の解体」をすすめたが、自由と多様化を体現する個人の責任主体を育てることに成功せず、「むしろ集権化と思想の一元化をともなって中間集団が解体され、極めて統一された権力が残るという状態」をもたらしたという。

 

 これまで日本の近代化は「遅れている」と言われてきた。しかし、西欧モデルの通りに行かないからと言って「まだ近代化されていない」と否定的に見るよりも、西欧とは別の過程を通りながら近代化してきたのではないかと漠然と疑問を持っていた人たちに対して与那覇潤は、「再江戸化」か「中国化」か、両者のどちらを選択するかという綱引きとして、(日本の近代は)やってきたと見て取る。どちらの表象もみてとっている。

 

 別の言葉をつかえば、「アジア的」な経済のグローバル化の道筋(「元祖グローバリズム」)があった。その出発点は宋であり、それがグローバル・スタンダードを提示していたとみているわけである。日本は「再江戸化」との綱引きをしながら、結果的に「中国化」することによって、西欧近代をすり抜けてきていると診断するのだ。

 

 話は逆なのではないかと、私は思う。つまり、日本に「近代的市民」が育たないことに苛立っているのだ。西欧モデルの近代的市民イメージは、一つであった。与那覇の「中国化」論は、それを三つにしたと言っていい。西欧化モデルと中国化モデルと再江戸化モデルである。面白いのは、それによって「遅れているかどうか」という論議のレベルが消えてしまうことだ。とすると、残される問題は、経済のグローバル化という現実に際して、人々はどのように生きていくか、である。どのような個人を形成維持し、どのような家族、地域、仕事関係を含めた中間集団に身を置き、いかなる社会関係を構成していくか。そのデザインを、西欧型の一葉ではなく、何葉にも描き得るのではないか。

 

 もちろん、思いのままにデザインしてそれが実現できるほど、人間の社会は人為操作的にはいかない。自由を組み込まなければならないからである。だが、西欧的な自由と違って、共同体的な自由もありだとすると、それがたとえ再江戸化であっても、否定することはないのではないか。

 

 私たちはすでに、近代的市民である。そう規定することによって、「近代的市民像」を描いてそれに合わせていこうとするよりも、現に実在する人々のありようが「現在的市民」であることを全面的に容認して、その人たちのありように合わせ(当然、懐具合にも合わせ)て、社会設計をすすめていくいかないのではないか。現に私たちは、そうしているではないか。

 

 7人の対談の中で、そういう意味で示唆的であったのは民俗学の大塚英志との対談である。大塚は柳田國男の研究者でもある。柳田が漢語によって記述していく人たちに対抗して、民衆の話す日常語・和語によって記述することに努めていたことを引例して、再江戸化と中国化との綱引きにおける漢語(儒教・仏教)との影響関係を取り出している。丸山真男が西欧化との対比から抜け出そうと本居宣長に目を向けたように、あるいは、宮本常一が「全員一致的協議」というコミュニティ自治のやり方に着目するように、日本の内発的な「近代への萌芽」を見出そうとしている。

 

 それは「近代が借り物ではない」という正当性を探っているのであろうか。そんなこと、どっちでもいいではないか。黒船におびえたことが近代化を阻害したとでもいいたいのであろうか。いまとなっては、「日本国憲法が押しつけであった」と主張すること自体が、自らの存続の正統性を疑って、再構築を求めているように思える。アメリカに敗戦したということ自体を否定するような「正統性/正当性」にどれほどの真実性を認めることができようか。

 

 もちろん、そう気に留めたのであって、もっと深く考察しなければならないことは残る。

 

 「自己実現」とか「自己決定・自己責任」などと言っている割には、「自己決定」ゆえに「自己責任」をとってひっそりと独りでなくなることを「孤独死」として、ありうべからざることのようにとりあげている。つまり、「自己決定/自己責任」を社会規範としているというほどの「覚悟」ができていないのだ。それは、(西欧にモデルをとっているのかもしれないが)近代的市民として「規律訓練的に育てること」ができていないことを意味する。「できない」のか「できていない」だけなのか。

 

 そもそも「近代」が、安心と安全な暮らしを保証することであるとは、誰も言っていない。むしろ現在進行中の西欧型近代は、「人間」を意志的に構成して形成し、たゆまず改造していくことを意味してきた。安心・安全とは別の次元の「人間らしい生活」を描いて生きたのではないか。そうして現在私たちは、それに疲れ、むかし懐かしい江戸的な安逸をむさぼる暮らしに帰りたいと願っているのではないか。

 

 だとすると、グローバリズムと縁を切ることはできないにしても、上手にステップアウトして、グローバリズムの方々はそれはそれなりにおやりなさい、私たちはちょっとばかり外れますからねと、居場所を移すことはできないだろうか。まあ、そんなことを考えさせてくれた本であった。


そろそろ桃源郷の暮らしを思い描いてもいいのではないか。

2014-08-24 10:54:17 | 日記

 昨日は奇跡的に涼しい一日であった。と言っても、あとから聞くと最高気温は30度。厚い雲がかかり、少しばかり風もあって、野外にいても涼しい感じであった。

 

