mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

慥かに生きる感触

2019-12-31 09:47:37 | 日記
 
 
 寺地はるな『わたしの良い子』(中央公論新社、2019年)は、面白かった。
 事件が起こるわけではない。異様な人たちが登場するわけでもない。ごく普通の人たちの身につけている何気ない言葉が、一つひとつ突き刺さる。突き刺さったのを跳ね返すわけでもない。ただ受け流すのでもない。一つひとつの言葉をわが身の裡において吟味しながら、わが心もちの落ち着くように腑に落としていくと、いつしか自律した身の置き場を得ている。その姿は、ごく普通の人から見ると、ヘンなヒトにみえる。
 
 シングルの主人公が子どもを育てている。自分の子ではない。といって、しぶしぶ引き受けているわけでもない。妹の子だから子どもには「おばちゃん」と呼ばせている。すると世間は、「たいへんでしょう」と主人公に声をかけ、子どもには「さびしいでしょう、ママと離れて」と慰める。だが違うんじゃないか。いや、違うよと内心の声がする。
 
 保育園に預けられた子どもは、ほかの子どもたちと馴染まない。保育士がいろいろと気遣う。いいじゃない、一人ぽっちだってと心裡が反発する。やがて小学校へ通うようになる。動作がのろい。ひらがなを憶えるのに時間がかかり、ぼんやりしていることが多い。教室のほかの子たちから遅れる。だがその子どもの在り様のどこかに、おばちゃんの気持ちは救われている。余所の子どもたちと親とのやりとりが棘のように目につく。ほかの子の父親の振る舞いが、母親を孤立させてヒステリックにさせていると思う。ふと気づくと自分も、子どもに乱暴な振る舞いをしていると、やはり視線はわが身に向く。
 
 それが、やはり単身の同僚や妹との関係に重なり、主人公の立ち居振る舞いの自律が際立つ。ヒトって、このように生きているんだと慥かさが読む者の心に残る。良いとか悪いとかという価値判断を離れて、ヒトが生きる心もちって、こういうことなんだと軽くかみしめる読後感が心地よい。
 
 人と人との距離というのは坦々としていていい。子どもの心裡もわからない。わからないとわかることが、自ずから距離を調えさせる。うれしいとか楽しいとか心弾むとか、何につけ喜ばしいことが良きことのように持ち上げられる。おしゃべりもそうだが、メディアに乗るコマーシャルもドラマもスポーツも、そういう価値観をベースにつくりあげられている。商業主義だから仕方がないが、とすると、ほんとうの人生ってのは、そこにはないと確信させるに足る慥かさが感じられて、面白かった。
 
 この作者、寺地はるなは1977年生まれ。今年42歳になる方。バブル時代に成人し、就職氷河期に一人前になった世代だろう。だが、豊かな社会に育ち、自由とともに自己実現とか自己責任をいつも迫られる不安に苛まれるのではなく、こうした人生の慥かさを手に入れて自律しているのを感じさせるのは、ちょっとした希望を見ているようであった。

「学校の変容」はどうモンダイになるのか(7)現場教師の頽落は臨界点を過ぎたか

2019-12-31 07:35:30 | 日記
 
 さて、いよいよ年の暮れになりました。この連載にも始末をつけて、新しい年明けを迎えましょう。
 kさんの挙げた7年間のあいだの「学校の変容」は、以下の5点。今回のテーマは⑤です。
① 専門家の専門性や権威が疑われる
② 当事者主権の考え方が、ますます強まる
③ ベテランが否定され、ベテランは若手に学べと指導される
④ 生徒は教師をコントロールしようとし、教師は生徒に合わせざるを得ない
⑤ 管理職の力や教育行政の力が強まっている時代
 
 kさんは上記⑤の事例として、3点「状況」を記しています。長いのですが、状況をよく示していますので、そのまま紹介します(下記の(a)~(c)の記号は引用者)。
(a)第一に、管理職は、職務上の上司だけでなく、教育上の上司でもある。生徒の生活指導のモンダイとか、保護者のモンダイとか、現場で処理しきれない教育上の問題について、管理職が口を出します。また、現場も、「お願いします」と指導をゆだねます。その結果、管理職がトップダウンで解決する場面が多くなりました。
(b)第二に、教育行政が学校を経営体と見立てて、校長に学校経営計画を立てさせます。校長はその計画に基づき、計画実現ための方策を示し、実現の目安としての数値目標を与えます。教師は、そういう数値目標を実現する「コマ」として扱われ、業績評価されることになります。
(c)第三に、学校に民間が入り込んでくることで、管理職や教育行政の力が強まっています。高校の場合ですと、以下のように民間が入り込んでいます。(1)新センターテスト(ナショナルテスト)で、民間の英語検定の活用、また、国語などの論述のモンダイで、民間の塾に採点させる。(2)ベネッセに代表される、各種の進学サポート。模試、スタディ・サポート、そして、研修会の企画。すべての大学で「ポートフォリオを出させる」という施策により、高校の8割以上がベネッセの「クラッシー」というシステムを使っています。(3)私自身もやった「勉強クラブ」などにおいて、チューターや講師として民間の塾の人に入ってもらいます。また、大学受験に向けた作戦を授けてもらいます。
 
