mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

店じまいーおらおらでひとりいぐも

2023-06-01 11:13:38 | 日記
 前々から懸案であった「seminar の店じまい」をした。62年前に卒業した高校の同期生の関東在住者が還暦を機に集まった在京同窓会が発端といえば発端。新橋に小売店を開いていた同期生夫婦が要石の十字路となって寄り集うことになった。彼らのホスピタリティが一番のツナギ、彼ら夫婦の旺盛な好奇心が原動力と言えようか。小売店主であるご亭主は昔風に言えば「読書人」。皆70歳を過ぎ、彼の呼びかけで始まったのがseminar。東日本大震災とフクシマ原発被害をきっかけに、原発の問題点や寄る年波のこと、介護や老人ホーム、ボケや医療制度の話を話すうちに、いつしか来し方行く末の言葉をかわしていることに思い当たり、「うちらぁの人生、わいらぁの時代」をテーマにseminarを行うようになった。事務局を私が引き受け、問題的ははじめのうちは私が、一年半ほど経過して後は代わる代わるに担当して「お題」を定め、十年を超えた。2020年には『うちらぁの人生、わいらぁの時代ーー古希の構造色』として「本」にまとめた。
 まとめたのを機にseminarを終了すると私が提起したのに、いやまだ元気だから続けようとみなさんが前のめりになった。だが、そこへコロナ禍もあって実施ができなくなったりしたから、隔月に実施していたものが何ヶ月もブランクがあるようになり、会場を別にして再開してからは80歳も手前に来ていた。
 言い出しっぺの読書人も耳が遠くなり、やり取りができなくなってきた。耳が遠くなったのは彼一人ではない。そこへ持ってきて、どういうわけかだんだん頑固になってくる。考えるのがメンドクサイと公言するものが出て来る。seminarがめざしていたわけではないが、教養や教育は、「今日用」や「今日行く」に代わり、「その方がいい」と賛同者が多くなった。話に集中しなくなったのである。
 事務局を担当していた私もすっかりやる気が失せ、3月seminarを最後に「店じまいする」とお知らせした。私の「提案」はすんなりと受け入れられたが、件の読書人は(私に運営を押し付けてきて悪かったと思っているのか)会場借用などを「引き受ける」と身を乗り出した。だがパソコンを開くことにも難儀する彼に事務局が務まるかと心配した何人かが支援をして事務局を切り回すことを決め、隔月の集まりは継続することになった。結構な頃だ。こういう実務的な協働作業のほうが、机についておしゃべりするより遥かに人の行き来としては優れていると私は思っている。
 昨日の本ブログで問題にした、年寄り同士の交流では感覚自体が閉じこもりがちになり、新鮮な空気が吹き込まないというモンダイは一向に解消されないが、いまさら身のうちのミクロの世界をワクワクしながら覗き込むヒツヨウもない。「今日用」や「今日行く」札所の一つとなっていれば、それだけで十分とも思う。これは、同世代への見切りである。ワタシ自身がそれで十分かと自問すると、そういうのはつまんないじゃないのと自答が飛び出してくる。でも年相応と考えれば、皆さんにそれを押し付けることはできない。
 でもなあ、これって一番年寄りが自らのモンダイとして取り組んで良い当事者性を持った話なのよね。それを「店じまい」するってのは、三途の川の此岸から彼岸へ渡り始めているってことじゃないのか。読書人は、本という世界を介在させて好奇心の赴くところへ関心を傾けている(と思う)。ならば、まだ彼岸に渡るには早すぎると思っている人たちが、言葉をかわす道筋ってないのかなあと、わが胸中のムシがモゾモゾと動いている。
 みんな一緒に老けて、ボケて、彼岸に渡るわけじゃない。「おらおらでひとりいぐも」と肚を据える時が来ている。