人と人は、対話のなかで関係を探る。お互いどう思っているのか、意思を確かめ、考えを交換する。これができるのが、人間である。明確にその細部にわたって表現でき、すべてが理解できたような気さえする。
だが、実際は、それは極めて困難である。対話とは相手があることだが、自分自身というのが、これがまた厄介な相手でもある。しばしば、自分自身を持て余し、あるいは、意味不明の憂鬱感に襲われたりすることもある。
自分自身のなかに、無意識の広大な世界があって、それらと、意識的な自分との乖離、あるいは軋轢が生じたりすることなどが、トラブルの元らしいが、なんと不思議なことである。
自分自身でさえそうなのだから、相手となると、もはやわかりあえるなんて考える方が無理なことかもしれない。とはいえ、我々は、助け合わなければ生きてはいけない。そのルールのもと、おたがいの生存が可能となっている。
それにしても、キムジョンウン氏はどんな気分で生きているのだろうか。かわいそうなもんである。