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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

考えることと表現すること

2017年03月15日 10時44分03秒 | 思考試行

ただ考えているだけでは、他者には伝わらないから、(あるいは気配でわかるかもしれないが普通はわからないだろう)表現しなければならない。

伝える必要を感じなければ、伝えることもいらないわけだが、伝えることで自分ひとりのなかであれこれ考えるよりは、はるかに豊かな世界があらわれる。

人生のよろこび、醍醐味が生まれる可能性が高い、というより、そのなかでのみ、相互作用のなかでのみ、生まれるものではないだろうか。

他者のいない演劇なんてものは、意味があるとは思えないし、そこには喜びなんてないだろう。小説や音楽や、絵画にしろみんな鑑賞する人がいて、成立する。その反応こそが、創作者の生きがいであり、喜びだろう。

昨日、逮夜の四七日目、坊さんの来るのを待っていて、母の残した本をみていたら、田辺聖子さんの「花はらはら人ちりぢり」が目に留まった。

その冒頭、樋口一葉の「十三夜」が題材になっていて、その世界にいきなり魅せられた。人と人の関係、悲哀、若くして亡くなった作者であるが、このような人生の機微にふれる作品を残したことで、彼女は永遠に生きる。

つらい、悲しいことも多い人生だが、こんな作品にふれることで、それだけで、田辺聖子さんの言うように、「一縷の活力」を与えてくれるのである。


対話のなかで

2017年03月14日 11時13分50秒 | 思考試行

人と人は、対話のなかで関係を探る。お互いどう思っているのか、意思を確かめ、考えを交換する。これができるのが、人間である。明確にその細部にわたって表現でき、すべてが理解できたような気さえする。

だが、実際は、それは極めて困難である。対話とは相手があることだが、自分自身というのが、これがまた厄介な相手でもある。しばしば、自分自身を持て余し、あるいは、意味不明の憂鬱感に襲われたりすることもある。

自分自身のなかに、無意識の広大な世界があって、それらと、意識的な自分との乖離、あるいは軋轢が生じたりすることなどが、トラブルの元らしいが、なんと不思議なことである。

自分自身でさえそうなのだから、相手となると、もはやわかりあえるなんて考える方が無理なことかもしれない。とはいえ、我々は、助け合わなければ生きてはいけない。そのルールのもと、おたがいの生存が可能となっている。

それにしても、キムジョンウン氏はどんな気分で生きているのだろうか。かわいそうなもんである。


やることが次々とでてくること

2017年03月13日 22時17分39秒 | 思考試行

それが生きているということなのか。次々とやるべきことが出てくる。不思議なことに、そこそこの量であり、ちょうどいい、という感じで出てくる。

追いまくられて、どうにもこうにもならないという量ではないが、さりとて、もうやることがないから退屈でゴロゴロという風にもならない。

もっとも、よくよく考えてみたら、ちょっとした時間にネットサーフィンをしてたり、囲碁などのゲームをしたりするから、なにかしらやるために、そんな風に思うのかもしれない。

放送大学の不合格になった科目である「心理臨床とイメージ」は結構読み込みもしたし、これにも時間をかけてきた。次期学期は、2科目だけだから、さらに丁寧にやっていきたいと思っている。

こうしてみると不合格になることもいいことである。思い通りに単位がとれても、中身がなければ、勉強したかいがない。それなりに深く理解し血肉にしないことには、もったいない。

思えば、いくらでも課題はある。それをもとに、まとまった仕事ができればいいのだが、まだまだそのためには、準備期間が必要だし、努力課題が続く。


言語の違いが認識の違いになるかも

2017年03月12日 10時16分24秒 | 思考試行

日本語の場合、専門用語であっても、なんとなく誰でも大体のイメージがつかめて、多くの人が理解できたような気になることができる。

ところが、英語となるとその言葉を聞いただけでは、門外漢にはまったく意味不明となるという。

これは、言語の違いだという。日本語は確かに、上手く出来ていて、庶民といえども、その表記から大体の意味はとれるのである。言わば、基礎力があるということもできるのではないか。

したがって、意思疎通ということでは、微妙、繊細な部分も可能であり、言外の意味まで忖度したりすることができるが、英語圏では、そうはいかないらしい。

日本語の柔軟性は、外来語を受け入れやすいし、総合的な力ということでは、相当有力ではないかと思われる。

外国人が日本語を流暢に操るのをみていると、意外にわかりやすく使いやすい言語なのかもしれない。ことばがはっきりしているし、聞きやすいのではないだろうか。英語は、何を言っているのか、まず聞き取れない。ことばの仕組みが全然違うのである。


