mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

見苦しく生きのびるか潔く散るか

2018-06-30 08:24:43 | 日記
 
 6/25にサッカーW杯の熱狂が、一人一人に分かたれて拠り所のない人たちの「愛国」のはけ口になっているのではないか、と言った。今朝の「日本vsポーランド」戦への反応をみていると、もののみごとに応援している人の人柄が浮き彫りになっている。いや、話題にしているのは、攻撃をしないでパス回しに終始していた日本の「消極戦術」10分のことだ。苦虫を噛み潰したような顔をして気持ちの落ちつけ所を探り、「でもまあ、決勝リーグに行けたからねえ」と自分に言い聞かせるように応えている。
 
 面白かったのは試合をみているどこかのお茶の間の画面。小学生が「攻めろよ」「えっ、攻めないの? 負けてんだよ」「勝てないよ」と画面の選手に声をかけている。ついには、一緒に観ている親の方を見て「負けてんのに、何してんだよ。これでいいの?」と声を上げる。
 
 手放しで喜ぶ若者もいなかったわけではないが、「たとえ負けても攻撃しつづけてもらいたかったね」と残念がる人。「あんなにしてまで決勝リーグにいくなんてねえ」と結果だけを見ているわけじゃないと口にする人もいる。ま、それほどのファンではない方たちともいえるが、日本人の評判を落としてくれたと感じているようであった。そこには、自らの「愛国」の姿が投影されている。
 
 西野監督はW杯のシステムをみて勝負をしている。ファンは一緒に熱狂したい。それなのに、ちょっとずれている。試合は「勝負に負けてゲームに勝つ」ことを目指している。「他力」という人もいたが、セネガルが同点にしたとの情報でも入れば、捨て身で試合に勝とうとして、ファンの期待と符節があったであろう。
 「決勝リーグに行く資格ないよ」という発言を聞いて、私は76年余前の太平洋戦争の開戦を想い起した。開戦の知らせを聞いて「それまでのもやもやが吹き飛び、すっきりした」と多くの知識人が述懐している。負けるとわかっていても踏み切る潔さが、迷いや不安を払拭してくれたというわけだ。誰であったか、この(白黒決着をつけることへ重心を移す)気質は長州のもので、それが明治維新を苛烈にもし、成し遂げることへ導いたと評していたことがある。そう言えば、森友問題の冒頭に「もし私や私の妻が関係していたならば、総理もやめるし、国会議員もやめる」と啖呵を切ったのは、この気質の現れか。それがまた、無計画な無謀な戦争へと突入していく気質にもつながったと、評していたか。
 
 ということは、「消極戦術は潔くない」という気質は、案外古い世代のものなのかもしれない。新聞の見出しに「侍ジャパンらしくない」というのを見て、なおその感を強く持つ。もう(目先の状況に決着をつける潔さという)サムライは卒業して、システムを生きている見苦しさに耐えよという時代に入ったということなのか。
 
 潔いサムライよりは這いつくばってでも利得を上げるアキンドの魂に乗り換えよと、西野監督は示したのかもしれない。まあ、アキンドの魂も、世界的な様相をみると、極まってきているようにみえますがね。

映画『万引き家族』とドラマ「あにいもうと」

2018-06-28 08:36:15 | 日記
 
 二本、映画とドラマを観た。ひとつは今評判の『万引き家族』、もう一つはTVドラマ「あにいもうと」。どうしてこの二本を、ここに並べてとりだすか。「家族」とそこに生じる人と人との関係をテーマにしているからだ。前者はカンヌ映画祭の賞を受賞したという評判、後者は6/25に放送されたドラマ。
 
