mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

無事下山した気分

2019-05-27 09:24:25 | 日記
 
 昨日午後、無事、団地の通常総会が終わった。
 
 「無事」と意識的に口にするのは、あまり私の本意ではない。やりとりがあってモンダイが浮き彫りになる方が、住民たちの受けとめ方の差異や齟齬が鮮明になる。その違いを解きほぐしていくことが、理事会の活動であり役割と考えているからだ。総会の出席者は、組合員のおおむね5割。ほかに4割が委任状を提出して欠席する。「出欠票」を提出しない住民は約1割。だが賃貸に出している住居やいろいろな事情で空室になっている居室が8%ほどあるから、未提出の数に近い。一概には言えないが、5割の出席者は団地に深い関心をもつ方々と言わねばならない。
 
 ところが昨日の総会は、穏やかなわずかのやりとりが行われ、いくつかの質問や議案書の趣旨に賛成であるが追加したいという意見が述べられて、議長の予定していた時刻にぴったりと終わる運びとなった。1年間の役割から解放されて肩の荷を下ろした理事・役員たちは、うれしさを隠しきれない。その喜ぶ顔を観ていると、私もうれしくなる。だが私には、肩の荷を下ろすというほどの実感がない。なんだろう、これは。
 
 そう考えて、ひとつ思い当たったのは、無事に下山したときの軽い達成感とホッとした思いに似ている。きびしいルートとか難しい道程ではなかった。多少の急傾斜や足場の悪いところはあったが、28年間、先達たちが歩いた踏み跡がしっかりとついている。ただ12名の人たちを引率して、道を迷うこともなく、怪我に遭うこともなく、無事に下山までこぎつけた。皆さんはそれなりの達成感を感じて喜んでいる。私は、そのガイドをしたというだけのこと。それぞれの道程を歩いたのは、間違いなくそれぞれの力量だ。もともと荷の軽い方もいた。ほかの方に荷を背負ってもらって、でもそれに気づかずに自力で歩いたと思っている方もいる。その人たちが一様にうれしさを隠せないのは、みんなで歩いたという「かんけい的道程」を感知しているからだ。ほかの人の発揮した力量もわが身のもたらしたものと感じられているからだと、私は理解した。ちょうどわがカミサンが「恵まれてますよ、(今年の)あなたは」と言ったように、ほかの方々も「恵まれていた」のだ。
 
 上記のようなことを記しながら、一つ思い浮かんだことがある。もし私が、理事長としてガイドしたと言ってしまうと、それは私のアクションになる。だが私のアクション自体が、副理事長の手配や気遣い、建築理事の敏速な対応、環境理事のボランティアの後方援護を受けながら進めてきた動きに支えられ、スムーズに展開したというなりゆきの流れがある。俗に言うと相性が良かった。それを「自然(じねん)」と言ったのではなかったか。
 
 つまり、私のアクションとしてまとめるとなると、私の能動性を強調することによって、他の人たちは理事長に引率された受動性が際立つ。だがそう感じてことばにする方もいるが、事実は相互関係的に動きが生じ、徐々に闊達になり、たぶん本人自身が考えてもいなかったほどよく動いたという面々の実感が、「無事に終わった」という破顔一笑に集約されていたのではなかろうか。その運びに呈されていた「自然」自体、中動態的な関係態、を喜びたいと、今私は、自画自賛している。
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わが身のセンサー

2019-05-26 08:33:51 | 日記
 
 今日(5/26)の午後、わが団地の通常総会がある。一年間務めた理事長役も、総会が終われば解任となる。この一年で何が変わったか。団地をとらえる視線が変わったような気がする。いま私は、団地全体を一つの身体のように感じている。建物も住民も全部合わせて、循環器系が動き消化器系が働き、呼吸器系が作用している、と。
 
