折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

孫のおかげで明るく、楽しく~66回目のバースディ

2009-02-23 | 家族・母・兄弟
           
           手拍子を打ちながら「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」を歌ってくれた孫のKちゃん。
           そんなKちゃんを見守るじいじは少々照れ気味



今日は66回目の誕生日である。

日曜日の昨夜、近くに住む娘夫婦と孫のKちゃんがお祝いに来てくれた。
特に、2歳4ヶ月になったKちゃんは、「遊び友達」のじいじの誕生日と言うことで、大張り切り。

「Kちゃんが、Kちゃんが」と他の人を差し置いて、贈り物のプレゼンターになるやら、「じいじ、お誕生日おめでとう」と書かれたケーキを前にして、手拍子を打ちながら大きな声で「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」を歌ってくれたりと大はしゃぎ、おかげで明るく、楽しい誕生会となった。


ブログを書き始めてから、誕生日やブログの100、200、300回と言った一つの「区切り」となるような時には、ブログでその時々に感じたことを書き留めるようにしてきた。

因みに、2年前64歳の時のブログには、子供たちから贈られた誕生日のプレゼントについて次のように書いている。

今年の子供たちからのプレゼントは、まるで申し合わせたように二人揃って小生のブログをヒントに品物を選んでくれたようである。

<二人の気持ちが、期せずして揃った>ということが、小生にとってはどんな高価なものをもらうよりも嬉しかった。その意味で、今年のプレゼントは、想い出に残る一品となった。

そして、誕生日を幸せな気持ちで迎えられたことに感謝である。

昨年65歳の時のブログは、久々に会った昔の会社の仲間との「飲み会」で感じたことや日常生活を通して感じた「老い」について、次のように書いた。

前々からその日を楽しみにしていたのだが、いざ出かける段になって、夜の都心に出かけることが妙に億劫に感じられた。

そこで、仲間に『いやあ、夜の宴席に出かけるのが、少々気分的に億劫になってね』と話したら、『もうそんな年かよ』とか、そんなんじゃあ『老け込んじゃうぞ』とさんざんからかわれ、笑われてしまった。

その集まりは、4人のうち3人は現役で、そのうち2人はまだ40代のバリバリの現役、もう1人、本ブログでもたびたび登場する元S課長は今は、中小企業の副社長。リタイア組みは小生のみである。話しをしていても、さすがに現役組は元気いっぱい、活気にあふれている。
そして、いつの間にか彼らの話題についていけない、のりきれない自分を否応なく意識し、普段は余り感じないが現役組とリタイア組の落差というものを改めて自覚させられた。

帰りの満員電車に揺られながら、これなども『老い』の一つの兆候なのかなと考えてしまった。

また、これとは全く違った形で『老い』を意識することがある。

それは、最近、新聞を読んでいて感じることなのだが、目は活字を追っているのだが、うまく意味が頭の中に入ってこないことが増えてきたということである。

それと、新聞を隅から隅まで読もうとする『根気』がなくなってきた。

これなどは、『老い』の一つの兆候、シグナルといえるだろう。

逆に言えば、こんなことを考えてしまうこと自体がすでに『老い』の証なのだろう。

では、ブログに書き始める以前の3年前の63歳の誕生日にどんなことを思っていたか思い出そうと記憶の底を探って見ても、その断片すら思い浮かばない。

今、こうしてブログを読み返して見ると、記録するということは、資料としての価値のみならず、記憶を刺激し、呼び覚ます役割をも担っているのだということを改めて実感し、ブログを書いていてよかったとつくずく思った次第である。

さて、66歳を迎えての今年感想である。

定年後の第2の人生も、もう6年が過ぎてしまった。
それこそ、この6年は、「あっ」という間に過ぎてしまったという思いが強い。

定年後の第二の人生の過ごし方のキーポイントは、『居心地の良い場所で、自分の好きなことに夢中になれる生活』 をどう送れるかにかかっている、というの がリタイア時に小生が考えていたことであったが、この6年間、時間が経つのが早いと感じられるのは、曲がりなりにも『居心地の良い場所』と『夢中になれるもの』を見つけられているからだ、と思っているが、それもこれも、この6年間幸いにも病気らしい病気もせずに健康でいられたことと、かみさんをはじめ家族みんなの支えがあったればこそであり、心から感謝している次第である。