ただ考えているだけでは、他者には伝わらないから、(あるいは気配でわかるかもしれないが普通はわからないだろう)表現しなければならない。
伝える必要を感じなければ、伝えることもいらないわけだが、伝えることで自分ひとりのなかであれこれ考えるよりは、はるかに豊かな世界があらわれる。
人生のよろこび、醍醐味が生まれる可能性が高い、というより、そのなかでのみ、相互作用のなかでのみ、生まれるものではないだろうか。
他者のいない演劇なんてものは、意味があるとは思えないし、そこには喜びなんてないだろう。小説や音楽や、絵画にしろみんな鑑賞する人がいて、成立する。その反応こそが、創作者の生きがいであり、喜びだろう。
昨日、逮夜の四七日目、坊さんの来るのを待っていて、母の残した本をみていたら、田辺聖子さんの「花はらはら人ちりぢり」が目に留まった。
その冒頭、樋口一葉の「十三夜」が題材になっていて、その世界にいきなり魅せられた。人と人の関係、悲哀、若くして亡くなった作者であるが、このような人生の機微にふれる作品を残したことで、彼女は永遠に生きる。
つらい、悲しいことも多い人生だが、こんな作品にふれることで、それだけで、田辺聖子さんの言うように、「一縷の活力」を与えてくれるのである。