 健康でなければ日常がぎくしゃくする。若いころはわが身の働きのどこがどうと気にすることもなく過ごしていた。自律神経というか、副交感神経というか、無意識の働きがうまく作動していた。ところが年を重ねるにつれ、手入れが必要になる。わが身の意思自体も行き届かなくなるから、若いころ以上に気遣いが必要になる。管理組合の理事会というのは、いわば神経系のセンサーの役割をしていると思った。
 
 団地の水回りは、謂うならば循環器系だ。毎週の水質検査、毎月の機器の検査、毎年の排水管の高圧洗浄という定型チェックなども、怠らず実施されている。ある号棟に生じた数年越しの水漏れ調査も、修繕専門委員会のバックアップを得て丁寧な運びがとられ、ひとまず決着をみた。ある住戸のIT利用の希望から判明した信号受信レベルの強弱に対応する業者とのやりとりは、修繕専門委員会の専門性に対する信頼を高めた。
 
 あるいは環境の整備。日頃環境ボランティアの方々が献身的に動いていることもあるが、環境理事という素人が樹木の剪定や水遣り、アブラムシの駆除などに向かわねばならない。そのボランティアの方々に助力を得て、何にどう対処するかを決め、業者に依頼する。これらの活動も、安定的な取り組みができるほど定着している。
 
 つまり、まだまだ自律神経がうまく作用しているということ。団地の管理業務の定型、ルーティンワークがしっかりしている。修繕専門委員会の方々や環境ボランティアの活動ばかりではない。住宅管理会社に委託しているとは言え、窓口業務を担当する事務の方、清掃作業の方の仕事が、日々着実に取り仕切られていることが、居住者に安心感をもたらし、理事会活動に安定感をもたらしている。
 
 こうして管理組合理事会という神経系のセンサーが機能する。むろんそれには、どのような人が理事になっているというチームの構成も影響があろう。だがそれよりも、どのようにチームワークを作り出すかが、大きい。人は相互に影響し変化する。消極的になるのも活動的になるのも互いにかかわる人の動きに左右される。
 
 今年の構成の中で副理事長の果たした役割が、ことに大きかった。PCの使えない事情を抱えた理事にかわって副理事長が、窓口事務の方と提携して、企画・立案・実施まで組み立てた。センサーは階段毎という身体の隅々に行き届いている。だがそれが起動するかどうかは、目配りと気遣いが働いていなければならない。そう感じさせる副理事長の動きがあった。
 
 「恵まれてますよ、(今年の)あなたは」とカミサンはいう。その通りかもしれない。動きの柱になる建築理事、環境理事、副理事長という感度のいいセンサーが存分に働いてくれたからこそ、理事会がお役目を滞りなく果たせてきた。
 
 今朝、最後の「日報」がポストに入っていた。窓口事務の方から、「本日が最後の日報です。1年間ご苦労様でした」と慰労のことばが添えられていた。それに付箋が付き「こちらこそ、この1年間お世話になり、ありがとうございました。2019年度もよろしくお願い申し上げます」と副理事長のご挨拶が記されている。ほんとほんと。お世話になりました、こちらこそ。
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まるで開拓期の山? 箱根・白銀山

2019-05-24 11:27:50 | 日記
 
 昨日(5/23)、好天の箱根湯本に足を運んだ。白銀山。目にした「山行記録」には、全行程6時間45分、道が不明瞭、藪山と記している。なるほど、国土地理院の地図にも登山道は山頂までしか記されていない。山頂には「←150m箱根ターンパイク」と、もうすっかり崩れて文字も読めないほどの板の標識が地面に置かれていた。
 
 新宿を7時に出る小田急線のロマンスカー。ネットで座席を確保しているから、そこで合流。車両の半分ほどしか座席は埋まっていない。箱根湯本までの約1時間半を、今日の行程を地図で確認し、来月の袈裟丸山へのアプローチと登降コースを話し合う。kwrさんは、一番行程の長い7時間45分のルートがいいと話す。ずいぶん変わったものだ。1年足らず前、利尻岳に登る計画を話していたときには、果たして7時間の行程を歩けるかどうかと心配していた。
 