 評判の映画は余りすぐに観に行きたくないのだが、今回は映画の鑑賞券がひょんなことから手に入り、わが駅から三つ先の駅そばのシネマコンプレックスに脚を運んだ。ここで下車するのは、初めて。駅舎と一体になったようなつくりの瀟洒で巨大なビルが北側に向けて広がる。エスカレータで上がり、長く明るいコンコースを歩く。北側に大きな池の水面が光っている。この駅に「レイクタウン」とついているのを説明しているような光景だ。両側のにぎやかなファストフード店やいくつものファッションショップをみながら奥へと辿って3階に上がると、チケット売り場がある。いくつもの映画が掛かっているが、昨日まで(インターネットで見たら)掛かっていた『羊と鋼の森』がみあたらない。どうしたことだろう。「羊と……」は小説も読んでいて宮下奈都に好感を持っていたこともあって、そっちを見てもいいかなと思っていたので、不思議に思ったのであった。これは後で帰宅してネットで知ったのだが、「羊……」は(小説を読んでいない人には)わかりにくくて評判が悪く、打ち切りとなっているという。映画というのも、なにが評判を得るのか、わからないようだ。
 
 『万引き家族』は面白い映画であった。家族がとっくに解体したのちの世相を描いている。カンヌで評判をとったのも、やはり世相がそのようになり、その「かんけい」の崩壊を社会的制度で取り繕ってきているヨーロッパで、この辺りが評価されてパルムドール賞を受けたのではないか。そう思えた。最後の方で取り調べに当たる警察官・検察官や保護施設の人たちのことばは、言うまでもなく家族が保たれている世相からの指摘である。ゆるぎなく家族が成り立っているという(自らの)信頼(の根拠)に気づくことなく、壊れた家族の地平を生きてきている人たちを、優しく「保護」しようとする。気が付くと、自分もまた、優しい警察官や保護司の視線で見ていることに気づく。と同時に、ひとつひとつ(ともに暮らす)ワケが解き明かされてくるうちに、解体された時代を生きる人たちへ共感しているわが内面にも気が付く。どっちが時代を鋭く見つめているか。おまえさんはどう生きているか。そういう問いかけが、見終わった後の余韻として心裡に残る。そういう意味で、いい映画であった。
 
 帰宅して仕事をしている脇でカミサンが録画したTVドラマを観ていた。物語は(半ばからしか)わからないが、妹の(かつての)恋人を殴りつけている兄の、気風(きっぷ)のいいセリフが気にとまって、画面を見やった。(なんだこれは、寅さんの再演ではないか)と感じたのだ。「あにいもうと」とドラマのタイトルが表示されている。その後のストーリーは、文字通り「男はつらいよ」の一場面を切りとったのと似たような流れ。カミサンにそういうと、「脚本が山田洋二だから」と返ってきた。つまり、古い時代の(これまで私たちがどっぷりとつかって安楽に過ごしてきた)家族観が保てる関係を生きている人たちの物語であった。石井ふく子プロデューサーというのも目に止まった。懐かしい名前だ。でもこのドラマで、何か観ているものの身の裡に起ちあがる感懐はあるのだろうか。観終わってそんなことを思った。

絡まり合っている関係――沈黙に如くは無し

2018-06-27 08:05:22 | 日記
 
 昨日TVを観ていたら、日大の田中理事長という方が内輪の場所で(なぜ記者会見しないのかについて)「あのバイキングなどに笑いものにされますからね」と喋っているのが目に止まった。「バイキング」はいつもお昼を食べながら私はみている。世間の話題を下世話に拾って、いわば庶民感覚とのずれをとりだして笑い飛ばしている番組である。田中理事長の言は、まさにその通り。虎視眈々と笑いものにしようと狙っているような造りをしている。TBSやTV朝日のように賢い人たちが啓蒙的にコメントする番組と違い、出演者の身を通して井戸端会議的にやいのやいのいうから、喋っているタレントの身柄が表れてくる。だからじつは「笑いものにしている」のは出演者自らでもある。そこが、田中理事長には見えていないと思う。
 
 別に番組の肩を持つわけではないが、単純に笑いものにしているわけではないことは、日大のトンデモタックルをした選手に、ほとんど批判らしい批判をしていないことでわかる。「だいたい選手も選手だ、監督に言われたからと言って、あんなことをするなんてアホじゃないか」と一人がしゃべったのは記憶にあるが、それが追認されて拡がりはしなかった。それよりは(この選手が復帰できるように)と同情的発言が繰り返されていた。でも考えてみると、ここが実は一番大きなポイントではないかと、私は思う。
 
