(原題:Precious Life)
----この映画、余命を宣告されたアラブ人の赤ちゃんが
封鎖されたパレスチナ・ガザ地区からイスラエルの病院に運び込まれ、
そこで手術を受けるというお話だよね。
ドキュメンタリーと言うけど、
これって、イスラエルとアメリカの合作。
ニャんだかプロパガンダのような気もするニャあ。
「うん。そう見えないこともないよね。
実際、このことについては
赤ちゃんのお母さんラーイダも懐疑的。
監督で撮影とナレーションも手がけている
イスラエルのTVジャーナリスト、シュロミー・エルダールは
手術に必要な55,000ドルの寄付をテレビで呼び掛けるんだけど、
『誰も寄付なんかしてくれない』と、
冷やかというかあきらめているというか…」
----でも、出資者は現れたんだよね。
「うん。それも
息子を戦争で亡くしているという人が匿名でね」
----へぇ~っ。それってスゴい。
敵味方という考え方を超越しているってことだよね。
「そうだね。
さて、話を先に進めると、
この赤ちゃん、ムハンマドは骨髄移植を必要としているんだけど、
適合する人がいない。
そこで、従兄たちの中から探すことになる。
しかし従兄はガザに25人もいて、
彼らを全員連れてくることは無理。
エルダールはそれまでの取材で得た人脈を使って採決したサンプルを持ち込み
その中から、従姉のひとりが適合することが判明する。
ところが、ガザで再び大規模な爆破事件が勃発し、
移植手術のために検問所まで来ていた従姉は、
直前でイスラエルに入れなくなってしまう」
----うわあっ。まるでドラマみたい。
「そうなんだ。
ここではムハンマドの命を救うという、
ある意味、世界中のどこでも進行している感動のドラマが進行しているのに対し、
社会の情勢、仕組みが、それを阻害していく。
非難のそしりを承知であえて言えば
ドラマチックでスリリング。
(いまプレス見たら、この言葉使われているからいいのかな…)
しかも映画は、現実に起こっている爆破テロや爆撃を写しだす」
----ニャるほど。
これは通常のドラマより遥かに感動的なものになりそう。
「う~ん。
ところが、この映画はそんな“感動”の言葉でくくられるような
一筋縄でいく代物じゃない。
最初こそ、純粋に大きな目を見開いているムハンマドの姿に、
それだけで涙を禁じえなかったんだけど、
途中で、母親のラーイダがとんでもないことを言い始めたあたりから、
様相がおかしくなっていく。
それは、エルサレムをめぐる会話。
監督エルダールとの間で、
お互いに『エルサレムは自分たちのもの』との自論を交わしているうちに
なんとラーイダは
『私たちは死を恐れない。エルサレムのためなら命を捧げられる。
ムハンマドが殉教者になってもいい』と、
死を肯定するようなことを言い始めるんだ」
----それはニャいよね。
周りの善意で命を救ってもらっているのに…。
「そう。
これには当事者のエルダールも収まらない。
今までやってきたことはなんなんだ…とね。
このやりとりを観て、だれしもが思うこと。
それは、世界共通のものとぼくらが思いこんでいる
“平和への祈念”は
実はそうではないのではないかということ。
そして、この映画は、民族や宗教の壁を超えて“命を救う”という行為に
暖かい感動の涙を期待している人たちに、
世の中はそんなにシンプルなものではないということを
改めて教えようとしているのではないかということ。
なんて、少し苦い気持ちで観ていたら、
さらに思わぬ方向へと事態が発展していく。
まあ、これ以上は言わぬが花と思うけど、
ラーイダの真意と葛藤が明らかになり、
そしてまた、ある予想外の出来事が起こる…。
う~ん。これもやはり苦いなあ。
とにかく、みんなが予想しているのとはかなり違う映画。
これは観る価値、十二分にありだね」」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「でも赤ちゃんはかわいいのニャ」
※ガザから来た従姉が芝生を知らなかったのは衝撃だった度
こちらのお花屋さんもよろしく。
こちらは噂のtwitter。
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(他のタイトルはこちらをクリック→)
