29日~30日と山へ入った。1日目に目指したのは、富士山の北側の御坂山塊の最高峰、黒岳。車を下山する河口湖畔の大石において、登山口の広瀬まで湖畔を歩く。8時過ぎ。小学生が登校している。湖畔の道路は結構車の通りが多く、歩道もないため、ちょっとひやひやする。小学生は、旗をもったオジサンや警察官のサポートを受けている。天気はいい。河口湖の向こうに富士山が爽やかに立つ姿が見える。中腹から8合目までは雲がかかっている。
広瀬から黒岳に向かう登山道は、私の持っているむかしのマップには記載されていない。だが、地理院地図をインターネットサイトからとると、登山路の破線がついている。これはいい。野天風呂天水の前の林道らしき跡をたどって、行くと、涸れ沢を渡る。そこから沢沿いに踏み跡をたどると、またもや、道を見失ってしまった。先月末からこれで、3回目だ。
どうしようと思ったが、引き返さず、地図をみて、ご正道のひと尾根西側の尾根をとりつく。これを上り詰めると、さらに西側から烏帽子岩を経る「難路」標示のあるルートとどこかでぶつかるはずだ、とみる。この読みは(結果としては)当たったが、傾斜はきつい。落ち葉が降り積もって、雨に流れて吹きだまる。それが踏み跡にみえる。ひょっとすると、シカのけもの道だったかもしれない。イノシシが掘り返したあともところどころにあった。あとで子細に地図をみると、登山路は天水の前で沢を渡っている。やっぱり「うかつ」なのだね。
標高1450m辺りで、渡りをする蝶・アサギマダラが飛んでいる。今年の初見だ。「広瀬→」の標識と出逢う。こちらの道はしっかりしている。下から人が登ってくる。挨拶をして、何時ころ広瀬を出たか尋ねると、私より30分あとだ。そうか、30分のロスか、と思う。登山口のことを訊くと、天水のところから沢を渡ったと、簡単に分かったようにいう。トラロープがあって急な上りでしたね、と。
そこからの登りは、再び急であった。だが、急傾斜の方が確実に高度を稼げる。2本のストックの四輪駆動も心強い。トウゴクミツバツツジが標高を上げるごとにきれいに咲いている。山頂部ではまだつぼみだったりするのも面白い。1時間ほどでお弁当を広げている人たちにぶつかる。山頂? と尋ねると、山頂はこの先だが展望がよくないよ、と応ずる。振り返ると、富士山が目の前にそびえたつ。気温が上がっているせいであろう、雲が山頂部を覆い隠している。眼下に河口湖が水を湛えて東西に延びているのも目に収まる。展望台だ。11時25分。歩き始めて2時間半。早めのお昼にする。
そこから5分もいかないところに山頂1973mがある。先ほどあいさつした2人連れがダックスフントを抱えて記念撮影をしている。シャッターを押してあげる。彼らは、私が下山道に使う新道峠に車をおいているという。そうか車が入れるのか。ならば、往復2時間ちょっとで黒岳山頂に来ることができる。
破風山1874mへ向かう稜線は快適だが、樹林になって見晴らしは良くない。新道峠から登ってくる人たちとすれ違う。車らしく、なるほど軽装だ。30分ほどで新道峠の標示。車が入れるのは、北側、北芦川村からの道だ。河口湖大石へ下る道は、細い九十九折れの斜面を下るルート。ぽつぽつと雨が落ちる。厚い雲が空を覆う。雨具を出してザックごと上からかぶる。雨具のズボンを出すほどではなかろうと思ったが、やはりズボンとスパッツはつけておくべきであったと、後で思った。
雨は本降りになるが、木々が生い茂っているからそれほど強くは感じない。雷がすごい。ドンゴロゴロではない。パリパリパリッグァラグァラグァラピシッと、すぐ脇の方から脅かしてくる。昔富士山に登った時下の方から雷がなって光るのをみたが、それが丁度ここだったかと思うような気分。
新道峠1620mから標高で500mを下って林道に出るころには、雨は大降り。それでも風がなく、背の高い樹木が林道をおおっているから、そのまんま早足で下山する。ところが、雹になってきた。それも大粒。頭に当たると、野球帽と雨具をつけていても痛いほど。路面がどんどん白くなる。雪のように積もっていく。