 ドイツが第二次大戦後、徴兵制を採用するに際して「上官の不当な命令に対しては拒否する義務を負う」という規定が設けられ、それが誠実に実行に移されているという。そうなんだ、これができないから、戦後日本の自衛隊はいつまでも傭兵的な感覚で国民に受け止められている。自衛隊の海外派遣や集団的自衛権の合法整備に対しても、たいしてわがコトとして考えたりしていない。ドイツも戦前ナチスの暴虐に関して熱狂的に加担した深い傷を抱えている。いやそれを傷と意識して(共有して)いるところが、ドイツの偉いところだ。今の時代に合わせて「個人」の責任/義務の次元にまで落とし込んで「徴兵制」という制度を復活させていることに、彼らの「痛み」を感じる。それが日本の為政者にはない。ないどころか、戦争責任を忘れたかのような言動が勢いを増している。これじゃあ、トンデモタックルをした選手を批判する言葉は出てこない。
 
 むろん若い選手が変容していくことを期待するのは悪くない。だが、だとすると、大人が毅然たる処断をしなくてはなるまい。サッカーのW杯の日本とコロンビア戦を観ていてひとつ気づいたこと。私はハンドで一発退場になることを知らなかった。もしアメフトのあの場面で、トンデモタックルをした選手を一発退場にしていれば、たぶんこれほどの騒ぎにはならなかったと思う。そもそもアメフトには格闘技な要素がある。これはラグビーでもサッカーでも同じだが、それが喧嘩にならないように阻止されているのは、ルールを設けて規制しているからだ。日大の監督が「(相手を)壊してこい」命令して為された(逸脱)行為は、審判が処断して阻止しなければならない。監督の指示がフェアでないというのは、それがまかり通る程度にしか審判が緩い規制を通している(アメフト界の常識がある)からにほかならない。目糞鼻糞を笑う場面なのに急に(関係者は)良い子ぶって言葉を口にするから、話がややこしくなるのだ。
 
 順序を追って考えてみると、まずトンデモタックルがあった。その選手のモンダイ。次にそれを見て「退場」を命じなかった審判のモンダイがある。画像に残り繰り返しTVで報道される。観ている側には「なぜ?」という疑問がついて廻る。そこに浮かび上がったのが監督とコーチのモンダイ。それをクローズアップしたのが、選手の記者会見。慌てた監督とコーチの記者会見。その責任回避と居直りが(たぶん)潔くないと受け止められ、そこにもまた「なぜ?」が発生する。すると、莫大な補助金を得ている日大の財政とか大学運営とか人事権とか理事長の支配という裏事情の話に転がり、田中理事長は「笑いもの」になるしかない立場に追い込まれている。いまや、記者会見しようとするまいと、「笑いもの」になっているのだ。そこもまた、彼の理事長はわかっていない。メディアが、世間が、アメフト連盟が、教職員組合が、と田中理事長の考える「笑いものにする・かんけい」はつぎつぎと拡がっている。今や彼を受け容れてくれるのは、彼の息のかかった「内々の関係」だけ。
 
 その「かんけい」をふと立ち止まって考えるとき、「バイキング」で憂さ晴らしをしている己は何だよと声が聞こえる。つぎつぎと「なぜ?」という疑問を発生させて、ケチをつけ、愚かさを嗤い、けなし、虚仮にして笑いものにする。こうしてただ留飲を下げているだけじゃないのか。「笑いものにされるのはごめんだ」という田中理事長の発言に(そうだよなあ)と思っている私は、単なる後期高齢者でしかない。田中理事長は、社会的な関係の真っただ中に立っている。そこには(日大を称賛し喧伝してくれる)取り巻くメディアも「かんけい」を担っていて、田中理事長の手腕を(その限りの世界でだが)称賛してくれている。なるほど理事長の発言は、「バイキング」を標的にした(内輪の)批判発言だったのかと、彼の世界の広がりを思いやっている。したたかというか、加計学園の理事長同様、庶民を欺くに、沈黙に如くは無しなのか。

