mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ミャンマーに対する日本の責任

2021-04-12 05:11:41 | 日記

 マル激トーク・オン・ディマンドの2021/4/10号で、表題の件が論じられている。ミャンマー国軍の暴力的支配を、日本政府はやめさせる責任があるという。

「(日本は)ODAの供与国として世界最大であるばかりか、ミャンマーの民主化の進捗をしっかりと監視することを条件に、2000億円もの債務帳消しにも応じてきた」

 しかもそれは、日本国民の税金を投入しているのだから、国民に対しても説明責任を負っているぞと、NPO「メコンウオッチ」の元代表理事で東南アジア地域の開発問題に詳しい松本悟・法政大学教授を招いて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司とが議論している。
 そうか、そういうことをほとんど気にも留めないで、ミャンマーの国軍クーデターを「武家政権」と(まるで対岸の火事のように)評していたのは申し訳なかったと、振り返ってお詫びしなくてはならない。主張の論旨が間違っているというのではない。他人事のように見ていた自分を恥じて、お詫びしている。
 じつは少し前に、高橋昭雄『ミャンマーの国と民――日緬比較村落社会論の試み』(明石書店、2012年)を読んで考えるところがあった。ミャンマー研究者の高橋昭雄が1986年ころから30年以上にわたってミャンマー現地に研究調査に入り、村落に住み着き、ミャンマーの人々の結びつきと村落の共同性の在り様を考察して、彼の育った日本の村落のそれと比較しながら「共同体と人々のつながり」を論じている面白い本だ。「調査」が、社会主義時代から国軍の軍政時代、そしてとりあえず民主化へ舵を切り始めたころに亘るから、彼の実体験が、まるでドキュメンタリーのリポートのように伝わってくる。そうして、ミャンマーの人々の「村落」との結びつきが日本のそれと極めて異なり、それゆえに、軍政という強権的な締め付けにさほど影響されず、自在な心持ちを以って暮らしているという。
 それは、逆にいうと(この本の中では触れていないが)、村落ではなく(その村落の心性を残して受け継いできた)町場では軍政の締め付けに強く反発する思いが募り、十年余のとりあえず民主化に踏み出したことが、ますますその思いを定着させて来たことを、容易に想定させる。国軍が議席の三分の一を保障されている現行憲法そのものを、民主派と呼ばれる抵抗者の民を代表する「議員たち」が廃棄しようとしているのも、理の当然だと納得できる。
 まるで、明治維新後の四民平等(の理念)に元気づけられた民が、すでにそれまで経済的にも社会的にも力を得ていたことに根拠を得て、発言し始めたようである。それと逆に、維新後の欧風万民平等思想によって、特権的身分を失い生活の基盤をあらためて作り出さなければならなかった武士たちが、うろたえた果てに西南戦争や「不平士族の反乱」に突入していったのと同じ道を、いまの国軍がとっていると思わせるものであった。もっとも(それを制圧する)「官軍」がいませんがね。
 高橋昭雄が「共同体の失敗」という表現で提起している、村落への帰属性の希薄さと逆に個々の民の自由や独立性の高さに相互に関係しながら、しかし、そこにコミュニティ・フォレストリーが入ってきたり、NGOのマイクロ・ファイナンスが行われるようになって、(利得関係を明快にした自主管理的結びつきが生まれ)「共同体の失敗」と言われてきた(日本の場合のような)人格的拘束や倫理的束縛を抜きにして、村落の民の関係が安定的に構築されてくると、(日本の場合と比較してみると)いわば、固定電話のインフラもなかった地域に携帯電話が一挙に広がり、後進的通信状況がひと段階先行するようになっているような、そんな印象を持つ。
 高橋昭雄のリポートが面白いのは、つねに日本の場合と比較することによって、どちらがより進んでいるか遅れているかという価値軸が消えてなくなり、それぞれがもっている特長をみてとることが出来るということだ。しかも「共同性」に関する視線が細やかに分節化して深まりを持っていることに気付かされる。こんな双方向的な批評性を持った問題提起を明示的に記したドキュメンタリーを目にしたことがあったろうか。そんな気がして、わが身を振り返るような心持で、ミャンマーの事態を見つめていた。
  そんなところへ、「ミャンマーに対する日本の責任」が問われた。つまり、日本の民の税金を使って(結果的に)国軍を増長させてきた日本の責任とは、他の自由主義的な国々が民主派への共感と同情を寄せるというのとは違った、具体的な「応答責任/リスポンス」が求められているのだと言える。日本政府が、国軍に遠慮して遠まわしに言及したり、民主化への過程を検証することを求めなかったりするのは、「応答責任」を放棄したものだ。それは、日本国民に対する「裏切り」であり、為政者が日本という国を私物化していることを示している。これはミャンマーのモンダイではなく、まさしく、日本のモンダイである。
 黙っていていいのか。
 おおっ、お前さんは、では何をしているのか?
 う~ん、いや、そうは言っても私などが・・・とは思うが、せめて非力な私ができる小さなこと、こうやってわが身を振り返って発言するくらいのことしかできないが・・・、ごにょごにょ。
 ごめん、ミャンマーの人たち。ごめんよ。
 同様に、ごめん、「わたし」よ。この程度にしかわが身のことをつかんでいないってことを。ごめん。


