折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

読書三昧・「血沸き、肉踊る」3日間~宮本昌孝著「海王」

2009-02-15 | 読書
新聞にその本の広告が載った時は、うれしくて期待に胸を弾ませて、近くの本屋さんに飛んで行った。

何せ、原稿枚数2,000枚超、上下2巻(2段組 上巻540ページ、下巻516ページ)の大作だ。

読み応え十分、朝から晩までひたすら「のめり込む」。(こんな時間の使い方ができるのも、「無職=自由人」のささやかな「特権」)

どうにか3日間で読破。
「血沸き、肉踊る」3日間であった。
今、ある種の「虚脱感」の中にいる。

「剣豪将軍義輝」の続編である宮本昌孝著「海王」(上・下)のことである。

今から十数年前、宮本昌孝著「剣豪将軍義輝」を読んだ時の興奮も今回に勝るとも劣らないものであった。

          
十数年前にはじめて読み、その後何回も読み直した、宮本昌孝著「剣豪将軍義輝」(徳間書店)


そして、ひたすら続編を待ちわびていた。


と言うのは、「剣豪将軍義輝」のラストで「海王」と名付けられた遺児が誕生し、十分に続編を予告する終わり方であったからである。

そして待つこと十有余年、遂にその続編が全貌を現したのである。
興奮を禁じえない。


          
待望久しい「剣豪将軍義輝」の続編:宮本昌孝著「海王」(上・下)(徳間書店)


前作「剣豪将軍義輝」は戦乱の世を終息へと向かわせる英邁な資質を備えながら、「志」半ばにして、梟雄松永弾正の奸計に斃れた悲運の将軍・足利義輝の爽快・清廉な生き様をえがいたものだが、その将軍義輝が物語の中で「斉藤道三」、「織田信長」、「武田晴信」といった稀代の英傑たちとの心躍る「邂逅」を遂げ、「塚原卜伝」、「上泉信綱」といった剣豪との「出会い」と「修行」によって天稟の才を開花させ、余人が到達し得ない「剣の高み」を得るに至る。そして、剣の奥義を極めた義輝と最強の宿敵との対決・・・・・。
波乱万丈のストーリーの展開が読む者をして飽くことなき「空想」の世界へと誘ってくれたのであった。


その続編である本作でも、剣豪将軍・足利義輝の遺児、海王の「情」と「義」を貫く清爽な生き様を「縦糸」に信長をはじめ、秀吉、家康といった武将たち、伊藤一刀斎、柳生石舟斎、神子上典善、小野善鬼といった剣豪、服部半蔵といった忍び等の絡み合いを「横糸」に数奇な運命に翻弄される人々を活写し、物語は息つく暇なく展開し、手に汗握る面白さは、汲めども尽きない「ロマン」の世界である。

特に、義輝の忘れ形見には海王のほかにもう一人上杉兵庫と言う異母兄がいて、この兄弟が弟が「山崎の合戦」で明智光秀に、兄が「小牧・長久手の戦い」で徳川家康にそれぞれ「将軍」として政治的に利用しようという陰謀に巻き込まれるという設定は、実際にあった史実に「あっと驚く」卓抜な発想を盛り込んだところが秀逸で面白い。

確かに、「荒唐無稽」な話には違いないが、フィクションの世界においては、「想像力の翼」をどれだけ大胆に広げられるかが、「面白さ」の「決め手」になると言える。

そして、この一見「荒唐無稽」に思われるストーリーをいかにもっともらしく読者に納得させることができるか、ここが作家の腕の見せ所である。

この点に関しては、作者の「腕」は冴えわたっている。

さらに言えば、主人公の描写にとどまらず、信長、光秀、秀吉、家康と言った「横糸」の「核」となる人物の生き様が実に生き生きと描かれているのも特筆すべきではなかろうか。

特に、「本能寺の変」の場面は、この作者が将軍義輝と信長にいかに「思い入れ」が深かったかを如実に語っていて、心打たれる。


「小説とは、まず面白くなければならない」

というのが、小生の持論である。

「現実ではとても叶いそうもない<夢>、かくありたいという思いをしばしの間、叶えてくれる」

それが小説=フィクションの世界の醍醐味であるとも思っているので、この思いを叶えてくれた小説「海王」は、今年に入って読んだ本のベスト1と言える1冊であった。

そして、もう一度「剣豪将軍義輝」を読み直して見たいと言う気持ちになっている。