ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 稲葉根に行かねば8

2015年09月19日 21時13分09秒 | ウォーキング

大賀蓮の畑の横にある森が、
「田中神社」です。



田んぼに囲まれた森が神社になっている様を
あの遠野物語の著者である柳田國男氏が
「日本の原風景」と評したそうです。

doironが生息する村も、
かつては十数件しか家がなく、
田んぼの中にポツンと今の氏神様の森があったはずです。

doironが子どもの頃でさえ、
神社の木に登ると、
遠くを走るJR(当時は国鉄)の駅で
乗り降りする人が見えていたほどです。
そんな神社の光景を体験していますから
なるほど、境内に入って行くと



なんか懐かしさを憶えました。



この神社の森には、立派な藤の花が咲くそうです。

熊楠が命名した「岡藤」という名のフジです。

森の中でも太い蔦が身をよじるように繁っていますし、



鳥居の横でも立派な蔦が渦巻いておりました。



この藤が咲く季節に来れなかったのが残念です。

神社を出て歩いていくと、岡川に出ました。



資料ではここから堤防を歩くことになっていますが、
草だらけです。
あたりを眺めてみると堤防に並行して、
田んぼの中に1本道が通っていましたので
そちらを歩くことにしました。

のどかな田んぼ風景の向こうに
ちょこんと白い鳥が頭を出しています。



気の早い田んぼは、稲刈りの真っ最中。



ああ、これも日本の原風景ですねえ。

前から中学生がたくさん自転車でやってきました。
秋津の辺りを歩いている時に、
自転車に乗っている少年が

「こんにちは」

と元気にあいさつしてくれたのを思い出しました。

ここでも挨拶があるかと身構えたのですが、
一行は賑やかに脇を通り過ぎて行きました。

やがて欄干にヒョウタンの飾りのついた
「深見橋」に出ました。







そうです。
上富田町はヒョウタンの産地でもあるのです。

レンコンじゃないのです。

その橋詰に「ごさば地蔵」という地蔵がおられ、
そこにモニュメント共に、



いろんなヒョウタンが展示されてありました。



ヒョウタンは昔の水筒として
熊野路のお土産だったのかもしれません。

その広場にベンチがあり
休憩できるようになっていたので
そこで遅い昼食を摂りました。



昼前に、会津川公園で1個食べた
おにぎりの残りと、
昨夜焼いておいた、
あげさんのような蒲鉾のような
この食品がおかずです。



ほんとはねえここで、
携帯コンロの燃焼実地試験をしたかったのです。
でも、あまりに暑くて汗だくで
湯を沸かす気にはなれませんでしたな。

残念ながら実地試験は延期です。

それにしても「ごさば地蔵」とは変わった名前の地蔵ですね。
もしかしてこのあたりで小さな魚(雑魚)を扱う商いが
盛んだったのかと思ったら、
「ざこば」ではなく「ごさば地蔵」でした。

では「ごさば」とは一体何のことでしょう。
ネットを探ってみたけどわからないまま、
ここをあとにしようと思ってふと見たら、
この地蔵の横の木に「ごさば」と書いて
つるしてありました。



みたところビシャコのようですが
この地方の方言なのかもしれません。

そうか、この木のそばにあるから
「ごさば地蔵」なんですね。

謎が解けたようなので、
今度は本当に出発です。

さあ、あとひと踏ん張りです。

そこをあとにして、
梅工場の看板を目印に山に入って行くと、



峠の地蔵があります。



このあたりは「六地蔵」になっているのが多いようです。



山を下りて街の中に入って行くと、
「熊野古道」の標識がいくつかありました。



上富田町バージョンでしょうか。
そして書いてあるように、
ミラー面にも注意してください。



けっして注意人物という意味ではありませんが。

あ、「エビスグサ」です。



帰化植物ですが、本州では暖かい地方に
帰化しています。
ちょっとレアな植物で、
こんな植物との出会いも
ほっつき旅の醍醐味ですね。

いいなあ、doironもこの地に帰化しようかなあ、
なんてね。

えへへと続く。