mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

筋肉に疲れを感じた!

2021-07-31 06:23:19 | 日記

 朝(7/30)8時半に宿を出て、湯の湖畔をひと巡りする。青空が見える。予報は雨だったのに、どうしたことか。南側の湖畔沿いに歩く。外山が迫り、木々が覆いかぶさるように茂るから、日差しは気にならない。昨年に比べて道はよく整備されている。去年は、一昨年の台風19号の被害がひどく、土砂崩れもあって、しばらく通行止めだったのが辛うじて修復され、一部は「通行注意」の状態であった。それが治っている。小さい子ども連れでも心配なく通れる。対岸の三ッ岳の山の緑を映して、静かな湖面も緑色に色づく。エンジン附きのボートが一艘、釣り糸をたれて浮かんでいる。何が釣れるんだろう。いまでも持ち帰りはダメでリリースするのだろうか。
 ミソサザイらしき声が山側からする。昨日のキビタキの声にも似ている。湖の浅瀬の倒木のうえをキセキレイが飛び交う。大きなサカナの背びれがくらりゆらりと揺れて動く。双眼鏡で覗いてみると、コイが3尾のんびりと泳いでいる。足元は湿っている。夜にも雨が降ったようだ。
 湯ノ湖の南側に近づく。溢れだした水が湯川となり、滝口へ向かってとうとうと流れ出している。巨木があり、樹の生い茂った岩が行く手を阻み、回り込むように木道と橋がかけられて、ここも変化に富んだ景観をみせている。湖に腹まで浸かって釣り糸を垂れている人が二人もいる。赤い実をつけたサクラの木が端の脇に顔を出している。ミネザクラかなと師匠が言う。白根山で小鳥が啄ばんでいたのも、こんな木の実だった。車道に出る手前で再び湖畔沿いの木道が続いている。
 ゴミを入れる袋とゴミばさみをもった人が、木道の端に立ち止まってこちらの通るのを待っている。マスクをつけて「ごくろうさん」と言ってすれ違う。湖には小さい魚、少し大きい魚がそれぞれ群れになって泳いでいる。後ろから来た夫婦らしい一組が、追い越してゆく。私たちは兎島の方へ踏み込む。
 鬱蒼と茂る樹々、苔むした岩や地面、高い所から鳥の声が聞こえる。中にはピーヒョロロと、トビの声も交じる。双眼鏡を覗くが、何処にいるのか姿は見えない。ノリウツギがそこここに白い花をつけて緑の森にハッとするようなポイントをみせる。
 再び車道脇の木道に出る。この木道も、以前のに較べると広く新しい。湖の湯が沸きだしている硫黄の香りが強い所に来る。ゆらゆらと目玉おやじのようなまあるく白い中に黒い粒をもった植物が底の方から起ちあがっている。師匠は覗き込んで虫を探している。何でも、こんなところに巣くう虫がいるらしい。
 ビジターセンターに行く。概ね1時間半も歩いてる。私は右の肩甲骨が張って来た。荷を降ろして、ベンチに座る。筋肉痛が出て来ている。珍しい。やはり3カ月半も歩いていないと、へたった筋肉も白根山の麓を歩いたくらいで、悲鳴を上げるようになったのか。
 センター作成の今年の暦に、コマドリがガタイの大きなヒナに餌をやっている写真が添えられている。よくみると、ジュウイチの托卵したヒナがコマドリに餌をねだっているのだそうだ。大きいわけだ。
 温泉寺の方へ行き、泉源の葦原をうろついている留鳥マガモがヒナを連れているのをみる。ツバメが巣をつくる土を運ぶのは初夏のころ。車に戻る。赤沼の奥、開拓村の方をひと回りして、いろは坂を下り、清滝の中華料理店へ向かう。いつも近くを通ったときはここに立ち寄ってレバニラ炒めを食べる。年に1回くらいなのに、顔なじみのような感触。「残したら持ち帰りにしてあげますから」と言ってくれる。それくらい分量が多い。しかもレバーは唐揚げにして、ビールのつまみにうまそうだ。
 順調に浦和へ帰るが、羽生を過ぎたあたりから土砂降りの雨。前が見えないほど。車のランプをつけないと前を走る車両がわからないほど。だが、点けていない車が多い。後ろからのトラックに気をつけて走る。迫ってくると、脇へ避ける。高速道を降りたあたりで小降りになった。
  荷物を降ろしていると、脚の筋肉がこわばっているのが、わかる。恢復中なのだと思うと、なんとなくうれしい。リハビリトレーニングらしい奥日光であった。