 お昼ごろに自動車のディーラーに行って、12月に手に入れる車の契約をして来た。予約して3か月かかるというので、いま契約を交わした。だが、世の中の景気がそんなに良いとは思えないのに、どうしてそんなに煽られるのかというと、税率の据え置きが今年度限りといった、アベノミクスと言われる政策的な操作に乗せられているからである。乗せられるのは癪だからやせ我慢を貫くというのも手ではあるが、余分な収入の見込みがなくて将来的にも使用価値があるものを手に入れておくのも、仕方がない。アベノミクスに反抗するために暮らしているわけじゃないのだから。

 

 アベノミクスで景気浮揚と叫んでも、どうも輸出産業の実績も考えていたほど伸びているわけではないらしい。輸出産業の主力が出るところはすでに海外に出てしまっているから、円安になったからと言って輸出が伸びることにつながっていない。2013年の統計をみても、機械工業製品や家電製品の輸出は微増にとどまっている。経産省の解析では「製品価格の引き下げをしていない」と不満そうであるが、当の企業は「価格を下げたからといって需要が増えるわけではない」とクールだ。円が安くなった分だけ微増したといっていいかも知れない。つまり、価格競争だけで張り合って行ける時代は、とっくに(日本経済の立場からすると)終わっている。

 

 その結果、海外生産品の逆輸入に依存する割合が多くなった分だけ、輸出入の入超になっている。「2013年の貿易赤字が過去最大」と報道されたのは記憶に新しい。結局円安では、燃料・原料高、海外製品の輸入価格上昇のあおりを食らう方が大きい。

 

 単純にその側面で切り取ると、アベノミクスの効果は、生産以上に消費の方にツケが回って、とどのつまり景気浮揚も浮揚感もないというわけである。良く考えてみると、輸出の伸びを担う大企業の大部分が海外生産に支えられてそちらで業績を伸ばしているのであって、GNPには反映されてもGDPの方には反映されない。でも当の大企業の業績は伸長著しいから、それなりに株価は上がる。海外からの投資は「それなりに」なのだ。それなりに日本に流れ込む。そこまでである。

 

 経済記事をみてみると、世界に冠たる生産活動はことごとく日本ローカルの特産品である。値段は高くとも、優れた技術、こまやかな配慮や創意を反映したセンスのいい品物、多様性を上手に生かしたデザイン。あるいは、地域的なコミュニティの協働によって収穫されている品々、その地域でしか実現しないネットワークを活かした製造物。つまり、文化の輸出というような側面では強さをもっているが、グローバルスタンダードをウリにする製品ではほとんど輸出競争力を得られていないことが分かる。海外の賃金の安さをとってみるだけで、太刀打ちできないことは、一目瞭然である。他方で、長年価格が引き合わないとして放置されてきた木材が、いまや輸出商品になりつつあると、TVでも報じている。こうなると林業にも、あらためて手を入れなければならないという気分が湧いてくる。

 

 しかしそれよりもなによりも、ガラパゴス化と非難されているが、日本の国内の需要に応じて行われている生産活動が、1億を超える消費者相手に十分活動的である。それは売れるか売れないかという以上に、社会的な生活に必要な生産活動、サービス活動として日々の暮らしを支えている。それを忘れて、輸出向けとか、海外との収支ばかりに目を奪われている報道を見ていると、もっと足元をみなさいよと言いたくなる。別に鎖国をすすめているわけではない。海外からの収入に頼ることばかり考えないで、自給的にやっていけることをやっていこうじゃないかと言っているのである。

 

 貿易の収支で赤字でも資本収支で稼いでいるのなら、一国経済に不安はないとエコノミストは言ってくれるが、現状は、1000兆円規模の国債も含めて過去の遺産を食いつぶしているのである。見方によっては、将来の資産を先取りして食っている。そう思うと、私のような年寄りは、内心忸怩たるものを感じて、居ても立っていられなくなる。若い孫子たちに申し訳ないではないか。ではどうすればいいのか。

 

 ふと思うのだが、過去の遺産を食いつぶす以外に道がないのだとすれば、それはそれで仕方がない。できるだけ長く、上手に食いつぶしていくほかない。景気が浮揚するほどではないとはいえ、日本発の商品が価値を失ったわけではない。いまだに世界第三位のGDPをもっている。1980年代半ばに4万ドルと言われていた1人当たり所得は、いま270万円ほど。7割になっている。その分周辺途上国の暮らし向きが上昇したと考えれば、それはそれで仕方がないし、悪いことでもない。いつまでも殿様暮らしができないという証明のようなことだ。

 

 日々の暮らしを安定的に行うためには、どうすればいいか。交換と消費に依存するだけでなく、できるだけ自分たちの手で物を作り、実費を支払って人の援助を仰ぎ、実費を頂戴して人のために働き、ゼイタクはせず、愉しく暮らすことに知恵を凝らす。そういうことができるネットワークを、それぞれの人たちが、多様に複数構成して、これもまた自分たちの手で運営していく。そうか、それこそが、桃源郷と描いてきたジパングのユートピアではなかったかと、思うのである。


