mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ひとめぐりして、なお、ややこしい。

2019-11-30 22:11:15 | 日記
 
12年目に突入する外部記憶装置

  11月30日は、11年前にこのブログがはじまった最初の日。2007年。65歳になった翌月に起ち上げた。今日から12年目に突入する。だからなに? と問われて、何か意味があるよ......
 

 こうやって突きつけられて、そうか今日は、ブログ出立記念日であったかと思う。13年目に突入する今日は、36会のsemianrであった。「地球の不思議」と題したなかなか面白いお話しであったが、どういう行きがかりでそうなったか慥かではないが、テクノロジーが急速に先行するが故に、年寄りの私たちばかりか、今の若い世代が適応不全に陥っているという話になった。

 ところが出席していた年寄りのほとんどが、それはそれぞれの自己責任だよ、ITが先行したからと言って、ヒトが不幸せになるわけじゃない、むしろ、機械がヒトの仕事を肩代わりして、楽になるんじゃないかと、とても楽天的であったのが気になった。

 今の若い人の半数近くがテクノロジーの進展に適応できずに、鬱屈を溜めるんじゃないかという私の見立てにも、反対の声が多かった。今の社会の、大きな断裂が目に入っていないんじゃないか。私はそう思ったが、皆さんは、私が何を言っているのか、わからなかったみたい。

 そうなってみると、このブログも、ここでやめるわけにはいかない。この年寄りたちの(私との)ズレは何なのか。満12年を経て、なお、ややこしいモンダイを抱えているなあと思っている。


晴れたので、ワアーっと人出の山

2019-11-29 19:04:42 | 日記
 
 このところ天気が思わしくなかったが、今日は久々の晴。じつは水曜日の山行を金曜日に変更しておいた。ところが参加者の一人が今日、入院手術ということになった。
「私は大丈夫ですから、行けます」
 と奥方からは返事が来たが、でもそうはいくまい。
「延期します。期日は後日に」
 と送信すると、
「やはり、そうですね」
 と重ねて返信。一緒に行くことにしていた方に知らせると、即座に同意の返事。
 
 しかし、せっかくの晴の日に家にいることはなかろうと、正月のルートの下見に行ってきた。
 小仏峠から景信山に登り、稜線を辿って小仏峠から城山を経て、高尾山に向かい、薬王院へ初詣としゃれてみようというコース。下山の高尾山口駅近くの料理屋で新年会をするということまで、今年の正月に決めてある。
 下見をするほどのコースではない。台風15号と19号のせいで、くずれたルートがたくさんあるという。現地へ行けば「崩れています」「通行禁止」と表示して、ロープを張ってあったりする。今年の正月に「わたしの里山にする」と決めたこともあって、行ってきたわけ。
 
 高尾駅8:12のバスに乗り、終点の小仏バス停標高290mから歩き始めたのは8:35。バスは臨時が出た。終点でわんさと降りた。皆さん、景信山や小仏峠や陣馬山や高尾山へ向かう人たち。降りてすぐに歩き始めたわたしが先頭を切った。しかしすぐに、高尾駅から走ってきたトレイルランナーに追い越された。また、タクシーが一台、先へ行った。中央高速道の小仏トンネルの入り口辺りで、景信山への踏路に入る。ゴオーゴオーと響いていた車の音が、ぷつんと止む。40年配の筋肉質の恰幅のいい単独行者に道を譲った。まだ後ろ姿の見えるトレイルランナーを追って、ずいぶんと早い。
 
 鳥の羽根が散らばっている。首のないハトの死骸が、その端っこに転がっている。足に標識がついている。伝書バトが旅の途中に襲われたのかもしれない。襲った側からすると、折角獲物を手に入れたと思ったら登山者がやってきたので、食べるのを断念したのか。観ながらそんなことを考えていると、後からきた70年配が、
「昔はハトを飼いましたね」
 と懐かしそうな声を出した。
「ええ、ということは団塊の世代ですか」
「そうです、戦後すぐですね」
 と応じ、ずうっと私のあとをついてきた。
 