 なるほど、こうして読むと、高校の現場が産業能力主義的にシステム化されていっていることが、切々と感じられます。もう臨界点を超えているのかもしれませんね。

 (a)は現場教師が、産業能力=学力=育成装置に過ぎないことを如実に示ししています。指導要領のいう「論理国語」が前面に押し出されてきます。しかし佐伯啓思が指摘するように、言葉は人の感性や情念をくぐらせて成り立っているからこそ、ヒトそのものなのです。そのヒトの機能主義的な側面に特化するのを「論理国語」と呼ぶとき、感性や情念や感懐というヒトとしての実存の在処は、産業能力的にはバグなのですね。学校における生活指導上のトラブルというのは、そのバグが噴き出して起すモンダイ。それは、機能主義的な産業能力の育成装置からすると、すぐに、その「場」に籍を置く資格があるかないかという境界線上の問題となります。そうなると、アメリカの学校のように、校長が引き受けて判断する領域となります。自分たちに求められる仕事がそういうものだと(事態に)適応していきますから、現場教師たちの感覚も、バグの始末は私たちの仕事ではないと受け止めるようになっていきます。日本も、そうなってきたのですね。
 
 (b)は、(a)の方向性を推し進めたのが教育行政当局だということを指し示しています。ちょうど20年ほど前になりますが、トップダウンが通らない学校現場は「日教組が悪い」から悪玉をあげて、「改革」していったのが東京都でした。現場では、日教組どころか組合に加わるものが少数。すでに現場の教育に関する発言力においては体をなしていません。組合はただ、政治組織の外郭団体のようにして、行政や政治の世界では力があるようにみえていたのでしょうね。当時文科省の審議官、いまは京都にある藝術大学のエライサンをしている方が、「団塊の世代が現場から消えていなくなれば、学校は良くなりますよ」と述懐していたことが印象深く甦ってきます。彼からみると「改革」を邪魔だてしているのは「古い時代の教育センス」とみえたのでしょう。ですが今、団塊の世代はとうに現場を退いているのに、どうして現場はかわらないのか。トップダウンを唱えていた都教委の偉い人たちがどう分析しているのか、教えてもらいたいくらいです。
 
 kさんが指摘するように、「コマ」として扱われる教師たちは「コマ」としての仕事しかしません。数値目標を達成しろと言われれば、データを改竄してでも達成したように見せかけるのは、今の政府を支える「エリート」たちを見ていればすぐにわかりますね。そもそも人を育てるのを数値目標で示せと指示すること自体、見当違いも甚だしいと言わねばなりません。kさんは《現場も、「お願いします」と指導をゆだねます》と管理職を頼りにしているように記していますが、私にはそうは思えません。「委ねる」というより「私の守備領域ではありません」と通告しているようにみえます。あるいはもう少し身を寄せて推し量ると、個々の教師たちが自分たちで対処しようという「ネット―ワーク/集団」が出来ていないのではないでしょうか。個々の教師たちは孤立していて、ササラ状につながっている(役職上の上司)に相談するしか手がないのかもしれませんね。でもそれも、トップダウンがもたらした必然の結果です。
 
 でも校長や教頭という管理職が、そのような世間的に分かりやすい名声や名分に身を寄せて生きていることは、昔から明らかでした。彼らは寄ると触ると、誰がどこへ昇進したとかあれは左遷だという出世情報の話ばかりだと聞いたことがありました。何が面白いのだろう、バカだなあと思ってみていました。ですから私は、管理職になろうかと思ったことさえありませんでした。むろん毛色の違った校長にも出会ったことがあります。校長室でいつも本を、それも洋書を読んでいる方。職員会議でも黙って教師たちの発言を聞いている。「もし何かあったら、そのときは私が責任を取りますから」と、教師たちをバックアップする姿勢だけを示して、教師たちの尊敬を集めていました。たぶん、そのヒトの教養が溢れ出ていて、オーラを発していたのでしょうが、これも「古い時代の教育センス」の現れかもしれませんね。
 
