高校の同級生も何人か通っていた
「奈良女子大学」を横目に、
今回歩く予定の佐保路が近づいてきました。
これが佐保川にかかる佐保橋です。
名前に似合わず「さほど」立派な橋でもありませんが、
歴史の舞台にもなった橋です。
佐保路は東大寺の「転害門」から始まるのですが、
今回は以前歩いてこの佐保路を知るきっかけになった
大仏鉄道の遺構からつなげていくことにしました。
佐保橋を渡り、左におれて住宅街を進んでいきますと、
そこにあったのが
「大佛鐡道記念公園」。
かつての大仏鉄道の終点跡に作られた公園です。
今年の四月に来たときは
遅咲きの桜が咲いていましたが、
今は濃い緑の中にひっそりとたたずんでおりました。
この大仏鉄道をお菓子の形で後世に伝えて行こうと、
今も手作りでせんべいを手焼きで
焼いておられるお菓子屋さんが近くにあります。
それが畠山製菓さんです。
親子3代80年にわたって、
店頭でせいべいを焼きつづけられています。
この日もまだまだ暑さの残る日でしたが、
店頭に座って焼いておられました。
「暑いでしょうねえ」と聞くと
「暑いですけど、ここんとこ大分ましになりました。
もうちょっとの辛抱ですわ」と言っておられました。
でも火の前に座っているのに、
暑いと言いながらも汗ひとつかいていないのは
さすがですねえ。
食べ物を扱っているというプロ意識が
なせる業なんでしょう。
フリーライターの名刺を出すと、
こころよく取材に応じていただきました。
カメラを構えると
自然にポーズをとってくれました。
取材慣れされているようですね。
夜の飲み会用に、
大仏鉄道のせんべいを購入して
次に向かったのが「興福院」です。
興福寺と同じ字を書くので、
「こうふくいん」かと思いきや
「こんぷいん」
と読みます。
平安時代後期にはすでにあった寺で、
戦国時代にいったん廃寺になったあと、
尼寺として再興し
1665年に徳川家綱から寺領を寄進され、
唐招提寺の北からここへ移ってきたそうです。
内部を見るには電話予約が必要だそうです。
doironも山門から中を伺っただけでしたが、
とても静かなたたずまいのお寺でした。
さてようやくこの興福院から
歴史の道「佐保路」に合流です。
道標に従い、
山麓に沿った狭い道を西へ進んでいくと
長慶寺に到着です。
このお寺は、とっておきの変わり種です。
吉村長慶という人が、
大正12年に私費で建てた融通念仏宗のお寺なんですが、
「王侯貴族が所望しても拝観許さず」として
中を見た人は皆無に近いそうです。
石段の脇に数多く置かれた石のみが、
このお寺の素性を示しています。
例えばこれ。
「不許死人入門内」と刻まれています。
死者は入れないということで、
葬儀も一切執り行いません。
門越しに中を伺うと、
どうやら寺院の建物はあるようです。
それはグーグルマップでも確認できました。
お寺の北側には小さく開けた場所もあるようです。
でもそれ以上のことはさっぱりわかりません。
しかし、こうしてグーグルマップで
確認するというのも
なかなか有効な手ですね。
これからは重宝させていただきましょう。
とにかく変わったお寺でした。
これ以上詮索するのはやめて
あきらめて先に進みましょう。
車一台がやっと通れる道を進んでいくと、
県立奈良高校のグラウンドに突き当たります。
右に行くと常陸神社と有りますが、
ここは道標に従って左に行くことにします。
学校に周りにあるこんな
「しあわせ地蔵」や
野ざらしの大日如来像を眺めながら
小さな石橋を渡ったりして歩いていくと、
今度は「瑞景禅寺」というお寺があります。
それにしてもここ奈良といい、
京都といい
こんなに密度高くお寺があるのですが、
檀家の数にも限りがあるやろうし、
施設の維持管理などどうしているのでしょう。
別に勤めに行ったり
事業をやってる
かけもち住職なんかが多いのかなあ
などと余計な心配をしながら、
つらつらと続く。