 60代女性の二人連れが道を譲ってくれる。
「早いですね」
「いえいえ、バスに間に合わなくて、タクシーで来たんです」
 と、うしろで団塊の世代と言葉を交わしている声がする。
 
 どこかのTVクルー7人ほどがカメラを回している。何だ断りもしないでと思ったが、まあ、紅葉の小仏城山や高尾山を写しに来たのだろう。それとも、久々の晴天に山歩きをする人たちを撮りたかったのだろうか。でもずいぶんと大掛かりな人数だね。NHKかな、と思う。
 
 上から降りてくる人、何人かとすれ違う。まだ9時少し過ぎ。どこから入って、どこへ行ってきたのだろう。バス停から55分。景信山727mに着く。高尾山の方からやってきた人たちだろうか、茶屋のベンチに腰かけている。その向こうの山並みが、見事に陽を浴びて屹立する。おおっ、富士山が雪をつけたくっきりとした姿を、惜しげもなく見せている。
 傍らにいた人が、
「あの左のが大室山、その左に雲を少しかぶっているのが蛭が岳ね、その左の丸い山頂が丹沢山、ずうっと左の尖っているのが大山」
 と解説してくれる。大山の少し左側に三つのピークをとがらせているのが大山三峰だ。どれもこれも今年登ったぜい、と思うが、頷く人は誰もいない。
 
 小仏峠への稜線に踏み込む。昨夜までの雨が残って、ぬかるんでいるところもある。霜が降りている。凍ってはいないから滑る気遣いはない。30分で小仏峠548m。バス停から登って来るルートと合流する。脇にある案内表示で初めて知ったのだが、城山というのは「小仏城山」というのが正式名称らしい。へえ、そういう冠詞がついていたんだ。峠から上りにかかる。陽の当たらない暗いルート。20分ほどで城山670mに着く。
 
 広い山頂の茶屋は週日はお休みらしい。富士山はすでに雲隠れ。大室山が雪化粧をしているのが、はっきりとわかる。蛭が岳の雲が取れ、山頂のとんがりがわかる。テーブルを囲んでいる人もいれば、一段下の草地にシートを敷いて、相模湖を眺めている人もいる。あちこちに、今日の晴れ間を愉しみに来ているのだ。
 
 城山から高尾山へ行く途中にある一丁平で、この夏一緒に、槍ヶ岳表銀座を縦走した山の会のysdさんとばったり出会った。
「やあやあ」
「ずうっと天気が悪かったから、どこか行きたいって思いましてね」
「この前来たときにはswdさんに逢ったんですよ」
 と、やはり山の会の人と出逢った話をする。彼女もうずうずしていたようだ。
 
   高尾山の山頂599mに11時20分。石垣に腰かけて、お昼にする。ここはもう、街だ。たくさんの人がいる。2歳ほどの子どもを二人連れたママがいる。一人はベビーカーに載せ、もう一人は前に抱っこ。ママの服装はしっかり山スタイル。筋肉補強スパッツも履いている。いや、すごい。ベレー帽をかぶった若い女性と髪を頭の上で丁髷のようにまとめている女の人。街中のファッションだね、これは。ストックを突いた山ガールも山姥も山翁も、皆、陽ざしに嬉しそう。観ているだけで、こちらも気持ちが良くなる。小さい子が4,5人、人を押しのけるように走り回る。おっと、おでんの器をお盆に載せてテーブルへ運んでいる人にぶつかりそうだ。
 
 お昼に30分も過ごして、薬王院へ向かう。こちらも人がいっぱい。ご~んと鐘を撞いている人がいる。おみくじを読んでキャハハと笑うカップル。まるで、もう正月が来たような参拝客だ。薬王院から下山路のケーブルカーの近くへ向かう。参拝に来ている人とすれ違う。下山する人ものんびりと歩いているから、追い越す人も出てくる。声を掛ければいいのに、黙って追い越そうとするから、やってくる人と先行している人と追い越す人との身体がぶつかる。先行する人は、慌てて身体を脇に寄せる。そうか、歳末の雑踏か。外国語が響く。大きな声で喋りながら歩いている。欧米系の言葉ではなさそうだ。おや、こちらはタイ語かな。中国語か、子どもの叫び声がちゃりちゃり聞こえる。高尾山は、紅葉の季節を迎え、わんさと訪ねてくる人がいる。
 
