toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

244-271031若山牧水と四万温泉、そして私も泊まる   その1

2015年10月31日 | 旅行

  秋たけなわ。今年も紅葉を堪能しました。去年と異なり晴に

恵まれた。途中吾妻渓谷を通る。

 

あちこちの紅葉を愛でながら四万温泉に向かいました。半世紀にわたり紛

糾の続いた八ッ場ダム建設はダム本体の建設が始まり、吾妻渓谷付近は活

気が感じられます。あそこまで周辺の整備が進んだものを中止するのは大

変なこと。ダム本体は名勝吾妻渓谷の上流に建設されるのでこの渓谷が水

底に沈むことはありません。特に道の駅の賑わいを見ると、新しい状況に

対応しつつある地元の皆さんの心意気を感じます。なぜあれほどこじれ

しまったのか不思議に思う。

倉渕地区の棚田は稲の刈り取りが終ったが紅葉にはまだ早い。

 

薬師温泉を抜けて須賀尾峠に差し掛かると樹々は美しく装いを整え始める。

 

 

名勝吾妻渓谷は見事な紅葉で迎えてくれる。この景色はダム完成後も失われ

ることはなくなった。

 

 渓谷の一番狭くなった地点の鹿飛橋からの光景

            

 

振り返ると錦をまとった岩峰が他を圧倒する。車で通っていた時代には気づか

なかった。

ここから四万までは45分程度の距離。3時前には宿についてしまった。

宿は「豊島屋」団体客はおらず風呂良し、食事良しそして何よりも従業員の接

客が素晴らしい。

 

和食は芸術だなと思う。夕食の料理を引き立てる演出に一役買った繊細な葉。

どうして作るのか? 

 

  

好感度抜群のおもてなしで満足したが、若山牧水が著作の中で四万につい

触れている一文を思い出したのでその個所の引用ですが紹介します。

少々長くなりますがお付き合いください。

牧水が「みなかみ紀行」で書いた中から、四万温泉に立ち寄りひどい扱い

を受けたことにたいする憤懣の一節です。(大正11年10月に牧水は軽

井沢→草津→暮坂峠→沢渡→渋川→湯宿→沼田→片品→金精峠→日光と旅

した。)

 