また入学することにした

2017年03月11日 11時32分24秒 | 思考試行

春は入学のシーズンである。今年も、入学することにした。放送大学の情報コースに一科目だけ登録した。今は、まだ心理と教育のコースに席を置いているので、ここを卒業すればのことであるが、情報コースをとりたいと思っている。

いつまでやるのかということであるが、積み重ねでやってきたことだから、たんたんと過ぎてきた感じが強い。この最後のコースはやり遂げたいと思っている。

積み上げてきたものがすべて生きているかどうかは、はなはだ疑問であるけれども、それは自分の質ということであって、仕方のないことである。忘れ消え去ることを前提にしながら食べ続けているということになるのかもしれない。

その都度、生かせてもらうエネルギーになっているのではないかとも感じる。年齢もそこそこ過ぎて、なにもしない時期がくるのかもしれないが、振り返れば、放送大学のおかげで、得たことは豊かなものがあったと思う。

若い人と机をならべて単位認定テストを受けるだけでも、おもしろい刺激を受けている。というわけで、一科目の不合格のおかげで、次をめざす気分になれたのである。


おかしいことが放置されている

2017年03月10日 09時50分10秒 | 思考試行

おかしいことは大体において、表現されたときには、解決されることが当然だったように思う。ところが、どんどんおかしなことが頻発してきて、それらは解決されないまま放置されるようになってきた。

それどころか、そのおかしいところを変えるのではなく、対応しようとする動きさえでてきた。その結果、おかしいところが、非難されず、おかしくない側が主張を変えるという現象がでてきている。おかしいことを直ちに反撃しないで、ご機嫌とりをしたり、なだめたり、すかしたりしているのである。

これは、世の中全体が幼児化しているようにみえる。駄々っ子の言い分を直ちに否定しないのである。こんなことが続くと、全体の方向がどこへ向くのかと不安になる。

共謀法案の狙うところは、なんだろう。世論抑圧の匂いフンプンである。戦前戦中の治安自治法を彷彿させる。支配者は国民を黙らせたり、従わせたり、思い通りにことを進めたい本能をもっているかのようだ。

警察が、法律の名のもと、どしどし逮捕、拘留など簡単にできるようになれば、世の中はあっという間に変わる。おかしなおかしな世界にまたなるということである。


森友事件・・・教育勅語が正しい?

2017年03月09日 18時15分31秒 | 思考試行

教育勅語は正しい、という。はたしてそうだろうか。親に孝行なんていうのは、強制されることではない。親子関係というのは、親のために子供の人生を決めるようでは親も不本意だろうし、子供だって承服できないだろう。

それぞれの人生であり、それぞれが尊重しあうということであって、頭ごなしに親に孝行せよ、なんて言うことではない。

それに天皇制をどう考えるかも問題である。時代の流れの中で、天皇制がいつまでも続けることが人類にとって必ずしもいいとは思えない。天皇になるべく生まれた人は、迷惑だと思うかもしれない。

今の人類社会は、あくまでもプロセスである。いろんな状況をみても、とてもすばらしい、改善することはどこにもないという社会になっているわけではない。殺し合いがあり、紛争があり、いかにも不十分な矛盾だらけの社会である。

どのような社会が健全で、立派な社会といえるのか、そんな社会はこれであるといえるものがはたして実現できるものだろうか。不可能としか思えないけれども、なんとかそこへ向かって、改善を続けるほかない。

真顔で、教育勅語が正しいなんて声高にいう人間こそ、大問題である。人を抑え付け、尻で田んぼへ幼児を突き落とす輩が、言っているのである。


小説「劇場」を読み始める

2017年03月08日 09時26分27秒 | 思考試行

火花で芥川賞を受賞。一躍大人気となった又吉直樹の受賞後初めての作品である。新潮の売れ行きは好調ときく。

読み始めて、彼の風貌、話しぶりが出てきて、作品の人物と重なるのだが、繊細な感情表現などみると、これは創作だなと感じる。

彼の実物は、そこまで繊細ではないのではないかと思えてしまうからだが、文字にできるということは、やはり実際に繊細でなければかけないわけで、神経をとぎすまして作品化しているのだろう。

