なにもしない、ということも選択にいれながら、主体的にやるべきことをやっていく。基本は動くことである。それが、生物としての人間の自然のふるまいだろう。
そこで、どう動くかである。ときを重ね、それなりに、何らかのやるべきことというのが出てくる。まったく何もないということには、なかなか、ならない。思うにまかせないこともあるが、元気であれば、選択して動くこととなる。
そして、動くならば、自分の価値観に基づいて、しっかりと動いていきたいものである。どう動くか。それは、利他的な構えが基本となる。それが、結局は、自分のためでもある。
利他的な発想がまったくなくても、結果的には、利他的にならざるを得ない仕組みになっているようにもみえるが、やはり動機の面で、180度違うとプロセスもかわる。
利他的な発想がないと、いろいろ発生する誤りの根源となる現象がでてくる。資本主義社会のなかにおいては、表面上競争原理ばかりが目に付き、勝者のみが人生における成功者とするような価値観が普通になっている。
ここから脱していかないと人類の共生は困難となる。