mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

大晦日

2018-12-30 08:03:56 | 日記
 
 いま、朝の6時。空の晴具合を見ようと外を見たのだが、暗い。薄暗いのではない。まだ外灯が煌々とまぶしく見えるほど、暗い。これで灯りがなければ、かはたれどき。
 
 目下、1月の正月明けに行われる定例理事会の「議事資料」の作成に取りかかっている。正月は三日間、奥日光で遊ぶ予定だから、今のうちに片付けて置いて、帰宅したらすぐに印刷作業をしなければならない。大きな「課題」のひとつ、「積立金の値上げ」は見通しがついた。1月下旬に「説明会」を開く案内も終わっている。その「説明会資料」も配布済みだ。
 
  正月明けの理事会は、もう一つの「課題」、「居住者の高齢化に伴う理事選出の改正」だ。これはしかし、いろいろな案が提案されるが、どれも皆さんに受け容れられない。任期を2年にして半数ずつの交代とすると、業務の継承性は(ある程度)保障されるが、2年もの長きにわたって理事は務められない負担感は、超えられない。「業務支援サービス」のある住宅管理会社に委託しようという案が、思いのほか安くて皆さんの気を惹きつけている。しかし、「支援」の中身は、本体が何を支援してもらいたいか明快にしなければ、「調査」も「企画立案」も提出されない。ちょっと目を外部においてみていると、理事の方々は事務的な作業を負担に感じているようにはみえない。集まってワイワイ言いながら作業をするのは、それなりに楽しいのだ。
 
 結局「負担感」は、日頃まったく関心を持たないで暮らしてきた、建物の保全や植栽の剪定や伐採などで、何をどうしたらいいか、わからない「不安」がある。輪番制の素人理事が抱える「不安」でもある。管理組合が誕生して28年経っているから、何をどうするという役割は(ある程度)定型化している。だが、パソコンが使えない、タイプが打てない。定型化された仕事をつかうことができない「不安」もある。
 
 とすると、それらを「支援」してもらうには、いつも寄り添って「問題」を考えてもらいながら、「企画立案」してもらうしかなくなる。しかしそれが、月々6万円でやってもらえるはずがない。他方で、居住者の中には、建築関係を仕事にしてきた人たちがたくさんいる。経理や税務や会計、法務に詳しい人たちも、ずいぶんいる。造園を仕事にした人もいて、その人たちに頼めば、アドバイスを受けるのは何の苦労もない。高齢化というのは、才能の宝庫でもあるのだ。それらをピン・ポイントでも引き出して手を貸してもらうことができないか。私はそう、「まとめよう」と考えている。
 
 それを聞いたある高齢者は、「では、(今のやり方を)変えないということですね」という。う~ん、変えないというよりも、気持ちは大幅に変えなければならないのではないか。「自助システム」と私は名づけたが、誰がコントロールするの? 誰が手を貸すの? 「才能の宝庫」というが、どこにその「才能」が眠っているの? どう引き出すの? と疑問を重ねれば、いくつもわからないことがある。つまり、身を乗り出さなければ、何も変わらない。「高齢化に伴う」なにがモンダイなの? と具体性を提示しなければ、「才能」も動きようがない。
 
 つまり変わる必要があるのは、「困っていること」を皆さんの前にさらすことだ。それが、できない。「皆さん」を、ごくご近所である同じ階段の人たちと考えてはどうかというのが、私の提案だが、それは「状態」としては現在のそれと(まったく)変わらない。同じ階段の「輪番」という機能的にみている「関係」から、「どなたがどう困っている」から(その方を飛ばして)理事を交代しましょうという「(気遣う)かんけい」へと組み替えようというのである。
 
 ちょうど一年前、「来年の理事の最年長者ですので」と話しを受けてから、これは理事長を引き受けなければならないかなと思いながら、正月を過ごした。話しの出ていたモンゴル行きも断念した。カミサンは今年の私を見ていて、「理事長がなかったら、どう過ごしていたんでしょうね」とからかう。そうか、振り返ってみると、私自身が、この役割を引き受けていることによって、日常の暮らしに目を向けるようになった。ご近所を「気遣う」ようにもなった。その変化が私の一年であった。大晦日は明日だが、自分の足元を発見した様な一年であった。
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80歳過ぎが面白い?