4時間の行動時間

2021-07-30 08:02:27 | 日記

 今日(7/29)、日光白根山の座禅山を経巡った。行動時間は、4時間。歩行時間は3時間。14000歩ほどの活動だが、体は着実に回復していることを感じさせた。

 朝のんびり、9時出発。丸沼高原スキー場のゴンドラに乗り、標高差1000m程を楽ちんに運んでもらう。こうやって師匠は、高山植物や鳥の珍しいのに出会おうという魂胆。私はそのお零れを頂戴しながら、3ヶ月半ぶりの体力チェックをしようと考えている。

 10時に歩きはじめる。晴れて青空が見える。だが樹林が続き、暑い日差しは避けられる。快適なハイキング。6,7名の団体が白根山の方へ追い越していった。あと1組が追い越していったのは、ひな鳥が目の前に迷い出てオロオロしていたから。それを師匠は、しっかりと見ようとする。胸から腹にかけて、斑点がいっぱいある。くちばしは黄色い。危険を察知しているのか、鳴きはしない。母鳥がどこかで見ているだろうから、こちらは姿を隠してやりたいが、あいにく広い場所。師匠は、オバネの色を見て、コマドリのひなと見立てた。

 実はそのあと、標高で2115m地点で、やはり鳥を見つけて足を止めた。コガラとかヤマガラかと見ていると、その桜の木の実に次々と小鳥が寄ってくる。ビンズイではないか。オオルリやコルリの声も聞こえる。と、キクイタダキだと師匠がいう。頭が黄色くない。ひなのようだ。と、頭の黄色いのが目に入る。双眼鏡もいらない。直に目の前で飛び交う。と、「向こう! キバシリがいる」と師匠が声を上げる。指差す木の幹に上りつつある鳥が見える。立ち止まる。まさしくキバシリ。見ていると上へ上へと上がっていく。と、もう一羽が飛び跳ねて、2羽が絡まり合う。縄張り争いというより、ペアリングの様子だ。しばらくあとまで、上へ下へと飛び交って姿を見せた。

 こうしている間に二組が通過した。私たちも、木道の上を恐る恐る通過する。師匠は桜の木の実を口に入れる。しぶい。振り返ると、目の前を1羽が飛んで目の前の灌木の先端の葉にとまる。葉は大きく撓って止まっている小鳥を際立たせる。と、もう一羽が貼ってきてすぐ脇に止まる。親鳥、コサメビタキだ。どちらも、飛び去ってはすぐにもとのところに戻ってくる。親鳥が飛びさる先には、他のヒナ一羽がいる。とその脇にまた一羽がいる。巣立ちしたヒナが母鳥に餌をねだっているのだ。母親は大変だなと同情する。

 最初に見ている地点からは、ちょうど逆の位置から見ている。通りかかったじいさんと孫、「もう行ってきたんですか?」と山頂へ行く気持ちを表す。「いえ、鳥に足止めを食らって」と師匠が応える。「ごめん」といいながら、其の人たちは山頂へ向かう。と、師匠が、声を立てる。ウソがいた。見ていると一羽ではない。3羽が姿を見せる。いやはや,もうこれだけで、ここへ来た甲斐があったと師匠はいう。ではここで帰るのか? いやいや、師匠は前向き。私の体も、まだ大丈夫だ。1時間20分が経過している。

 その先に避難小屋がある。まっすぐ行くと白根山にたどり着く。ここで左は曲がり、七色平に向かう。虹の七色を浄土に見立て、この名をつけたと看板がある。湿原だったところに木道を設えたようだが、今は乾いてきている。10分ほど進んだところから、再び白根山の方向へ上り始める。白根周回の下山路に取ることが多いルート。その途中の座禅山まで行って、ぐるりと回って登り口近くで、上りのハイキングコースに合流する。七色平で体調を見て、くたびれていたら、そのまま座禅山を省略して帰ってこようという算段だった。

 座禅山への分岐のさきは少し下りとなり、彌陀が池が見えるが、水量がない。その向こうに雲がかかり白根山の姿は見えない。そこまでのいかにも山歩きという風情の急な上りに比べて、平坦で静か。

