正直な姿勢ではなく、言い逃れであったり、真相を明らかにしない、しようとしない姿勢は、見ればわかる。本当に真実を旨としていればそのようにみえるはずだが、そうみえないというのは、その演者がある意味正直なのだろう。ウソをいい、真実を語ろうとしてはいないその真実がみえるから、その真実の姿がでてきて疑わしくみえるのである。
まるっきりのウソつきならば、どうするのだろうか。そのコツは、本人そのものが、それを真実と思い込むことだという。思い込んだ姿勢が、ウソをつく要諦だという。
よくそんなことができるなの思いであるが、けっこうそういう人はいるらしい。とすれば、この世の中は、けっこう大変である。うかうかしていると、徹底的に騙されて、とんでもないことになる。
正義の顔をして不正義、信用できない人々、常に最悪を考えながら、ものごとに対処しなければ足をすくわれかねない。その規模が個人の枠を超えて、国レベルになるのだからエライ時代である。
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