 1号路をとって、高尾山口駅まで歩く。全部小石を混ぜた舗装路、傾斜は急だ。上ってくる人たちは、息が切れそうだ。ここでも外国語が飛び跳ねている。グループが道いっぱいに広がって登ってくる。下っているのは私と私の前を歩くご婦人。ところが、こちらとぶつかりそうなところを歩くスマホをもった若者が除ける気配をみせない。私の前のご婦人が、わきへ除ける。その若者は道いっぱいに広がった同行者と喋りながら私にぶつかってくる。私は意地になって避けない。喋っているのが外国語だとわかって、「無礼者」と声を上げた。若者はパッと道を開ける。そうだよ、日本に来たら日本人のように振る舞え、と口に出さずに毒づく。
 
 駅に着いたのは12時40分。歩き始めて、約4時間。お昼の時間を除くと3時間35分の行動時間か。正月には、お昼を軽くして、新年会に流れ込まなければならないなあ。でも、里山としては、快適な歩きであった。太陽、燦燦に感謝。
 電車は待ち時間がたっぷりある。その上、武蔵野線が遅れている。3時前に帰宅。こうして山行記録まで書いてしまった。

茫茫たる藝藝(4)あそびをせんとやうまれけむ

2019-11-28 10:05:10 | 日記
 
 荻原浩の短編「リリーベル殺人事件」のなかに、夫を殺害する方法を思案する主婦が描かれています。それを夫が察知して「スズランによる毒殺ですね、今度は」と妻に告げる場面。妻の創作、夫は編集を志して入社した出版社の営業部員18年目という設定。因みに、荻原浩という作家は、世の中の埒もないことを面白可笑しく綴って、ときに『明日の記憶』のような哀切な作品をものしている「風のような」語り部。
 
《…「ここだね殺害のポイントは」とのん気に呟く。「ダイニングテーブルにすずらんの花が活けてある。夫がいつも使っている大ぶりの錫のタンブラーが花器のかわり――」「ちょっとぉ、声に出して読まないでよ」……「音読って大切なんだよ。声に出してみて、つっかえるってことは、文章のリズムが悪い証拠。読者にも読みづらいってことなんだから……」》
 
 この声に出して読む「稗史小説」が、じつはmsokさんの心がけの一つ。この方、偏執狂的ともいえるモーツアルト・ファン。毎月3500円の大枚はたいてスカパーのクラシカジャパンを契約し、日々何がしかのクラシック曲を視聴し耽溺している。この「茫茫たる藝藝の(1)」で紹介したように、彼の「稗史小説」が現在626枚で止まっているという、この数字にもモーツアルト・ファンなら「ああ、なるほど」とすぐにうなずくことが隠されていたりするのです。こうした「エクリチュールの剰余」が作品中に、あるいは彼の人の実人生中に、ふんだんにばらまかれているのも、msokさんの人柄を彷彿とさせる自叙伝的要素です。平安歌謡にいふ「あそびをせんとやうまれけむ」を地で行く人生とも謂えそうです。
 
 さてmsokさんの作文術のもうひとつが、自称「枡埋め」です。
 
《貧乏性ゆえか、いや実際幼少のころから貧乏でしたが、その所為もあって原稿用紙に余白があると何かひどく勿体なく思え、できることなら折角の四百もの桝目の凡てを埋めてやりたいと思うほどにその性向が勝っているのであります。》
 
 と語っています。「貧乏性」とか「勿体ない」という言葉に、意図せず彼の人の原点がうかがわれます。さらに推察するところ、msokさんが東洋史を選んだのも、中国語を身に着けたのも、彼の国の文字言語が句読点すら設けずに全面的に桝目いっぱいの象形文字で埋め尽くされていたのが、動機ではないか。そういう「美意識」をわけもなく選びとる知行合一的な「あそび」をもっぱらにする傾きは、先に紹介した通りです。msokさんは、こう居直っています。
 