 北へ道を分けて進み、座禅山の脇を巻いて行く。広葉樹と針葉樹の混交した深い山だが、「火口→」と表示がある。ここも火山の一角だったわけだ。その途中でお昼を取る。標高2300m。昨日は、この程度でくたびれきっていたが、今日は大丈夫だ。12時半ころに出発する。木を設えた階段状の下山路が、とぎれとぎれに長く続く。上りよりはなだらかなルートを切ってある。yamapのコースタイムでほぼ歩いている。40分ほどで七色平からくるルートに合流する。先を一組のお年寄りペアが歩いている。こちらはマスクをかけ、はいごめんなさいと挨拶をして先行する。カミサンの白い髪を見て、ちょっと驚いた顔をしているご亭主の顔が面白いと、後でカミサンがいう。

 標高は2000m、ここから1900mくらいまで平坦な踏み跡をたどり、「ロープウェイ→」の表示で、南へ道を分け、上りにかかる。標高差約100mを上ると考えていたが、気圧が下がってきているから、高度計の表示が高めに出るのかもしれない。雷がなり始める。雨が落ちてきた。折りたたみ傘をさして歩く。10分ほどで二荒山神社に出て、ロープウェイへ向かう。あまりの土砂降りに神社の社の下に6人ほどの若者が屯して雨宿りをしている。傘を貸してやるわけにも行かず、見ないふりをして通り過ぎる。ロープウェイつ着は14時。行動時間は4時間。私の身はもった。yamapをみると、歩行時間は3時間、10.7km。

 雨はロープウェイを降りてからも降り続き、金精トンネルを超えて湯元に帰り着くまで降った。天気予報どおりであった。

 

 


体力が落ちている

2021-07-29 15:47:04 | 日記

  東北道は曇り。日光の清滝あたりで大雨。そのまま最初の目的地、日光植物園へ入る。「入りますか?」と入口の受付嬢が聞く。それくらいざんざん降りであった。園の少し中程にある和室が休憩所になっている。そこへ入って、雨が止むのを待つ。カメラを抱えた男が一人、縁側に座って、雨宿りしている。この和室、いまの上皇が皇太子であった戦時中、使ったこともある部屋らしい。いまは休憩室であり、この植物園を実習で使う東大生の宿所になっているという。

 雨が上がる。日差しまで出てきた。去年夏、ここに立ち寄ったとき、やはり雨。後で気づいたのだが、足をヒルが上って食らいつき、靴下が血だらけになっていたことを思い出した。受付にヒルよけのスプレーがあるよと休憩中のカメラマンが教えてくれた。早速行って、靴に吹き付ける。

 針葉樹と広葉樹、高木と灌木を取り混ぜて種々を取り揃えた植物園は、深い森の気配をたたえている。こういうところに踏み込むこと自体、4ヶ月ぶりほどになる。我が身が喜んでいる。ついつい足が早くなるが、師匠は一足ごとに立ち止まり、覗き込み、私と目が合うと手招きして、植物の名を口にする。

 オオバギボウシ、コバギボウシが花をつけている。キレンゲショウマが蕾様のものから花開いているものまで、場所によって開花時期が違っているようだ。御岳山では8月中旬の花ではなかったか。でもそうか、御岳山に比すればここは、標高が700mほどだから、開花が早くてもいいのか、と。

 もう18年にもなる。カメラマンとこの植物園に通い、写真を撮り、名と突き合わせ、作成中の「案内所」と違いがないか、確認したりした。その頃とちっとも変わっていない。鹿が時々入り込んでと愚痴をこぼしていた人はいたが、ヒルがこんなにはびこっていると気づいたのは、去年のことだった。足元を注意して歩いたが、姿をみることはなかった。

 お昼を摂り、また雨が降り出したので植物園を出て奥日光へ向かう。いろは坂はそれなりに上る車が多い。埼玉ナンバーや神奈川ナンバー、東京ナンバーが多い。栃木ナンバーは地元だからねとカミサンはいう。こちらはワクチンを打ったから、ちょっと気が強くなっている。

 ところが中禅寺湖あたりは、日差しが指し、青空が見えている。やっぱり南の風はいろは坂でせき止められて奥日光には梅雨がない気配を湛えている。赤沼に車を止め、戦場ヶ原の散策に向かう。今年の1月に来たときには、ちょうど戦場ヶ原の木道が出来上がり、通行可能になっていた。新しい木の香りもするような広い木道に感心して歩いたのに、その木道はすでに古びて見え、木の表面に小さな穴が空いている。虫が食っているのだとしたら、早いねえ。