 でも教育行政当局からすると、それでは物足らなかったのでしょう。現場で教師たちが種々さまざまに振る舞い、チームをなして何かをするときは教育行政に文句をいうときとあっては、学校現場でいろいろなモンダイが発生するのは、教師が頽落したからと見たのでしょうか。翻って、現場を統括する管理職の力をつける、現場教師の力を矯めるかしかない。そう考えて、トップダウンの仕組みへ「改革」の舵を切ったのでしょう。職員会議は協議機関ではない、伝達機関だとして骨抜きにしてしまいました。校長たちに「経営方針」をつくらせて数値目標を提示させ、それをもって評価するという発想で、現場を引き締めようとしたやにみえます。ですが、それは報告文書作成ばかりに力を必要とし、やたらと現場は忙しくなりました。文書ですから、体裁さえ整えばウソとタテマエに溢れます。それを見破るほどの眼力も、評価する側にまだ育っていないのでしょう。出世情報に現を抜かす管理職たちの身にもたらすものは阿諛追従の生活習慣です。当然このシステムでは、それが現場教師たちにも伝わり、阿諛追従のスウィッチが押されます。むしろ「頽落」というのは、こういう事態を指すのではないか。これよりは(現場の)混沌の方がましと、私なら思いますね。
 
 学校現場のトラブルが、社会や時代の大きな変化によって引き起こされているという認識がないと、短期的な解決策が期待され、小手先の弥縫策ばかりが採用されます。ときにはもみ消しも行われ、トラブル自体にはまったく向き合っていない現場が、あちらにもこちらにも出現するのではないでしょうか。何年もかけて学校をつくるような「方針」は、2,3年で交代する管理職に期待することはできません。教師にしたって、現場を「わたしの学校」と思うようになるのに、5年はかかります。転勤したての頃は「この学校」と口をついて出て来ます。前任の学校との違いが、浮かび上がるのですね。学校のつくり方の違いが、モンダイをもたらしていると思ってしまうものなんです。じっさいにクラスの担任をし、学年に入って2巡目になるころから、「わたしの学校」という心もちになります。廊下にゴミが落ちているとそれを拾う。階段が傘から落ちた水に濡れているとモップをもってきて拭きとる。生徒のいなくなった放課後、教室の机が乱雑になっていると担任教師は一人でそれを整え、溢れているゴミ箱のゴミを始末する。そういう振る舞いもするようになります。こうなって初めて「学校経営方針」が、生徒の身に沿うかたちで考案されるのではないかと、経験則的に私はおもっています。
 
 ひとつの学校を、短期的に収益を上げるように経営しろということ自体、お役所仕事と言わねばなりません。伝統校という高校を覗いていただければわかります。たいていそこでは、生徒が自治的に学校行事を運営し、教師は授業に力を入れる姿を見受けることができます。生徒の動くシステムのなかに伝統的な文化の継承が脈々となされています。その伝統が生徒の胸中に誇らしさをともなった「棒のようなもの」を育みます。だからこそ教師は、知的に、伝統的な文化に槍を突き立てる刺激を生徒たちに送り届けることができるのです。それは、生徒の心裡に鮮烈な印象を刻みます。それを受け取るかどうかは、生徒のモンダイ。まさに薫陶です。そこでは身に備わりつつある誇らしさの芽と知的と意識される事柄との確執が醸されています。それは独立不羈へ向かうヒトの源泉なのです。佐伯啓思の読書三昧の高校生活はそれを指し示していました。
 
 (c)は、つい先ごろ文科省の「方針延期」で明らかになったことですね。でも、この三つの民間委託をみてみると、kさんが①にいう現場教師の「専門性や権威が疑われる」という事情が、よくわかります。でもちょっと引いて考えてみると、全国の数多いる高校教師の数と、大学受験=産業力能育成=に長けた塾講師とでは、勝敗は明らかです。むしろ先述の状況と経験則を勘案すれば、学校の教師はバグに対処するのに優れたものを持っていると言ってもいいかもしれません。そこを勘違いして、教師の力量を上げようというのは、子どもたちがの産業的力能を伸ばして、安定した職業につける力をつけてほしいという親の期待と、誰でも勉強すればそれができるという社会的な思い込みと、その方面にしか目がいかない教育行政担当者の施策の貧弱によって、現場教師は虚仮にされていると言ってもいいかもしれません。
 
 バグに対処する教師たちの胸中の、出世スウィッチを押すことで、その力能を貶めてしまっていると、教育行政の担当者や保護者たちが気づいてくれるかどうか。そのためには、私たちが培ってきた「棒のようなもの」がどれほど人びとの暮らしに培われ、培ってきたかを社会が振り返り、回復できるか。それが「社会の失った読解力」だと思うのですが、どうでしょうか。もう臨界点を過ぎてしまっているように思えて仕方がありません。

「学校の変容」はどうモンダイになるのか(6)ヒトの実存における棒のようなもの

2019-12-30 06:16:05 | 日記
 
 昨日の(5)の話に関係する書き込みがありましたので、少しつづけます。朝日新聞(12/28)の「異論のススメ」で佐伯啓思がkさんのぶつかった事態と似たような事例をあげています。
 
