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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

あかん!!アメリカのいうとおりにしていたらエライことになる。

2008年11月03日 07時39分57秒 | 思考試行
昨日のNHKで、日本の外務省とアメリカのアジア外交、日本外交の専門家とのやりとりの様子を、伝える番組があった。詳しい内容で、外交の実態を見た気分であった。アメリカに対して、平和憲法を主張しない日本外交の狼狽ぶりが見られていささか愕然とした。

印象としては、アメリカ側は、異口同音に、テロとの戦いに日本が参加しなければ、日本パッシングだ、日本ナッシングだと、ヌカシテおった。中国との比較のこともあった。これは、脅迫である。憲法を変えないとやっていけない、という説明のようにしか聞こえない。

日本は、戦争に負けて、平和憲法を押し付けられて、そして、今また彼らの都合でそれを投げ捨てろと言ってきている。おしつけられたものは、しかし、宝物である。人類のためにも必須のものである。ここには、正義がある。

日本の外交官は、平和憲法下で、できるところを懸命に説明するも、どうやら、このアメリカの攻勢には、憲法をかえて、かれらの要求に応えられたらと、思っている風であった。正々堂々と、憲法9条を主張しないことが、異様である。それに触れることが、タブーであるかのようである。そういう主張をすると、たちまちのうちに、車は買わない、などと言い出すのが眼に見えているからだろう。事実アメリカは、何でも言う。我々は、どうすれば良いのか。戦争をするぐらいであれば、芋でも食らっている方がいいとも思える。こんな連中とつきあいたくもない。

アフガニスタンやパキスタン、武力紛争がおきたそもそもの原因はなんだろうか。アメリカの独善的な、一人行動の結果ではないか。軍需産業の、軍需資本のプレッシャーでアメリカの政界は、動いているようにみえる。

日本の立場は、どこか間違っているのだろうか。平和を目指し、武力紛争には、かかわらないようにすることは、そもそも、人類の益にかない、アメリカの軍需資本の手先になることを、拒否することはまさに、正義の戦いである。

世界平和のためにすることは、戦争だけでは当然ない。日本が、日本だけのことを考えているわけにはいかないけれども、それは、出かけていって、ドンパチやらなければならない、なんてどう考えても、正義なんて言えない。

イラクのことをみても、アメリカはムチャクチャである。理屈をこねて、イラクをムチャクチャにした。民主主義革命を起こしているつもりで、その陰で、軍需資本が、次のタネをさがしている。

日本がむかし、社会党がイッケン左翼的にふるまって、天下をとりそうな雰囲気になったことがあった。そのときアメリカは、武力で介入を考えていたという記事をみたことがある。彼らは、自分にとって、危ないと判断したら、他国の法律などの事情などどうでもよく、ゴリ押しをしてくる。自分の主張のためには、何でもしかねない。

アメリカとの付き合いは、ヤクザか、戦争屋か、ガチガチのエゴイストか、ぐらいにみておく必要がある。

心を許していては、とんでもない方向へ、連れ去られてしまう。油断できない相手である。

侵略するといって、侵略などしない。言い訳をみつくろいながら、戦争をしかけるのが、常套手段である。要は、戦争しない構えをしっかりもって、しかし、やるときはやる、という姿勢だけでいい。

昔は、強い方が正しかった。それは、今もそうかもしれない。なにが正義で、なにが悪か、そんなものは定義できない。そのときの力関係できまる。

したたかに、平和をめざして、戦争屋の策動をぶちやぶらなければならない。そのための「武器」はなんであろうか。国民の高い民度であろう。戦争を許さない、したたかで、多様な戦略を駆使して、世界を平和に導くのだ。アメリカは、哲学的にも破綻している。

世界に満ちている邪悪な、思想を、根底から、平和と共生の当たり前の道に誘導するべく、日本は奮闘するべきである。