劇作のアイデアとか、演出のこととか、現実に取り組んでいる彼の仕事とダブっているから、その仕事の秘密とか舞台裏を見せてもらっている感じもある。

大事なことを、隠すというのではなく、拡げて見せてくれている感じがある。そこまで見せなくてもいいのではないか、勿体無いではないかとすら感じる。そこに彼の人の好さを感じさせる。

構えたような、格好つけがまったくなく、好ましい。


インチキの横行

2017年03月07日 15時02分19秒 | 思考試行

正直な姿勢ではなく、言い逃れであったり、真相を明らかにしない、しようとしない姿勢は、見ればわかる。本当に真実を旨としていればそのようにみえるはずだが、そうみえないというのは、その演者がある意味正直なのだろう。ウソをいい、真実を語ろうとしてはいないその真実がみえるから、その真実の姿がでてきて疑わしくみえるのである。

まるっきりのウソつきならば、どうするのだろうか。そのコツは、本人そのものが、それを真実と思い込むことだという。思い込んだ姿勢が、ウソをつく要諦だという。

よくそんなことができるなの思いであるが、けっこうそういう人はいるらしい。とすれば、この世の中は、けっこう大変である。うかうかしていると、徹底的に騙されて、とんでもないことになる。

正義の顔をして不正義、信用できない人々、常に最悪を考えながら、ものごとに対処しなければ足をすくわれかねない。その規模が個人の枠を超えて、国レベルになるのだからエライ時代である。


居所を決めること

2017年03月06日 10時58分13秒 | 思考試行

自分の居場所をどこにするのか。今までそんなことを迷ったことはなかった。ある空間を与えられ、その一箇所に住む。当然のことと思っていたが、母が亡くなり、家が余ってきた。どちらに住むかという問題がでてきた。両方に住めるのだが、それでは不便ということもある。

今の家を勤務先として、通うことになるかなというのが、考えられるスタイルである。猫が介在して、その世話ということもあり、どの猫を連れて行くかとか、残す猫はどれになるかとか、ピタッと決まらない。

中途半端な時期である。この状態はしばらく続きそうである。後継の弟妹が、現住所に対する愛着もあり、どうやらすぐには動きそうもない。となれば、今ある家の保守は、現在住んでいる小生がその任にあたるほかない。

経費は倍ということになるし、古い家のこととて、放置しておくこともできない。手入れはしないといけないが、徐々にそうする元気も不十分である。けっこうストレスになりそうだが、見方を変えれば広い世界に生きるということでもある。

しかしウダウダ言っていてもしょうがない、ここはひと頑張りをしていくほかない。少しずつ手をいれて、格好をつけていきたい。


体温の懐かしさ

2017年03月05日 10時05分51秒 | 思考試行

こうしてパソコンにむかって、椅子に胡座に座っていると、我が家の老猫が胡座の場所を居場所と決めてやってくる。今もそうしている。もう相当の年齢であり、耳は不治の病で膿の匂いをさせている。数年前に体調を崩したときがあって、動物病院に連れて行ったところが、もういつ死んでもおかしくない状態で、呼吸が苦しくなっているとのことで、特殊な機械の購入を家内が勧められ、外で待っていた小生に相談に来た。言下に却下。そんな余裕なし。

その後、オカシナ咳をするが、別の動物病院で得た目薬を耳にさすとソコソコ効いて、今も元気でいる。こうしてほのかな匂いをさせながら、格別苦しがる様子を見せることもなく、小生をいれものにしてジットしているさまは、それなりに幸せの形である。

猫の体温が心地いいし、猫の側だってそうだろう。時折の身動ぎがお互いのつながりを意識させる。こんなふうに誰かの懐で過ごしたこともあった。貧しい若い父親の寝床に潜り込んだ記憶がある。猫可愛がりなどはされなかったし、気持ちの繋がりを感じたわけでもないが懐かしい思い出だ。


中国とアメリカ

2017年03月04日 10時43分19秒 | 思考試行

中国はしたたかで、トランプ大統領の懐柔に成功したという。親族に対して工作活動をし、一つの中国を認めさせ、経済的にもアメリカの意に沿うような政策を取るとしている。

そんなネットニュースが流れている。そしてロシアと親密になるかと思えば、どうやら手の平を返したようだという。トランプ政権がどのようになっていくか、アメリカの三権分立が機能していることで、大統領が弾劾されるような事態が生じないともかぎらないが、司法にたいする動きもあって、予断を許さない。