 《先日あるレストラン経営者と話をしていたら、次のようなことを言っていた。若いものが修業に来ても、簡単に叱れない。また、「君はどうしてそれをやりたいのか、ちゃんと説明してくれ」ともなかなか言えない。少し強く言うと、パワハラだといわれかねないからである。その種のことがネットで拡散すると、仕事に差し支えるからだ、と》
 
 佐伯のこのコラムのメインタイトルは「社会が失う国語力」。学習指導要領の改変に伴って「現代国語」を「論理国語」と「文学国語」に分割するという「改革」が提示されていることを見当違いと指摘して「改悪である」と断定しています。OECDの国際学習到達度調査(PISA)で日本の国語読解力が低下したことにも触れて「実用文の読み取り能力」を向上させようという趣旨なのだろうと、背景に進行する「若者だけではない。大人も大差ない(社会が失う国語力)」状況を慨嘆しています。その事例が、上述のことです。kさんの指摘するエゴセントリックな生徒たちの振る舞いの一つの源泉を言い当てているように思えます。
 
 こういう状況が、昨日のブログの末尾で触れた「動物化する人間」です。ITで全面が覆われようとしている社会の文脈に適応する姿が「国語力」に現れています。情報化時代の「営業」上の困難は、人間の変容がひょっとするともう引き返しのつかない地点(臨界点)を超えてしまっているのかとも思わせますね。人が社会をつくるように考えられていますが、ヒトは社会に適応するものです。社会が機能的に変貌して来ると、ヒトの機能主義的なスウィッチが入り、その方面の力能が鍛えられて伸び始め、逆に非機能主義的な方面の力は片隅へ追いやられていきます。ヒトというのは、自らの姿を鏡に映し、そこに映された(と受け止めた)自己像に合わせて自らをつくるものです。だから非適応的なありようを身近に置いてそれに反照させて自分の位置を確認する。その過程で、身近な非適応的ありように「仲間意識」をもちながら反撥し、いじめ、排除していくという厄介な「かんけい」を紡いでいるのです。
 
 しかしその状況を見て取る、kさんと佐伯啓思の陳述の仕方は決定的に違います。佐伯は自分が高校生であった頃の(国語教科はまったく好きになれなかったが)読書三昧の日々を想いうかべ、《…だから私の場合、昨今の高校における学習指導要領の改変、大学入試の改革等も、この私のような高校生がいるとして、その目線から論じて見たくなるのだが……》と、自らの輪郭を描き出すような起点を提出しています。私は佐伯の読書三昧の記述の行間に、一本「棒のようなもの」が通っていることを感じています。kさんは、手を焼いている教師の状況として描いてはいますが、エゴセントリックな生徒の「目線」を組み込んでいません。秩序を維持することが前面に出てきて、エゴセントリックな子どもたちの琴線に触れるような響きがどこにも見当たらないのです。kさん自身の人間観に「棒のようなもの」が感じられないとでもいいましょうか。その違いが、「論理国語」と「文学国語」の端境を浮き彫りにしています。
 
 子どもの目線を組み込む重松清は子どもや若者たちの日常の「かんけい」を描いて秀逸な作家です。たとえば、つい昨日図書館で手に取った『きみの友だち』(新潮社、2005年)は、小学生から中学生の学校におけるヒリヒリした情景をピックアップして、「かんけい」の移ろいを掬い上げています。重松も、学校の関係の中で孤立する子ども・生徒を取り出し、友だち関係に溶け込んでいる子ども・生徒たちと対照させて、その姿を浮き彫りにしていきます。にもかかわらずkさんが指摘するような、特異点をピックアップして「場」の全体の気風を見損なっていると思えないのは、孤立する子ども・生徒の成長が胸中にもっている「棒のようなもの」が垣間見えるからです。
 
 ここで「棒のようなもの」と言ってるのは、ヒトが生きていくうえでの根底的な独立不羈の魂のようなことなのですが、魂と言っても精神とか霊魂とかそういうイメージではありません。もっと身に沁みこんで一挙手一投足に現れてくるような、生き方の振舞いです。年末になると思い出すのが、「去年今年貫く棒のようなもの」という高浜虚子の句です。掃除・片づけをきちんとやるとか、お節をつくるとか、コトゴトの始末をつけるという暮らしの仕種が、独立不羈の魂のように染み込んでいる挙措動作。かつて、暮らしということは、「棒のようなもの」を受け継いで伝えることでした。私たち戦中生まれ戦後育ちは、憚りながら、ひとたび崩壊してのちの貧しい時代を過ごしたこともあって、ヒトの暮らしの最初からやり直しているような感触を身につけてきました。竈に火を熾しご飯を炊くのも、火加減を見ながら火を落として釜を降ろすのも、たぶん原始時代からやって来たこととさほど変わらない作業だったに違いありません。こうしてヒトは生き延びてきたんだと思うような社会に、振り返ってみると育ってきました。それが棒のようなものを身に着けさせたのかもしれません。
 