《それも相俟って、内容はさて置いてもとにかく桝目を埋めていくことを第一の目途とする自分流の作風が揺るぎなく出来上がってしまい、誰が何と言おうとその風を矯め直すことはありませんし、これからもないでせう。》
 
 上記「居直り」の肝心なポイントは「とにかく桝目を埋めることを第一の目途とする」という「あそび」です。当然エクリチュールは文章ですから、ことばの持っている範疇から抜け出ることは適いません。ときに、ジェイムス・ジョイスやいいだもものように「言葉遊び」をして、わけのわからない作品を得意げに書き連ねる方もいますが、msokさんの「あそび」はもっと大衆的です。たとえば、句読点なしの(日本語の)文章を2000文字ほどつづけるという離れ業をしてみせたこともあります。当時、売れっ子作家は、原稿用紙の空白部分も四百字のうち、原稿料が支払われると知って、

「どう?」
「……」

 と改行して書いてそれぞれ20字分ということを多用していましたね。近頃は、会話ばかりでなく、文章もぶつ切りにして改行ばかりの小説が多くなりました。段落なんてのもあるのかないのか、わからなくなりました。いま目にしているデジタル仕様の文章もまた、(蓮見重彦東大総長が入学式や卒業式の総長式辞をデジタルで公表した作法に倣って)一行空けが作法のようになっています。
 
《斯様な書き方が身に付いてしまっているゆえ、余白ができやすい行変えや段落の設定、意味ありげな二、三行空け等々は可及的に採り入れず、常識的にはそうしなければならない所も委細構わずビッシリ埋めるようにして書き、また会話部分なんぞそれこそ行変えの必要があり、じっさいにいろいろの小説を読んでみてもその通りになっていますが、それさえ勿体ないと忌避しているのですから、そうですね全体の見た感じでいえば文章にも紙面にも余裕に欠け、ために覿面の読みづらさを将来せしめています。》
 
 東洋史専門中国語達者の「反デジタル」路線は、しかし、目下の中国政府の社会統治の戦略からすると、まったくの「反逆罪」に相当します。目下の中国は、e-mailという通信から通販の買い物、何処へ何時に誰がどうやって行ったか行かないかまで、GPSや防犯カメラ、デジタル通信のAIを駆使して、全国民全量掌握という離れ業をやってのけているのですから、msokさんの立つ瀬は、その世界にはもはや欠片もないと言えますね。これはしかし、逆に、msokさんの「読み手に訴える何ものもない……風のような読み物」志向が、統治のための全量把握へのはっきりとした反旗であると受け取ることができます。むろん言うまでもなく、それは中国政府に対するだけでなく、デジタル化によってヒトの全量把握に突き進む「世界」への反逆です。では、旗幟鮮明にして何ができるというわけでもありませんから、そのような心持をはたはたとはためかせて翩翻としている様子だけが、記し置かれるのが「稗史小説」というわけです。「あそび」こそが「反旗」という皮肉なヒトの姿とも言えますね。

茫茫の藝藝(3)経験と見聞の埒外に出られるか

2019-11-27 19:40:30 | 日記
 
 「ささらほうさら」のmsokさんの「‘小説.’中間報告」に触発された話をつづけます。msokさんが「一生に一度書きたい」という時代小説が自叙伝であるというのには、ワケがあります。msokさん自身が、その創作について、次のように述べています。
 
《…今さっき小説は虚構の世界と言いましたが、私の場合、じっさいに書いてみてどうしても自分の経験したり見聞したりしたことを越えての仮構世界を構築し得ないことをつくづく思い知らされています。経験と見聞の埒外に出ることができないのです。どうしても自分がこれまで履んできた人生軌跡にいかさま囚われている己の筆致を見て思わず苦笑し、やがては憫笑するほどにそうなのです。創作能力が殆どないのではないかとさえ思いまいます。》                                          
 人の創作には、それぞれに得意技というものがあるようには思います。しかし、荒唐無稽な創作と言えども、作家本人の経験と見聞に原基をもたないことはないのではないかと私は考えています。例えば作家のほとんど妄想と思われる思念やその中で動き回る登場人物でさえ、ご本人が気づかないうちに身に備えたモノゴトが起点になっています。もしそれがなかったら、作家は読者を想定して登場人物を(神のような目でみながら)操作しているつもりでしょうが、読者の目にはウソっぽく感じられてしまうに違いありません。
 