明らかに、素人の無茶苦茶を平気でやってきたチームだからどこかで破綻する可能性もある。だが、現実の政治である。アメリカの株価は高く、経済の動きについても先ゆきの希望が持たれたりしている風もある。

無茶苦茶がそうでもないということになって、深部のところで腐敗が始まるのだろうか。いずれにしても、エライ時代が来たものだ。北朝鮮もひどいし、それでもビルは立っている。実態はどうなっているのだろうか。日本は人口減で若者は希望なし、結婚もしないのだ。ちょっとアチコチオカシイのではないか。


目新しいものでない王道の映画

2017年03月03日 10時50分06秒 | 思考試行

映画「ララ・ランド」を観た。ミュージカルなんて久しぶりだ。予想通りの展開。びっくりするような筋書きではないが、しかしながら、技が光るストーリー展開がすばらしい。

音楽の持つ力、夢を持って生きていく若者たちの希望と挫折、努力。久しぶりにいい映画を観た。何度も見たくなる雰囲気がある。

自分自身を振り返れば、なんとか生きてさえいれば、良しとして、やっとこさっとこ生きてきたが、その道中にはこんなに夢を語り、目指してきたことはなかった。

格別の情熱もなく、生まれてきてしまった者として、なんとか、その場その場を切り抜け、見逃し、ここまで来た感があるなかで、こういう、夢を描きながらの人生の良さは、庶民には遠いことかもしれないが、俳優として成功をめざすことや、音楽にこころを持つ人々の人生にはこういうこともあるだろうと思える。

そこには、才能や情熱の存在が前提であり、そもそもそんなことを考えもしなければ起こりえない。人生をどう過ごすのか、庶民の立場から世の中が少しでよくなるように、小さいことをコツコツやるしかない。西川さんに賛成だ。


評論家の正体から

2017年03月02日 10時34分16秒 | 思考試行

いかにも第三者のような顔をしながら、時の政権の「味方」をする評論家がいる。できるところまではそうするが、もちこたえられないと見れば、手の平を返すこともある。

大勢が決まれば、そちらへ迎合していく。正義とか道理とか、そんなものを大事にしている格好をしながら、かばえるところを庇うという姿勢である。客観的な公正な目を持っているかのごとく振舞うから、結構騙されてしまうことになる。

世の中の実態は、どういう構造になっていて、どう流れていくのか、貧乏人は助けられるが、決して主人公ではない扱いを受ける。どうしようもない人としての扱いをうけることとなる。

百貨店でも特別な顧客のためには、そういうスペースを用意している。そんな場所があることを偶然知ることとなった。快適空間があるのである。

超富裕層となれば、そんなどころではないだろう。グラデーションのようにいろんな仕組みができている。従って、見ている世界はそれぞれ大違いであって、自分のみている世界だけが世界のすべてだと考えると大違いだということである。

評論家の連中はすべてを知っているかのごとくのコメントをする。裏面を多く知っているのだろう。どこまで出すかを考えながら発言をコントロールしているようだ。

 


先ゆきのこと

2017年03月01日 16時25分45秒 | 思考試行

アメリカはどうなっていくか、あの調子でどこまでいくつもりか。周辺国との摩擦、弱者への対策を切り捨て、軍事費は増額、一挙に矛盾が噴出するかもしれない。

北朝鮮に対しても、どんな風に対処するか、中国に対しても然り、結構荒っぽいやり方でくるかもしれない。その結果どうなるか。

日本は憲法を変えて一人前となり、警察力をあげて国民を締め上げてくるかもしれない。犯罪の共謀があったとして、捜査、逮捕が頻繁になるかもしれない。物言えぬ社会の到来も考えられる。

日本は人口減の動きが止まらない。若者たちへの処遇は劣悪で、結婚する元気なくこのままでは、どうなっていくのだろうか。為政者はどう考えているのだろうか。儲け儲けで、自分さえ儲けたらそれでいいという社会風潮の蔓延。

さまざま理由をつけて、気付けば損保代理店手数料は五分の一となった。とてもやってはいけない水準まで落とし込んだ。通常の感覚とは思えない経営手法。嫌ならいつでもやめてくれて結構という。

顧客獲得に費やしたエネルギー、人脈、すべて根こそぎ奪って平然としている損保会社。世の中腐ってきている。