 それが崩壊していく。その気配を感じて懸念を表明しているのが佐伯啓思です。50代のkさんもまた、同様に身が働いて、その振る舞いが傍らに押し寄せられるのに、いら立っているのかもしれません。でもそれは、指摘される「現場」だけの「変容」がモンダイなのではなく、「社会が失う国語力」というような、大きな視界においてとらえなければならない事柄なのだと言えます。
 
 では、現場の教師はどうすればいいのか。私たちが身をおく場は、身過ぎ世過ぎも含めて、ほんのちっちゃな「現場」にすぎません。ですからそこの当事者である教師が、手を付けられることは、ほんのささやかな試みですし、試みられると同時に蒸発してしまうような儚いことかもしれません。でも、そうしたことの一つひとつのアクションが、的確に的を射るように、それが遠近法的消失点から見てとると限りなく的を射ることに近づいていくモメントを含み持っていると感じられることを、行う。その社会的な広まりがいずれは気風をつくりだし、次の世代のヒトの暮らしを調えていく独立不羈の魂を磨いていくのではないかと、期待を込めて、ほのかに思っている次第です。

「学校の変容」はどうモンダイになるのか(5)学校をしっかりつかむ

2019-12-29 06:03:26 | 日記
 
 kさんの挙げた7年間のあいだの「学校の変容」は、以下の5点。④が今回のテーマです。
① 専門家の専門性や権威が疑われる
② 当事者主権の考え方が、ますます強まる
③ ベテランが否定され、ベテランは若手に学べと指導される
④ 生徒は教師をコントロールしようとし、教師は生徒に合わせざるを得ない
⑤ 管理職の力や教育行政の力が強まっている時代
 
 ④に関してkさんは《今日の生徒は、かつての「荒れた生徒」たちのように、あからさまな反抗はしません》と記しています。反抗しない生徒がなぜモンダイなのか。kさんはこう続けます。
 《生徒は教師からの教育的働きかけを「十分に受け取らない」。……(その)ことによって教師をコントロールしようとするのです。具体的には、お喋りをやめない、後や横を向いている、ピアスをつけ続ける、携帯を手放さない、教科書を出さない、鉛筆を手に持たない、課題をやらない、小さな「暴言」を吐く、心を閉ざす、「嫌い」オーラを出す、指示を受け流す、等々です。》
 
 大変ですね、これは。でも、この連載の(3)でモンダイにしたように、このような振る舞いの生徒は、クラスの中でどのように位置づいているのでしょうか。もし彼らの振る舞いがクラスの多数に及んでいるのだとしたら、これは、生徒が教師をコントロールしようとしているというより、「場」が成立していません。底辺高校でよく見られる状況でもあります。わがままな生徒の振る舞いによって学級が成立しないのではなく、学級体制が崩壊しているのです。クラスという「場」を成立させるためには、個々の教師が個々の問題生徒をどう抑えるかという小手先のモンダイではありません。学校全体の教育体制をどうつくるかというモンダイです。
 
 そう考えると、管理職をはじめとして教師がこの状況を深刻にとらえて、総力を挙げて学校の気風を確立しようとし教室の規範を立て直す方向を取らなければなりません。「学校をしっかりつかむ」と私などは標榜して取り組んだことがあります。とはいえ、教師にもいろいろな思惑がありますから、そう簡単に一丸となって取り組むことはできません。私の身を置いた学校のケースでいえば、学年をつくることからはじめました。
 
 一学年3学級の大規模の定時制高校でしたが、上履きを統一し、帰りのショートホームルームを実施し、授業の開始と終了、遅刻などの時刻を厳守する、毎日掃除をきちんとやる。その取り組みの効果が現れるのをベースに、次の学年でも同様にして学校における生活規律を習慣化する。それと並行して生徒会を掌握し、教師の力によるのではなく、学校行事を通して生徒を動かし、他の学年の気風にまで影響を及ぼしていくようにして、7年かけてがらりと学校の雰囲気を変えたことがありました。
 
 7年もかかったのは、古参の教師が転勤によって入れ替わることも必要だったからだと、いまにして思います。腰の重い教師、協力的に動こうとしない教師はあてにしない。それでも、こちらはやることはやるという気概を学年の教師たちが共有することで持ちこたえたと、思っています。振り返ってみると、教育観を共有したことなんて、なにひとつありません。ただ経験則からくる、身に刻んだ生活感覚はそれなりに相通じるものがあったからではないか。そして、目前の整わない教室を何とかしなければならないという思いだけが頼りだったようにも思えます。
 