無意識の「自動増幅・再生」と陰謀論の世界

2021-04-11 10:02:21 | 日記

 昨日の話につづける。「トランプ危機」と命名された今年1月初めの、トランプ支持者たちによる議会襲撃事件が、集団的無意識のSNSを通じた増幅機能によって「自動再生」されたものだと昨日とりあげた。Qanonなどの「陰謀論」が信じられ広まる背景には、絶対神信仰が根づいている素地も強く影響しているといえるが、同時に、(絶対神信仰を持たない地域においても)善悪二元論的なものの考え方が世の中のすべてに行きわたる様相が作用していると思える。
 善悪二元論は、さまざまな事象を(立ち位置をベースにして)二つに分かち、その原因を探ろうとする志向性を持つ。つまり、二元のどちらに付くかを、まず明確にして「因」を探るから、腑に落ちる方向への傾きに導かれるのは、論理的に考えても至極当然のこと。「腑に落ちる」というのは、説明が最もわかりやすいこと。つまり単純明快であることだ。陰謀論は、もっとも単純明確にそれを指摘し、しかもそのトリック(陰謀)のネタは隠されている(だからこそ陰謀なのだが)。ネタが隠されていることが「根拠」であるから、「陰謀論」の想像は、いかようにも広がり深まる。昨日も記したことだが、SNSの広告ビジネスモデルに引きずられて、過激に増幅され再生される。広告ビジネスとしては、ますます儲かるから、そのSNSの設計思想は歓迎され、さらに促進される。
 じつは、中国の専制的統治センスも、絶対神信仰と同根である。共産党が民意を最もよく理解し、体現しているという前衛神話は、まさしく共産党が「神」であり、民はイデオロギーに惑わされて真理を手に入れることが出来ず、「神」によって導かれることを通じて、平安を手にすることが出来る。キリスト教は、やっと近代になって聖俗・政教分離を理念に取り込むことになったが、土台の、つまり身に沁みついた心の習慣としてのセンスは、変わらず絶対神信仰に浸ってきた。分離された「俗・政」の方は、単純化して言えば、「奴は敵だ、敵を殺せ」という二元論として、じつは、善悪二元論を増幅させるように純化してきたとさえ、言える。共産主義思想の「前衛理論」は、ヨーロッパ近代の生み出した民主思想の双生児である。だから、最も民主的な憲法下でナチスも誕生したし、資本主義思想も、倫理的なベースを忘れて、利益最大化の効率を求めて、ここまで暴走してきたのであった。トランプは、そのひとつの現象形態である。
 その、SNSの作用で気になるトピックを耳にした。「町山智弘のアメリカの今を知るTV」で、AIがその人の用いる言葉を解析して「信用調査」の判断をする機能を持つようになった。さらにAIは、人の顔の表情をみて、その人の感情を読み解く機能ももつに至ったというのである。前者の「信用調査」は、その人の書いた文章を読んで認知症状などを診断して、社会的な取引の「信用」の可否を保障するらしいのだが、そうなると、「わたし」の意識に関係なく突然預金が引き出せなくなったり、送金や受取りが拒否されたりするかもしれない。まして、後者のように表情を読み取って、社会的な秩序維持に用いられるようになると(中国社会を想いうかべているのだが)、たとえば「愛国者じゃない」と判断されて、たちまち「予防拘禁」されたり「逮捕」されたりするようになるんじゃないかしら。
 というのが、単なる過剰な想像というのではないと思われるほど、SNSによる「無意識の自動増幅・再生」は真に迫って、わが身に迫っていると感じられる。参ったなあ。
 町山智弘の番組では、ネットのその作用に関しては、ネット経営者も策を講じる手立てがなく、後は法的な規制を強固にやるだけなのだそうだ。もちろんまだ、その「法的規制」がどのようなものである必要があるかもわかっていない。でも、そうなると、中国のように国家機関が専制的にそれらを駆使して社会を設計して行こうとすると(いや、実はすでにそうしているのだが)、まさしく世界は陰謀論に満ち溢れる「神々」の横行する世界となる。アメリカのような「自由人権社会」が敵う相手ではない。
  もうとても、参ったなあと慨嘆しているだけじゃすまないなあ。どうしよう。