「時代が似ている」という感覚

2018-06-25 08:49:42 | 日記
 
  今年が明治維新から150年。私は今75歳。ということは、ちょうど明治維新から74年目に生まれて76年目に突入している。ほぼ半ばである。ところが大澤真幸という社会学者が、明治維新以降の時代を25年ごとに区切って、第一期、第二期、第三期とやると、敗戦後の25年毎の第一期、第二期、第三期と時代的相貌が似ていると指摘している。その戦前の第三期が、1918年頃にはじまる日本の全体主義の時代と重ねられると、近頃の立憲主義もへったくれもない行政府の暴走が思い浮かんで、「似たような時代」を歩いている気になる。とすると、敗戦後、私たち親の世代が愚かだったから戦争に突入したんだと感じてきたことにかぶせると、今度は、私たちの世代が愚かだったから、こんなになっちゃったんじゃないかと、わが息子たちの世代に謗られることになる。ふと、そう思った。となると、なにが「似たような時代と思わせる動き」にしていったのか、自省的にみてみようと思った。
 
 1918年は、第一次世界大戦が終わりかけたころ。日本は「一等国になった」と鼻高々になっていた時代だ。と同時に、日露戦争を経て(たくさんの犠牲を全国の農村の子弟から出し、増税にも耐えるしかなくて)、戦争が国民の戦争になったと感じた時代でもあった。つまり、「大衆化の時代」のはじまり期でもあった。国は一等国になった(と喧伝されて浮かれた)が、暮らし向きは必ずしも向上したわけではなく、産業社会の成長期にあって、資本家は肥え太り、他方、民衆は資本家社会の仕組みに呑みこまれて生きるほかなく(離村して)都市に移り住み、労働力を売って暮らすしか、道がなくなっていったのであった。貧富の差も広まり、「煩悶青年」と政治学者の中島岳志が名付ける鬱屈が溜まってきた時代。それが朝日平吾の安田善次郎暗殺や原敬暗殺や後の浜口雄幸テロ事件につながったという。
 
 戦後の第三期は、1985年頃からはじまるが、思い返せば、バブルの時代である。「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」じゃないが「一等国になった」と鼻高々になったのと相似している。そしてバブルの崩壊、中産階層の没落、企業の内部留保金の増大と非正規雇用の急増、貧富の差の拡大というよりは明確な亀裂が生じ社会的な分裂が始まって、「失われた時代」がすでに27年も続いてきた。なるほど、オウムのサリン事件のようなテロも起きている。国体護持とか統帥権問題とかも、ヘイトスピーチや「立憲主義」を無視するやり方に、似ている。ところが、大阪池田小学校の殺傷事件や秋葉原の無差別殺傷事件も、戦前の、攻撃するべき標的が明確にあるテロと異なり、どこに敵がいるのかわからない今の時代のテロだと言われると、「鬱屈」の成り立ちと行方を漠然と見ているだけでは済まなくなる。近頃流行りのTVじゃないが、「ボーっと生きてんじゃねえよ」とチコちゃんに叱られるかもしれない、と思った。 
 
 『愛国と信仰の構造――全体主義はよみがえるのか』(集英社新書、2016年)が、そこに踏み込んで面白い。政治学者の中島岳志と宗教学者の島薗進の対談で構成されているが、「似たような時代」の感触が、じつは「信仰心の根柢」に触れるかたちでとりだされ、それが「世論」を加速して右よりの社会的気風を醸成していると、明快である。私などが自らの「信仰心の傾き」とみている感触が、じつは全体主義への親和性が高いと腑分けされると、サッカーW杯のメディアの熱中やファンの街頭や現地ロシアでの熱狂ぶりもまた、「愛国」を加速し、全体主義への道をひた走るエネルギーになっているのではないかと、深読みしたくなる。そう自省的に読み取ると、刺激的な本であった。