 当時の教師たちの意思結集に、定時制のことをほとんど顧みようとしない教育行政や管理職への反感を利用したこともあります。一つの学年をつくるとき、他の学年の無策を暗黙の裡に照合して自らの矜持を誇り、無理を押して頑張ったこともあります。生徒会の執行部を握り、全学年の代表者会議を開いて生活規律をつくって行くときには、教室を共有している進学において優秀な全日制を相手に、自分たちの振る舞いの誇らしさを意識させたこともあります。1970年代の後半のことです。
 
 もっと大局的に振り返ると、ちょうど日本経済が安定成長に向かい、一気にアメリカに追いつき追い越すという経済産業の成熟期に突き進んでいたころのことです。一億総中流の姿が見え始め、産業能力主義が一世を風靡していました。その頃に生徒たちの自由な選択と自己責任という「個人責任主義」が社会的にも行きわたり、最底辺と言われた定時制高校の教室に噴出したともいえます。それを当時の私は「七年戦争」と名づけましたが、まさに日々が戦争。教室は戦場であったと、いまは懐かしく思い出します。
 思えば生徒も教師も、時代の大きな変化に翻弄されていました。もしそのとき「教育に関する共通認識」などを説く教師がいたら、笑い飛ばされたに違いありません。そんなことより、定期試験の教室で「答え」を大声で口にする生徒、それを囃し立てて面白がる生徒のいる教室をどうするのか考えろよと、詰め寄られたに違いありません。そうした事態のひとつひとつに、学年やその場に居合わせた教師たちが向き合ったことが、7年の間にこの学校の気風を醸し出したのだと思います。
 
 すでに引退した私は、遠近法的消失点の方から、昔日のわが振る舞いを振り返っています。そうしてみると、高度消費社会への突入のもたらした庶民の生活上の変化は、人間そのものを変えてしまうほどの底力を持っていたと思います。哲学者の東浩紀は「動物化する人間」と名づけましたが、たしかに、心地よいこと、振る舞いに抵抗のないことを主眼にして社会システムがつくられていけば、エゴセントリックな感性が育ち、「生徒が自分を大きくみる」ようになるのも致し方のないこと。その結果現実原則とぶつかり、「自己責任」を問われて立ち往生している若者たちを見ていると、彼らを育てる大人たちの教育の、ひいてはそれを取り囲む社会の仕掛けのどこで間違えていたのだろうと、思案してしまいます。
 
 そういう思案と、kさんの「2019年の構想の最初の見直し」とが、どこで接点を持つだろう。kさんは教師の(学校をつくる)実践というのが理知的な思索によって推進されると考えているのでしょうか。あるいは、教師の一致団結した意志的な仕掛けによって成し遂げられると考えているのでしょうか。振り返ってみると、教師集団がチームになるというのは、結果としてそうなるのであって、集団がチームにならなければ実践が進められないということではありません。実践というのは、日々の振る舞いです。具体アクションというのは、あくまでも一人の教師が単独で始めるものです。それが周囲に影響を及ぼすのは、いろいろな諸相のいろんな要因が作用しますから、一般論的にかくかくをしかじかすれば、こうなるという絵を描けることではないように思います。私は日本の教師のそういう経験則的な教育仕事が、学校という集団の気風をつくり、その気風が生徒に薫陶を垂れるものと思ってきました。だから教師という仕事をしているときの私は、戦中生まれ戦後育ちの日本社会の気風を集積した身柄が、その知的道徳的に主導的な側面を表出させて学校で現れていると思ってきました。
 
 生身の私が社会の気風を体現しているというとき、私の個体性よりは、伝統的に身に継承されてきた「善きこと」をできるだけ体現するように振る舞うことだと意思的には思っていました。でも、じつは意識的に表出することよりも、無意識に体現していることの方が、まちがいなく感覚の若く鋭い生徒の感性には伝わります。ですから、タテマエはコレ、ホンネはソレというのは、そのような文化性として受け取られます。それは「善きこと」とは言えません。とは言え、自分の振る舞いを裏表なく一貫させることができるほど、私は修業を積んでいません。迷いもし、齟齬も出て、しくじります。ただ、それをごまかさない。ぶれるときはぶれていることをかくさない。しくじったときは、なぜしくじったかを真摯に反省する。それが私の人間観でもあるのですが、ひとつの信条になっていきました。
 
 生徒の振る舞いとぶつかるごとに、それら一つひとつの意味するところを私自身がどうとらえているか、何を根拠にそれを良しとしているか、そういうことを考えざるをえませんでした。「ボーっと生きてんじゃねえよ」と5歳児に叱られるのが、いま流行していますが、思えば基本的にボーっと生きてるのが人生です。それの意味を考えたり、思案するのは、いつでも後の祭りです。そのとき、自分の主義主張やメンツに拘泥して、それを守ろうとする振る舞いには、必ず不信がついてきます。でも人は、我知らずそのように振る舞ってしまうのですね。それは「かんけい」に取り返しのつかない破綻をもたらします。臍を噛む様な失態を重ねながら、何とか(失職することもなく)面体を保って退職までこぎつけた、そのように自分の仕事人生を振り返ってみています。