集団的無意識が「自動再生」されている

2021-04-10 09:36:36 | 日記

 東洋経済omlineで野村 明弘(解説部コラムニスト)がとりあげている問題が目を惹いた。4/7に「SNSがトランプ危機を引き起こしたカラクリ」、4/9「レッシグ教授が考える「AIと中国」本当の脅威」」の前後編2編。いずれも、ローレンス・レッシグ(アメリカ・ハーバード大学ロースクール教授)へのインタビュー。
 前編は、SNSの広告ビジネスモデルが、1月初めの議会襲撃事件(「トランプ危機」)を引き起こした「諸悪の根源」という指摘。後編は、その延長上に生じているAIを用いたこれからの世界がぶつかる問題を考えている。
 SNSの広告ビジネスモデルが諸悪の根源とは、どういうことか。グーグルとかファイスブックとかツウィッターという、人々が自由に投稿し、お喋りをしているSNSのプラットフォームの、収入源となる広告は、「投稿されるお喋り」が向けた関心や話題を収集し解析し、より多く人々の関心を引くための話題を提供できるように、アルゴリズムが構成されている。ここでいうアルゴリズムとは、いわば、広告収益を最大値化するように設計された「文法」のようなものだ。人々の関心が何に傾いているかを拾って、その人たちが「検索」する「言葉」に見合った「サイト」が上位にランクされる。
 ローレンス・レッシグの指摘はこうだ。ネット検索をする人たちの好みをAIが読み取り、そればかりを「検索上位」においてみせるようになるから、ますますその人たちの傾きは過激化し、「それ以外の情報」は、目に留まらなくなる。グーグルやフェイスブック、ツウィッターの経営者が意図したことではなく、ただ単に人々の関心にこたえる「検索結果」を優先する設計思想が、広告のビジネスモデルに組みこまれて、人々の情報を、あたかも操作しているかのような結果をもたらす。
 そうしたSNSがトランプの演説によって人々の関心が「選挙の不正」「Qアノン」「陰謀論」「議会へ行こう」という「話題」に集中し、するとそれを批判する「話題」はずうっと後景に追いやられ、むしろますます過激に煽る「話題」がどんどん広まり、人々の関心も過激に傾いていく。その結果が、「トランプ危機」を招いたと解説する。集団的無意識がAIの処理によって「自動増殖再生」されて、大事になっていく。「情報化社会」がそういうものだと私は考えてはいなかったなあ。
 アメリカ議会でも、SNSの経営責任者を呼んで公聴会を催し、そこで、「言論の自由」と上記のような社会的扇動につながる「責任関係」をふくめてやりとりがなされたと、これは「NHK特集」が報道していた。もちろんトランプと議会に殴り込んだ人たちの「行為責任」はあるものの、彼らの「行為」の根幹にある「情報の傾きの社会的増殖再生」をこそモンダイにしないと、ただ単にナチスが民主制の頂点で誕生したとか、嘘も百回繰り返せば本当になるという俚諺の次元にとどまって、人間の本性に踏み込まないままとなる。ここでいう「人間の本性」とは無意識のことだ。
「トランプ危機」を「我が闘争」の再来のように見立てて私もとりあげてきたが、さすがアメリカ議会。もう一歩踏み込んで事態を考察し、社会的事象として解明しようとしている。それは、ネット社会の最先端を築いて、グローバルに主導してきたアメリカ社会が抱える、やはり最先端の事象だと認識しているからであろう。台湾の「オープン・ガバメント」も、こうしたモンダイを勘案して進める櫃譽ぐああるのだろうか。
「トランプ危機」を、そこに参加した人たちの個人責任として考えてしまうと、彼らの「情報リテラシー」の能力問題に還元されてしまう。つまり、倫理的道徳的にふさわしいリテラシーを身につけようというお題目になって、とどのつまり雲散霧消してしまう。この東洋経済onlineの記事は、それをネット時代の情報システムとその設計思想と表現の自由と法的規制という社会問題として将来的な解決策を探る方向へ道を開いているところが、新鮮、かつ意味多い所だ。
 もちろん市井の私としては、わが身の「無意識」に傾く無茶ぶりと外的に影響を受けやすい点に心しなくてはならないと思っている。それには、自らの好みをふくめた「選択の傾き」の根拠が何であるか、それが及ぼす社会的な影響はどうなのか。わが言葉だけでなく、立ち居振る舞いを対象化し、つねづね「かんけい」に気を向けて、その意味するところを意識すること。つまり、言葉にして対象化することをつづけることかなあ。ただひとつ救いとなるのは、ネットのアルゴリズムに影響されるほどネット検索をして情報収集をしているわけではないこと。ただ、山の情報や旅に宿の検索などをすると、その後なぜか、そうした宿や山やキャンプに関する「広告」がネット画面にあふれ出してくる。ま、無料で使っているんだから、こんなものさと思ってきてはいた。だが、そうか、そうやってだんだん私の脳も、アウトドア脳になって行き、旅モードに傾いているのかもしれない。個人的には用心するしかない。とすると、これも、新型コロナウィルスと同じで、自己防衛して、せいぜい社会的に迷惑を掛けない程度に振る舞いなさいということか。
 いや、東洋経済の記事に触発されて書こうと思っていたことと、ズレてしまった。また機会を改めて、考えなおしてみようか。