2018-12-28 08:23:27 | 日記
 
 渡辺京二の名前を知ったのは、もう30年以上も前のように思う。私の十歳上の知人が彼の著書を面白いと教えてくれた。以来、何冊か目を通して、どこか「在野の知識人」というニュアンスを感じて、好感を持っていた。その彼が今朝の新聞に登場して以下のようなことを述べている。
 
《興味があちこちに飛ぶのでやっぱり学者にはなれませんし、同じように生きるのでは。後悔があるとすれば、人に対する態度というものが、ずっとわかっていなかったことだけですね。本当に分かってきたのは80歳を過ぎて、この数年のことでしょうか。》
 
 彼はいま、米寿ほど。(たぶん)私と同じ午年のはず。上のことばは「もし人生をもう一度、やり直せるとしたら?」という問いに対する答えの冒頭。「学者になれない」というのは、痛烈なアカデミズム批判でもある。石牟礼道子の仕事の手伝いをしてきたことをふくめ、彼の視線がどこから発せられてきたのかを示している。「後悔があるとすれば……」というくだりは、私自身の感懐と重なる。若い頃を振り返ると、とくに、そう痛感する。出会った人たちには申し訳なかったなあと臍を噛む。でもそういうふうにして、いまの私がかたちを成してきたのだとも思う。
 
 それにしても「本当に分かってきたのは80歳を過ぎて」というのは、驚きであった。つまり、私が日々(ひぐらしPCに向かいて書きながら)感じていることが、まだ「本当に分かる」ことになっていないのか。もう一段深いところに、「本当に分かる」ことが横たわっているのか。それとも、渡辺京二の歩き方を歩かなければ、そこに行きつかないのか。いや、そういうことはあるまい。彼はそういうことを言う人ではないからだ。
 
 それにしても、「80歳過ぎてから」、まだ面白いコトがあるのだとしたら、〈思い残すことはない〉などと分かった風をすることはない。もっと長生きしたいというわけではないが、渡辺京二のいうような言葉を聞くと、長生きするのも悪くないと思えて安堵する。
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幸運に感謝する

2018-12-27 19:54:02 | 日記
 
静かな、のんびり歳末

  年末のルーティンワークを一つ、昨日片づけた。年賀状だ。じつは古いパソコンに入れて使っていた宛名書きソフトが、去年、作業途中でフリーズしてしまった。あとは手書きでしのいだのだ......
 

  毎年同じようにして歳末を迎えていると思った。今年も、年賀をつくって「どっこい生きてる」と思ったが、去年もその走りを書き記している。窓ガラスを拭くのにも、去年と同じ感懐をもったと、これを読んで思い出した。お年玉の新札を手に入れたのも、去年の今日。「相変わらずの年の暮れ」ってとこか。

 ただ違うのは、去年は明日から奥日光に行った。そして元旦に新幹線で芦屋に踏む娘のところへ足を運んで、正月を過ごしたのであった。ま、ま、今年は、11月の思わぬ三途の川近くへの旅をして戻ってきたから、裡なる感懐は去年とは格段の違いがあるが、こうも年を取ると、これから先は、毎年こういう感懐を懐くのかもしれない。

 ともかく今年も、ここまで無事に過ごせた。この幸運に感謝する。

 

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階段の集まり

2018-12-26 07:36:57 | 日記
 
 一昨日(12/24)、団地の理事を選出している私の階段5戸と組み合わせ上一緒に輪番を組んでいる向かいの号棟階段の4戸、あわせて9戸が集まり、来年度理事送り出しの確認を行った。自画自賛であるが、こうした集まりを持ってもらってよかったと好評であった。
 
 なんでこんな集まりをもったのか。じつは、28年目にして初めて顔を合わせ、言葉を交わす人びともいたのであった。つまり、この団地発足のときに、「輪番」を決め、それが何の不思議もなく順調に守られてきたために、翌年度の理事のことをだれ一人心配することなく、伝言ゲームのように継承され、したがって、前の方と次の人以外は、顔を合わせることもなく、名前も意識したことがないほどというわけ。まあ、そうはいっても、同じ階段の人たちは、28年の間に出くわすことがありますから、顔と名前はわかります。でも向かいの号棟の方は皆目わからない状態でした。私が理事長を務めたから、こういう集まりをもつことを考えたのは、確かです。
 
