ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

静寂の山城 1

2015年06月02日 21時32分30秒 | ウォーキング

わーい、このブログも
今回で3000話目を迎えました。
いつも読んでいただいている皆さんに
感謝感激雨雪雷雹霙です。

では3000話目の特別企画~
ということは一切ありません。
普通にいつものブログでござりやす。

大岩ヶ岳の翌日は、奈良の高取山に出かけた。

まもなく季節は梅雨入りであるからして、
この時期は精力的に山に行くことにしている。

ていうか最近フリーライターもクリエイターも
鳴かず飛ばずなので、
ハイカーに力を入れているのだよ・・・
うむむ、悲しいようなうれしいような。

この山も多武峰や談山神社方面に
出かけたときから気になっていた山だ。

恒例の奈良の友達の
萩完走後の飲み会に参加するときに、
昼間歩いてみようと思っていたのが
このたび実現したというわけだ。

つまり飲み会の日程が決まったわけじゃね。

地図を見ると、
コースタイムはわずかに2時間半だから、
あちこちウロウロしたり写真を撮ったりしていても、
4時間あれば十分だろうということで、
飲み会の時間を考え、
昼前くらいに家を出て近鉄電車で
最寄りの「壺阪山」駅へと向かった。



当初日程が決まった時は
どうも天候が良くないような
長期予報が出ていたけど、
なんとか持ちこたえたようで、
山歩きには上々の天気の中、
バスに揺られて壺阪寺まで行き、
そこから歩行を開始した。

最初に行ったのは、壺阪寺だ。



ここは浄瑠璃の調べに乗ってうたわれる、
座頭の沢市とその女房「お里」の
夫婦愛物語

「壺阪霊験記」

の舞台となったお寺だ。

「妻は夫をいたわりつつ、夫は妻を慕いつつ~」

「みっつ違いの兄さんと・・」
のセリフもまた有名じゃね。
目が見えない夫とそれを支えた妻、
そんな二人の現場であることから
眼病に御利益があるといわれ、
多くの人が訪れるお寺だ。

doironも、夫婦愛はさておいて、
最近パソコンとにらめっこする仕事が多く
目が疲れやすいから、
しっかりとお参りしておかねばなるまい。

そうそう、壺阪寺の名前の由来も紹介しておこう。

昨年大和三山を歩いた時に、
訪ねた藤原京。
これを開いた頃にこのお寺も創建されている。
弁基上人というえら~い僧が、
当時この山の山中で修業中、
壺の中に観世音菩薩を感得したので
その壺を坂の上に安置して
供養したところからこの名前がついたとのこと。

こうして名前に疑問を抱き、
調べてみたらきっちりいわれがわかる
というのは楽しいもの。
これを「ツボにはまる」という。

山門には仁王さんの下駄が復元されて置かれてあり、



これをはいて写真をどうぞとあった。

そ、それはさすがに
親父ひとりではやりにくいぞ。

と、その時お堂の屋根の上に
何かが顔を出しているのを見つけた。

これ。



ちゃうちゃう、これだ。





「大観音石像」。

インドとの交流の中で製作されたそうだ。

う~ん、ここはなにかと巨大なものが多い。
慈眼堂でしっかりと手を合わせた後は
入り口に戻り、
さあここから高取山に向かう山道へ突入だ。



道案内には「高取城跡」とあるが、
その城跡のてっぺんが
「高取山」なのだ。



車も人もまったく通らない車道をしばらく歩く。



眼下には壺阪寺の石の仏像が見えている。



道路わきには「クサノオウ」が咲き、



初夏を思わせる。

やがてこんなところに到着。



真っ直ぐ車道を続けて歩いても
「高取城」とあるがここは迷わず山道に入って行った。



道の脇にはこの先にある
「五百羅漢」への道筋を示すという
「丁石」とも思えるこんな石が、



ところどころに立っている。



「香高山五・・・」と刻まれてあるように見えた。

照葉樹林の木漏れ日が気持ちいいぞ。



ここがその五百羅漢の始まりだ。



見ると大きな岩の表面に
数えきれないほどの仏が彫られてある。



それはひとつの岩にとどまらず、
あちらの岩にもこちらの岩にも
同様に刻まれている。

ありがたさというよりは、
ここにはこれを彫った人の情念が
とどまっているような感じで、
人の気配は全くないのに
たくさんの目で見つめられているような感覚は、
どちらかといえば不気味な感じの場所だった。

ゾクゾクッと続く。


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