今までは、大事と思われていたことが、そうではなくなり、なんの価値もないと考えられていたものが、評価される。あるいは、全然違う立場から、あらたな考えが提起されて、新たに大事とされる価値観が生まれることもあるかもしれない。
時代の流れのなかで、流行があり、廃れるものもある。業界も一流とされていたものが、時代遅れとなり、意味をなさないものとなる場合もある。
いつまでも、廃れることのないものはない。変化していくのが自然の摂理というものであり、それは、抗すべき対象ではない。結局は、流れの大勢というのはあって、これに、逆らっても徒労である。
であれば、時代の流れのなかで、時流のおもねることでいいのか。橋下維新代表の勢いが、ますます高まっている。官僚支配のくびきを脱して、新しい政策をたちあげることができるのかどうか。
賭場をつくり、大金持ちからの収奪を考え、それを弱者に分配、なんて図式ではなさそうだが、彼にとって、いま、何とか生活できている者は、既得権益にのさばるものと見えている。
それを壊して、新しいものが生まれるのだろうか。バスの運転手の給料が高いと世論が、騒ぎ始めた。そこには本当の改善のタネがあるのかどうか。的外れではないのか。