 8時半、箱根湯本駅から歩き始め、白銀山登山口に向かう。二つ川を渡り、山への傾斜のきつい舗装路をスマホのGPSで現在位置を確認しながらすすむ。この辺に登山口があるはずとみていたのに、30mほど引き返す。私有地のように鎖を張った下りの坂道が入口であった。ここで装備を整え、kwrさんを先頭に出発したのは9時。湯元の駅に帰着するのは、15時半ころと読む。
 
 ところが小さな川を渡ってすぐ、行きどまりとなる。20mほど引き返して登山道を見つける。背の高い草に覆われて、登り口が見なくなっている。その上は竹林。踏み跡をたどるようにして進む。kwrさんが立ち止まる。「道がない」と。GPSをみると、大きく回り込む登山道からはずれている。引き返すよりも、竹林を上ってルートの合流しようと、見当をつけた方向へ上る。「おっ、タケノコだ」と声が上がる。頭をにょきっと10センチほど出している。いつしかスギ林に変わっている。ルートにだいぶ近づいているはずなのに、それらしい確かさがない。やっと、いかにも「踏み跡」というのに行き当たる。GPSも地図上のルートに乗った。
 
 いつのまにか標高406mのピークを過ぎている。尾根の左側がスギの林で鬱蒼として暗い。右側が落葉樹の明るい樹林である。ルートは暗い樹林を辿り、わずかの落ち葉と枯れ枝が散乱し、歩きにくい。標高700mを過ぎたあたりで、ヤマツツジが陽ざしを受けて際立つ。いつしか緑に覆われた道を歩いている。先頭のkwrさんが道を見失う。スマホをとりだしてみると、ずいぶんルートから外れて、別の尾根筋に踏み込んでいる。引き返す。GPSをみながら引き返し地図上のルートへとショートカットを試みる。30分くらいトラバースしてルートに乗る。と、木の幹に小さく「三所山」と書いたプラスティックが縛り付けてある。時刻は11時半に近い。登山口から2時間とあったから、途中の逸脱をふくめると、三所山でも不思議はないが、標高は830m。「山行記録」には「やぶ」と記されていたピーク。山渓の「東京周辺の山350」の三所山は標高904mになっていた。どちらが正解なのかは、わからない。白銀山までの45分というコースタイムが答えを出してくれると考えながら穂をすすめる。
 
 kwrさんが白い卵のようなものが数十個、地面の腐葉土の上に落ちているのを見つける。ストックでつついてみる。「固いよ」という。動く気配はない。「ギンリョウソウかな」とkwmさんが応えるが、こんなにたくさんの、こんな形のギンリョウソウは初めてだ。ところが先へすすむと、今度ははっきりとギンリョウソウと思われる白い花が2個、枯葉を押しのけて顔を出している。さらに先には、もっと大きく成長したギンリョウソウが姿を見せた。こういうことってあるんだ。
 
 藪がつづく。私たちの背よりも高いハコネタケという種類らしい。両側から道を塞ぐ。顔にあたるから、ストックを前に出して、押し払いながら、すすむ。足元を見ていないから私は、大きな枯木に躓いてどうっと倒れた。やがて針葉樹はヒノキに変わり、明るい落葉灌木の密生しているところに出る。竹が煩わしく道を塞ぐ。踏み跡が途絶える。そっちかな、こっちかなと少し探り、らしき方向へ踏み出るこうして、白銀山の山頂に着いた。12時7分。「三所山」からちょうど30分。とすると、先ほどの830mのところが三所山ということになるか。
 
