林修氏が、ニートの若者に講義している番組をみた。やりたい仕事がない、などという若者たちに、自分の体験もまじえながら、人生観を語っていた。本音の話だったように思う。
やりたいこと、とやりたくないこと、できる仕事か出来ない仕事、これを直行軸であらわす。右側がやりたい方で、左側がやりたくない方向である。上部方向は、できる、で下部は、出来ない、方向とする。
すると4つの区分ができるのだが、自分はどこにいいるかと尋ねるのである。林氏は、自分はできる方向をとってきた。
やりたくない仕事の方が成功した、と例示してみせた。これは説得力があった。編集者に言われて、啓発本を書いたが、これがよく売れたこと、自分としては、そんなのは全然書きたくなかったという。だが、結果として、その編集者は正社員として迎えられ、自分が役に立ったという実感があったという。
一方、自分が書きたいと思ったものが本になったが、これは全然売れず、大きな迷惑をかけたという。
小生の体験でも、結局は食うために、働かなくてはならず、好きも嫌いも言っておれないというのが実感である。やっているなかで、好きになることもあるし、嫌いなままであることもある。だが、他人から、喜ばれたりしながら、自分のしたことが、役に立った実感が少しでもあれば、それで充分だった。なくても仕方がないと思っていた。なんとか食えればいいのである。
氏の話のなかで、年収800万ないし900万円以上のひとでなければ、世の中にあまり貢献していないというか、世の中のお世話になっているという言葉があった。おそらく税金の納税額のことをいっているのかもしれない。
だが、これには、反対したい。お世話になっているのは、実は、金持ちであり彼らの大部分は、明らかに「他人の成果を食って富を得ている」のであって、圧倒的に、この年収以下の人々が割をくっているのである。勘違いをしてもらっては困る。