 なによりもmsokさんは「稗史小説」を標榜するだけあって、世の中の俗な語り、市井のぼやき、噂と嘆き、ときには聊斎志異にみるような風説書を志しているのです。彼は、2003年にドキュメンタリー・タッチの作品で埼玉文藝賞の準賞を受賞しています。2017/7/18のこの欄で私はこう記しています。
 
《さて、文筆の人、エクリチュールの噺家・msokさんは2003年に、埼玉文芸賞の準賞を受賞している。いまはリリアホールなどが立ち並んで、すっかりどこにでもある近代的な駅前になってしまった川口駅西口の昔日の光景に身を置いて、子どものころの混沌を生きる世界をメルヘン的に描き出した『キューポランド・チルドレン』が、「エッセイ部門」の賞を得たのであった。この作品、メルヘン的というのは、読み終わって十四年経って想い起した私の「印象」。》
 
 msokさんの幼少期の原風景を活写した作品が、読む者の(敗戦後の)原点を思い起こさせ、そのなかで生育った子ども時代のわが身の闊達であった息吹がどこに行ったのかと振り返させる力を湛えていたのでした。「メルヘン的」という2年半前の思い返しをちょっと引っ込めたくなりますね。msokさんは、こう続けます。
 
《自分が一番の得意にしているのは小中学生以来遠足の作文でした。他の生徒は皆嫌がっていましたが、私は逆。喜んで書いていましたっけが、爾後その遠足の作文風、適当な脚色を加えながら事実も羅列的に書いていく筆風が時を経て習い性になり、学生時代は勿論卒業後も人も驚くほどに長続きしたクラス文集や社会に出てから融資で発刊しつづけた異議あり!紙等々にもその癖風で記述していたことはご存知の通りでせう。さればこの小説も件の遠足の作文の延長戦にあると言っても過言ではありません》
 
 と「自白」していますから、時代小説の体を採った自伝的稗史小説、つまり自叙伝と言っていいようです。「読み手に訴える何ものもない……風のような読み物」というのは、世のシタッパとして生きてきたmsokさんの人生の自己認識ではありますが、これを自虐的と読み取ってはならない。人が生きるということは、基本的に価値的に評価する/しないという次元を軽々と越えて、吹きすぎてゆくようなもの。「行雲流水」だとみてとっている視線があります。それは人生を、遠近法的消失点から見返して、世界に位置づけるときに生まれてくる視線です。
 
 さらに私などが読み取ると、反転して、今の時代批判や文明批評を読み取りたいと思ってしまいます。ヒトが生きるということには、根底的に外すことができない立ち居振る舞いがある。それは、生計を得るために働き、空腹を満たすために自ら食材を調理し、居ずまいを調えていく。その文化を受け継いでいくこと以上にヒトがなすべきことはないのに、今の時代はその立ち居振る舞いを交換によって手に入れることに終始して、わが身の始末を忘れている、と。今風の文化の流れに、単に馴染めないというだけでなく、それをも交換によって取引する暮らしの在り様に、ヒトとしての欠落をみてとっているように思います。
 
 「読み手に訴える何ものもない……風のような読み物」の文体についても、msokさんは言及していますが、それはまた次回ということにしましょう。(つづく)

これはほんのはじまり

2019-11-26 10:40:49 | 日記
 
 香港の区議会選挙の結果が出た。香港の人々は、まだセミの幼虫の心を見失っていなかったと(一昨日のブログ記事を想い起しつつ)外野の私は、ちょっと安堵している。だが専門家たちは、とても慎重だ。
 