 白銀山の山頂は、しかし、竹に囲まれた小さな平らな草地。3本ほどの落葉樹が日陰をつくっていた。三角点の標石があり、その傍らに「白銀山山頂」と記した剥げかけた板が、地面に置いてあるだけ。お昼にする。ま、でも、ここまでのGPSに頼った歩き方で、おおよそコースタイムならば、3時半前には湯元駅に着くだろうと踏む。20分ほどの休憩で午後の出発。
 
 ここからは地理院地図にもルートはない。「山行記録」は迷うと書いてあった。地形から考えて、おおよそこの稜線を下り、標高740m辺りに右への分岐がある。それを見過ごさなければ天狗沢への下りは見通せるとみていた。下りは結構、急だ。はじめは踏み跡がわからず藪竹をかき分けて見る必要があったが、いくらか下ると、それらしい踏み跡が分かる。標高に注意しながら下る。そのうちどこが踏み跡かわかりにくくなる。標高が735mになっている。あれ、行き過ぎたかなと少し戻ると、後からみていたkwmさんが「標識がある」と声を上げる。「天狗沢→」と半分壊れた手書きの小さな板が、落ちかけて木に取り付けてある。「これだ、これだ」とkwrさんがそちらへ踏み込む。急な斜面、私はすべって転んでしまった。今日は二度目だ。
 
 「←天狗沢」という板が張り付けてある。だが踏み跡はわからない。そちらの方だろうとkwrさんは踏み出す。「山行記録」には「赤テープのコースマーク」とあった。だが、それは天狗沢の流れ口の方ではなく、上流の方へ向かう。あとから考えると、それが正解であったのではないかと思う。だが私は、太ももが引き攣ってしまって、ルートファインディングどころではなくなった。スプレーをかけて手当てをし、何とか引き攣りを収めて下りにかかる。地形図を見て斜面の柔らかな方向へトラバースする。踏み跡かなと思うところが、ところどころ現れるが、すぐに途絶える。慎重に下れるところを探し、木につかまって身を降ろす。急な斜面に落ち葉が積もり、枯れ枝が散乱する。つかまろうとすると木は枯れていて、折れてしまう。こうして45分ほど、谷への斜面を下り、沢沿いに立つ。導水管が走っている。これを伝って行けば、わかるはずと読む。だが足場はひどく、木の枝を避け、足場のごろた石を回って歩を進める。コンクリートの階段にでた。
 
 「山行記録」には「階段を下るな」とあった、その階段についた。ここだ、ここだ。だが階段以外に、人の歩いた形跡はない。沢の向こう岸かと思ってわたってみるが、そちらもすぐに行き詰る。引き返し、下る道を探るが、見当たらない。とうとう階段を上がった。すぐに車の通りの多い、国道に出た。湯元駅の方へ向かう。左側、標高で100mくらい下方、北に神社がみえ、旧東海道があっちだとわかる。すぐに緑に覆われて、下の方は見えなくなる。と前方に「人や自転車を見かけたら110番」と大きな表示板が現れる。ここは自動車専用道路なのだ。でも、下に降りる道はなかった。ま、パトカーが来てくれれば、どこに下山口があるか聞けるから、それも悪くないと喋りながら30分ほど歩いたら、旧東海道からくる進入路があった。そそくさとそちらへ出る。14時41分。多分歩けば30分ほどで駅に行きつけるが、バス停がある。次の便をみると11分後に来る。もういいや、バスに乗ろうと、荷を降ろした。
 
 ここまでの行動時間、6時間15分。10.4km。たいした距離ではない。面白かったがGPSなしでは帰りつけなかったに違いない。上り下りは面白いルートだが、もう一度歩きたいとは思わない。まるで開拓期の山ルートを歩いたような気分であった。駅からすぐ歩けるのに、整備されていない。人も入らない。見晴らしもない。いいとこなしの山にみえるが、じつは、あまり疲れていない。樹林におおわれ、強い陽ざしが遮られて、歩いている分には心地よい気分であった
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「役に立ちたい」は浮ついた自尊感情である