私はここで順序として四万温泉のことを書かねばならないことを不快に思

う。いかにも不快な印象をそこの温泉宿から受けたのである。我等の入っ

て行ったのは、というより馬車から降りるとすぐにそこに立っていた二人

の男に誘われて行ったのは田村旅館というのであった。馬車から降りた道

を真直ぐに入っていくと宏大な構えの家であった。

とろとろと登ってその庭らしいところへ着くと一人の宿屋の男は訊いた。

「ええ、どのくらいのご滞在でいらっしゃいますか。」

「いいや、一泊だ。初めてで見物に来たのだ。」

と答えると彼等はにたりと笑って顔を見合わせた。そしてその男はいま一人

の男に馬車から降りた時強いて私の手から受け取ってきた小荷物を押し付け

ながら早口に言った。

「一泊だけだとよ、何の何番にご案内しな。」

そう言い捨てておいて今一組の二人連れに同じようなことを訊き、滞在と聞

くや小腰をかがめて向かって左手の渓に面した方の新しい建築へ連れて行っ

た。我等と共に残された一人の男はまざまざと当惑と苦笑とを顔に表して立

っていたが、

「ではこちらへ。」

と我等をその反対の見るからに古びた一棟の方へ導こうとした。私は呼び止

めた。

「いや、僕らは見物に来たので、出来るならいい座敷に通してもらいたい、

ただ一晩の事だから。」

「へ、承知しました。どうぞこちらへ。」

案のごとくひどい部屋であった。小学校の修学旅行の泊まりそうな、幾間か

打ち続いた一室でしかも間の唐紙なども満足に締まっていない部屋であった。

畳、火鉢、座布団、すべてこれに相応したもののみであった。

私は諦めてその火鉢の側に腰をおろしたが、K君はまだ洋傘を持ったまま立っ

ていた。

「先生、移りましょう。馬車を降りたつい横にいい宿屋があったようです。」

人一倍無口で穏やかなこの青年が、明らかに怒りを声に表して言い出した。私

もそれを思わないではなかったが、移って行ってまたこれと同じい待遇を受け

たならそれこそ更に不快に相違ない。

「止そうよ、これが土地の風かもしれないから。」

となだめて、急いで彼を湯に誘った。

この分では私には夕餉の膳の上が気遣われた。で、定まった物のほかに二品ほ

ど付ける様に註文し、酒の事で気を揉むのを慮って予め二三本の徳利を取り寄

せ自分で燗をすることにしておいた。

やがて15,6歳の小僧が岡持ちで二品ずつの料理を持ってきた。受け取って

箸をつけるていると小僧はそこにつき座ったまま、

「代金をいただきます。」という。

「代金?」と私はいぶかった。

「宿泊料かい?」

「いいえ、そのお料理だけです。よそからもってきたのですから。」

「おやおや君、これは一泊者のせいのみではなかったのだよ。懐中をふまれたよ」 

10月21日

朝、縁に腰かけて草鞋を穿いていても誰一人声をかけるの者もなかった。帳場か

ら見て見ぬふりである。最も私も一銭をも置かなかった。旅といえば楽しいもの

有難いものと思い込んでいる私はできるだけその心を深く味わいたいために不自

由の中から大抵のところでは多少の心づけを帳場成り召使たちなりに渡さずに出

たことはないのだが、こうまで挑戦状態で出てこられると、そういうことをして

いる心の余裕がなかったのである。

**途中略**

「少し旅を貪り過ぎた形があるね。無理をしてここまで来ないで沢渡にあのまま

泊まっておけば昨夜の不愉快は知らずに過ごせたものを・・・」

「それにしても昨夜はひどかったですね。あんな目に私初めて遭いました。」

「そうかね。僕なんか玄関払いを喰った事もあるにはあるが・・・しかしあれは

丁度いまこの土地の気風を表しているのかもしれない。それ上州には伊香保があ

り草津があるでしょう。それに近頃よく四万々々というようになったものですか

ら四万先生すっかり草津伊香保と肩を並べ得たつもりになって鼻息が荒い傾向に

あるのだろうと思う。いわば一種の成金気分だね。」

**以下略、旧仮名遣いは現代のものに変換した**

古色蒼然とした写真は今回宿泊した豊島屋さんのロビーにあったパンフレットから

抜粋しました。田村旅館ではありません。豊島屋旅館を川側から撮影したもののよ

うです。ひとりの中年とおぼしき女性と子供たちが写る河原の露天風呂は今は足湯

になっています。山村の重労働に疲れた体を湯につかって癒す快さわり、牧水

宿時の湯治場の雰囲気を感じていただけたらと思います。

 

牧水はこの旅で紅葉に染まる道を草津から暮坂峠を越えて沢渡温泉を通過して四

万温泉まで足をのばします。沢渡温泉もいい温泉です。そこに泊まらすに四万温

泉まで来てしまってこの最低のおもてなしを受けたことを悔やんでいるわけです。 

ここに登場する「田村旅館」は、現在「四万たむら」として江戸時代から続く老

舗旅館だと思います。有名人が宿泊したことは旅館では記念すべきこととして写

真や揮毫を陳列しています。普通なら若山牧水ご宿泊は「たむら」さんにとり大

きな宣伝になるわけですが、こうまで批判されては逆効果になるでしょうか?

こちらに宿泊したことがないのでわかりませんが・・

 

現在は草津、伊香保にない素朴さ、静けさが四万温泉の売りです。泉質も素晴ら

しく、東京駅八重洲口から直行便も就航して首都圏からの利用者の便宜を図って

います。素朴や静寂に頼り切っているわけではなく、それぞれの旅館が独自性を

打ち出しています。多分ほとんどの旅館は源泉かけ流しで群馬では一番私の好み

に合う温泉地です。  以下その2に続きます。

 

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