そのうち路面を雨が流れ下り、雹を含んだ川のようになる。靴が水に浸かってしまうので、流れの浅いところを選んで右に左にと足場を変える。かなり下って民家が見えたところで、とうとう家の軒先に入って雹の直撃を避けることができた。身体はびしょ濡れだが、身体は寒くはない。手が冷えてしびれるようだ。気温が下がっている。あとで聞くと河口湖で10度になっていたという。
雹がおさまっても雨は降りつづく。やむなく、濡れネズミになりながら、河口湖畔の宿を目指して走るように降る。路面に積もった雹が水に押し流されて道路脇に10センチほどの「積雹」になり、歩きにくいことこの上ない。宿に着くころには雨もおさまったが、宿の人もこんな雹を見たのは初めてと話していた。14時5分。
すぐ風呂に入って温まる。全部着替えて一息つき、食べ残しのお弁当を開け、ビールを飲みながら下山メールをカミサンに送る。利尻だか礼文から返信が来たのはずうっと後だ。ひと寝入りして目を覚ますと青空になっている。
外に出ると、富士山の雲がすっかり取れて、姿が際立つ。湖畔に出てみると、オオヨシキリが騒がしい。マガモも何組かいる。ツバメが飛び交う。船の上に立って釣り糸を垂れる人たちがいる。
夕食は近所の「ビストロ」というイタリアン・レストランで「今日のおすすめ」、ビーフ・ストガロノフを頂戴する。赤ワインと合う。目の前の雪をかぶった富士山が秀麗って感じがする。飛んでいるムクドリにまで風情を感ずる。
今日も同じような天気だ、山間部は天候の急変にご注意くださいと、朝のTVは繰り返す。昨日の河口湖では雹が降ったと、自動車にあたる映像を見せるが、そんなチョロイもんじゃなかったぜと、思う。
8時という遅い朝食を済ませ宿を出発したのは8時半。だが、トンネルを抜けるとすぐ山間道に入って林道を登り、「スズラン群生地」の駐車場に車をおいて歩き始めたのは8時50分。150mほど先から釈迦が岳の稜線部に突き上げる道を登る。急な傾斜。私はこういうのが得意なのだと、歩きながら思う。昨日の大雨のせいで枯葉が流され、登山道が水で洗われて筋を引いたように上へとつづく。わずか20分で、ドンベエ峠からくる稜線の道1490mに出る。
そこからは稜線歩き。15分足らずで府駒山1563m。その先は少しばかりロープがあったりする岩場を登って、30分たらずで釈迦が岳1641mに着いた。先着のご夫婦がお茶を飲んでいる。彼らはドンベエ峠に車をおいて登ってきたらしい。この後黒岳にも往復するという。新道峠からのルートを話すと、ドンベエ峠からの往復よりそちらがいいかな、と笑っている。
ここは眺望がよい。昨日歩いた稜線の向こうに、富士山が雲もまとわず、秀麗を際立たせている。藤を取り巻く外輪山のように、御坂山塊が一望できる。月初めに歩いた王岳も、突出した山頂部をみせている。振り返ると、奥秩父連峰の山々、瑞牆山や金峰山、甲武信岳からもっと東の大菩薩まで少しばかりかすんではいるが、山の色あいを変えながら、水墨画のように遠方へとつづいている。
稜線を戻る。一組のお年寄りとすれ違い、先ほどのご夫婦を追い越したが、40分でドンベエ峠。車が2台おいてある。先ほどの二組のものらしい。林道を歩いて出発点に戻る。ほぼ2時間10分で釈迦が岳に行ってきたことになる。駐車場の車は格段に増えている。
ザックを担いだまま、「スズラン自生地」へ向かう。入口には茶店があり、ベンチを設えている。けっこうな広さの斜面に順回路をつくり、縄張りをして、保護している。かがみこんで、エゾタチツボスミレだと案内をしている人もいる。カメラを構えた若い人が、ここの保護について話を聞かせてくれた。盗掘が止まず、困っている。スズラン以外の、イカリソウやツボリンドウやチゴユリやタツナミソウの仲間などの花が咲いている。それなのに、そのことを喧伝しないのは、盗まれてしまうからだと。先ほどの茶店のご夫婦が保護活動をしているのに任せているだけ、公共的な保護活動は何もないのだという。古い地図にも「スズラン自生地」と記載されているから、よほど昔から保護されているのだと思いがちだが、案外、民有地はその所有者にお任せのような状態にあるようだ。
さて、来月ここへ人を案内することになる。釈迦が岳は3時間ちょっとで往復してしまう。スズランをご覧くださいでは、つまらないだろうか。富士山をみてスズランと行けばそれも悪くはないが、天気が悪ければ困ったものだと想いながら、帰ってきた。