2019-05-22 14:13:04 | 日記
 
 本欄4/19の「生きていくということ」で取り上げた「(4/18)の朝日新聞社会面の記事」の続報というか、追加記事が昨日(5/21)の夕刊に掲載されている。コラムの名は「取材考記」、記者は東京科学医療部の肩書を持つ小宮山亮磨氏。タイトルは「ある研究者の死・その後 彼女は役に立ちたがっていた」。
 
 内容のトーンは4月の報道とほとんど変わらない。記事になった背景に、編集者であった両親が彼女の遺稿集を出したことにあったこと、彼女の思いが記されていること、記事になった後、両親から手紙をもらったこと、「私がふだん取材している理系の分野」からみても、「何が役に立つのかは長い目でみなければわからない」と、ブラックホールの撮影に成功した研究に「一定の価値があることも、明らかではない」としている。
 4月の記事から私が受けとめた思い(自らの生計をたてるが人生の基本)は再論しないが、この5月の追加記事とは、まったくすれ違ったままだ。

 「遺稿集」がどのような彼女の径庭と胸中を披瀝しているか知らないが、両親が彼女の養育に責任を感じている感触がないことに、私は違和感を感じる。もし(この研究者が)わが子なら、「遺稿集」よりも先に、自らの育て方への反省をしたし、なぜ自死するまで気づかなかったかと悔やんだであろう。この両親の思いを受け止めるように記者が書いているから、両親も記者も一緒くたにして言うのだが、4月の記事も5月の追加記事も、大学院の博士を大量に輩出するシステムをつくりながら、ポスドクの彼らが研究を継続できない社会設計が狭量である、悪い、と焦点を絞り込んでいる。
 
 この研究者が「役に立ちたがっていた」としたら、それがどのような意味を持つことなのか。(親ならば)言葉を交わさなかったのであろうか。
 一般的に言うと、人が存在すること自体、さらには自力で生きていること自体が「世の中の役に立っている」と私は思っている。その存在自体が親を成立させるし、親子関係を誕生させる。そのつながりは、「世間」と謗られることがあろうとも、祖父母、伯父叔母、兄弟姉妹・従兄弟従姉妹、ご近所の幼馴染にはじまる同級生や先輩後輩という「かんけい」をつくりだしている。それは、迷惑であると同時に役に立っている。
 ときには迷惑であることが役に立つ。病弱であることが医者を成り立たせ、保険機構を保持させ、それによってたくさんの人々の暮らしを支えている。泥棒がいるから警察の存在理由がある。
 
 だから、「世の役に立ちたい」という自意識は、自分の価値意識の上に築かれている、自尊を外に託して表現した楼閣である。自尊自体は、わが身の裡に生まれる妄念であって、外部とのつながりを求めはしても、外部の評価ではない。わが身の裡と外部との交信が成り立って初めて、この自尊感情はリアリティをもつ。
 秀逸な江戸期の仏教研究者だったらしいが、もしその点に賭けて「世の役に立ちたい」というのであれば、それが世に受け容れられるにはまだ条件が十分でなかったというほかない。文化状況のお粗末さを嘆いてもいい。あるいは先端的な研究者だけが評価しても、それを育てなければならない大切なことと評価する目をもたない社会のありようを取り上げても構わない。でもそれに賭けるかどうかは、本人の自覚的に定める立ち位置だ。