医療と政治と社会常識

2018-06-24 17:01:23 | 日記
 
 家族ぐるみの付き合いをしている友人の息子が入院していると聞いた。つい先日も顔を合わせたが元気そのものだった。精巣腫瘍が見つかって手術したという。えっ、なにそれ? ホラ、爆笑問題のタナカ君って子、あの子と一緒よと親は笑う。笑うが、目は笑っていない。苦笑ってこういうのを言うんだろうか。そういえば相方の太田って子が「おまえカタキンだろ」とジョークを飛ばすのを思い出した。
 
 でも元気だったじゃない、この前。
 いやね、手術は簡単に終わったのよ。切るだけだから体調に障りもなくてね。でも、他に転移している可能性もあるから、この後抗がん剤治療に入るというんでね。その方がたいへんらしい、と淡々と話す。
 アウトドア関係の仕事をしている息子が、お腹が痛いと言い出して近所の病院で診てもらった。すると医者が、腫瘍マーカーが出ている、ここでは細かいところまで診られないから自分の所属する大学病院へ行くように話し、行ってみると、病状の進行が早く一刻を争う、すぐに入院して手術する運びになった。セカンドオピニオンも考えたけど、その医者の話では、血管を通じて全身に広がるそうということであった。
 運が良かったねえと、私が笑いながら話したのは、もう十何年も前に手術した爆問のタナカ君が元気そうな姿を見せているからだ。
 
 じつは、抗がん剤治療の前にもう一つ話しが挟まっていた。その医者は手術をし治療に入る前に、精子凍結保存を提案したのだ。友人の息子はアラサーの独り者。万一、抗がん剤治療(の影響)で残った方の精子が不妊症にでもなったらと、心配したらしい。そうか、そこまで医者は気遣いをしてくれるのかと、私は先ごろ話題になった「強制不妊手術」への行政の対応を想いうかべていた。とっくに医療現場は個々人の人生設計を組み込んで、患者にとって大切なことを重要視して対処しているのに、行政は相変わらず、過ちを認めない姿勢を保ち続けて、とどのつまり国民の人生設計などそっちのけで、「法的に適正かどうか」だけを見て判断している。たとえ誤ったことがあっても、合法的な対応であったと突っぱねる検察の手法は、よく知られて悪評が高い。国家権力ってそういうものさと私の世代はあきらめてきたけれども、医療現場の対応を見ていると、行政も変わらなきゃならないんじゃないか。そう思った。
 
 それにしても、じつは私たちの世論(の気分)が、それらのことをどう受け止めているかに大きく左右されるように思う。爆問のタナカ君のこともあって、私などはずいぶん軽く受け止めている。友人の息子のことが分かって、インターネットで精巣腫瘍のことを検索してみた。20歳から30歳くらいに発症するらしい。第一ステージと第二ステージの(五年後の)生存率は100%、第三ステージでも80%というから、早い処置をしておけば、その後の生活にほとんど影響はないといえるようだ。そういうことも「検索」ですぐに(真偽のほどは別として)分かるから、これも世論の形成には大きく影響しているに違いない。なにしろタナカ君の姿が何より心強い。
 
 見舞いに行って、治療の様子を聞きながら、そんなことを話す。抗がん剤治療を一週間やってきたご当人は、談話室に点滴の吊り下げ具を引きずってやってきて、ベッドに釘付けになっているのに疲れましたよという。抗がん剤の点滴中は、何だかじぶんの身体から離れてじぶんを感じているような気がするそうだ。それが終わってからも毎日水を3リットル飲めといわれてねと、大きな2リットルボトルを持ち運びしている。私は、インドヒマラヤに入ったとき、高山病対策として毎日4リットルの水を飲むように言われ、夜中にトイレに起きることが1時間ごとにあって、辟易したことを思い出した。
 
 ご当人はちょっとむくんだ顔をして、でも、第一期の第一セットが終わった。あと二週間に間に二セットつづけたら様子を見て、第二期の三週間セットに入る。いまはそこまででひとまず終了になる見込みだと、元気そうに話をした。
 いやいやそうだよ、若い人は元気でなくちゃ。