「埒外の人」

2014-08-22 20:47:33 | 日記

 いやあ、暑い。じつに、暑い。だがこの暑さが、気持ちいい。たらたらと汗が噴き出るのをそのままにして、外をうろつくと、自分が「埒外の人」になった気がする。「埒外の人」というのは、「黒子のバスケ」に絡んで脅迫事件を起こした被告が表現したことばだ。簡略に言えば、世の中の生活者段階から零れ落ちてしまった、というほどの意味だ。私は零れ落ちたというよりも、あふれ出てしまって、目下、余生を送っている。日常の生産活動的な生活の「埒外の人」というわけだ。

 

 この事件に私は、まったく関心をもたなかった。「黒子のバスケ」をいう漫画を知らないし、その作者をねたんで上智大学を「脅迫する」という「事件解説」を耳にすると、何だか八つ当たりのヘンな男がいると思っただけで、まさに埒外に置いていた。ところが昨日のTVに、判決を受けて移送される犯人の顔が移っている。俳優の柄本時生に似ているが、柄本よりは見栄えのする若い男が、ちょっとばかり笑みを含んだ顔をさらして堂々と曳かれていく。その振舞いに、おやっ、と思ったのだ。確信犯というか、やっと自分の思いを聞き届けてもらったという、安堵の心もちを面に浮かべていたと思えた。

 

 あとでyahoo.newsにアップされた《「黒子のバスケ」脅迫事件実刑判決についての渡邊被告のコメント発表!》をみると、《斯様に無反省な人間が逮捕されて「ごめんなさい」と言うと思いますか?》と言っていますから、してやったりというところなのかもしれません。

 

 そういうわけで、図書館に行って、涼しい閲覧室で雑誌『創』の9-10月合併号を読む。特集が「黒子のバスケ脅迫事件・渡邊博史被告の最終意見陳述」についてである。一部省略はあるが、丁寧にとりあげている。合わせて、香山リカと斎藤環の読後感を掲載している。

 

 まことに簡にして要を得ている陳述である。この、原稿用紙44枚に及ぶ最終陳述は、じっさいの裁判の場面では、最初の方と最後の部分が読み上げられただけで、この雑誌に掲載されることで私たちの目に留まったわけである。要を得ているというのは、つまり彼自身の物語りがきっちりと書き込まれていて、「かんけい」を見る目もそれなりに的確だと思える。あまりに論理が整い過ぎて、夾雑物がそぎ取られているのが、気になるくらいだ。だが「冒頭陳述」を、正確ではなかったと撤回している。つまり、この裁判(あるいは拘留)の過程で間違いなく彼自身が変容している。それを丁寧に練り上げて最終陳述に至ったと分かる。それはより確実に実存の本質に迫る思索のように思える。

 

 単に貧しいとか、格差に苦しむとかいうのではない。ふつうに「前向きに」生きられない、夢も希望もないなどという表現さえ、そぐわない。むろん何かをしようという意欲もわかない。自分自身の立つ位置を見定められないほど、自身の実存に意味を感じない人のことだ。そしてそういう自分がもたらされたのは、両親のせいであったり、自分をいじめた同級生たちであったり、学校の担任教師であったりと、個別具体的に考えれば思い当たらないでもない。だが、かと言って、彼らの具体的ありように踏み込んでみると、その周囲に張り巡らされている社会的規範があり、さらにそこに底流する近代の生き方が確固として聳えている。そこに生きるものにとっては、人とのかかわりにおいて虐待やいじめが派生しているとは言え、彼らもまた、精いっぱい生きていたとみてとることができる。そう思ってみると、彼らのせいにして片付くことだとも思えない。

 

 人間が生きていくうえで欠かせない「かんけい」の根底が垣間見えているような気がする。その具体関係からちょっと距離を置いてみると、現代の社会そのものが(かく生きるべしとして)もたらした息苦しさが、彼のメンタルな内面で呻吟している。そうして、一つの結論に到達した。あたかもラスコーリニコフのように。魂の叫びと、宗教者なら言うかもしれない。イヴァン・イリイチなら「現代のエピメテウス」と名づけるに違いない。ネグリとハートなら「マルチチュード」と名づけて、変革の主体の祭り上げたいかもしれないが、どっこい、そういう意欲を持ち合わせていないのだ、これが。イヴァン・イリイチが想定する「希望」の欠片すら、彼は持ち合わせていない。そう自画像を描いている。

 

 香山リカは「これだけの頭があるなら、やっていける」と、釈放されたら自殺すると予告している渡邊確定囚に思いとどまるよう説いている。また、斎藤環も同様の期待をもちながら、しかし、予断を許さないケースがあることを表明して懸念している。

 

 袖触れ合うも多生の縁というが、ふと見たTVの面構えから、この事件の被告の言説を調べてみようかという思いになった。