 湯川に遊ぶ留鳥マガモが何羽もいる。オスはくちばしが黄色いと教わる。おおっ、オシドリだと師匠が声を上げる。後で見たものを含めると6,7羽が流れに身を任せていたり、倒木に上がっていた利する。全部メス。オスを探したが見つからなかった。

 原の方を見ると、ホオアカが遠方の木立に止まっている。右の方には、ノビタキがペアでいる。30分ほど歩いて原中央のベンチに腰掛けてみていても、ホオアカとノビタキを見つけることができた。いやもうこれだけで、ここへ来たかいがあったと師匠がいう。師匠は先へ行きたそうであったが、私はすっかりくたびれた。車へ戻るよと引き返す。ここまでが今日の私のリハビリトレーニングだと思った。

 宿へ付きチェックインして部屋でスマホを見ると、友人の元アスリートから、昨日メールが入っていた。台風一過で、晴れそうだが会えませんかという。いや申し訳ない、いま、リハビリトレーニングに来ていると打ち返すと、「リハビリとトレーニングとは違うよ。無理をしないで」とまた返信があった。彼は私より5年ほど前に同じような頚椎の変形による神経損傷を患っていたから、あれこれとアドバイスしてくれる。私が体力チェックをトレーニングといったのが違っていたってことだよね。

 でも今日の調子を見ると、連続行動時間は2時間くらい。それ以上になると、長い休憩を挟まないと肩がうずき、体が全体に弱ってくる。考えてみれば、3ヶ月半の間、ほどんと筋力を鍛えるってことをしていない。鍛えようにも、右肩と首筋が重くなってすぐにへこたれてしまう。まだまだ、回復するのは先のことだと感じている。


さて、はじめての遠征

2021-07-28 07:59:11 | 日記

 秩父で入院してから3カ月半余、今日はじめて遠出をする。車の運転が2時間余、山歩きというか、ハイキングが2時間くらいになるか。1時間も歩けば方が痛みはじめるから、休み休みどれくらいのペースで、どのくらい歩けるかを戦場ヶ原で試してみようというトライアル。回復度合いをみてみる。
 コロナワクチンを打ち終わったことが、まず何よりの支え。これで人に感染させることはないだろうし、他人からの感染があったとしても軽くて済むと思っている。カミサンが骨を拾う役回り。荷物もあらかた持ってもらう(かもしれない)。
 台風が北へそれて青空が広がるのが、何よりの励まし。関東平野の真ん中のここは暑いけど、奥
日光は7度は低いはず。鳥や花を教えてもらいながらと能書きはないわけではないが、それに構う余裕があるかどうか、わからない。
 3カ月半も間が空くと、もっていくものの準備に時間がかかる。雨への用意もしなくてはならない。突然の雷雨があるかもしれないとTVの予報は警告している。台風の後を追う熱い南風と、台風の風に押し寄せられる北寄りの冷えた風がぶつかって、雷になるのだろう。そういう気象の変化も、山の愉しみの一つだと、改めて思う。
 ではでは、そういうわけで、出かけます。