 用意した「資料」は、28年間の「階段理事・役員履歴」と2016年と2017年につくられた「理事・役員交代制に関するメモ」二つ。たまたまこの二つのメモをつくった方が、2016年と2017年のこの階段から出た理事だったために、今年の私に引き継がれてきたものでした。ま、このお二人に、目を通してますよというお披露目でもあった。
 
 何よりこの階段は、他の12階段に比べて、理事・役員選出階段としては平均年齢が最高の71歳。上記のお二人というのは、今83歳になる方です。上記の「メモ」にも、85歳を超えると「理事・役員免責」にしてもいいんじゃないかという考えが盛り込まれていました。今回のような階段会議をもったのを高く評価したのは、その最高齢者の一人でした。
 だから「JSの業務サポート・サービス」を検討対象にしていることを告げると、「それはいいじゃないか」という意見と「いや、それ(のサポート)はたいしたことではない」という意見が出されて、なかなか興味深かった。そのやりとりを聞いていて「今のお二人が理事・役員免責などというと、怒りますよ」と混ぜ返すほど、意気軒昂。ただ、身体が自在に動かないことやボケが来たらという不安が、「高齢化問題」を提起させていると思った。
 
 平均年齢がもっとも高い階段ではあるが、この28年間、「輪番」の順序は狂うことなく保ててきた。「もし何かあったら」という不安にどう応えようと考えているのかと問われた。7年に一回くらいの順番になっても階段で送り出すようにしたい、今日はそれを皆さんに伺うために集まってもらった、と考えていることを話す。おおむねそれは賛同を得た。
 
 だが、最高齢者は、金銭を払ってでも、「免責」してもらう仕組みがあるとうれしいと考えていたようだ。心的負担に思いを及ぼしていたのであろう。しかし、心的負担がないというのは、いわば金銭的な「交換」をしている感覚ではなかろうか。「代わる」ものにとって、それはいやだなあと思う。ボランティアを「好きだから(そう)している」というのは、まちがいないが、でも、そのように受け取るセンスは勘弁してもらいたいと、私の内心のどこかが反応している。階段がカバーしている限りは、自助努力と考えてもらった方がいいのではないか。
 
 (階段による)自助努力というのには、「共に暮らしている」という感覚が、働いている。だが金銭で交換しているというのには、対等な取り引きだという感覚が横たわる。それは仕組みで作られた関係から具体的にかかわる人々の顔が蒸発した社会の姿だ。それがイヤなのではないか。大きなモンダイだと思う。これまで過ごしてきた時代が構成してきた「感覚」である。ちょうど戦中生まれ戦後育ちの私たちの生きてきた時代が、昔ながらの紐帯に結ばれた(息苦しい)世界と資本家社会的市場関係にどっぷりつかって(厳しい競争関係を)夢中になって走ってきた世界とが、分かちがたく共存してきた時代であった。
 
 自身の内心を腑分けしたところで、どちらかに決めてしまうことはできない。ドライに「交換関係」とみる人もいようし、「共同的関係」とみる人もいよう。その混在を承知して、具体的な場面でひとつひとつ始末しながら先へ進むしかないと感じている。
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どっこい生きてる

2018-12-25 05:45:14 | 日記
 
 賀状をつくった。これまでいつも、もうやめようと思ってきた。だが、その切り出し方がわからない。こちらがやめていても、向こうさんから送ってくると、やはり返事を書かないわけにはいかない。考えてみれば、もう何十年も逢っていない人からも、丁寧な賀状が届く。「白山羊さんからお便りくれた……」って歌みたいなやりとりだなあと思う。ところが近年、賀状が来ない人がいると、おや? 何かあったかと思うようになった。じっさいそうやって訃報に接することも、一人や二人ではない。
 
 「生きてますよ」というお便りだから、それでいいのよとカミサンは言う。それもそうか。あいつまだ生きてやがると思ってくれたら、それで一年は過ごせたということだ。ことに11月の出来事があったから、私には、そう思える。多少の縁が他生の縁になるまでつづくわけじゃないと思うが、アナログ時代の名残にしばらくはお付き合いしようか。
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