「学校の変容」はどうモンダイになるのか(4)経験則の頽落

2019-12-28 08:33:46 | 日記
 
 kさんの挙げた7年間のあいだの「学校の変容」とは、以下の5点。今回は③を考えてみましょう。
① 専門家の専門性や権威が疑われる
② 当事者主権の考え方が、ますます強まる
③ ベテランが否定され、ベテランは若手に学べと指導される
④ 生徒は、教師をコントロールしようとし、教師は生徒に合わせざるを得ない
⑤ 管理職の力や教育行政の力が強まっている時代
 
 《ベテラン教師のやり方は「時代に合わず古い」と批判の対象になり、「若手の新しいやり方を学べ」と、管理職や教育行政から強いられます》とkさん。その事例として英語科教師に対する「最新の英語の教え方」を事例として挙げています。年配の教師が、研修を受けた若手や中堅教師の教えを受けている。それをkさんは「若手や中堅の教師がベテラン教師に教えるという悲喜劇」と記しています。
 
 私は英語の教育法については門外漢なので云々する立場にありませんが、私などが教わった英語は「読み書きの仕方」でした。読むことと書くことがメイン。ちょうど中国語を中国語としてではなく漢文として学ぶように、学んだんだなあと、後になって思いました。つまり、西欧の知識人がラテン語を学ぶように、英語を学んでいたのでした。だから英文学も読むことはできなくはないのですが、聞くとなると一歩引いてしまいます。しかも日本においては翻訳文化が盛んになって、例えば大学の理化学・工業系の教育ですら、ほとんど日本語で行われるほど、日本語のテキストで事足りていました。それ自体で一つの業界をなすほど大衆文化に食い込んだのですから、それなりに誇っていいことだと思っていました。
 
 ところが21世紀になるころに、「中国やタイの大学では英語で授業が行われているのに、日本の大学では相変わらず日本語ばかり。日本は遅れている」と批判が行われはじめました。日本が古い時代の文化センスで高等教育を行っているというのです。固定電話の行き渡ってなかった国が携帯電話時代になって先行するようなこと、後進的な社会が新しい時代の潮流にうまく乗って、先進社会を追い越したのです。日本の産業社会が(そこそこの人口を抱えていたために)ガラパゴス化していると謂われたのも、同じことでした。イノベーションの時代の世界的広まりが、先進/後進という尺度をかき混ぜていたのです。
 
 21世紀になるころには世界的なインターネットが整い、英語があたかも世界の共通言語のように広まりました。企業活動もグローバル化し、日本の企業も海外へ進出せざるを得なくなるとともに、海外勤務の日本人も格段に増えていきました。海外の専門的技術者が日本の企業で働くことも珍しくなくなっています。日本の企業のなかにも、会社内で英語を標準語とするところが誕生しています。読み書きだけでなく、聴き話す英語が必要と謂われはじめて、文部行政がそちらに舵を切ったのも時代の要請に応えようとしていると思いました。じっさい、TVでも日常の場面でも、英語は頻繁に流通するようになっています。「日本人は英語が下手」という「定説」がTVでモンダイになったとき私などは、「だって日本語で日常に不都合がないんだから、当たり前じゃないか」と居直っていたものでした。
 
 となると、英語教育のコンセプトが違ってくるのですから、教師経験が長いからと言って英語についてはベテランとは言えなくなっています。ほかの教科でも似たようなことは起こっていると、私は思います。教科の枠組み自体が枷になり、相互越境的にかかわりあっていかないと、知的な探究はすぐに頓挫するような知識も、結構多くなりました。古い教養ベースでは、即対応が難しいところが出来しています。もっとも、それが良い傾向かどうかは、一概に言えません。古い教養ベースというのは、それなりに哲学的な探究の胚芽を持っていて、領域横断的に知的関心を惹くところがあるからです。
 
 kさんは「悲喜劇」というとき、何をモンダイにしようとしていたのでしょうか。私は、学校現場における教師の経験則が軽んじられるようになったと、受け止めました。教師の経験則というのは、社会の規範を背景にして知的・道徳的感性を育み、人倫の然らしむるところを身に付け、世の中を渡っていく自立と自律の生活と心の習慣の土台をつくることでした。私の父親は息子が大学へ行くときに「勉強もいいが、いろんな人がいることを見て来なさい」といったものです。当時は「ふん」と聞き流していました。いまこの歳になってみると、なかなか含蓄のある言葉だと、父親の面影とともに感心して思い出しています。
 
