乗りたい、または
見てみたいと思っていたのは、
昭和17年から動いている電車です。
という事は、その電車は
被爆しているわけですね。
爆心地から700m
はなれたところで被爆して、
でも二日後にはもう
走っていたそうです。
そんな電車が整備されて、
今もまだ2台が運航しているそうです。
駅のバス停で待っていると、
電車が入ってきましたよ。
それは三両編成の新型の電車でした。
道路の形に合わせた線路敷きを
移動するので、短い電車を
つなげて三両編成にしています。
乗り込むとどう
説明したらいいのかなあ、
なんか特殊な形に席が
設けられています。
応接セットがあったり、
横並びがあったりと
一瞬席に座るのに手間取りましたが、
何とか着席。
市内の景色をじっくり眺めながら、
原爆ドームへと向かいます。
10個程度駅を過ぎると
「原爆ドーム前」です。
降りて道路の真ん中の駅から
歩道に出たところが原爆ドームです。
僕がここに来るのは
3回目くらいかなあ。
昔からこのドームのところに
来ると体が震えます。
ガラガラと落ちた建物の壁なんかも
一階のところに落ちてて
すごい迫力です。
たった1発の原子爆弾から
すごい力が働くんやねえ。
建物は今は少し保安工事中なんですが、
足場なんかに囲まれていても
建物が放つオーラは
すごいものがあります。
そしてその前をながれる
元安川の流れは静かだけれど、
あの日のことをしっかり
覚えつつ流れているようだ。
橋げたなんかの石碑が
横にのこっていました。
この川にどれだけの命が
流れていったかと
そう考えると景色は
いっぺんに色を失うようです。
そんな原爆ドームを過ぎて
進んでいきますと、
元安橋がかかっており、
それを渡ると平和記念公園です。
観光客で一番目立つのは
高校生たちかなあ。
何人かでグループになって
移動しているかと思えば、
数えきれないくらいの
制服の集団になって移動しています。
ここにきてどう思う?
って一度取材してみたいような
気になりますねえ。
そして意外に多いのは外国人です。
今の時期は日本に来ても
空港留め置きなんかがあるから、
やって来た人じゃなくて、
国内に以前から住む外国人かなあ。
白人が圧倒的に多かったです。
ああこれもまた取材したいです。
そしてその次に目立つのが、
自分も含めた高齢者のグループです。
中には被爆時代を生きてきた人
なんかもいるんでしょうねえ。
でもそんな人らもいずれ
高齢でいなくなります。
まさに生きた人の声で
原爆のことは語られなくなります。
そんな歴史をこれから
迎えていくわけですね。
そのためにも当時のことを示す、
資料館とかは残して
いかなくてはなりませんね。
平和記念公園の平和の池や
祈りの像を眺めた後は、
そういう施設に入っていきました。
まずは
「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」
に入ってゆきましょう。
ここには原爆によって亡くなった
人の名前や写真が登録されています。
中に入るとそんな写真が
次々と表示されてゆきます。
原爆死没者名簿は、
令和2年(2020年)8月6日奉納時で、
32万4,129人のお名前が
119冊に記帳されており、
平和記念公園内の
広島平和都市記念碑
(原爆死没者慰霊碑)の石室に
奉納されています。
そしてここの平和記念館には
1万人以上の登録があるそうです。
地震や津波など多くの人が
なくなっていますが、
原爆の死亡者は桁が違うほどに
すごい数なんですねえ。
まずはそんなすごい状況を
確認したうえで、
次にもう少し公園の奥にある
「広島平和記念資料館」へと
向かっていきましょう。
ここも入るのには予約制なんですが、
予約の無い人でも登録すれば
入館できます。
きっと入館者は今は
少ないんでしょうねえ。
続く
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