ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

東海道、亀山宿から井田川へ3

2020年01月26日 20時56分15秒 | ウォーキング

遍照寺から上がってきて、
次はここから少し市役所方面に
あがっていきましょう。

前回は城に行ってから
そのまま西向て歩いていったので
この辺りは行っておかないと、
少し空白になってしまいます。

亀山市のシルバー人材センターも過ぎると、



今度は家老であった名川大右エ門氏の
屋敷跡を通ります。



ここはもう建物もなかったですねえ。
跡地の紹介でした。

そして亀山城東三丸跡を過ぎたら
遠くに市役所が見えてきます。



亀山市は人口が55000人ほどですが、
この人口で議席数がなんと18あります。
doironが住んでいるところは
人口が74000人で議席数は
16ですから、手厚い議会ですねえ。

まあ地域の動きにはとっても
敏感な市なんでしょうねえ。

その市役所の手前には、
亀山城の太鼓櫓跡があります。



高い所の櫓のてっぺんに
太鼓を置き、時を告げていたんですねえ。



これで亀山の中心地は
だいたい押さえましたね。

ではまた東海道の方に
戻っていきましょう。



もとの道の交差点に戻りますと、
こんな標識が上がっています。



それに沿って進んでいくと、
このあたりには食堂とかもありますねえ。
そろそろお昼です。
どこかお店に入りましょうかねえ。
でもこんな亀山味噌焼うどんの
キャラクターかめみちゃんの
キャラクターのお店なんかはねえ、
前回食べたしなあ。



何か他の物はないかなあ
と思っているうちに
食堂街も通り過ぎてゆきました。
またしばらくしたら
店をさがして入りましょう。
何か井田川に関する
食べ物もあるかもしれんしなあ、
なんてちょこっと思ったりしてね。

商店街の北の方に来たら
道がクニっと曲がっています。
ここが江戸口門跡です。



前回西の方で京口門跡を
通りましたねえ。
あれが城下町の西の端で
こちらが東の端ということになります。



ここが江戸口門というような
遺跡とか痕跡はないのですが、
地形とここがクニっと曲がって
いるところからそう判断されています。

ということは、
これで城下町は横断
ということになりますね。
そしたらもうにぎやかなところは
ないのかなあと思ったら
そうでもなかったですね。

江戸口門を出てもまだまだ
商店も並んでいたようです。
亀山宿そのものは
まだ続いているわけです。

あちこちにまだ屋号札が
かかっていますしね。

で、ここで屋号札と同じ名前の
建物を見つけました。

ここは「こうじや」と
札が付いていますが、



その商店の名前も
「糀屋(こうじや)」でしたし、



「とちぎや」という札のついている
ところも会社の名前が
「栃木屋」でした。



こんな屋号札と同じ名前の
会社やお店があったりするのが
面白いですねえ。
ずっと名前を受け継いで
きてるんでしょうねえ。
なんとなく長い期間の人々の
暮らしを連想してしまいます。

このあたりは古い住宅街
という感じですねえ。
道端で女性が井戸端会議をしていたり、
車を押して高齢者が
歩いていたりしました。

お寺なんかもあまりありませんね。

しばらく行くと右側が
花の咲く広場になっています。



名前は本町広場とつけられており、
その奥に看板が立っています。

この交差点は東海道と
巡見道が交差しているんだ
と書かれてありました。

巡見(じゅんけん)とは、
江戸幕府が諸国の大名・旗本の監視と
情勢調査のために
派遣した上使のことをいい、
この道を通って諸国を
巡視して回ったとのことです。

彼らは政治の実態を
「美政・中美政・中悪政・悪政」などと
格付けした他、
キリスト教禁止令などの
幕府法令の実施状況、
領内の物価や相場、
船舶や海防についてなどを
調査したそうです。

地方にしてみれば
うっとおしい存在だった
のかもしれません。

続く

 



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