 「理系分野の研究者に取材することの多い記者」からいうのであれば、もちろん、文科省や財務省の狭量を責めても悪くはない。だが、それをいうなら、才能のあるなしにかかわらず、もっと(政府に)目を向けてほしいという領域や声は、世の中に数多ある。だから、もしこれをとりだして力説するのであれば、それほどの秀逸な研究がなぜ職を得られないほど社会的に受け入れられないのかを、説得的に論じた方がいい。
 世の中が、役に立つかどうかわからない優秀な研究者を遊ばせておくほど余裕がないのかもしれない。あるいは、そもそも役に立つとか立たないということで研究活動が価値評価されること自体が、文部科学行政の主軸になっていることがおかしいと批判するなら、そういう論理だてをして展開する道があるであろう。だがそのときに、それは限られた領域で論じているだけだと意識してかからねばならない。
 なによりも日本では、役に立つかどうかわからないものに力を入れるというセンスが、元来あったのだろうか。いつだって実用的、効用主義的に考えてきたのではないかと私は感じている。よく言われるように状況論的で、目先の事態に即応するように考えてはきたが、戦略的というか、長い目でみてモノゴトを構成したり構築するというセンスには、欠けていたのではないか。
 「元来」って、いつのことよ? 「いつだって」って、いつのことを指しているのか? 「日本では」って、だれのこと?
 私が感じる「いつだって」「日本では」は、私がこれまで世の中を観てきた限りではってことだけど、今回のケースも、そのことを証立てているように思う。
 
 自死したこの研究者の場合、「経済的に行き詰って」という。それは限られた領域のことにすべてをかけたからこそ生じた結果であって、だれもがそれほど高等遊民のように過ごせるわけではない。例えば芸術家などは、貧乏をするものと決まっていた。昔なら、実家が資産家であったり、パトロンについてもらったり、有力な師匠に弟子入りして糊口を糊するようにして凌いだものだ。
 いつだったか、どこかで似たような話をしたら、アメリカへ行き来して暮らしてきた友人が、アメリカでは見返りを求めない寄付が多いが、日本では投資話ばかりねと感懐を漏らしていた。そうか、どうして日本では寄付は少ないのだろうと、あまり寄付などしたことのない私は他人事のように考えていた。
 多額の寄付をするというセンスは、むろん金持ちにしかできない話ではあるが、そのような、富の再分配という社会的な事業は行政が行うという社会設計が、わたしたちの社会の長年の蓄積ではなかったか。つまり、戦略的に見通しをもって取り組むのは行政を担当する「エリート」たちが行うこと、われわれ下々は税を納め、必要な時に投票所に足を運んで「エリート」を支えてやればいいと。寄付するほどのお金をもたない庶民からは、個別の寄付は依怙贔屓として嫌われたのではなかったか。
 
 そうした社会的背景が、裏を返せば、行政依存を高め、個別の振る舞いを敬遠させ、ボランティアもしり込みする気風をつくりだして来たように思う。そうした長年の文化的蓄積が、ある。それが近年、ものすごい勢いで変わりつつある。行政の「エリート」たちであった官僚が目先の政治家たちに忖度して振り回され、戦略的な視線を投げ捨ててしまった。政治も、家選挙の票と時代の風潮に目を奪われて、すぐに結論の出る「役に立つ」ことにしか取り組まなくなった。国家百年の計などというのは、たんなる空文句になっている。
 
 この記事がとりあげて謂う「世の中の役に立つ」という価値的な評価は、「せかい」における研究者自らの位置づけの、世間的な評価を意味する。それは、結果として外から得られるものであって、自ら決めることではない。その筋の先達とか師匠の高評価が、単なるリップサービスに終わったとしても、「その筋」自体が社会的にあまり顧みられていなかったりすると、職にもありつけなくなる。そんな事例は、ポスドクならずとも、いくつも出上げることができる。
 「(世の)役に立ちたい」と人が思ったとて、それが通らない社会なんだよというのなら、そう言わねばならないのではないか。自死してはじめてマスメディアに取り上げられて「苦笑している」という両親の言葉には、取材記者への皮肉が込められているのだろうか。そう思ったほどだ。
 
 この続報には、死者ばかりか両親も記者の実存も感じられない。そのうえに、その外部もない。神の目のような「せかい」が仮構されていて、一人の「優秀な才能」が自死したことを悲劇的に俎上に上げているだけに思える。
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民間信仰には身の習いが詰まっている