夢枕に立つ

2021-04-09 08:36:21 | 日記

 今朝方見た夢のなかに、末弟と長兄が現れた。いずれも7年前に亡くなっている。その末弟の命日が今日だ、と気付いたのは目が覚めてから。おいおい、忘れるなよと呼びかけているようであった。
 見た夢はたわいもないもの。末弟の出版社に知り合いの女の子を紹介するために私は、出版事務所にいる(はず)。知り合いの女の子というのが誰なのかしかとはわからないが、その「人の感触」はよくわかっている。女の子がやって来るが、出版社の人が誰もいない。彼女は、事務所のナニカが中途半端なのに気づいて、一つひとつ片付けている。そのナニカがなんであるか(私には)わからないが、いま思うと、ガス台の火がついたままであるとか、パソコンがonになったままだとか、始末がきちんとしていないというようなコトだとは(私にも)分かっている。
 と、事務所の女性が入ってきて「あんた誰や、何しとんの」と(なぜか大阪弁で)声を上げる。女の子はなぜ起こられるか、どう応えていいかわからない気配で佇んでいる。と、なぜかそこに居合わせた長兄が「まあまあ、大事なことをしているんだから、叱らないでやってください」と、とりなしている。末弟は、川遊びの師匠の写真を背景において書棚のところで黙って笑っている。あ、これはこの出版社のホームページに載せた写真だ(と同時に)、これって遺影にしたんじゃなかったかと思っていて、夢だと気づいたという次第。
 何ともヘンな夢だ。が、出来事の場面の「始末が中途半端」という(ユメの)由来とか、長兄のとりなし様の人柄とか、末弟の登場するホームページ兼遺影写真とかは、リアリティそのものであった。ああ、夢枕に立ったんだと思って時計を見ると、朝の4時59分。あと1分で(山に行くときには)目覚ましが鳴る時刻。そして、今日が命日ですよと、気持ちのどこかにぽかりと思いが浮かびあがってきた。
 そう言えば、いつのことだったか忘れてしまったが、そんなにまえのことではない。同じ年に亡くなった末弟と老母と長兄とが3人出会って、談笑している姿を夢に見たこともある。そうか、彼岸で再開してそうしていてほしいという単純な私の願望が夢になったものかと(そのときは)思って、すぐに忘れていた。夢を解きほぐして「解釈」しても仕方がない。ただ、「私の願望」とはいうが、そういうかたちで鬼籍に入ってからもわが身に潜んでいて、ときどき(夢枕に)顔を出して想いを交わしている。そんなふうに生きつづけているのだと、別に慰みにしているわけではなく、ヒトの文化の継承の妙を対象化してみている自分を感じている。
 もう7年も経つのだ。成仏しているかどうかは別として、ときどきこうやって立ち現れてくださいよ、と思う。私の書斎の祭壇にお線香をあげよう。