※画像はフランス版ポスター。
----この映画、余命を宣告されたアラブ人の赤ちゃんが
封鎖されたパレスチナ・ガザ地区からイスラエルの病院に運び込まれ、
そこで手術を受けるというお話だよね。
ドキュメンタリーと言うけど、
これって、イスラエルとアメリカの合作。
ニャんだかプロパガンダのような気もするニャあ。
「うん。そう見えないこともないよね。
実際、このことについては
赤ちゃんのお母さんラーイダも懐疑的。
監督で撮影とナレーションも手がけている
イスラエルのTVジャーナリスト、シュロミー・エルダールは
手術に必要な55,000ドルの寄付をテレビで呼び掛けるんだけど、
『誰も寄付なんかしてくれない』と、
冷やかというかあきらめているというか…」
----でも、出資者は現れたんだよね。
「うん。それも
息子を戦争で亡くしているという人が匿名でね」
----へぇ~っ。それってスゴい。
敵味方という考え方を超越しているってことだよね。
「そうだね。
さて、話を先に進めると、
この赤ちゃん、ムハンマドは骨髄移植を必要としているんだけど、
適合する人がいない。
そこで、従兄たちの中から探すことになる。
しかし従兄はガザに25人もいて、
彼らを全員連れてくることは無理。
エルダールはそれまでの取材で得た人脈を使って採決したサンプルを持ち込み
その中から、従姉のひとりが適合することが判明する。
ところが、ガザで再び大規模な爆破事件が勃発し、
移植手術のために検問所まで来ていた従姉は、
直前でイスラエルに入れなくなってしまう」
----うわあっ。まるでドラマみたい。
「そうなんだ。
ここではムハンマドの命を救うという、
ある意味、世界中のどこでも進行している感動のドラマが進行しているのに対し、
社会の情勢、仕組みが、それを阻害していく。
非難のそしりを承知であえて言えば
ドラマチックでスリリング。
(いまプレス見たら、この言葉使われているからいいのかな…)
しかも映画は、現実に起こっている爆破テロや爆撃を写しだす」
----ニャるほど。
これは通常のドラマより遥かに感動的なものになりそう。
「う~ん。
ところが、この映画はそんな“感動”の言葉でくくられるような
一筋縄でいく代物じゃない。
最初こそ、純粋に大きな目を見開いているムハンマドの姿に、
それだけで涙を禁じえなかったんだけど、
途中で、母親のラーイダがとんでもないことを言い始めたあたりから、
様相がおかしくなっていく。
それは、エルサレムをめぐる会話。
監督エルダールとの間で、
お互いに『エルサレムは自分たちのもの』との自論を交わしているうちに
なんとラーイダは
『私たちは死を恐れない。エルサレムのためなら命を捧げられる。
ムハンマドが殉教者になってもいい』と、
死を肯定するようなことを言い始めるんだ」
----それはニャいよね。
周りの善意で命を救ってもらっているのに…。
「そう。
これには当事者のエルダールも収まらない。
今までやってきたことはなんなんだ…とね。
このやりとりを観て、だれしもが思うこと。
それは、世界共通のものとぼくらが思いこんでいる
“平和への祈念”は
実はそうではないのではないかということ。
そして、この映画は、民族や宗教の壁を超えて“命を救う”という行為に
暖かい感動の涙を期待している人たちに、
世の中はそんなにシンプルなものではないということを
改めて教えようとしているのではないかということ。
なんて、少し苦い気持ちで観ていたら、
さらに思わぬ方向へと事態が発展していく。
まあ、これ以上は言わぬが花と思うけど、
ラーイダの真意と葛藤が明らかになり、
そしてまた、ある予想外の出来事が起こる…。
う~ん。これもやはり苦いなあ。
とにかく、みんなが予想しているのとはかなり違う映画。
これは観る価値、十二分にありだね」」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「でも赤ちゃんはかわいいのニャ」
※ガザから来た従姉が芝生を知らなかったのは衝撃だった度
こちらのお花屋さんもよろしく。
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※画像はフランス版ポスター。