次の世代は、愉楽ではなく佇まい

2021-07-27 12:02:45 | 日記

 どこを見てもオリンピックというのがTV番組。でも、観る分には面白い。ひとつ、日本の選手が勝敗にかかわっていると、差して興味がないゲームも面白く観ることができる。はらはらするのだ。共感性が高いのかもしれない。ずうっと見続けるほど強い関心はない。また、スケートボードのようにどこがどう採点されているのかがわからないと、ふ~んと関心はするが、魅かれるほどではない。だが、卓球のミックスダブルスの準決勝・ドイツ戦や決勝・香港戦は、ほとんど負けるかもしれないという予測を裏切って勝ち進み、最終セットで勝ち抜けるというのは、技術的な優劣に差はないが、どんな思いをもっていまサーブをしているのか、打ち返しているのかと思うだけで、ハラハラドキドキしてしまう。単純なのだ、こちとらは。そうして最終セットで、ほんのわずかな差で勝利を収めたときの選手の喜びようは、そうそう、そうだよねと気持ちも同調して飛び上がりたくなっている。勝利の秘訣を聞かれた伊藤美誠が、そのひとつに「試合を楽しむ」という。それにカミサンが反撥を感じる、といったのに対して私は、「そう言って自分を過度の緊張から救済しているんだから、いいじゃないか」と、鷹揚にみてやることが年寄りの立ち位置よと大人ぶってみせる。
 柔道の兄妹金メダルという物語も、ずいぶんなプレッシャーだったんじゃないかと思いながら決勝を観ていて、勝った妹選手が畳に伏して喜びの涙を流しているだろう姿に、ホッとしている心もちを察して共感している。と、今朝のTVニュースで、柔道男子73キロ級で大野将平が金メダルをとったと報道し、勝ちを制した後静かに挨拶を交わし、相手選手と抱擁を交わした「つつましやかさ」に、まず感動する。そうだよ、こういう振る舞いが「柔道」という道筋の本流なんだよねと、喜びを隠さないゲームの勝利者が数多入る中で際立つと思っていた。大野将平は(応援してくれた皆さまへと要請された)インタビューに応えて、「(五輪の開催に)賛否両論があったのは承知していますが、この試合を見て一瞬でも心を動かして下さることがあったら、光栄です」と応えていたのが、印象に残った。わたしたち年寄りの好感センスは、こうした古武士的なつつましさと「心を動かす一瞬」という肝心要を取り出すセンスに、涙するほど気持ちが揺さぶられる。そうだよ、それこそが、わが好きな道を究めることが「おおやけ」という普遍性をもつ瞬間なんだよねと形而上的にまとめている。
 そこでひとつ、気付いたこと。
 民主党の蓮舫議員に「五輪に反対していたのに、オリンピックなんて見るなよ」とどなたかが毒づいたとネットメディアが報じていた。私もこれまでさんざん、五輪は自民党主催みたいになっていると非難してきたから、こういうネットの蓮舫非難が掠るように突き刺さる。
 だが、上記したようにゲームに感動したり、若い人たちの振る舞いに感心したりしているのは、それこそスポーツが、限定した共通のルールに基づいて取り交わされる「たたかい」だからだと考えている。本性的に「たたかう」ことによって自らのを起ち上げるのが、ヒトの常。そのヒトが「たたかい」を好むメカニズムと要素を失わず、なおかつ平和裏に「たたかう」ことを現実化しているのがスポーツである。
 だが現実に展開しているスポーツは、五輪もそのほかのゲームも、商業主義的なメカニズムにのって、グローバル化してきたし、人々の間に広がってもきた。そして今展開している五輪も、すっかり放映権やスポンサーのご機嫌を取るかのように金と政治の論理に引き回されて、コロナ禍に開催されている。蓮舫が何をどう行ったか知らないが、たぶんそういう風潮に「反対」の声を上げたのであろう。それに対して、開催する側は、五輪の開催意義を率直な言葉で表明したか。
 2021-7-9の本欄、「虚飾をはぎ取りカネの意向に沿うように」で述べたように、空疎な言葉を積み重ねて「選挙有利」を算段するのは御免だと、五輪そのものの現在の成り立ちを、新しい物語で語ってよとお願いした。それに五輪賛成の方々は、一言もコトバを紡いではいなかった。「反対していたなら五輪をみないでよ」というネットの蓮舫非難は、スポーツそのものがもっている「倫理的要素」に気づいていない。スポーツが国境を越え、平和をもたらすという「ものがたり」は、じつは、掘り下げていけば、現実の政治世界で我欲にまみれ、我益に執着している我利我利亡者の心裡を洗い流すような批判精神に到達する。そこまで突き詰めて考えよと言っているほど、国際的なスポーツ競技の水準は到達しているとも言える。だから、観ている私たちは、感動もし、次の世代への希望を感じることができているのだ。
 ことに大野将平のことばに感じられる「現代文化への批判」が、コロナウィルスの蔓延状況下では重要と思われる。愉楽に意味を見出すのではなく、佇まいに意味をみよ、と。愉楽は、快―不快の価値づけを伴う感覚だ。だがそういうセンスは、そのほかの要素を緩和するための便法としては意味を持つだろうが、それ自体としては十分ではない。それに対して「佇まい」は、敗者との「かんけい」への配慮を漂わせる。この「かんけい」への配慮こそが、これからの時代の不可欠のヒトが生き延びる要素である。そう感じただけで、わたしの五輪は大満足である。