変化に富んだお花盛りのコース――秩父御岳山

2021-04-08 10:23:00 | 日記

 空は晴れ、気温も高くない。秩父三峰口はさわやかな空気に包まれ、ツバメが舞う。平地の浦和では終わっているシダレザクラが、今満開の気配を湛えて咲き誇る。今日歩くコースが朝日に輝いている。
 秩父御岳山1081m。参照した学習研究社発行のガイドブックでは「木曾御嶽山の弟分」と記されている。三峰口駅から歩き始める。9時10分。 140号線を少し秩父市方面へ戻り贄川宿への分岐をすすむとすぐに登山口に出会う。「かかしの里」と銘打っているせいか、あちらにもこちらにもかかしが立つ。なかの、リュックを背負った後ろ姿などは、まるで人がいるみたい。人が出ていくたびにひとつずつかかしをつくって畑や道筋においたみたい。
 登る道筋の両側に墓への分岐がいくつもある。「齢を取るとお墓参りが大変」と、今日同行してくれるysdさん。《「即道の墓」奇形の墓石》と記した卒塔婆様の立て札が添えられた墓石群がある。古い形の墓だが、河原から拾って来た甌穴のある大きな石をそのまま置いてあるのもある。なんだろう。
 白いサクラが今まさに満開の花をつけている。オオシマザクラ? ヤマザクラ? ま、いいや、名前は。おや、色鮮やかなミツバツツジが朝日を浴び、その向こうに三峰口駅を西端においた白久の集落が熊倉山などを背景に、荒川に沿って東へ広がる。
 ルートが二つに分かれている。「どちら?」とysdさん。「どちらでも」と私。ysdさんは急な上りのルートをとった。たぶん、もう一つのルートは、巻道。途中で折り返して合流するにちがいない。だが、パッと急峻な方を採ったのを私は、好ましく思っている。だがルートに落ち葉が降り積もって滑る。歩きにくい。歩き始めて35分ほどで「二番高岩」と木に吊るしてある表示。(たかや)とふりかなをつけている。地元の古名か。頭上のサクラが嬉しそうだ。
 杉林に入る。枝打ちもされず、葉が生い茂る。道は平坦となり、この山が地元林業者の杉山だと思う。樹齢は5,60年経っているだろうか。ysdさんがマムシグサを見つけた(と思った)。マムシグサの仲間のミミガタテンナンショウというのだそうだ。なるほど、花にかぶさるような覆いの曲がったところがくいっと盛り上がって耳のように見える。何株も集まっているのは、あまり見ない。
 スミレが枯れ落ちたスギの葉の間から白い花を咲かせている。フモトスミレというらしい(と後で聞いた)。ysdさんはこのルートにカタクリとエイザンスミレが咲いているはずとどこかで調べてきていた。「エイザンスミレを教わってきなさい」と私の師匠からも言われていた。ysdさんは、まず、葉を見つけた。なるほど、キクザキイチゲの葉のように、葉が細裂している。すぐ先で、中央部は赤紫がかった白い花をつけたエイザンスミレをみることとなった。見る箇所によって花の向きと開き具合が異なり、見つけるごとにカメラのシャッターを押した。黄色のミヤマキケマンが並んでいる。
 ysdさんがカタクリの葉を見つけた。花も付けて点在している。スギやホウノキや落葉広葉樹の枯れ落ち葉の間から楚々とした花をつけて下を向いている。北側に向いた急峻な斜面に、何輪ものカタクリが花を咲かせている。カタクリは花をつけるのに7年くらいかかるとどこかで聞いたことがある。アリが広げるとも耳にした。滑り落ちるように広がるのだろうか。三毳山などのように保護栽培しているのとは一味も二味も違う野性味を残した自生地だ。
「タツミチ」とガイドブックが記している地点に着く。北の「猪狩山・古池」からのルートとの合流点。歩き始めてから2時間弱。ほぼコースタイムだ。木々の間から北西方面に両神山が独特の山容をみせている。お、ルートの右上斜面にカタクリが花をつけている。撮って! と言っているようだ。なだらかにつづく細い稜線部を辿る。木の根が張り出し、岩がごつごつと剥き出しになって長年削られて残った傷跡のようにみえる。