 「民主派の圧勝というが、民主派に投票した人たちの多様性を見落としてはならない。街頭デモが勝利したわけではない。気持ちはわかるが、調子づかない方が良い」
 
 と、今後の大陸政府の出方を見極めることを説く。何しろ香港政庁は、行政府的権限をもってはいるが、政治的権限を有していない、と。つまり中国の大陸政府は「地方自治」というセンスを持っていないのだ。むしろ、あの広大な大陸のこと、かつて「地方自治」は自生的に必然であった。中央政府が方針を立てて提示しても、地方がそれを解釈して執行する過程に「自治的な要素」は織り込まれ、文字通り「適当に」実行に移される。だから大陸政府は、中央集権政治はいまだ形成の進捗過程にあり、ぼちぼち仕上げの段階にあると考えているのもしれない。それが習近平時代に入ってからの「汚職摘発」であり、「法治主義」の意味するところであった。そう考えると、香港を一国二制度と名づけても、香港のローカルな自治的センスをどう大陸の中央集権制度に組み込むかという戦略戦術的思慮は働いても、香港のローカリティを尊重して中央政府の仕組みを変えるなどということは、微塵もないといわねばならない。
 
 その変更は、強固な独裁的共産党支配の根幹にかかわる。共産党こそが人民の利益を見極める力を持つという理性的判断を下す正義性が根底にある(「前衛論」)。つまり人民はおろかであり、理性に目覚めた共産党の指導がなくては、人民の暮らしは混沌の中に投げ出されるという強固な確信がある。これって、共産党というだけでなく、フランスのエリート支配の階級制にも通じる。日本の官僚支配の有している人民観にも相似である。つまり統治をする立場に立った者たちは、そういう人民観を根柢において、エリートとしての自らのノーブレス・オブリージュ(気高き献身性)を奮い立たせる。逆に、政治家がいかに腐っていようと、国家の根幹を支える官僚スタッフがノーブレス・オブリージュをもち続けているからこそ、この国は誇り高くしていられるのだ、と。そう思えばこそ、世人からも「エリート」と称えられるに値する、とも。中国ばかりでなく、アメリカにおいても、そうした理知的な人民観=人間観が拭い去られるようにみえたのが、アメリカ大統領選でのトランプの登場ではなかったか。「反知性主義」と謗られた側がじつは「知性主義の頽落」批判であったことを、批判されている知性主義の側は気づかなかったともいえる。そこで批判されていた「知性主義」とは、カント以来の欧米合理主義であり、ことにアメリカで発達した機能的合理主義であった。
 
 アジア的な特性を引きずっているように見える中国の共産党独裁の「前衛論」も、西欧近代合理主義のひとつの極みである。その実証的破綻は、1989年に明らかになったがゆえに、その後の中国共産党政権は論理の組み換えを行い単なる国際的覇権主義に衣替えして、経済的・軍事的・政治的に国際関係を取り仕切ることへ舵を切ったのであった。その一片が、目下の香港であり、いずれの台湾であり、さらに将来の一帯一路であると言える。
 
 では「反知性主義」が、それに対抗できるか。とんでもない。トランプも安倍も、大陸政府に持ち掛ける言葉を知らない。香港を援護し大陸政府に自重を呼び掛けることを、憚っている。なぜなら、自らも統治者として似たような人民観/統治観を持ち来っているからだ。
 
 つまり、いまここで、香港の人々を支援する言葉を発することは、西欧的人間観からの離脱を意味する。理性的合理主義が行き渡ることが人の世をよく統べるのではなく、人の社会は矛盾性を内包して混沌のなかに「自己同一」を保っている現実存在である。だから世の中は、ひとつに安定的に絶対者によって統治されることではなく、つねに揺れ続け、落ち着く先を探りつつ移ろうように「総べる」ものだとみてとることではないか。そして唯一国の統治者に託されていることは、人びとが飢えないように心をつかうことと、戦禍に遭わないように外交を取り仕切ることである。
 
 香港の選挙結果を見てインタビュ―に応じた香港の民主派の活動家が、「これははじまりにすぎない」とクールに応えていた。そうだ、まさにこれは「人間観」や「社会観」、「国家観」や「世界観」の大きな変化の「はじまり」である。どうそれが、世界の人々、社会全体が共有する思念として紡がれていくか。「ほんのはじまり」に過ぎないと思う。