 ところが、学校現場では1970年代に入って、政策的には1960年代前半に中央教育審議会から「人的資源育成」が提起されたことにはじまるのでしょうが、学校教育が後に「能力主義」と呼ばれる方向へ舵を切った政策が、現場に姿をあらわしはじめました。時代は高度経済成長、しかもその後の十年ほどで、「一億総中流」と呼ばれるような高度消費社会に日本は突入していきました。子育てをする親たちも「学力一本槍」とでもいう風潮に煽られ煽り、学校や教師への要求を学力に絞って強めるようになりました。大正教養主義は影をひそめ、産業能力主義が姿を前面に現してきたと言えましょうか。
 
 そのころからですね。着実に人倫をベースにした教育の影が薄くなっていきました。いうまでもなくそれまでも、知的力量の向上は、学校教育の重要な柱の一つでした。だがその背景には、世の中の役に立つ人生という(古い時代の)共通の規範が優勢でしたから、自分の利得を図るということは二の次のこと、あるいは卑しいこととみなすセンスが、まだ残っていました。しかし、学力向上が全面に押し出され、学力による学校の格差付けがあからさまに行われるようになってくると、自分の利得を図ることが恥ずかしげもなく口にされ、それは個々人の生き方の選択のモンダイとみなされるようになりました。その進行にともなって現場教師の、規範や人倫に関する経験則は軽視され、自立・自律という生活と心の習慣の土台を育成することは、自己実現とか自己責任(=個人の選択)という言葉にとってかわられ、やがて無視されるようになっていきます。学校における生徒の振る舞いは生徒の選択のモンダイであって、学校や教室の規範秩序のモンダイとは考えられなくなっていったように記憶しています。つまり、個人の選択の自由の謳歌は個人責任とともに個人主義を推進し、社会的な関係の形成を、どこかに預け、自力で保つこととは考えられなくなりました。そういう状況が一般化してきたと言えましょう。社会的な秩序の形成保持を、どこに預けたか。法的規制にです。管理責任者は、場の管理責任を負うと同時に、それに必要な「規律・規則」をあらかじめ周知徹底することが求められたのです。
 
 ここでほぼ完璧に、個々人の振る舞いは、個々人のモンダイとして取り上げられるようになり、その判断基準は法的に規定された違法行為かどうかがモンダイとされ、それだけでは片づかないことに対処するために、ポリティカル・コレクトネスとか、○○ハラスメントという決めつけが横行して、ものごとに白黒つける規律規範のセンスが、一般化してしまった。そう私は思っています。
 
 経験則の頽落と私が名付けるのは、教師の経験則が退廃したことを意味しています。教育の役割は学力の向上であり、その余のことは学校という場を維持するための付随的なことと考えられるようになっていきました。それを推進したのは、高度消費社会化の進行による一億総中流化がもたらした能力主義という機能主義が社会的に蔓延した結果です。親も企業も教育行政当局も、経済的な高揚と利得しか目に入っていないかのように、子育てを考えています。その集団の秩序は、「規律・規則」として文言化され、その集団に所属する人々は、当然それを遵守することを誓約して算入することになります。学校に参入する生徒も一人前の人格とみなされて登場するわけです。秩序維持のための尽力は、自ずから保障されて然るべきこととして視野の外におかれています。その集団に参加する個々人が秩序を維持するにふさわしい資質を身に付けて登場するべきだとみなされているのです。子どものことは、家庭や親が責任を持つべきことになります。
 
 でも、一人前に育っていない生徒が蝟集する学校現場は、「規律・規則」があっても何の役にも立ちません。子どもたちは家庭や親の庇護下にわが思うままに振る舞ってきていますから、そもそも規律や規則の制約が気に触ります。荒れる学校現場の秩序は、誰が取り仕切るの? と現場の教師は気になります。ふつうなら教師の責任となりますが、それに関する教育行政当局は、トラブルの場を取り繕う弥縫的な対策しか提示していません。自分たちの(本来の)職務ではないと考える平教師は、アメリカのように生徒指導は管理職が担当しろ、となります。現場教師も、生徒指導とか生活指導が自分たちの職務に属さないとなると、秩序を混乱させるモンダイ児ははじき出すだけの存在にみえるわけです。こうして子どもたちは、何がモンダイかもわからないまま、自分をつかめない不安にさいなまれて八つ当たりするか、とち狂うしかないわけです。
 
 これはずいぶん大きな社会の頽落です。ベテランが否定される悲喜劇などという暢気なものではありません。むしろ、古い時代の人倫が経済一本槍の世の中で廃れ、それに代わる社会の秩序維持装置が、動物対応的な環境管理型に変わっていくことの方が、皮肉にも人間主義の最高の到達地点に発生しています。その悲喜劇を、慨嘆してみているしかないのでしょうかね。