寿命は、誰にでもあるので、若い頃は、自分の結末については、それほど興味もないし、現実感がなかったのだが、さすがに、今の年齢になると、周囲に亡くなる人もでてきて、自分の順番についても考えざるをえなくなる。
そうなると、溜め込んできた品物や、本などを、どうしようかと思う。当人以外のものにとっては、まさにゴミでしかないかもしれないし、いずれは、廃棄されることになるのだろう。
そうなると、何もないのが、理想みたいなことになるのだが、それでは、引き継ぐということがなくなる。誰に何を引き継ぐのかということになるが、関心の持ち方は、世代によって、全然違うから、素直に、意味ある継承なんて至難のことだろうし、期待できるものでもない。それでも、なにがしの「モノ」はあるような気もする。
しかし、よくよく考えて、どうしても、引き継いでもらいたいというような、格別のノウハウや、秘密にするようなことはない、言わざるをえないのではないか。
となれば、なんとも寂しいことでもある。こうして、ブログを書いているのも、自己満足みたいなことであって、読んでくださった人にとって、そうそう役立つとも思えないけれども、それでも、そうありたいとは思っている。
そして、思いとしては、何らかの意味のあることではないかと、少しは考えているところがあって、それが、続けているモチベーションとなっている。
今朝の朝日朝刊には、遺言のことがでていた。人が亡くなると、整理が必要となる。あとのものが、困らないようにしておくことが、現実の世代になって、こういう記事が身近になってきた。