ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

東海道、亀山宿から井田川へ2

2020年01月25日 21時12分38秒 | ウォーキング

思わぬ偶然できれいな
お姉さんに傘をいただいた
doironは飯沼慾斎の生家跡くらいから
傘をさして歩き始めます。



時折強く降ったかと思えば、
止んでくるというような
感じの雨でした。

そのあたりから東海道を
少し外れて北の方に入っていきますと、
真っ赤な椿が花を散らしていましたね。



その先にあるのが終南山善導寺です。



門のところにある石の灯篭が、
伊勢亀山藩の第二代藩主である
板倉勝澄から寄贈されたものだそうです。



寺の中には石造物や、
昔の武将の墓があったりしますが、



まあもういいでしょう。
天気も悪いし、今日は東海道歩きが
メインですので、
ここはスルーしていきます。

そして今日のコースはその先のあたりで、
右回りでくるりんと
回っていくことになります。
これ以上行くと、前回亀山城から
出てきた道とつながりますから、
大きくUターンですね。
向こうの方に見えているのは
鈴鹿の方なんでしょうねえ。



ちょっと地の利がないから
山方面があまりよくわかりません。

そんな景色を見ながら
歩く向きを東向きにかえて行きます。
雨の中ですから道も
あまりよくありませんね。



あ~あと思って歩いていると、
左側に大きく開けたところが
出てきましたねえ。



ここが西の丸外堀の
築城掘建設現場跡なんだそうです。



発掘してみるとここの堀は
通常の堀の建設時によく使われる
石垣を使ったのではなく、
丸太なんかを打ち込みながら
土を積み上げて作っていったそうです。



もともとこの堀は東海道に
面しているわけですねえ。
大勢の人間の目にさらされている
わけですから、城の防御上は
とても大切な堀ということに
なるそうなんです。

調べたところ、堀の深さは
180cmで、水の深さは60cm
程度だったそうで、
こんなんじゃ防御上はあまり
よくなさそうですが、
実はその後ろに設けた土居や
急な斜面などで
十分防御されていたそうです。
地方の伊勢亀山城は
こうして守られていたんですねえ。

でもまあ、江戸時代に
さほど大きな合戦というのも
なかったとは思うんですがね。

ここは広いスペースだったので
休憩するのにも良い所なんですが、
今日は無理なお天気ですね。
どこか屋根のある所で休憩しますか。

なおかつ東に進んでいきますと、



こんな古い家のところに出ます。



ここは亀山藩主石川家家老加藤家屋敷跡です。



立派な長屋門が続き、
中には土蔵が見えたりしています。
前の道も石畳が設けられ、
豪勢な感じになっていますねえ。

さて、これで城見庭園から入った
西町の並木は終わりですね。
ここから道はお堀の池の側の
ところに出ていきます。
ここからさらに東向いて、
池の南側の道を進んでいきましょう。



こんな感じの古い道です。

道の両側に家々には古い屋号札が
いろいろとついています。



いろんなお店があったのですねえ。
でもねえ、店の名前は
わかるのですが何を売っていたかは
あまりわかりません。



まあここは「えごま」を
売っていたんでしょう。



そしてここは荒物屋ですねえ。
でもこんなお店はわかりません。
そんな掲示もできたら
してもらった方が面白いんやけどなあ。
こうして歩いていると、
道は結構な高台の上を
歩いていますねえ。



右手に少し下がったところに、
お寺が現れました。
名前は「遍照寺」といいます。

ここは昔から「頭で鐘つく遍照寺」と
いわれていたそうです。
すこし高台にあるお寺なので
そんなイメージだったのでしょうね。
中に入っていきますと、
大きな無縁仏もありましたね。



階段がまだまだ下の方に
続いていましたので、
降りてゆくと墓場が続いていました。



う~ん、何か静かな参道が
続いているかなと思ったのですが、
そうではなかったようです。



続く

 



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