利害関係というのは、ぶつかってしまえば、どちらかが損をし、どちらかが得をする。双方がよくなる関係というのは作りにくいものなのだろうか。
日本の森林資源が生かせないのは、外国からの木材輸入のためであって、日本の環境でかは太刀打ちできなかったので、現在のようなことになっている。生かしきれない日本の森林資源が、荒れ放題になって、放置されているのである。
手をいれれば、採算があえば、充分に活かせるはずのものが生かせない。うまく、回転させて、生かしていく方法はないのだろうか。
自分の都合で、他者に自国の製品を売りつけるために、ルールの押し付けをする。西欧の姿勢は明確である。助けあうというより、争うのである。負けるとみれば、勝てるようにルールを変えてくる。
勝つための努力をする。彼らの価値観が、何をもたらすか、彼ら自身もよくは知らない。単純な価値観がもたらす残酷さ。彼らを、どのようにすれば、自分勝手な状態から解放できるだろうか。いま、日本のアニメが、人気があるという。そこには、彼らが感じたことのない世界があることに気づき始めたということかもしれない。
富の偏在が、悲劇の根源であることは確かであるが、その接点にいなければ、気づかなかったりする。金持ちの横暴ぶりを、間近に見ることがなければ、貧者の怒りも起こらない。
しかし、事実が、現実が、それを知らしめる。あるべき姿を求める姿勢が、必ず出てくる。勝つことだけを求める世界から、共生する世界への価値観の転換ができたとき、悲劇は激減することだろう。