 山頂の手前で「御嶽山登山コース」と標題した「秩父市」の地図付きの掲示がビニールに包まれて木に貼り付けてあった。それをみると「……普寛トンネルから落合登山口までは林道を歩いてください」と書いてある。今日のコースを通るなということだ。地図には落合への庵野沢沿いコースの下山口と登り口の入口付近に赤く×印がつけられ、沢の中ほどに○印をつけて、「大規模な山崩れが発生したことから落合コースは閉鎖となっています。危険ですので絶対に立ち入らないでください」と書いてある。これは、参ったなあ。林道のコースを歩くと2時間ほどかかる。今日の約4時間ほどのコースが5時間余のコースになる。ま、下山口へ行って様子をみてからにしようかと、とりあえず山頂へ向かう。このところいくつかの山で、2019年秋の台風19号による被害で崩れて通れないという「警告表示」を目にしてきた。たしかに崩れていたが、すでに2年を経過して通過する人は多く、踏み跡がついていた。慎重に通れば、通過できないワケではない。だが、立ち木も流され、つかむところがないとなると行き止まりになる。そう思ったから、少しばかりのザイルを用意してきた。近づいてから考えよう。
 山頂に着く。不動明王の祠の先に狛犬が鎮座し、その奥に「御嶽山開闢・普寛霊神」の御社が置かれている。「あら、狼じゃないんですね」とysdさん。三峰神社のコマイヌが狼なのを思い出したのだろう。「木曾御嶽山の弟分」というのが頭に浮かんだ。11時47分。出発してから2時間半。お昼にする。北西方面は両神山から左へつづく奥秩父の山並みがよく見える。右の遠方には浅間山と思しき山容が雪を部分的に残して高い。そのずうっと右の遠方には苗場や谷川連峰と思われる雪をかぶった山々が後背を埋める。ぽっかり浮かんだ雲が、春の穏やかな気候を象徴するようだ。
 12時10分、出発する。いきなり急峻な下り。ロープが張ってあり、途中からクサリに変わる。10分ほどでワラビ平。ここから急斜面を下るジグザグのルートに入る。「落合に至る→」の標識が倒れているのが、「落合コース閉鎖」を思い出させて不気味であった。急斜面の崖とミツバツツジといろいろなトーンの緑が映える下りは、なかなか味わい深かった。20分ほどで林道に出る。林道は普寛トンネルに通じている。林道に入る手前に沢の方へ下る踏み跡がしっかりとついている。「通過禁止」という「警告表示」もない。踏み跡のたしかさに導かれて、庵野沢沿いのコースをたどることにする。いざとなれば、ザイルを出してよじ登るとか降るとかすれば、何とかなるだろう。急峻なルートをさっと選び取るysdさんの力量からすれば、心配はない、と考えた。
 最初に見て驚いたのは、沢に掛けられた何本ものスチールの橋。手すりも添えて、右岸から左岸へ、左岸から右岸へと渡るように設えられている。まだ新しい。長い階段もある。これが修復後だとすると、山頂手前の「警告表示」は、もう取り払ってもいいんじゃないか。たぶん、この修復工事が終了した段階で、沢入口の「警告表示」は取り払ったが、山頂のそれまでは気が回らなかったのであろう。やはり現地まで足を運んでみるべきだ。だが、と違う考えも頭をもたげた。もしこれらの橋や階段がなかったら、このルートの下山は、いろいろと手間取ることになったかな。ラッキーであった。
 下山途中の中ほどで、登ってくる若い学生らしき単独行者に出逢った。今日初めての登山者だ。彼は「上へ抜けられるか」と訊ねる。もちろん、もちろん。気を付けてと見送る。でも、午後1時に近い。これから私たちのルートを逆にたどるとすると、5時ころ下山になる。
 ここにもエイザンスミレがあった。ニリンソウもある。ヒトリシズカが何輪も群れを成している。ヒトリシズカがニギヤカだなと思う。ギボウシの仲間らしい葉っぱが、岩から突き出ている。ysdさんがイワタバコの葉がたくさんあるを見つけた。初々しい緑色がみずみずしい。ヤマブキが岩からしだれ掛かるように花を吊り下げている。
 ロープを辿り岩を巻き右へ左へ沢を渡り、渡り返して下って行くのは、なかなか変化に富んで面白い。疲れを感じるより先に下山口に着いてしまった。13時45分。歩き始めてから4時間35分。お昼の時間を除くと4時間10分ほどの行程であった。
 下山地の普寛神社の脇に車を置いておいた。朝ここに車をおいて自転車で出発地の三峰口駅へ行った。こちらの方が標高差で30mほど高いから楽だろうと読んだ。若干の上り下りはあったが、おおむね平坦な走行の行程。トラックがやや怖かったかな。ysdさんを三峰口駅に送り、自転車を積み込んで帰宅した。ysdさんがいてくれたおかげで、上々のお花見山行になった。