2019-05-21 09:47:49 | 日記
 
 聖観音堂の話をもう少し続ける。お堂のなかに閻魔様と奪衣婆と十王が安置されていることは、はじめに書いた。msokさんの十王の話が面白かった。十王は地獄の審判官。wikipediaは「人間をはじめとするすべての衆生は……」と書き始めている。とすると「衆生」というのは「生きとし生けるもの」という意味なのだ。私は、ガツンと頭を殴られたような気がした。そう言えば輪廻は、蟲にも仏にも生まれかわる。wikipediaが万物を一視同仁にみているとは思いもしなかった。
 
 生きとし生けるものは、没後に「中陰」となる。そして初七日から七七日(四十九日)、百か日、一周忌、三回忌と十回、十王の裁きを受けて、閻魔様の前に引き出される。その十回が、じつは、罪障軽減の機会だという。これは知らなかった。生前の十王への祀り、中陰のときの死者を祀る生者の祀りようも、罪障軽減の目安にもなると。
 「これは、死後の社会保障だね」と皆さんで笑ったのは、お寺さんへ功徳を積むことを意味していると理解したからかもしれない。だがここには、アジア的というよりも日本的とでもいうような、赦しの感覚の痕跡が刻まれている。
 wikipediaの解説によれば、《『地蔵十王経』中には……文章も和習を帯びるなど、日本で撰せられたことをうかがわせる面が多分にある》そうだ。弧状列島に暮らす人々の究極のところにおいて赦しを施す感覚、そうしないでは生きとし生けるものへの共感の土台が廃れてしまうと感じる島国の共同感覚のアイデンティティが見受けられる。
 
 このお堂は、昭和57年に改築されたという。1982年、いまから37年前だ。そのときの奉加帳とでもいおうか、誰それがいくら寄付をしたという記録が一枚の大きな扁額に記されて、お堂の側壁に飾られている。msokさんの話では全部で560万円ほどかかったそうだ。3000円から20万円まで、たくさんの人の名前が記載されている。檀家とでもいうのであろうか。20万円というのは、このお堂の堂守りを担ってきた10戸の方々。ちょうど日本が1人当たりGDPで米国を抜いてジャパン・アズ・ナンバー・ワンになったころではなかったか。とすると、560万円という金額はそう驚くほどではないかもしれない。でも、あの時期に、かつての尾ヶ崎村・聖観音堂再築のためにお金を出そうという人たちがこんなにいたことに、やはり驚く。
 
 ここでは年に一回、聖観音像の御開帳があるそうだ。お堂の祭壇の正面、縁側の先には賽銭箱を置き、お参りに来た人が鳴らす鰐口とその緒が垂れさがり、そこから二間ほど先に高さが二メートル半ほどの柱が立つ。この柱には、観音様のご利益とお頼み事と感謝の御礼が記されている。午の年に建て替える習わしがあるらしく、その作成年も記されている。聖観音像の御開帳の日には、この柱から撚り紐が観音様まで渡され、この柱に触ることで御利益を賜る習わしが、今も続けられているそうだ。長野・善行寺の御開帳の報道で、私も観たことがある。こうした信仰は、私たちの身の裡の何を象徴してるんだろうとひとしきり考えてみたが、わからない。
 
 ただわが身に収まっている長年の(習俗の)堆積が、撚り紐がほぐれるように関わる人に啓示をもたらし、ひょいと意味を表す。辿ってみると、人と人とのつながりであったという「暮らしの実感」を、すこし外部に立ってみてとるような面持ちになる。それが宇宙を意味する三千世界の3000円になり、毎年の、あるいは改築の奉加金につながっているように思えるのかもしれない。
 まさに彼岸、死者の世界を遠近法的消失点として、わが身を大宇宙に位置づけてみる思いがするのであろう。
 
 わが身の無意識に刻まれた外部に出逢う、貴重な機会であったとわが友msokさんに思いをいたしている。
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